17.限界
本部へ戻ったギルダは、無言のまま自動扉をくぐった。 廊下の照明が、返り血の乾きかけた戦闘服を鈍く照らす。
待機していたカイルがすぐに駆け寄った。
「ギルダ、お疲れ」
「――うん」
短く返事をしただけで、ギルダは目を合わせようとしない。
アトリが機能を停止したあの日から、彼女は露骨なほどカイルを避け続けていた。そのまま横を通り過ぎようとした瞬間、カイルはそっと彼女の腕をつかむ。
「待って」
ギルダはわずかに肩を強張らせる。
「……何?」
「さっきの作戦中、バイタルに異常が出てた。医務室へ来て」
ギルダは露骨に嫌そうな顔をする。
「私はいい。それよりソーンが腕に破片を受けたって言ってた。あっちを診てあげて」
「ソーンなら復元局へ向かったよ。……それに、これはヘッセン大佐の命令だ」
その言葉が決定打だった。 ギルダはほんの一瞬だけ目を伏せ、 諦めたように息を吐いた。
「……わかった」
ギルダは静かに医務室へ向かって歩き出した。その背中は、戦場よりもずっと重く見えた。
***
ギルダは無言でベッドに横になり、右眼を調整用のカバーで覆った。
カイルは端末を操作し、細い光ファイバーケーブルを義眼の診断ポートへ接続した。淡い青色のホログラムが空中に展開され、視神経との同期率、電力消費、演算負荷、内部温度が次々と表示される。
「少し眩しくなるよ」
義眼の瞳孔が機械的に収縮し、白い診察灯に合わせて虹彩の金属リングが微かに回転する。カイルは視線追跡テストを行いながら、神経信号と出力波形を一つひとつ確認していく。
カイルは十四歳にして工学博士課程を修了し、軍医資格まで取得した。この程度の診断は最早日常だった。戦闘中のログを呼び出すと、時系列グラフの一か所だけが鋭く跳ね上がっている。
カイルは眉を寄せた。
「……ここだ」
ある一点を指さす。 波形が鋭く跳ね上がり、赤い警告ラインを突き抜けている。
「出力値がおかしい。この瞬間だけ高すぎる」
ギルダは天井を見つめたまま、興味なさそうに答える。
「もういい? 私、明日使う武器の準備したいんだけど」
「よくない」
カイルはホログラムを彼女にも見える位置へ回す。
「この数値で平気なはずがない。義眼のリミッターが限界近くまで解除されてる。復元局で出力を抑えるよう再調整してもらったほうがいい」
「無理に決まってるでしょ」
ギルダは画面へ一瞬だけ目を向け、小さく笑った。
「創造規制法が施行される直前なんだよ?これから、軍が持つ戦力資産の価値は今まで以上に重くなる。そんな時期に、わざわざ性能を落とすような調整を許可する馬鹿がどこにいるの」
"戦力資産"。
ギルダは、その言葉を何のためらいもなく口にした。まるで自分自身を、人ではなく装備品として扱うことが当然であるかのように。
「……でも、それでギルダが潰れたら、意味がないよ」
「意味?」
ギルダは首をかしげる。
ただ、本当に理解できないという顔だった。
「出力を落として役に立たなくなるほうが、意味がない」
淡々と言い切ると、ギルダは診察ベッドから降りた。診断ケーブルを外しながら背を向ける。
「……もういいよ。少し休んだから楽になったし。私、戻る」
「ギルダ、待って」
カイルは思わず一歩踏み出した。
「ヘッセン大佐なら分かってくれる。僕から今の状態を報告する――」
「止めて」
カイルの足が止まる。
振り返ったギルダの表情は怒ってはいない。
声も静かだった。
それなのに、全身の血が引くような感覚が走る。
「今、大佐に余計な負担をかけたくない」
ほんのわずかに視線を伏せ、ギルダは続ける。
「……ほんとに、大丈夫だから」
その「大丈夫」は、誰を安心させるための言葉だったのか。
カイルには分からなかった。
返事をする間もなく、ギルダは静かに医務室を後にする。自動ドアが閉まり、足音が遠ざかっても、カイルはしばらくその場から動けなかった。
***
ヘッセンへの定期報告は毎回、作戦室で行われた。
カイルはホログラムを操作しながら、Second班全員のバイタルと義体診断の結果を順に説明していく。
「以上です。身体機能、義体出力ともに許容範囲内。現時点で、作戦行動に支障のある隊員はいません」
ヘッセンは黙ったまま資料に目を落としていた。
机の端には冷めきったコーヒーが置かれ、書類の山には何度も手を止めたような跡が残っている。制服は乱れていない。それでも、焦点の定まらない視線と、わずかに遅れるページをめくる指先が、休息とは無縁の日々を物語っていた。
「……何か問題があるか」
静かな問いだった。
カイルは一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……少し、みんなを休ませることはできませんか」
ヘッセンは資料から目を離さない。
「できない理由なら、お前も理解しているはずだ」
「それでも聞いています」
ようやくヘッセンが顔を上げる。
「創造規制法施行前の治安維持期間は、反政府組織が最後の抵抗を試みる時期と重なる。各方面軍は慢性的な戦力不足。Secondを戦線から外せば、その穴を埋める部隊は存在しない」
一拍置き、言葉を続ける。
「投入回数を減らせば、その分だけ他部隊の損耗率は上がる。結果として被害は拡大する」
カイルは小さく息を吸った。
「……問題なのは、バイタルではなく精神面です」
ヘッセンの視線が静かに向く。
「身体はまだ動きます。でも、戦闘の頻度が高すぎます。このままでは精神的な負荷が先に限界を超えます。特にギルダは、義眼の出力が戦闘中だけ異常に跳ね上がっていました」
端末を操作し、波形データを映し出す。
「数値上は異常ではありません。ですが、この上昇は無理に出力を引き出した痕跡です。あのまま続けば、いずれ制御できなくなります」
作戦室に沈黙が落ちた。
ヘッセンは表示された波形を見つめたまま、ゆっくり息を吐く。
「創造規制法が施行されれば、武装勢力の活動は大幅に縮小する」
その声は、自分に言い聞かせるようでもあった。
「あと三か月だ」
その短い言葉のあと、小さな間が空く。
「……それまで、もたせる」
誰を。
Secondをか。
戦線をか。
それとも、自分自身を。
ヘッセンは最後まで口にしなかった。
***
控室の扉を開けた瞬間、 カイルは空気の重さに思わず足を止めた。
作戦を終えたSecond班の面々は、椅子に座る気力すら残っていないのか、思い思いに床へ腰を下ろしている。壁にもたれ、天井を見上げる者。装備を外すこともできず、その場で目を閉じる者。誰も口を開かない。
カイルは室内を見渡した。
――ギルダがいない。
「……ギルダは?」
レイが車いすを静かに近づける。
「武器の調整するって。武器庫に行った」
その言葉に、部屋の隅から力のない声が返ってきた。
「……あいつ、化けモンだろ」
エミリオは膝に顔を埋めたまま、小さくぼやく。
「何でそんな体力あんだよ……」
その言葉に、嫉妬も尊敬もない。自分たちと同じように戦っているはずなのに、なぜ立ち続けられるのか理解できない――そんな諦めだけが滲んでいた。
そのとき、ミラーナがソーンの腕を支えながら歩いてくる。
「カイル、ごめん」
「どうしたの?」
「復元局で診てもらったんだけど、ソーンの腕、まだちょっと動かしづらいみたいなの。もう一回診てもらえない?」
「うん、もちろん。こっち来て」
ソーンは素直に頷き、カイルの前へ腕を差し出した。
痛みや違和感を隠さず、こうして助けを求められるうちは、まだいい。
身体の異常を言葉にできるだけ、対処のしようがある。
問題は――。
何も言わなくなった者たちだ。
医務室で見たギルダの顔が脳裏をよぎる。
カイルはソーンの腕を診ながら、 控室に沈殿する疲労の気配を感じ取っていた。
(あと三か月……)
ヘッセンの言葉が胸の奥で反響する。
(本当に、もつのか……?)
眠ることさえできず、ただ床に座り込んでいる仲間たち。
どう考えても、全員とっくに限界を超えていた。
そして、その胸騒ぎは、ほどなくして現実になる。
***
招集を受け、Second班八名は作戦室へ集まった。
正面の大型ホログラムには、作戦区域の立体地図と敵勢力の配置が映し出されている。
ヘッセンは全員を見渡すと、淡々と口を開いた。
「今回の敵は、大量の自爆型ドローンを投入してくる」
ホログラム上に無数の赤い光点が現れ、市街地へ広がっていく。
「現場で撃墜しても、操縦拠点を叩かなければ次々と補充される。逆に、操縦拠点だけを狙えば、その間に味方部隊がドローンの飽和攻撃を受ける」
赤い光点の一部が消え、別の地点から新たな光点が湧き出す。
「よって今回は、迎撃と制圧を同時に行う」
ヘッセンはホログラムを切り替えた。
「チームを二つに分ける。現場でドローンを迎撃し、友軍の進撃路を確保するチームは、カイル、テオドール、リア、ギルダ」
四人の名前が青く表示される。
「ドローンの運用拠点を制圧するチームは、レイ、ソーン、ミラーナ、エミリオ」
残る四人の名前が別ルートへ表示された。
「なお、今回はSecondだけでは戦力が足りない」
作戦区域に複数の青い部隊マーカーが追加される。
「現場の制圧および拠点攻略は他部隊と共同で行う。Secondは各方面の主力として投入されるが、敵拠点の包囲・掃討・占拠は友軍が担当する。各員は連携を最優先しろ」
ヘッセンは全員を見回した。
「敵は数で押してくる。我々は役割を分けて、それを上回る。以上だ。準備に入れ」」
「はっ」
ギルダを除く全員が敬礼し、作戦室を後にした。
ホログラムが消えかける中、一人だけその場を動かない影がある。
ギルダだった。
彼女は立体地図をじっと見つめたまま、一歩も動かない。
「……ギルダ?」
カイルが振り返る。
「先、行ってて」
視線はホログラムから外れない。
ギルダの右眼が、獲物を見据えるように鋭く細められている。
「……分かった」
後ろ髪を引かれながらも、カイルは作戦室を出る。
自動扉が閉まり、室内にはギルダとヘッセンだけが残った。
ヘッセンはホログラムを閉じ、静かに彼女へ視線を向ける。
「……発言をよろしいでしょうか」
「許可する」
短いやり取りのあと、数秒の沈黙が落ちた。
ギルダはまっすぐヘッセンを見据える。
「この作戦は――どういうつもりですか」
その問いには、確認する響きはなかった。
明らかな異議だった。
ヘッセンは答えない。ただ、ギルダの視線を静かに受け止めていた。




