19.正しさ
作戦決行を数日後に控えた、ある夜。
消灯時間を過ぎた廊下を、リアとテオが並んで歩いていた。足元を照らすのは、ホロパッドの淡い光だけだ。
「N-Link置いてくるとか、お前バカだろ」
呆れたようにテオが言う。
「ごめんって。調整で外して、そのまま忘れてたんだよ」
「一人で取りに行け」
「頼むからそういうこと言うなって。この時間の廊下、マジで怖いんだからさあ」
「戦闘ユニットが何言ってんだ」
「幽霊と戦う訓練は受けてねーの」
二人はSecond専用の情報室の前で足を止める。認証音が鳴り、自動扉が静かに左右へ開いた。
室内の照明は落ちたままだった。無数のモニターだけが青白い光を放ち、静まり返った部屋に不規則な影を落としている。
その光の中心に、ギルダが座っていた。
椅子へ座り、机へ覆い被さるように背を丸めている。瞬きもほとんどせず、乾いた義眼と左眼で画面を見つめ続ける。表示されているのは、戦域地図、部隊配置、弾薬消費、通信ログ、戦闘シミュレーション。
画面を切り替える指だけが、規則正しく動いていた。
「……ッ、びびった……」
リアが胸を押さえ、小さく息を吐く。
「おい、ギル。明かりくらいつけろよ」
返事はない。
その様子に、テオの顔つきが変わる。
「……ギル」
少しだけ強めに呼ぶ。
「ギル!」
ようやく、ギルダが肩を震わせた。
顔を上げるが、視線が定まらない。
「……?」
テオは無言のまま壁のスイッチを叩いた。白い光が一気に満ち、部屋の輪郭がはっきりした。ギルダの顔色は明らかに血の気が引いていた。
テオは時計に目をやり、眉をひそめた。
「……お前、いつからここにいる。それ以前に、夕飯はどうした」
「……夕飯……?」
言葉を繰り返すだけで、意味を掴めていない。
リアが一歩踏み出す。
「飯だよ、メシ!……今、何時だと思ってんだ」
数秒の沈黙。
思考のギアが軋みながらようやく噛み合ったのか、ギルダは首を傾げ、他人事のように呟いた。
「ああ……忘れてた」
そう言って、またモニターへ視線を戻そうとする。
リアとテオが、無言で目を合わせた。
次の瞬間、テオがモニターの電源を落とした。
画面が暗転する。
同時にリアがギルダの手首を掴む。
「なに!?」
ギルダは驚いたように声を上げる。
リアが珍しく声を荒げる。
「何じゃない! お前、変だって! 顔色も最悪だし!」
「医務室だ」
テオは有無を言わせなかった。
「今すぐ連れてく。メシも適当に運んでやるから、とりあえず休め」
「でも――」
ギルダが何か言いかけるが、二人は問答無用で連行した。
***
医務室は、しんと静まり返っていた。
規則的に刻まれる電子音だけが、無機質な白い空間に染み込むように響いている。
カイルは端末に向かい、無言で指を走らせていた。
彼にできるのは、ギルダの脳に負荷をかける不要な情報を削ぎ落とし、純粋なデータだけを抽出する後方支援だ。背後のベッドでは、ギルダが冷却パックをまぶたに当てたまま、横たわっている。閉じた薄い瞼の下で、眼球が小刻みに動いていた。休んでいるはずの脳が、まだ何事かを演算している。
沈黙を裂いたのは、掠れた声だった。
「……カイル」
呼ばれた名前に、カイルは振り返る。
どこか、声の調子がいつもと違った。
「次は……」
ギルダは一息置き、言葉を探すように続けた。
「たくさん、人が死ぬ」
カイルは瞬きをした。
唐突すぎて、意味が追いつかない。
「私たちを生かすために。たくさん死ぬみたい」
それきり、ギルダは黙りこんだ。
カイルはモニターをロックし、椅子から立ち上がった。ベッドの脇へ歩きながら、言葉を探す。
「……どういうこと?」
「何通りも回した。状況をずらしても、戦力を盛っても、結果は変わらない。ここを抜けるなら、別の箇所が先に崩れる。それを避けると、今度は全体が持たなくなる」
冷却パックを押さえたまま、ギルダの指がシーツを掴む。
「ちゃんと“正しい”。数字も、条件も、全部」
カイルは何も言えず、ただ近くまで来た。
無意識に、ベッドサイドに片膝をつく。
「……ヘッセン大佐には?」
「言ったよ」
ギルダは、わずかに口角を上げた。
笑顔というには、あまりに浅い。
「でも……伝わらなかった。いや…本当は伝わってたのかも。だって、調べれば調べるほど……それが一番“正しい”って分かるんだもん」
正しい。
正しい。
正しい。
その言葉が、彼女をどれだけ追い詰めているか、カイルには見えていた。
「ギルダ……次は休もう」
慎重に、しかし迷いなく言う。
「体調が悪いとか、何でもいい。ぼくからも大佐に話すから」
「私が抜けたら、致死率が跳ね上がる」
きっぱりとした断言だった。そこにはもはや感情の色はなく、冷徹な計算結果だけが横たわっている。
「……それは、数字の話だよ」
ギルダは答えない。
やがて、かすれるように声が落ちる。
「考えれば考えるほど、逃げ道が消えていくみたい……前に進んでるはずなのに、足場がなくなってく……」
冷却パックの隙間から、わずかに覗く頬が緊張で強張っている。
カイルは何も言えなかった。
彼女が見てしまった答えを、彼自身も否定できないと分かっていたからだ。
***
作戦決行日。
冬の空気は刺すように冷たく、吐く息が白く散った。
上空では、敵の自爆型ドローンが蜂の群れのように飛び交っている。 味方の迎撃弾が軌跡を描き、別部隊の対空砲火が断続的に閃光を放つ。 通信には各隊の報告が途切れ途切れに入り、戦場全体がぎりぎりの均衡で保たれていることが分かった。
「Second、前方の進撃路を確保しろ! 他部隊が右側面から回る!」
味方部隊の声が無線に割り込む。 その向こうで、別隊の兵士たちがドローンの雨に押されながら必死に前進していた。
迎撃が始まる。
ギルダは一歩下がった位置で、まるで他人事のように戦況を見ていた。 指は引き金にかけたまま、動かない。
予測は尽くした。 可能性は潰した。 それでも――最前線は壊れる。
感情だけが、どこか遠くに置き去りになっていた。せめてリアとテオだけは死なせない。 その一点だけが、ギルダを戦場に繋ぎ止めている。
ドローンが迫る。
ギルダは義眼の逆位相で数台を落とす。 空中で金属片が散り、黒煙が尾を引いた。だが、すべては落としきれない。
撃ち漏らした数機が友軍の頭上へ滑り込む。
「散開ッ!」
誰かの怒鳴り声。
直後、白い閃光が戦場を飲み込んだ。
煙の向こうで、一人の兵士が吹き飛ばされるのが見えた。
「あ……あぁぁぁぁッ!」
黒煙の中から、絞り出すような叫び声が聞こえた。
一人の兵士が、痛みにのたうち回っている。
膝から先は消失し、断面からは鮮烈な赤が、止まることを知らずに溢れ出している。地面に広がる血溜まりが、爆炎を反射して不気味にぎらついた。
前方でドローンを迎撃していたテオの視線が、その悲鳴に引き寄せられ、銃口が止まる。
「あ……」
兵士は必死に腕を伸ばしていた。
「た……助け……」
その声が、爆発音の隙間を縫うように耳へ届く。
次の瞬間。
テオは駆け出していた。
「衛生兵ッ! 衛生兵は!?」
兵士の傍らへ膝をつき、戦闘服の襟を掴む。血で手が滑る。身体を必死に引きずり、安全圏へ運ぼうとする。
背後では、ドローンの接近警報が鳴り続けていた。
「テオ!」
リアが叫ぶ。
飛来した一機を義手で殴り飛ばす。
爆風が二人を揺らした。
「前! 前見ろ!」
テオはリアの声で一瞬だけ意識を戻す。だが焦りで視界が狭まり、判断が追いつかない。
無線が割り込んだ。
『テオドール。持ち場を離れるな』
ヘッセンの声だった。
『負傷者は救護班が回収する。お前は迎撃を続けろ』
「でも……!」
迷いが、テオの足を止めた。
その間にも、ドローンの着弾音が続く。
砂と煙が巻き上がり、周囲の叫びが増えていく。
ギルダが飛び出す。
義眼が閃き、逆位相で二機を撃墜。
さらに引き金を引く。
続けて爆散したが、それでも数が多すぎる。
「テオ! 立て直せ!! 私じゃ制御しきれない!!」
テオは荒い息のまま、震える手で再び前線へ銃口を向けた。だが次の爆風が三人を襲い、地面へ弾かれる。
「っ……!」
砂を噛み、ギルダは顔を上げる。視界の先では、視界の先で、 “犠牲部隊”として最前線に押し出された兵士たちが、 雪と泥の上に折り重なるように倒れていた。
胸の奥で、何かが切れた。
――もう、いやだ
義眼の右目が、軋むような音を立てて展開する。世界が反転し、無数の情報が洪水のように流れ込み、一つの答えへ収束していく。
「……全部」
唇が、勝手に動いた。
「――堕ちろ」
空が沈んだ。
次の瞬間、ドローン群の挙動が一斉に歪む。推進音が裏返り、金属の悲鳴のような音が空を裂く。制御を失った機体が、雨のように叩き落ちていく。
ギルダは前へ出た。銃を構え、倒れきらない残骸を迷いなく撃ち抜く。
引き金。
反動。
閃光。
撃つたびに、世界が澄んでいく。
――見える。
煙の向こう。崩れる瓦礫。敵の視線。弾道。
次の三秒。
次の十秒。
次の三十秒。
未来が、頭の中へ流れ込んでくる。
情報は恐ろしく膨大なはずなのに、何一つ苦にならない。
むしろ、――心地がいい。
こんなにも世界は単純だったのか。
「……ふ」
喉が勝手に鳴る。
「……アハハッ」
乾いた笑いが、戦場へ溶けていく。
明日の更新はお休みします!
次回は8月1日(土)の19:20ごろ更新です。




