7.審問
待機室には、さっきまでの食事の匂いがまだ薄く残っていた。
リアは空になったパックをまとめながら、ちらりとギルダを見る。
「なんだよギル、全然食ってないじゃん」
「……本部じゃ食欲わかない」
「じゃあ持ち帰れよ。あとで腹減るだろ」
リアは言いながら、ギルダの食べかけのパックに赤いシールをぺたりと貼って封をする。
ギルダがふと気づいて眉をひそめた。
「それ証拠品用の封印シールじゃないの?」
「これ便利なんだよなー。貼ると開かないし、剝がすときも綺麗だし」
「本来の用途以外で備品を使うな……!」
ギルダは呆れたようにため息をつき、ポケットから煙草の箱を取り出す。
「……ちょっと吸っていい?」
「あ、いいな。オレも」
リアが即座に手を伸ばす。
ギルダは一本を軽く放り、リアは空中でそれを指先で挟んだ。
リアが軽く指を鳴らすように親指をこすり合わせると、義手の指先に小さな赤い熱が灯った。 金属の内側で火花が咲いたような、静かで鋭い光。
リアはそのまま煙草の先端に指先を近づける。 触れた瞬間、紙がふっと赤く染まり、火が移った。
「ほい、ギルのも」
リアは指先の赤を消さずに、ギルダの煙草へそっと寄せる。 ギルダがわずかに身を傾けると、 同じように、触れた瞬間に火が移った。二本の先端が同時に橙色に灯り、 最初の一口が肺に落ちるまで、短い沈黙が部屋を満たした。
「うまーーー」
「うめーーー」
白い煙がゆるく舞い上がる。張っていた神経が、わずかに緩んだ。
その時、扉がスライド音とともに開いた。
「……おい、ここ本部だぞ」
入ってきたのはテオだった。
煙草を吸う二人を見て眉間にしわを寄せる。
「知ってるよ」
ギルダが気だるげに返す。
「吸ってるのバレたら、中佐にまた言われるぞ」
「多分、もうバレてる」
リアが手をひらひらと振る。
テオは小さくため息をつき、
「……オレも一本くれ」と、手を差し出した。
ギルダが無言で一本投げて渡し、テオは火をつけて煙を短く吸った。
「あと1時間はかかるな」
「なげー……アトリ大丈夫かよ?」
「中佐は普段、審問をムダに長引かせたりしないが…今日は裏で“見物人”が増えてる。……ああいう時は長い」
リアが天井を見上げて呟く。
「アトリ、なんで起きたんだろうなー、こんなことってあるんだな」
テオも視線を落としたまま、ぽつりと漏らす。
「……というか、アトリの体が保管されてたって話自体、オレは知らなかった」
ギルダが煙を吐き、淡々と返す。
「再現不可能な義体だから…使う・使わないは置いといて、破棄は避けたんじゃないの。私たちも死んだらホルマリン漬けかもね」
リアが吹き出す。
「ははッ!やっば!」
だがテオは笑わなかった。呆れたようにギルダの横顔をじっと見つめる。
「……お前、なんか知ってるんじゃないだろうな」
「勘弁してよ……こっちだって心臓止まるくらい驚いたんだって」
テオはどこか腑に落ちない表情を崩さなかった。煙草をくわえたまま、視線だけをギルダに向ける。やがて、短く息を吐くと、ホログラムを指先で弾くように展開する。
「……まあいい。そういえば── お前たちがここに来る前に遭遇した、追跡行動ユニットの解析結果が出た。見るか?」
「見る」
ギルダが即答する。
テオはこめかみに軽く触れ、二人の前にホログラムを共有した。
内容を見たリアが眉をひそめる。
「何これ、内部記録が全部飛んでるじゃん」
「全部フォーマットされてる。結果、原因も行動理由も何もわからないそうだ」
ギルダは煙草を持つ手をわずかに下げた。
「またか……これ何件目?」
「先月から続いて五件目だ。軍用ユニットが“指示のない行動”を取り、勝手に移動して、勝手に停止して、そのうえ内部記録が丸ごと消えてる」
テオはホログラムを指で弾きながら続ける。
「行動パターンもバラバラだ。巡回ルートを外れたり、意味のない場所で立ち止まったり、今回みたいに“誰かを追跡した”ケースもある。でも全部、原因不明。ログが消えてるから追いようがない」
ギルダは煙草の灰が落ちそうになるのも気づかず、少しだけ考え込む。
「意図も読めないし、今のところ人的被害も出てない。だから局としては“大規模捜査”に踏み切れない、ってわけね」
その言い方は、状況を正確に整理しながらも、どこか先を見ている声音だった。
そして、ふと漏れるように呟く。
「……タイミング的に……アトリと関係…あるかな」
リアが顔をしかめた。
「やめろよ、そういうの。縁起でもないって」
ギルダはリアの反応にも視線を外さず、 煙草を携帯灰皿に落としながら、静かに続ける。
「何もわからない以上、可能性は可能性として見ておかないと。アトリが起きて嬉しいのは分かるけど…… “なんで起きたか”“どうやって地下区画から出たか”、そこが全部不明ってことは、忘れないでよね」
リアは指先で煙草をくるりと回しながら、 気まずそうに吐き出す。
「つーかさ……どうやって地下区画から抜け出したんだよ、あいつ」
テオも煙を横に流しつつ、ギルダへ視線を向ける。
「そうだ。そこらへん、ちゃんと聞かせろよ、ギル」
ギルダは天井を見上げ、深く息を吐いた。 白い煙がゆっくりと昇っていく。
「もー……これ何回目だよ……本部に来てから、ずっと同じ話してるんだけど」
***
一体これで、何回目の説明になるんだろう。
アトリは審問室の椅子に座り、また同じ言葉を並べようとしている自分に気づく。
──起きてから第47基地に行くまでの流れ。
起きた場所、歩いた経路、どの扉が開いたか。
何度も話したせいで、説明はむしろ妙に滑らかになっていた。
オーウェンは手元の資料のページを静かに切り替え、 声の調子を変えぬまま問いかけた。
「あなたが聴いた“声”について、もう少し聞かせてください。声はいつから、どのように聞こえましたか」
「目が覚めた瞬間にはもう……“起きて”って。それから、“ここから出よう”って。……その声に、案内されて気が付いたら外に出ていました」
「その際に痛みや視界の乱れは?」
「なかったです。普通に……動けました」
「性質として——神経同調通信に近い印象はありましたか」
「神経、どうちょう…?」
「…失礼。あなたたちの間でテレパスと呼んでいるものです。第二同期ユニット間で使用できる専用回線のたぐいです」
本部に来る前に、リアと会話したことを思い出した。アトリはしばらく考え込み、言葉を探す。
「……似ている気もしますけど………あれは、勝手に頭に入ってきたというか……こっちが“聞こう”としてないのに……落ちてくる感じで」
「つまり、“あなたの意思とは関係なく、外部入力として自然に聞こえた”という認識ですね。通常の神経同調通信とは異なり、より“受動的な受信”に近い」
監視ノードが、天井でわずかに角度を変えて光る。
オーウェンは次の資料を開き、淡々と続けた。
「では次に── あなたが地下区画から脱出した経路について伺います。記憶のない状態でロックを解除し、あの警備体制を突破することは本来不可能です。特に、あなたが脱出に使用したS-9ゲートは、現場で開けるものではなく、遠隔制御で運用されています」
その言葉に、アトリの脳裏にあの巨大な扉がよみがえった。
≪――開いたよ、行こう≫
そう言われたとき、気づくと扉が開いていた。
「S-9ゲートがどのように開いたのか……覚えている範囲で答えてください、どんな断片でも構いません」
「……声に……あそこまで案内されて……」
そこから先は、空白だった。
アトリは口を閉じたまま動かない。
オーウェンは少し待ってから静かに問う。
「……思い出せませんか」
「……はい」
アトリは俯き、小さく答えた。
「ぼく……、おかしい、ですか」
「いいえ。反応・判断ともに良好ですよ」
即答。微笑。
上からの安心の与え方を分かっている。
「── ただ、“声”という語はここだけにしましょう。記録上は『内的ガイダンス』で統一します」
オーウェンは卓上のタブレットを指先で軽くスライドし、アトリの前にそっと置いた。横には細身のスタイラスが添えられる。
「最後に、こちらのタブレットに、いまの体調に関するアンケートを入力してください。簡単な設問です。頭痛・吐き気・指先のしびれ・視界の揺れ……該当があればチェック、なければ“なし”で構いません」
アトリは「はい」と短く答え、スタイラスを無意識に左手でつまんだ。
ペン先が画面に触れた瞬間、オーウェンの視線が一度だけ動く。
「……左利き、ですか?」
「え?」
「利き腕の確認です。ペンを左手に持っているので」
「あ……そうかもしれません。そういえば、戦闘したときも左手のほうが前に出た気がします」
オーウェンは短く頷く。
「なるほど。ですが、記録上の利き腕は“右”になっています。時間経過による変化か、あるいは神経系への攻撃による影響か。……いずれにせよ、興味深い差分です」
アトリは小さく息をつき、タブレットのアンケート項目へ視線を戻す。
しばらく記入の音だけが、静かな審問室に続いた。
やがてオーウェンはページを切り替え、事務的な口調で告げる。
「――では、総括します」
淡々と読み上げる声に、AIの青いノードが一つだけ明滅した。
「対象は再起動時より“内的ガイダンス”を訴えており、身体側反応との同期に不整が継続して確認されています。当面は復元局による定期メンテナンスおよび経過観察を必須と判定します。
また、“アトリ・フィンチ”としての記憶は消失しているものの、反応性および判断能力は安定しており、行動能力および戦闘ストレス耐性も軍務遂行基準を満たしています。
ゆえに軍属としての復帰は妥当であり、以降の所属区分および管轄権について再定義が必要です。
当面は所定の監督部局の管理下で段階的運用とし、最終的な所属および運用方針は、対象本人の意向を参考情報として扱い、関係部署との協議により決定します」
読み上げ終え、オーウェンは天井のAIに向けて形式的に言った。
「以上、総括とします。確認をお願いします」
青いランプが静かに点滅した。
〈総括を認証。データベースへ登録を完了しました〉
アトリは、そのやり取りの意味をすぐには理解できなかった。だが、自分の扱いがこうした無機質な手順で決まっていくという事実だけは、皮膚の下にじわりと染み込んできた。
「お疲れ様でした。これで審問は終了です。今後の対応については、のちほど正式にお伝えしますので……しばらく待機してください」
オーウェンは淡々と最後の言葉を締めくくると、椅子を静かに引き、ドアへ向かって歩き出した。スライド音とともに扉が開く。その境目で、彼はふと足を止める。振り返らず、声だけがこちらへ向けられた。
「——このあと、私の私室でギルダ君たちと合流しましょう」
その一言を残し、オーウェンの姿は扉の向こうへ消えた。
アトリは瞬きをする。
張りついていた空気がようやく剝がれ、胸の奥に溜まっていた息が、ゆっくりと流れ出した。足が自然と動き、アトリは審問室を後にした。
***
廊下にはまだ誰もいなかった。
審問室の扉が閉まると、さっきまで胸を押しつけていた空気が、すっと背中から離れていくようだった。アトリは壁際に立ち、ひとまず待機する。
深呼吸をしようとした、そのとき── コツ、コツ、と固い靴音が遠くで響いた。
廊下の奥から、冷たい風がひと筋流れてくる。視線を向けると、黒い軍服の男が姿を現した。胸元の銀のラインが三本、階級章が白い照明を鋭く弾く。
肩幅が広く、体格も大きい。歩く動きには無駄がなく、佇まいには“隙”というものが一切なかった。黒髪はきっちりと撫でつけられ、照明を受けてわずかに光を返す。
そして── 灰色の眼が、冷たくまっすぐアトリを射抜いた。
睨まれているのか、見定められているのか、判断がつかない。ただ、その視線には逃げ場がなかった。距離はまだあるのに、足元から眩暈のような緊張がじわりと上ってくる。
「あの……?」
声をかけたが、男は立ち止まりもしなかった。
ただ視線だけを一度アトリに通し、そのまま固い靴音を響かせて通り過ぎていく。冷たい風だけが、あとに残った。
アトリは、去っていく男の後ろ姿をしばらく見送った。黒い軍服が角を曲がって完全に消えたとき、ようやく胸の奥の緊張が少しだけほどける。
「アトリ、お疲れ」
振り向くと、ギルダが軽く手を挙げながらこちらへ歩いてきていた。その何気ない仕草と声に、アトリはほっと息をつく。
「ギルダ……」
だが視線は、ついさっき男が消えた廊下の奥へ向いてしまう。
ギルダが首を傾げた。
「誰かいた?」
「いや……黒い制服の男の人が。何か用かと思って声かけたんだけど……返事なくて」
ギルダはアトリの視線の先を追い、廊下の奥を静かに見つめた。
その横顔の表情が、ほんの一瞬だけ硬くなる。
「ああ……」
短い吐息のような声。 理解した、というより、“思い当たった”という反応だった。声の温度がわずかに下がっている。
「── 気にしなくていいよ」
ギルダは廊下の奥を一度だけ、冷たく睨むように見た。だが、その表情はすぐに消え、アトリへ向き直る。
「アトリも疲れたでしょ。ちょっと息抜きしよ。オーウェン中佐が“お茶でもどうぞ”ってさ。私も、そろそろ肩の力抜きたいし」
「……お茶?」
軍らしくない響きに、アトリは思わず瞬きをした。
「そう、お茶会。……中佐の私室、ちょっとクセあるけどね。行けば分かるよ。ほら、行こ」
ギルダが小さく笑って肩を叩くと、アトリはこくりと頷いて歩き出す。廊下の冷たい空気が、ふたりの足音に押されるように静かに遠ざかっていった。
オーウェン中佐による審問の回でした。
ギルダ・リア・テオのトリオの仲の良さ?も書きたかったところです。
3人とも、一応アトリの前では煙草吸わないようにしています。
次回はオーウェン中佐の私室でお茶会です。




