14.白い世界
深夜。
作戦室の照明は落とされ、静寂の中でホログラムだけが青白い光を脈打たせていた。
戦力配置、地形の起伏、敵勢力の移動予測。幾重にも重なった戦況データを、ヘッセンは無言で見つめる。
指先が一つの進路を選ぶ。
瞬時にシミュレーションが走り、損耗率が算出される。
進路を修正。
部隊を再配置。
突入時刻を十七秒前倒し。
AIは機械的な声で結果だけを返した。
【成功率 87%】
別案を適用。
【89%】
さらに修正。
【90%】
数字だけを見れば、作戦は洗練されていく。
それでも、ヘッセンの眉間から皺は消えなかった。青白いモニターの光が揺れ、その明滅が、白い雪の反射と重なった。
──雪。
ヘッセンの思考が、音もなく過去へ引きずり込まれる。
……
…
耳の奥で無線が軋む。
『……早く行け!』
ノイズ混じりの怒鳴り声。
『聞こえないのか! 前へ出ろ!』
命令とは言えない、焦燥だけが形を持った叫びだった。その声に押し出されるように、雪原の向こうで人影が揺れる。
ひとつ。
またひとつ。
仲間が膝をつき、白い世界へ倒れていく。
ヘッセンは瞬きをひとつして、その光景を押し戻そうとしたが、瞼の裏へ浮かんだ雪景色は消えない。むしろ、さらに古い記憶が、降り積もる雪のように静かに重なっていく。
ヘッセンは片方の手で、小さな弟の手を握りしめていた。
冷たく、すがりつくような力は、恐ろしいほど弱い。そして、もう片方の手には、重く冷たい銀色の銃を握りしめている。
進行方向から、食糧袋を抱えた影たちの笑い声が聞こえた。
彼らの手にも銃がある。
壁の陰に身を寄せると、雪が斜めに流れ込み、頬を刺した。
『ここにいろ』
そう告げた瞬間、少年の指がぎゅっと袖に縋りついた。その温度が、ほんの一瞬だけヘッセンの足を止める。
振り返りたい衝動が、喉の奥でかすかに疼く。だが――振り返らない。振り返ってはいけないと、自分に言い聞かせるように。
視線は前だけを向いたまま、
その小さな手を、
そっと、
しかし確かに振りほどいた。
袖から離れる瞬間、少年の指先が空を掴むように震えた気がした。
『まって!おいてかないで!』
幼い声が風に千切れる。
振り返る余裕はなかった。
前にいる影を撃ち倒すことだけに集中した。
銃声。
右肩へ衝撃が走る。
焼けつくような痛み。
それでも引き金を引き続ける。
影が雪の中へ崩れ落ちた。
荒い息を吐きながら、ヘッセンはようやく振り返る。
雪の上に、小さな影が横たわっていた。
白い地面に、細い赤い線がひとつ伸びている。弾が掠めたのか、雪の白さだけがその事実を淡々と受け止めている。
肩がわずかに震え、
小さな胸が上下しようとして──
その動きが、途中で止まった。
その姿は、赤い髪を雪に散らし、銀色の機械の手を持つ少年へと滲むように変わっていく。
雪の白さが視界を覆い、その中心で、誰かの声が低く響いた。
――お前のせいだ。
ヘッセンは息を呑む。
はっと目を開くと、そこは静まり返った作戦室だった。
ホログラムには、成功率、損耗率、到達時間──無数の数字が、青白い光となって静かに流れ続けている。
そのとき。
作戦室の扉が控えめに開いた。
「少佐。そろそろ休憩を――」
声は途中で止まった。声をかけた士官が息を呑む。
青白いホログラムの光に照らされたヘッセンの横顔は、氷のように冷え切っていた。灰色の瞳は刃のように鋭く、視線を向けられているわけでもないのに、その場の空気だけが凍りつく。
ヘッセンは画面から目を離さない。
「……不要だ」
短く告げる。
そして、わずかに間を置いて続けた。
「出ろ」
「……し、失礼しました」
士官は掠れた声で答え、静かに一礼して去った。
モニターの数字は【成功率 92%】を表示している。
「……まだ足りない」
指先が静かに戦術項目を開く。
〈降伏者処理:拘束〉
画面を見つめる灰色の瞳は、一度も揺れなかった。やがて、指がゆっくりと項目を書き換える。
〈降伏者処理:排除〉
更新。
AIは感情を持たない。
ただ、条件を書き換えた新たな作戦を再計算する。
無機質な数字だけが、淡々と画面を流れていく。ヘッセンはその結果を黙って見つめていた。雪の日から止まったままの時間を、数字だけで塗り潰そうとするように。
***
作戦当日。
子どもたちはダークグレーの戦闘服に身を包み、整列していた。武装確認、義体診断、通信同期――すべての準備は完了している。
ヘッセンは隊列の正面に立ち、ホログラムを展開した。
施設内の立体地図が浮かび上がる。
「作戦を開始する。目標は反規制派武装組織の残存拠点。市街地への被害は許容しない」
ホログラムが切り替わる。敵勢力の配置、巡回経路、想定交戦地点が立体的に描き出された。
「敵勢力九十四。義体装着者二十七。自律兵器十二。逃走経路は三本、すべて封鎖する」
ヘッセンは迷いなく命令を続ける。
「ギルダ。突入と同時に義体反応を走査。異常個体を最優先で停止させろ。観測は切らすな。情報はテオドールへ送れ」
「了解」
「リア。前衛突破。狭所は跳躍で抜き、抵抗を断て」
「了解」
「テオドール。外周監視および狙撃支援。逃走個体は一体も通すな」
「了解」
「レイ。敵通信網を遮断。拠点間の連携を完全に断て。ドローン制御も担当しろ」
「了解」
「カイル。全員の義体・神経同期を維持。負荷変動は即時補正」
「了解」
「ソーン。爆発物処理および遮蔽支援。味方損耗を最小限に抑えろ」
「了解」
「エミリオ。敵指揮系統を無力化。接近は無音で行え」
「了解」
「ミラーナ。全通信回線を維持。本部とのリンクは切らすな」
「了解」
ヘッセンは一瞬だけ言葉を止めた。
ホログラムの端。
隊員一覧に表示された一つの名前。
アトリ・フィンチ ── 機能停止
その表示を見つめる灰色の瞳に、感情の揺らぎはない。やがて視線を前へ戻し、静かに告げた。
「敵は投降を装う可能性がある。義体内部への遅延起爆装置の搭載事例を確認済みだ」
室内の空気が張り詰める。
ヘッセンは一切ためらわず、最後の命令を下した。
「投降の有無は判断材料に含めない。残存勢力は――すべて排除する」
その言葉に、誰一人として表情を変えなかった。Second全員が、寸分違わぬ声で応じる。
「了解」
「作戦時間は八十七分」
ヘッセンはホログラムを閉じる。
「配置につけ」
命令と同時に、八人が一斉に踵を返した。




