22.骨を折ってでも
夜の医務室は静まり返っていた。
照明を落とした室内で、カイルは一人、診療器具を片付けている。
そのとき、小さくノックが鳴った。
「……わりぃ、カイルいる?」
扉越しに聞こえたのはリアの声だった。
「うん、どうぞ――」
扉を開けた瞬間、カイルの表情が凍りつく。
「ちょ、ちょっと……! その顔、どうしたの!?」
テオの頬は赤く腫れ、口元には乾きかけた血が滲んでいた。
「ギルは?」
「もう寝てる。奥の病室」
テオは短く頷く。
「このあとヘッセン大佐がここに来る……別室で診てもらえないか」
横からリアが苦笑した。
「オレらさ、クライン少将の部隊とちょっと派手にやり合っちゃって」。
カイルは状況を察した。表情をを引き締め、二人を中へ招き入れる。
「……分かった。早く入って」
三人は奥の処置室へ移動した。
テオを椅子へ座らせると、カイルは手際よく傷を確認する。頬へ冷却パックを当て、瞳孔反応を見て、顎の骨をそっと触診する。
「痛かったら言って」
「……大丈夫だ」
短い返事。
カイルは小さく息をついた。
「……なんでこんなことになったの」
テオは視線を落としたまま答える。
「どうでもいい喧嘩を買った。オレが悪い。リアまで巻き込んだ」
リアが鼻で笑う。
「別に。殴って正解だろ、あんな連中。殺されなかっただけありがたく思えって話」
カイルは二人の“目”が異様に冴えていることに気づいた。眉を寄せ、テオに向き直る。
「テオ、N-Link見せて」
テオの端末に流れるリンク波形を確認すると、わずかに揺れていた。
「……まだ揺れてるね。調整するから、じっとしてて」
カイルは慎重にリンクを調整し、乱れた波をゆっくりと整えていく。
「リアは大丈夫なの?」
「オレ? 平気平気」
「……ほんとかなぁ」
テオの調整を終えたカイルは、リアのリンクも確認する。
――揺れていた。
「だめじゃん」
「マジ? 自覚ないわ」
「危ないな……」
カイルはリアのリンクも丁寧に調整していく。 二人の波は、さっきよりはずっと落ち着いていた。カイルは息をつき、二人を見回す。
「……二人とも、とりあえずベッドで横になって。ヘッセン大佐が来たら起こすから」
「「無理」」
テオとリアが同時に即答した。
カイルは目を瞬かせる。
「なんで?」
リアが肩をすくめる。
「目ぇ冴えちゃって寝られねえよ。全然眠くない」
テオも淡々と続ける。
「同じく」
その言い方に、カイルはようやく“危険な兆候”を理解した。戦場がまだ彼らを離していない。
カイルは声のトーンを落とし、静かに言う。
「……いいから、とりあえず横になって。眠れなくてもいい。目をつむって、ゆっくり呼吸するだけでいいから」
そう言って、カイルは部屋の照明を落とした。 柔らかな暗さが広がり、二人をベッドへ促す。
リアは不満げに声を上げる。
「無理だって、カイル」
「無理でもいいの。横になってるだけで違うから」
テオはベッドに腰を下ろしながら、低くつぶやいた。
「……頭ぐちゃぐちゃで、止まるほうが……怖い」
その瞬間――
コン、と短いノック。 扉が開き、ヘッセンが姿を見せた。
テオとリアが反射的に飛び起きる。カイルはすぐに前へ出て、淡々と報告した。
「二人の処置について報告します。義体機能に異常所見はありません。テオは顔面打撲を認めますが、骨折はありませんでした。両名ともN-Linkに過負荷による波形の乱れが認められたため、応急的に再調整を実施しています。ただし、一時的な処置です」
ヘッセンは無言で続きを促す。
「念のため、明日は復元局で精密検査を受けさせてください」
ヘッセンは二人を一瞥し、短く言い放つ。
「判断力が落ちている状態で動くな。先ほどのことは、明日の朝一で報告を上げろ。事実のみ記載すること、感情は入れるな。――以上」
「「はい」」
二人の返答が揃ったところで、ヘッセンがカイルを呼ぶ。
「カイル」
呼ばれて、カイルは小さくうなずき、ヘッセンの後へ続いて別室へ移動した。扉が閉まると同時に、ヘッセンが低く言う。
「……テオドールとリアの現状を把握したい。今後の運用に影響する」
カイルは医務官の顔になり、簡潔に答える。
「現時点の所見では、二人とも過覚醒状態です」
端末を操作しながら説明を続ける。
「戦闘終了後にも交感神経の活動が低下せず、覚醒状態が持続しています。眠れない、集中できない、身体が休息へ切り替わらない──典型的な急性ストレス反応です。この状態では判断力や感情の制御も不安定になります。通常なら抑制できる行動でも、衝動的に表出する危険があります」
ヘッセンの目がわずかに細くなる。
カイルは続けた。
「詳しくは復元局で精密検査を受けさせてください。技術的なメンテナンスよりも、精神面の評価が必要です。……ぼくが判断できるのは、ここまでです」
一拍置いて、医務官としての声で付け加える。
「応急処置としては、このままでは休息が取れないので、自然入眠が難しいようであれば、低用量の睡眠薬を使用したいと考えています…… 許可をいただけますか」
「許可する」
「ありがとうございます」
カイル頭を下げる。
ヘッセンは指先で軽く顎に触れた。その仕草は、考え込むときの癖だった。
「……ギルダとテオドール、リアは今後前線に出せると思うか」
「それは……」
「お前の所感で良い」
その一言で、カイルの表情がわずかに変わる。 “許可された”と理解した瞬間、医務官の優しい声から、どこか冷たい理性の色へと切り替わる。
「前線に出せる状態ではありません。このまま送り出しても、得られるものは何もない。 ……それでも行かせるというのなら」
一拍。
「僕が止めます。 最悪の場合は――骨を折ってでも」
脅しではなく、医療者としての“現実的な選択肢”として提示した。
ヘッセンは短く目を閉じる。
「……明日、また来る。復元局には私から連絡しておく」
去ろうとしたところで、カイルがためらいがちに声をかけた。
「……あ、あの。ヘッセン大佐は大丈夫ですか」
ヘッセンが振り返る。その表情は変わらない。
「何がだ」
カイルは一瞬だけ迷い、しかし医務官としての責務で口を開く。
「二人と同じ症状ではないですか?」
「私は問題ない」
その言い方は、症状の否定ではなく、 “問題があっても任務に支障は出さない”という軍人の断言に近かった。
カイルは困ったように、しかしどこか諦めを含んだ笑みを浮かべる。
「……困ったことに、みんなも同じように言うんです。自覚症状がなければ、医者としては判断が難しいんです」
「お前はsecond専門の医師だ。私のケアは、お前の役目には含まれない」
「いいえ。ヘッセン大佐のコンディションは、僕たちSecondのコンディションに直結しています。大いに関係があります。……ですから、お願いします。少しでいいので、休んでください」
「……」
わずかな沈黙が落ちる。
カイルは視線を伏せ、小さく息を吸った。
「……それと、ギルダのことなんですが」
その名前に、ヘッセンの指先がほんのわずかに止まる。
「大佐に最低なことを言ったって……すごく後悔しているみたいでした。何を話したのかは聞いていません。でも……」
カイルは苦く笑った。
「ヘッセン大佐を恨んでいるわけじゃないです。僕たちの中でそう思っている人は一人も――」
「――間違ったことは何も言われていない」
その声は静かだった。
「ギルダが言ったことは、正しい」
それだけ言い残し、ヘッセンは振り返ることなく医務室を後にした。閉まる扉を見つめながら、カイルは小さく息をつく。
「……ほんと、似た者同士なんだから」
***
創造規制法が施行されたのは、この出来事の翌週だった。
ヘッセンは宣言通り、僕たちを何とかもたせた。恐らくは、様々なものを犠牲にして。僕たちは、生き延びるたびに何かを失い、前へ進むたびに何かを置き去りにしてきた。そして、長く続いた戦いの日々がようやく終わりを迎えようとした、その矢先。
――僕たちはまた、大きなものを失うことになる。
***
司令本部人事命令 第〇二八号
下記の者に対し、次のとおり発令する。
一 下記の者を、司令本部付より監査執行局勤務を命ずる。
•ギルダ・カルスタ
•リア・レノックス
•テオドール・アッカー
二 上記三名の指定指揮官を、司令本部所属ヴィクトル・ヘッセン大佐より、監査執行局所属ヘルマン・オーウェン大佐へ変更する。
以上。




