25.決別と煙草
審問室の扉が閉じた瞬間、カイルの背筋からふっと余計な力が抜けた。
「お疲れ様でした、カイル君」
低く穏やかな声に振り返る。
そこには、ヘルマン・オーウェン大佐が立っていた。
審問室にいたときの張り詰めた空気はもうない。それでも背筋は真っ直ぐに伸び、長年軍に身を置いてきた者だけが持つ隙のなさが、その立ち姿に滲んでいた。
「……ヘルマン・オーウェン大佐」
カイルは反射的に敬礼する。
オーウェンも軽く答礼すると、小さく微笑んだ。
「疲れたでしょう」
その一言に、張り詰めていたものが少しだけ緩む。素直に言うべきか迷ったが、審問中に抱えた苛立ちがまだ体の奥に残っていたので、そのまま言うことにした。
「……疲れました。同じことを何度も聞かれて……。あの人たち、本当に僕の話を聞いていたんでしょうか」
オーウェンはすぐには答えなかった。廊下を一度見回し、人がいないことを確認すると、一歩だけ距離を詰め、声を潜めた。
「自分に都合の良い答えを聞くまで、少し形を変えて“同じ質問”を繰り返しているだけですよ」
「……え?」
「なんなら君が怒って、余計なことを喋ってくれたらラッキー、――その程度にしか思っていません。彼らが扱うのは“条文”であって“痛み”ではない。君の想いや現場の負荷なんて、最初から議題に含まれていません」
カイルは思わず息を吐いた。
「……なんか、嫌な仕事ですね」
オーウェンは苦笑した。
「私もそう思います」
眼鏡を指先で押し上げる。
「だから私は、せめて議論だけは正しく行われるように見ています」
カイルはぽかんと目を瞬いた。腹の底に溜まっていたものがするりとほどけて、ふっと笑いが漏れる。
「あはは…」
オーウェンはわずかに眉を上げる。
「何かおかしなことを言いましたか」
「いえ。審問の前にそれを知っていたら、もう少し冷静に話せたかなって」
オーウェンは静かに笑った。軍人らしからぬ穏やかな笑みだった。
「……十分でしたよ」
ふたりはゆっくりと歩き出す。
「ここから先は書式で通す必要があります。私は監査側の立場から、この改修案を"回復措置"として整理します。"性能向上"というラベルは、こちらで外しましょう」
その言葉に、カイルは足を止めた。
深く頭を下げる。
「……ありがとうございます」
「礼は不要です。私は“整える”のが仕事ですから。」
その言葉に、カイルは小さく息をついた。
――この人なら。
そう思えた。
「……あの」
少しだけ言い淀んでから、口を開く。
「近いうちに、大佐のところへSecondの三人が配属されると思うんです」
オーウェンは足を止めた。
「ギルダ・カルスタ君、リア・レノックス君、テオドール・アッカー君ですね」
名前が、迷いなく並ぶ。
カイルは少し驚いた。まだ一度も会っていないはずなのに、もう全員の名前を覚えている。
「余計なお節介かもしれませんが、三人の身体と精神状態について、僕なりにまとめた所見があります……お送りしてもいいでしょうか」
オーウェンはすぐに頷いた。
「ぜひお願いします。彼らの資料は閲覧制限が厳しくて、ほとんど確認できないんです」
「正式な診断書ではなく、あくまで現場で見続けてきた医務官としての記録なんですが……」
ヘルマンは静かに首を振った。
「君は工学課程を修了し、軍医資格も持っていると聞いています。その君が、最も近くで見て得た所見です。――信頼に値します」
カイルはホロパッドを操作し、データをオーウェンへ送信した。オーウェンはその場で届いた資料をすぐに開く。かなりの文量があるにもかかわらず、 視線は淀みなく流れ、読む速度は驚くほど速い。
「……なるほど。大変参考になります」
ギルダの義眼と過呼吸の関連性、どの程度の負荷がかかるのかという予測。テオとリアの衝動抑制の揺らぎとその背景にある性格傾向まで。臨床的な観点と行動観察の両面から、必要な情報が過不足なく整理されていた。
オーウェンはホロパッドを閉じ、静かに尋ねる。
「一つお願いしても?」
「はい」
「この資料ですが……監査執行局の局長にも共有しても構いませんか?信頼できる方です。その方以外には見せません」
「問題ありません。三人とも、僕の大切な仲間なんです。どうかよろしくお願いします」
オーウェンは真っ直ぐカイルを見つめた。
「預かります」
その返答は短い。
だが、十分だった。
「君の思いも、この資料も、責任を持って引き継ぎます」
そう言ってから、ふと苦笑する。
「しかし……君のような人材を復元局に取られるのは、監査執行局としては痛手ですね」
「え?」
「君が復元局へ異動すれば、今度は私たち監査執行局が、君の申請を審査する側になります」
眼鏡の奥の目が穏やかに細まる。
「少々、やりにくくなりそうです」
カイルは思わず笑った。
「評価していただけて光栄です。でも、もう決めたことなので」
「そうですか」
オーウェンは一歩近づき、右手を差し出した。カイルも一瞬だけ迷い、それからその手を握る。冷たい照明の下で、二人の影だけが静かに重なった。
「では――互いに、良い仕事を」
***
ギルダの義眼調整の日。
白い医療ユニットの上で、ギルダは静かに横たわっていた。右目を覆うように、薄型の黒いカバーが装着される。義眼本体と同期し、外部制御用のインターフェースが淡い青色の光を走らせた。
無数の数値がホログラム上に浮かび上がる。
神経接続率。
演算負荷。
認識処理速度。
脳波同期値。
それは、彼女がこれまで戦うために使ってきた力の記録だった。
「……」
ギルダは何も言わず、天井を見つめていた。
「ギルダ」
「……なに」
「これは、君の負荷を減らすための調整だよ。性能を落とすわけじゃない」
カイルはホ空中の操作パネルを指先で滑らせる。義眼内部の制御領域へアクセスし、過剰な出力上昇を抑えるための調整を加えていく。
「認識精度も、処理能力も変わらない。必要以上に負荷が跳ね上がらないように、制御を入れるだけ」
「……怖いの」
不意に、ギルダが呟いた。
カイルの指が、一瞬だけ止まる。
「今までできていたことが……できなくなるんじゃないかって」
「君の価値は、出力値で決まるものじゃない」
カイルは迷いなく答える。
「だから、これまでと何も変わらない」
ギルダは答えなかった。
カイルは小さく息を吐き、医療端末へ手を伸ばす。
「これから麻酔をかけるね。眠っている間に終わるから」
「……うん」
ギルダは静かに目を閉じた。
青い左目から、一筋だけ涙が流れた。
***
司令本部を出る準備は、驚くほどあっけなかった。
私物も、荷物も、最低限。
長く使っていたはずの部屋なのに、空になるのがあまりにも早すぎた。三人は言葉少なに、それぞれの支度を整えた。
誰も、必要以上のことは言わない。
やがて部屋を出て、廊下に出る。
そこに、四人がが待っていた。レイは車いすに座り、エミリオとソーン、ミラーナは、その傍に立っている。
全員、深刻そうな顔だった。
リアは一度だけ彼らを見て、肩をすくめる。
「じゃ、オレたち行くわ」
それだけ言って、踵を返そうとする。その背中に向けられる視線が、やけに重い。リアは軽く舌打ちした。
「……しけた面、すんなよ」
振り返らずに言った。
声は、いつもの軽さより少し低い。
「死ぬわけでもあるまいし」
冗談めかした言葉だったが、そこに、明るさはなかった。苛立ちと、切り替えきれない感情が、わずかに滲んでいる。
エミリオが、何か言いかけて、口を閉じる。ミラーナも、視線を伏せたまま動かない。
三人は立ち止まらない。
振り返らない。
そうしないと、自分の方が先に崩れてしまいそうだったからだ。
三人は、そのまま監査執行局へは向かわなかった。
司令本部の外階段へ出て、誰からともなく腰を下ろす。夕暮れの冷えたコンクリートが制服越しに伝わってきた。
リアとギルダは、ほとんど無意識に真ん中に座るテオへ身体を預けた。誰も何も言わない。しばらくして、リアが空を見上げたまま、ぽつりと呟く。
「……ヘッセン大佐、来なかったなー……」
テオも、ギルダも、答えない。
その沈黙が、答えだった。
ギルダは、ゆっくりと胸元に手を入れ、煙草の箱をひとつ取り出した。それは、ヘッセンが日頃吸っていたものだった。
「……机からくすねてきた、吸ってみる?」
リアが、思わず吹き出す。
「お前……マジかよ」
「このくらい、餞別でもらっても……ばちは当たんないでしょ」
テオが呆れたように眉をひそめる。
「……おい、吸ったことないだろ」
「ない」
「だったらやめとけ。お前、ただでさえ呼吸器弱いだろ」
「今さら……もう、どうでもいいでしょ」
強がりでも、投げやりでもない。
ただ、何かを諦めきれずにいる声だった。
リアの指に熱が灯る。
ひとり一本ずつ煙草をくわえて、火をつける。
吸う
「げほッ……!」
「にっが……」
「……人が吸うもんじゃねえだろ、これ……」
三人そろって咳き込み、その姿が少しだけ可笑しくて。リアが吹き出し、ギルダもつられて笑う。ほんの一瞬だけ、いつもの三人に戻った。
もう一度だけ口に運ぶ。
喉が焼ける。
肺が拒絶する。
煙は容赦なく目に染みた。
リアは煙草をくわえたまま、空を仰ぐ。
「……見捨てられちゃったかなー」
テオが、短く舌打ちする。
「……うっせーよ」
「ごめん……」
リアは力なく笑い、そっとテオの肩へ額を預けた。
子どものような仕草だった。
テオは何も言わなかった。
払いのけることもせず、そのまま肩を貸す。
ギルダも静かに煙を吐き出し、二人の隣で目を閉じた。
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明日の投稿はお休みいたします。
次回は8月8日(土)19:20ごろです。




