26.特別管制通達
「ギルダ・カルスタです」
「テオドール・アッカ―です」
「リア・レノックスです」
三人がが揃って敬礼した。
監査執行局、局長室。
彼らの正面に立つ男は、ニヤリとした笑みを浮かべた。
監査執行局長――二コラ・ベルトーネ。
白髪の混じった短髪。目尻には深い皺が刻まれているが、それは老いというより、笑い、怒り、数え切れない修羅場を潜り抜けてきた証のようだった。明るい物腰の奥には、監査執行局を束ねる局長としての揺るぎない威厳があった。
「本日付で、お前たちは監査執行局所属となる。まずは歓迎しよう」
三人は姿勢を崩さない。
ベルトーネは隣に立つ男へ顎を向けた。
「そして、これからお前たちの指定指揮官を務めるのが、ヘルマン・オーウェン大佐だ」
オーウェンは一歩前へ出ると、軽く会釈する。ベルトーネは口元をわずかに緩めた。
「最初に一つだけ忠告しておくぞ。大佐の扱い方は良く覚えておいた方が良い。そこを間違えると、苦労するのはお前たちだからな」
隣に立つオーウェンの眉が、わずかに動く。
「……局長」
軽い抗議にも、ベルトーネは気にも留めない。
「監査執行局と司令本部では、仕事の流儀が違う。まずは環境に慣れろ。それがお前たちの最初の任務だ」
三人は声を揃えて「はい」と答えた。
ベルトーネは満足げに頷き、手をひらりと振る。
「よし、では下がれ。――オーウェン大佐は残れ。少し話がある」
三人は敬礼し、静かに局長室を後にした。
扉が閉まると、ベルトーネは深く息を吐き、椅子へ身体を預ける。
「……」
机に肘をつき、両手で額を押さえたまま動かない。静かな沈黙の中、オーウェンだけが事務的に報告を続ける。
「以上、三名です。当面は審問部補助および行政実務の訓練を行わせます。ただ、現場への同行は慎重に――」
ベルトーネは、そこでようやく顔を上げた。
その表情には、先ほどの快活さは微塵もない。
「……子どもじゃねえか」
「三名とも十五歳です」
ベルトーネは深く椅子にもたれ、片手で顔を覆う。
「何考えてんだ司令本部は……」
重い沈黙が落ちた。
やがて、ベルトーネは低く口を開く。
「……お前、司令本部から引き抜きがあった時、あいつらを見たんだな」
「はい」
オーウェンは静かに頷く。
「当時、彼らは十歳でした」
「そうか……」
ベルトーネは遠くを見るように目を細めた。
「……気配の鋭さが尋常じゃないな。まあ、そりゃああなるか……」
椅子にもたれ、深く顔を覆う。
「悪い、オーウェン。噂には聞いていたが……まさか、あんなに子どもだとは思わなかったんだ。お前なら大丈夫だろうと軽く考えていた。俺の理解が足りなかった」
「私は理解して引き受けましたので。ご心配には及びません」
迷いのない返答だった。
ベルトーネは一瞬だけ言葉を失い、そのまま黙って続きを促す。オーウェンはホロパッドを展開し、数枚の資料を映し出した。
「事前にお送りした、カイル・マーロウ君の一次所見です。彼らは“身体的な限界”よりも“精神的な安定性”のほうに課題があります」
ホロパッドに資料を展開し、数点を指で示す。
「身体能力は規格を十分に満たしています。しかし、極度の緊張や喪失体験に対する耐性が未成熟なまま、実戦を重ねています」
オーウェンは静かに続けた。
「司令本部は『規格値を満たしている』ことを重視していますが、現場で必要なのは、それだけではありません。精神的な安定性を含めて運用しなければ、いずれ必ず破綻します。この点については、司令本部と現場の認識に大きな隔たりがあります」
ベルトーネは、ようやく息を吐いた。
「……ようやく分かったよ、お前があれだけ慎重になってた理由が」
低く呟き、資料をめくる。指先が、わずかに強張っていた。
「これまで戦死者が出なかったのが奇跡だな……ヘッセン大佐は、相当なやり手だ」
オーウェンは眼鏡のブリッジに指を添え、わずかに位置を直した。レンズ越しの視線が、静かに遠くを見通すように細められる。
「普通ならとっくに破綻している状況です。それであの三人を“落とさず”に回していたのは、技量というより……もはや執念に近い」
ベルトーネは何も答えなかった。ただ静かに目を閉じ、その言葉を噛み締める。
その重苦しい沈黙を断ち切るように、扉が規則正しく叩かれた。
オーウェンは一瞬で表情を切り替える。展開していたホログラム資料を指先ひとつで閉じ、先ほどまでの私的な空気を跡形もなく消した。
「――失礼いたします」
低く落ち着いた声とともに、イーノ・グレイヴス准将――監査執行局副局長が入室する。
ベルトーネは表情を引き締め、局長としての顔に戻った。
「グレイヴス准将にも来てもらった。本局に配属されたSecond三名の運用について、ここで方針を固める」
視線をオーウェンへ向ける。
「では、オーウェン大佐。second三名の扱いについて、まず考えを述べてくれ」
「現場運用については、制限が必要と考えます」
グレイヴスの眉がわずかに跳ね上がる。しかしオーウェンは気に留めず続けた。
「ギルダ・カルスタは、先般の戦闘において呼吸不全を発症しています。身体機能そのものは回復傾向にありますが、精神的負荷に起因する再発リスクは否定できません。残る二名についても、情動制御に明らかな揺らぎが認められます」
「現状の三名を、通常の戦力として継続運用することは推奨できません。当面は行政実務および審問補助を中心とした任務に従事させ、環境への適応と精神状態の安定を優先すべきと考えます」
一拍置き、静かに言葉を締めた。
「以上の理由により、当該三名に対する特別管制通達の発令を要請いたします」
「――賛同しかねます」
グレイヴスはわずかに顎を引き、冷ややかに口を開いた。
「“現場運用を制限する”ということは、司令本部が即応戦力として判断した三名を、こちらの裁量で事実上、戦力外に置くということです」
グレイヴスは続ける。
その口調には、数字と責任を背負う者の冷徹さが滲んでいた。
「第二同期ユニットには、連邦が莫大な予算と歳月を投じています。運用を停止、あるいは長期間制限するとなれば、その説明責任は監査執行局が負うことになる」
「――副局長、補足を述べる許可を願います」
オーウェンは表情を変えず、淡々と返す。
「私は現場投入そのものを否定しているわけではありません。状況が整えば、彼らを現場へ投入することもあるでしょう。しかし、今の彼らの体調と精神状態を総合的に鑑みれば、“今すぐ”出すほうが、むしろ深刻な損害を招く可能性が高いと判断いたしました」
グレイヴスの口元がわずかに歪んだ。
「……たかが審問官が、軍の資産に対して"判断した"とは。これはまた、随分と大きく出たものだ」
「――"たかが審問官"だと?」
低く響いた一言に、室内の空気が凍りつく。
ベルトーネは椅子に深く腰掛けたまま、グレイヴスを真っ直ぐ見据えていた。
「それは、俺の前で言う冗談か?」
静かな口調だった。
だからこそ、その威圧感は逃げ場がなかった。
「……失言でした。お詫びいたします」
「次はない」
それだけ告げると、ベルトーネはゆっくりと視線を外した。
「軍規上、あの三人が『任務可能』と判定されていることは承知している。だが、任務に就けるかどうかを最終的に判断するのは、監査執行局だ。適性評価、安全性の確認、運用可否――それが俺たちの所管だ。現場へ出す時期も、出し方も、俺たちが決める」
グレイヴスはなおも食い下がる。
「ですが、特別管制通達の発令は行き過ぎです。取締部は現在、慢性的な人員不足にあります。現場からは『一日でも早く投入してほしい』という要望が相次いでいます。投入が遅れれば、現場の不満も高まるでしょう。……それでは説明がつかないのではありませんか」
「通達は監査執行局の正当な権限だ。不服があるなら、法務監察室へ正式に異議を申し立てろ」
静かな声のまま、追い打ちをかける。
「その場合、俺は“適性再評価の公式報告”を出す。再評価が始まれば、審査期間は最短でも半年。その間、三名の運用計画は全面凍結だ……それでいいんだな?お前のほうこそ、現場の即応派や、取締部の後ろ盾になっている司令本部に説明がつくのか?」
その言葉で勝負は決した。
グレイヴスはゆっくりと視線を落とす。
「……承知しました。局の判断に従います」
短く敬礼し、踵を返す。
爆発のあとに降り積もる埃のような沈黙が、局長室を満たす。ベルトーネは深く椅子にもたれ、両手でこめかみを押さえた。
「……胃が痛ぇ……」
本気で痛そうな声だった。
オーウェンは静かに頭を下げる。
「……ご負担をおかけして、申し訳ありません」
「いや、いい」
ベルトーネは疲れたように手を振った。
「"創造規制法"の草案会議に比べりゃ、まだマシだ。あれは本気で胃に穴が開くかと思った」
苦笑を漏らしながらも、すでに意識は仕事へ切り替わっている。ホロパッドを展開し、通達文書のテンプレートを呼び出すと、慣れた手つきで項目を埋めていく。青白いホログラムが局長室に浮かび上がった。
「――現場投入の制限期間は、長く見積もって四か月……いや、三か月が限度だな」
指先を止めることなく続ける。
「取締部への説明と根回しは俺がやる。だが、それ以上引っ張れば現場が持たん」
「ありがとうございます」
オーウェンは一礼し、わずかに間を置いてから口を開いた。
「……局長。一つ、お願いが」
「ん?」
「例外適用条項についてですが――局長と私の連名承認としていただけませんか」
ベルトーネの指が止まる。
入力途中だったホログラムが静止し、青い光だけが二人の間を照らしていた。ゆっくりと顔を上げ、オーウェンを見据える。
「――もう、腹くくってんだな?」
「はい」
オーウェンは静かに一礼する。
その横顔には、決意だけが静かに宿っていた
***
《特別管制通達 第24号》
発行元:監査執行局局長
ニコラ・ベルトーネ少将
宛先:北方連邦軍 司令本部
/各局部長
/復元局局長
/関連実働部門指揮官
件名:
《第二同期ユニットに関する特別管制および現地運用制限について》
第1条 目的
本通達は、監査執行局所属の第二同期ユニット(以下「当該隊員」という)に関する現地運用および危険事案同行について、当面の安全性・適性評価が完了するまでの間、運用統制および許可手続を明確化することを目的とする。
第2条 対象者
本通達の対象となる当該隊員は以下の三名とする。
ギルダ・カルスタ
テオドール・アッカー
リア・レノックス
第3条 運用制限
当該隊員を 現地危険事案(危険技術取締・違法義体摘発・暴走AI実地対応への同行等)に投入することを当面禁止する。
当該隊員の前線使用、またはこれに準ずる実地同行を行う場合、主任審問官ヘルマン・オーウェン大佐による事前承認を必須とする。
上記承認なく実施された現地運用は、監査執行局の統制手続違反として扱い、司令本部への報告対象とする。
第4条 例外条件
重大インシデントにより「当該隊員の同行が不可欠」と判断される場合、以下の二名の連名承認をもって例外的措置とみなす。
監査執行局 局長 ニコラ・ベルトーネ少将
主任審問官 ヘルマン・オーウェン大佐
第5条 効力の発生
本通達は発行時点より直ちに効力を有し、審査完了および局長承認による解除がなされるまで継続する。
発行:監査執行局 局長
ニコラ・ベルトーネ少将
(電子署名付)




