32.呪縛
監査執行局・局長室。
ベルトーネが端末を操作し、特別管制通達の解除申請を進めている。その横で、オーウェンはふと思い出したように三人へ視線を向けた。
「……僕、個人について……君たちに少し話しておきたいことがあります」
ベルトーネの指が、わずかに止まる。
「もう薄々、気づいているかもしれませんが――僕の曾祖父は、初代統合司令官の
オスカー・オーウェンです」
オーウェンは続けようとして、ほんの一瞬だけ言葉を止めた。
何度も頭の中で整理してきたはずの言葉だった。
それでも、いざ口にすると妙に重い。
「連邦の設立に深く関わり、現在の体制の礎を築いた人物です。そのため、僕は一人の軍人である以前に、どうしても家名や歴史と切り離せない立場にあります」
ホログラムの光が、オーウェンの横顔を淡く照らす。
「オスカー・オーウェンを英雄だと言う人もいる。 同じくらい、彼の判断を批判する人もいる。僕はずっとその評価の中で生きてきました。僕を“個人”として見ずに、過去の象徴として扱う人も大勢います。 その視線は、僕だけでなく――僕の部下になる君たちにも向けられる可能性がある」
ギルダ、テオ、リアの表情を確認する。
「僕が指揮官であることに、不安があるなら今のうちに言ってください。血筋や立場を理由に、君たちへ負担を背負わせるつもりはありません」
沈黙。
しかし――三人の反応は、オーウェンが予想していたものとは少し違った。
ギルダ、テオ、リアは揃って、ぽかんとしている。まるで、質問の意味そのものを理解しかねているようだった。
「……えっと」
最初に口を開いたのはリアだった。
「オスカー閣下の評価と、大佐って……何か関係があるんですか? その……すごいお金持ちってことですか?」
オーウェンは一瞬、言葉に詰まった。
その様子にベルトーネが小さく鼻を鳴らす。
テオが淡々と続ける。
「俺たちは、特にオーウェン大佐に不満はありません……少し変わった趣味をお持ちだとは思っていますが」
「趣味?」
オーウェンが首を傾げる。
「古い茶器を集めたり、私室を庭に改造したり……あと、今回のような危険な駆け引きを“作戦”として成立させるところです」
「……」
返す言葉がない。
ギルダも困惑したようにリアとテオを見比べ、それから静かに頷く。
「私たちが判断する材料は……大佐がこれまで何をしたか、なので」
リアも「はい」と頷く。
「家柄とか、正直よく分かんないです」
その言葉に、オーウェンはわずかに目を見開いた。眼鏡を押し上げようとして、今日は掛けていないことに気づく。
「……そうですか」
長い間、彼を縛っていたものを。
三人は最初から見ていなかった。
彼らが見ていたのは――
目の前にいる、少し変わった眼鏡の上官。
それだけだった。
ベルトーネがホログラム越しにオーウェンの表情を覗く。
「お前、ただの家柄自慢だと思われてるぞ」
「いえ……そういう意図ではなかったのですが」
オーウェンは困ったように眉を下げる。
少し考えてから、小さく笑った。
「ただ、まあ……結果的には、そう聞こえてしまったかもしれませんね」
その笑みは、いつもの穏やかなものだった。だが、――その奥には、長く抱えていたものをほんの少しだけ手放したような、安堵があった。
***
局長室を出たオーウェンは、審問部から届いた急ぎの照会案件へ対応するため、一人廊下を歩いていた。特別管制通達の解除手続きは、ベルトーネがそのまま引き継いでいる。三人も、局長室に残ったままだ。
ふと前方に、一人の軍服姿が見える。
ヘッセンだった。
オーウェンにとっては久方ぶりの再会だった。いつものように背筋は真っ直ぐで、軍服にも一分の隙もない。だが、その端正な佇まいとは裏腹に、目元だけがわずかに落ち窪み、薄い隈が疲労の色を隠しきれていなかった。
視線が交わる。それでも互いに歩みは止めない。
一定の歩調のまま距離だけが縮まり、言葉にならない静かな緊張だけが二人の間を流れていた。
「……ヘッセン大佐。お久しぶりです」
オーウェンが穏やかに声を掛ける。
ヘッセンは一瞬だけ視線を向けたものの、返事もせずに歩み続ける。それでもオーウェンは気にした様子もなく口を開いた。
「今日、三人の現場運用が無事に終わりました。皆、本当に優秀です。彼らを僕のところへ送り出してくださって、ありがとうございました」
「……なによりだ」
返ってきたのは、その一言だけだった。
二人は肩を並べるようにすれ違う。
数歩進んだところで、オーウェンが静かに振り返る。
「三人なら、今も局長室にいます」
わずかな間が空く。
「……会っていかれますか」
「会いに来たわけではない。別件で寄っただけだ」
短く言い切る声には、感情を切り捨てるような硬さがあった。オーウェンは少しだけ目を伏せる。
「……何か、彼らに言葉を掛けてあげてはどうですか。三人は、自分たちが不適合だったから司令本部を外された――そう思っていますよ」
ヘッセンは鼻で笑うように、小さく息を吐いた。
「……馬鹿馬鹿しい」
そう言って歩き出そうとした背中へ、オーウェンが穏やかな声を重ねる。
「でしたら、僕が伝えておきましょうか」
ヘッセンの足が、わずかに止まる。
「『ヘッセン大佐は、君たちを見捨てたわけではない』と」
穏やかな口調だった。
責める響きも、皮肉もない。
だからこそ、その一言は真っ直ぐに突き刺さる。
ヘッセンの歩みが、ぴたりと止まった。
ゆっくりと振り返る。冷え切った刃のような視線だった。
「――今さら、踏み込んでくるな。オーウェン」
その声に怒鳴るような激しさはない。だが、押し殺された怒気が、廊下の空気を張り詰めさせていた。誰もが、次の言葉を選ぶことを躊躇するような圧だった。
しかし、オーウェンは穏やかな微笑みを崩さない。
「君の事情に踏み込むつもりはありません。ですが、沈黙はときに一番残酷な命令になりますから」
ヘッセンの目がわずかに細くなる。
「君が守ろうとしているものが、君自身の手で傷つくこともありますよ」
それは、逃げ道を塞ぐための言葉だった。
ヘッセンはしばらくオーウェンを鋭く睨みつけていたが、やがて視線を逸らし、再び歩き出した。遠ざかっていく背中を見送りながら、オーウェンは小さく息を吐いた。
「……うーん」
少し困ったように眉を下げる。
「思った以上に重症だなあ……」




