23.同じ痛みの前で
【司令本部人事命令 第〇二八号】
下記の者に対し、次のとおり発令する。
一 下記の者を、司令本部付より監査執行局勤務を命ずる。
•ギルダ・カルスタ
•リア・レノックス
•テオドール・アッカー
二 上記三名の指定指揮官を、司令本部所属ヴィクトル・ヘッセン大佐より、監査執行局所属ヘルマン・オーウェン大佐へ変更する。
以上
***
「……異動!?」
エミリオがホロパッドを見つめたまま、信じられないように呟く。
「しっ……! 声、大きい!」
ミラーナが慌てて制した。
待機室にいるのは、レイ、ソーン、ミラーナ、エミリオの四人だけだった。当事者であるギルダ、リア、テオは、医療処置中でこの場にはいなかった。カイルも三人に付き添っている。
「……なんで」
レイの顔から、さっと血の気が引く。
ホロパッドに表示された命令書を見つめたまま、視線だけが揺れた。
「……この前の件、か」
腕を組んだソーンが低く呟く。
「クライン少将との一件だ」
「いや、おかしいだろ!」
エミリオが堪えきれず声を荒らげた。
「あっちが先に手ぇ出したんだぞ!? しかもギルなんて、その場にもいなかったじゃねえか!」
「だから静かにって!」
ミラーナが慌ててエミリオの袖を引く。
エミリオは舌打ちし、拳を強く握り締めた。
重苦しい沈黙が部屋を満たす。
誰も口にはしない。
けれど、全員が同じ結論に辿り着いていた。
──処分だ。
Secondが切り離される。
その事実だけで、胸の奥がざわついた。
***
医務室。
静まり返った病室で、点滴だけが一定の間隔で雫を落としていた。
ベッドに横たわるギルダは、ゆっくりと瞼を開く。視界の端には、ホログラムへ視線を落としたまま仕事を続けるカイルの姿があった。
ぼんやりと天井を見上げたあと、ギルダは壁際に表示された人事辞令へ視線を向ける。もう何度見たか分からない命令書を、もう一度確かめるように眺め、小さく笑った。
「……あーあ」
その声に、カイルが顔を上げる。立ち上がり、ベッド脇へ椅子を寄せて腰掛けた。
「起きた?気分は?苦しくない?」
ギルダは答えず、腕で目元を覆う。口元だけが、自嘲するようにわずかに歪んだ。
「……そりゃそうだよね」
乾いた笑いが漏れる。
「ヘッセン大佐に、あれだけ偉そうに言ったくせに、現場で真っ先にぶっ倒れたんだから」
口元の笑みが、さらに寂しく崩れた。
「消耗品にもなれない。ただの――欠陥品だった」
「そういう言い方しないで!」
カイルの声が鋭く響いた。
普段ほとんど怒鳴ることのない彼とは思えない声だった。
「……事実じゃん」
ギルダは少しだけ肩を震わせる。
腕は目元を覆ったまま動かない。
カイルは胸の奥が強烈に痛んだ。ギルダの笑顔が好きだった。自分が見たかったのは、こんなふうに、自分を嘲るように笑う顔じゃない。……最後に、ギルダの笑顔を見たのはいつだっただろう。思い出せない。
「……ギルダ」
静かに名を呼ぶ。
腕の隙間から覗く瞳が、かすかに揺れた。
「…あの時、N-Linkを切ってくれてありがとう。今更だけど、ちゃんとお礼を言いたかった」
ギルダの瞳が、ゆっくりと見開かれた。何かを言おうとして、唇が動く。けれど、音にはならない。
カイルは視線を落としたまま、続けた。
「もう、あの時、どんなことをしてもアトリは戻せなかった。けど……僕はできるって自分の力を過信して……どんな結果になるのかも、みんながどれだけ傷つくのかも、何も考えてなかった」
沈黙が落ちる。
やがて、ギルダの唇がかすかに動いた。
「……わた、しが……」
呼吸が詰まる。
「……わたしが……アトリを……見殺しに、した……」
その言葉は、ずっと心の底へ沈めていた罪だった。
カイルは首を横に振る。
「違うよ」
「ちがわない……!わたしが、N-Linkを切った……!」
両手で頭を押さえ、絞り出すように叫ぶ。
「わたしが……アトリを、切り捨てた……ッ!」
堰を切ったように、涙が溢れた。
止まらない。
嗚咽が、呼吸を乱す。
カイルは何も言わず立ち上がると、棚から清潔なタオルを取り、ベッドの脇へ戻った。無理に拭おうとはしない。ただ、ギルダの手が届く場所へ、そっと置く。
ギルダは震える手でそれを掴み、顔を覆った。
「アトリ……ごめん……ごめんなさい……」
謝罪は、何度繰り返しても終わらなかった。カイルは黙って待つ。だが、ギルダの呼吸が明らかに速くなっていくのを見て、表情を切り替えた。
過呼吸の兆候。
「……ギルダ」
声を低く、一定にする。
「大丈夫、ここにいる。息、僕に合わせて」
指示は短く、明確だった。
呼吸を数え、視線を固定させる。
しばらくして、ギルダの呼吸は、少しずつ落ち着いていった。
沈黙が戻る。
カイルは、ようやく言葉を続けた。
「……少し…認識がずれちゃってる。ギルダはアトリを殺したんじゃなくて、僕を助けてくれたんだよ」
ギルダの肩が、小さく震える。
「……それでも……正しいなんて……思えない……」
「僕も……正しかったなんて、思ってない」
その瞬間、カイルの瞳からも涙がこぼれた。
「だから……誰か一人の罪にする話じゃない。お願いだから……これ以上、自分を責めないで」
言葉を探す、だが、最後は、正直に紡ぐ。
「……ギルダが、大切なんだ」
ギルダの左目から、静かに涙が流れた。
嗚咽はない。
ただ、落ちる。
「……僕たち……」
カイルは、涙を拭わずに言った。
「アトリが死んでから……ちゃんと、泣いてなかったね……」
「……うん」
ギルダは、かすかに頷いた。
それ以上の言葉は、なかった。
完全な答えも、許しも、まだここにはない。それでも二人は、同じ痛みの前で立ち止まり、初めて、泣いた。
***
少しだけ時間が流れ、涙の跡だけが、二人の頬に残っていた。カイルは椅子に座ったまま、しばらく床を見つめていた。やがて、ぽつりと口を開く。
「……僕さ」
深刻な話を切り出すような声ではなかった。思いついたことを、そのまま口にしたような自然な調子だった。
「復元局に異動しようと思って」
ギルダが、ゆっくりと瞬きをする。
「……え?」
「ギルダたちも、もうすぐ監査執行局に異動するでしょ。そのタイミングなら……ちょうどいいかなって」
少し照れくさそうに頭をかく。
「復元局じゃないと見られないデータもあるし、触れない義体もある。今の医務室じゃ、できることに限界があるんだ」
一拍置いて、少しだけ笑う。
「……まずは、ギルダの義眼かな。ちゃんと、君専用に調整し直したい」
その一言に、ギルダが顔を上げた。
「……ヘッセン大佐は反対すると思う」
「もうされたよ」
カイルは、あっさり頷いた。少しだけ声色を変え、ヘッセンの口調を真似る。
「『復元局は権限も裁量も限定的だ。指定指揮官の庇護なしで動く場合、お前の立場は制度上かなり不安定になる。それを理解した上での異動か』って」
ギルダは思わず苦笑した。
「うん……私もそう思う」
「でも、Secondは機密の塊だからさ。みんなの身体を理解してる人間が、復元局にいた方が絶対いい」
カイルは真剣な表情へ戻る。
「僕以上に、みんなのことを知ってる人、多分いないから」
「それで説得したの?」
「うん、何とか納得してもらえたよ」
少し間が空く。
「……大丈夫なの?」
「やってみないと分からない」
カイルは即答した。
「僕たちだって、いつまでも指定指揮官の下にいるわけにもいかないでしょ。そう言う意味でも、ぼくが切り開いていかないとね」
ギルダの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「……カイルって」
「うん?」
「変なところで急にエンジンかかるよね」
「自覚はあるよ。今、人生で一番やる気あるかもしれない」
そう言って、カイルはホロパッドを展開した。空中に、設計データと解析図が浮かび上がる。
「とりあえず……ギルダの眼の修正案を出したんだけど」
指先で一つの項目を示す。
「そしたら、審問に呼び出されちゃってさ。創造規制法で新しくできた制度で…改修内容が法令に抵触しないか確認するんだって。ここを通過しないと、ギルダの眼は治せない。だから……ここが、僕の最初の勝負どころかな」
ギルダは、しばらくホロパッドを見つめていた。そこに映る設計図は難しくて、ほとんど理解できない。
それでも。
「……ありがとう、カイル」
ぽつりと呟く。
カイルは少し困ったように笑った。
「まだ、お礼を言われることは何もしてないよ」
「ううん」
ギルダは静かに首を振る。
「そういうことじゃない」
カイルは一瞬だけ目を丸くして、それから小さく笑った。




