24.真の敵
審問室は、驚くほど無機質だった。
灰色の壁。窓はない。
部屋の中央には椅子が一脚だけ置かれ、正面には細長い机。その向こうに、三人の審問官が等間隔に座っていた。正面の審問官が、書類から目を上げることなく口を開いた。
「氏名、所属を」
硬質な声だった。
カイルは姿勢を正す。
「第二同期ユニット、カイル・マーロウです」
言葉の端がかすかに震えた。この場で名乗ることを許される肩書は、それしかないのだと、改めて思い知らされる。
「本日の審問は、あなたが提出した第二同期ユニット、ギルダ・カルスタの義眼再設定案についてです」
カイルは静かに頷いた。
「提出された改修案は、創造規制法における『規格を超える恒久的性能向上の付与』に抵触する可能性があります」
「認識に相違があります。僕が提案したのは性能向上ではなく、機能回復です」
カイルは小さく息を吸い、落ち着いた口調で応じた。
「義眼の表示順序と補正アルゴリズムを見直し、過補正の上限を下げることで処理負荷を軽減する。スループットも義眼側ではなく、人間側の処理能力に合わせる設計です。上限性能そのものには、一切手を加えていません」
別の審問官が口を開く。
「しかし、その結果として、現行の平均性能を上回る運用結果が得られる可能性はありますね」
「否定はしません」
カイルは即答した。
「個体差や学習効果によって、結果的に性能がわずかに向上する可能性はあります。ただ、それは能力を加算した結果ではありません。本来ある性能を阻害している要因を取り除いた結果です」
三人目の審問官が、書類を読み上げるように告げる。
「阻害要因の除去により恒久的な性能安定化を実現する行為は、運用改善の範囲を超え、実質的な性能向上と評価されます」
カイルはわずかに眉を寄せた。
議論になっていない。
性能は変えていないと説明すれば、「結果が向上する」と返される。向上を目的としていないと説明すれば、「結果が向上する以上、向上である」と結論づけられる。
結論だけが先にあり、その理屈を後から積み上げているようにしか思えなかった。カイルは組んだ両手を静かに握り直した。
***
監視ガラス越しに、審問室の光景が広がっていた。その一部始終を見下ろす別室で、一人の男が腕を組み、静かに目を細めていた。
銀縁の眼鏡。胸には、大佐を示す三本のシルバーライン。
「……不毛ですね」
ぽつりと漏れた一言に、隣で報告端末を抱えていた部下が顔を上げた。
「……と、言いますと?」
男はガラス越しの審問室へ視線を向けたまま答える。
「彼は『負荷を減らすための改修』だと説明している。一方、審問側は『結果として性能が上がるなら性能向上だ』という前提で話している」
一度言葉を切り、小さく肩をすくめた。
「前提が噛み合っていません。同じ言葉を使っていても、見ているものが違う。これでは何時間議論しても平行線です」
部下は思わず苦笑した。
「主任審問官がそんなこと言っていいんですか」
「事実です。前提の取り方が違えば、会話は成立しない」
男は壁に掛けられた電子時計へ目をやり、小さく息を吐いた。
「さて……」
眼鏡の位置を指で直す。
「どちらが先に折れるか。――長くなりそうですね」
***
「あなたの『個体保護』という意図は理解します。しかし、規格が評価するのは個体ではなく性能です。結果として平均性能が向上するのであれば、それは性能向上と判断されます」
その言葉に、カイルはゆっくりと顔を上げた。
「――“あなた方はアレを“性能”と呼ぶんですか」
声の温度が、わずかに下がる。
審問官たちの手が止まった。
「粉塵や閃光で視覚補正が暴走する。義眼は"見えない情報"を補おうとして処理量を際限なく押し上げる。脳はその負荷に耐えられず、呼吸障害を起こし、意識を失う」
脳裏をよぎるのは、戦場で崩れ落ちたギルダの姿だった。
「その状態でもなお引き金を引き続けたログを、あなた方は『平均』という一つの数値に回収して、『性能』と呼ぶんですか」
短い沈黙。
やがて審問官が、感情を交えずに告げた。
「感情論ではなく、規格に基づいて議論してください」
「最初から、規格について話しています」
カイルは即座に返した。
声は静かなまま、一切揺らがない。
「上限性能は変更していません。ゲイン上限の引き下げは過補正の抑制であり、性能向上ではなく安全域への復帰です。表示の階層化は情報の供給順を整理しているだけで、総情報量は変わりません。遅延フィルタも視覚刺激のピークを平滑化するだけで、検出能力そのものには手を加えていない」
一つひとつ、積み上げるように言葉を置く。
「つまり、これは『回復措置』です。創造規制法が定める『恒久的性能向上の付与』には該当しません。規格が守るべきものは“平均値”そのものではなく、その数字の陰で倒れない“個人”だと思います」
中央の審問官が視線を上げた。
初めて、目が合う。
「あなたの提案は“個別最適”に偏る危険がある。連邦は“全体最適”で運用されます」
「全体最適は、個別の破綻を踏み台にしては成立しません」
審問官たちが姿勢を微かに正したのが分かった。それでもカイルは言葉を止めない。呼吸を一つ置き、正面から彼らを見据えた。
「皆さんは、何を守ろうとしているんですか」
返事はない。
「規格ですか。平均値ですか。それとも、前例ですか」
沈黙だけが返ってくる。
「僕の提案は、目の前で苦しんでいる人の負担を減らすこと、ただそれだけです。それすら“危険”として切り捨てるなら、それはもう“安全管理”でも“規格運用”でもなく、現場の叫びに耳を塞ぐための仕組みです」
カイルの瞳には、静かな怒りが宿っていた。
「――"個を見ない全体最適"こそが、連邦の真の敵ではないでしょうか」
審問室から音が消えた。紙をめくる音も、端末を操作する指先も止まる。やがて中央の審問官が、ゆっくりと口を開く。
「……言葉が過ぎるぞ、カイル・マーロウ」
先ほどまでの事務的な口調とは違う。
その声には、明確な警告が含まれていた。
「君は軍属として、連邦法の保護と権限の下にある。その立場で"連邦の敵"という表現を用いることが、どういう意味を持つか理解しているのか」
左右の審問官も視線を上げる。
「連邦規格は“統治の基盤”であり、あなたが暗に“敵”と呼んだものは、我々全体の意思決定そのものです。そこまで踏み込むのなら、あなたの発言は規格運用そのものへの異議申し立てとも受け取れますが?」
容赦のない問いだった。
カイルは唇を結び、わずかに視線を落とす。自分が一線を越えたことは分かっていた。だが、撤回する気にもなれなかった。
このままでは、議論は“審問”から“糾問”へ変わる。
そのとき――
審問室のサイドドアが静かに開いた。
「――そこまでです」
銀縁の眼鏡をかけた男が、別室からゆっくりと姿を現した。その一言だけで室内の空気が静まり返る。無駄のない歩幅で卓へ向かい、空いていた席へ腰を下ろした。不思議と室内の重心が一気に彼へ向く。
「話が逸れています」
穏やかな声だった。
「彼は“規格の理念”ではなく、現場で起きている乖離について言及しただけです。比喩的な表現を“制度批判”にまで拡大解釈するのは、審問の趣旨を外れます」
審問官たちは口を閉ざした。
男は淡々と続ける。
「本件は、提出された改修案が法令に適合するか否かを審査する場です。被審問者の思想、信条、政治的見解を審理する手続ではありません。これ以上その論点を扱うのであれば、審問の範囲を超えます」
その一言で、歪みかけていた議論が、元の軌道へ引き戻された。委員たちが互いに視線を交わす。男はその反応を確認すると、静かに釘を刺した。
「加えて――年少の軍属という彼の立場に便乗して、議論を有利に傾けるような運びは慎みなさい。審問は、肩書や力関係で勝ち筋を作る場ではありません。あくまで“事実”と“書式”に基づいて行うものです」
そこで初めて、男はカイルへ向き直った。
「横から失礼しました」
わずかに会釈する。
「主任審問官のヘルマン・オーウェンです。議論が本件から逸脱しかけていたため、介入しました」
その声色は先ほどまでとは違い、少しだけ柔らかい。
「ただし、あなたが先ほど用いた『連邦の真の敵』という表現は、公的記録としては適切ではありません。意図は理解しますが、ここでは撤回を」
カイルは小さく頷く。
「……撤回します。意図は制度批判ではありません。」
オーウェンは一度だけ頷き、議事へ戻す。
「では要件に絞りましょう。“個体指定による限定運用”――この条件を前提に、回復措置としての審査に付します。詳細な適否の判断および結論は、後日、書面で通知します」
間を置かず、締めの一言。
「以上。本日の審問はここで一旦閉会します。」
――無機質な灯の下、椅子が静かに引かれる音だけが残った。
オーウェンは誰より先に立ち、扉の方へ向かった。




