20.転落
「……アハハッ……!」
ギルダの乾いた笑いが、戦場に溶けた。
その音を、無線が微かに拾う。
(――笑った)
作戦室のヘッセンは、わずかに目を見開く。
背筋を冷たい何かが駆け抜けた。
同時に、モニター上の数値が異常な勢いで跳ね上がる。
義眼出力。
神経負荷。
脳活動。
すべてが警告域へ達しようとしている。
「……っ」
モニターを監視していたカイルの顔から血の気が引いた。
「ギルダ――!!」
悲鳴にも似た声が無線へ飛ぶ。
だが、返事はない。
ギルダはなおも引き金を引き続けていた。
一発。
また一発。
撃つたびに義眼の演算は加速し、出力値は限界を超えてなお上昇を続ける。そして――反動は唐突に来た。
「……ッ!?、は……っ……!」
ギルダの胸を締め蹴るような圧迫感が襲った。酸素はそこにあるのに、いくら吸い込んでも肺がそれを受け付けない。
視界が歪む。
輪郭が二重に滲み、
地面がわずかに傾く。
「はあ……ッ、はっ…はあッ…!」
(違っ……まだ……!)
まだ、撃てる。
まだ、終わってない。
なのに、呼吸だけが言うことを聞かない。
『ヘッセン大佐!』
カイルの切迫した声が無線へ響く。
『ギルダが臨界手前です!!前線に置かないで!!』
ヘッセンの判断は早かった。
『リア、ギルダを後送しろ。今すぐだ』
だが、その命令が届く前に――
リアは、弾かれるように動いていた。
爆風を縫うように駆け抜け、ギルダの腕を掴む。そのまま火線を横切り、倒れたコンクリート柱の陰へ身を滑り込ませた。直後、二人がいた場所へ爆発が降り注ぐ。破片が柱を叩き、鈍い衝撃が背中へ突き抜けた。
「……ッ!」
背中に衝撃が走るが、そんなことはどうでも良かった。
「ギル! …ギル! 息しろ! こっち向け!」
だが、返事はない。
ギルダの胸は小刻みに上下し、
浅く、速い呼吸音だけが漏れている。
それでも、展開された右目はまだ開いていた。虹彩は高速で回転を続け、獲物を探すように空を見据えている。その異様な光景に、リアは息を呑んだ。
無線が鳴る。
『リア、残りのドローンを排除しろ』
ヘッセンの声は、いつも通り冷静だった。
「……な」
リアの声が喉で引っかかる。
腕の中のギルダを見る。
この状態で、置いていけるはずがない。
『ドローンは、すぐにまた動く。今、迎撃を止めれば、負傷者も後送班も危険に晒される』
ヘッセンは事実だけを突きつける。そこに一筋の猶予も、感情の入り込む余地もなかった。
『被害を広げるな』
リアは、返事をできなかった。
視線が揺れる。
腕の中。
前線。
歯を食いしばり、ギルダの身体を柱の陰のより奥へと押し込む。
「……ごめん」
小さく呟き、振り返らないまま立ち上がる。
『――急げ、リア!』
リアは唇を噛み、そのまま爆煙の中へ駆け出した。
入れ替わるように、カイルが無線を開く。ヘッセンへの許可は求めなかった。
『ギルダ。聞こえる?』
震えそうになる声を押さえ込み、ゆっくりと言葉を紡ぐ。目の前のモニターでは、ギルダの生体情報が赤く点滅を繰り返していた。
無線の向こうから返ってくるのは、言葉ではなかった。
「……はっ……はぁっ……」
息を求める、苦しげな呼吸だけ。
カイルは一度だけ目を閉じる。
そして、自分自身へ言い聞かせるように口を開いた。
『大丈夫』
短く、はっきりと。
『死なない』
一拍置く。
『絶対に、死なせない』
遠く離れた管制室で、カイルはギルダの乱れた呼吸に、自分の呼吸を重ねるように話す。
『ゆっくり』
『息を吐いて』
『……そう』
『ゆっくりでいい』
『僕の声だけ聞いて』
柱の陰で、ギルダは胎児のように体を丸めた。
崩れ落ちていく世界の中で、カイルの声だけが、濁流に差し込まれた一本の細い光の糸のように、ギルダの意識を辛うじて繋ぎ止めていた。
***
Second班は、誰一人欠けることなく、全員帰還した。だが、誰も勝利の実感を持てなかった。
帰還直後から医務班と復元局の職員が慌ただしく動き回る。カイルは処置台の前で、ギルダの応急処置を休む間もなく続けていた。
「血圧低下。酸素投与を継続」
義眼の緊急停止処置を終えると、担架が運び込まれる。意識の戻らないギルダは、そのまま復元局へ搬送された。担架が廊下の奥へ消えていく。
カイルは追いかけることもできず、その背中をただ見送った。
少し遅れて、リアも右肩と左脚に損傷を負った状態で復元局へ運ばれていく。医療スタッフの足音だけが、廊下へ響いていた。
***
控室は静まり返っていた。
誰も口を開かない。戦闘が終わった安堵ではない。疲労とも違う。重く沈んだ空気だけが部屋を満たしている。
その隅で、テオはベンチに腰を下ろし、両手で顔を覆い俯いていた。戦闘服には乾き始めた血がこびりついている。それが自分のものなのか、誰のものなのかも分からなかった。
ゆっくりと、ソーンが歩み寄る。
テオの前で立ち止まり、静かに口を開いた。
「テオ」
返事はない。
「しっかりしろ……お前のせいじゃない」
テオの肩が、小さく震えた。
瞼の裏に浮かぶのは、助けを求めて伸ばされた血まみれの手。
その直後に崩れた前線。
リアの叫び。
ギルダの笑い声。
どれも耳から離れない。
唇がわずかに動く。
「……オレが」
掠れた声だった。
「オレが……持ち場を離れたから」
その先は続かなかった。




