11.合法的犯罪者
煙の匂いが、肺の奥を刺した。
アトリは研究施設の壁際に身を寄せ、 崩れた配管の影にうずくまるようにして呼吸を整えようとしていた。
「ごほっ……はあ……ッ、はあ……」
喉が焼ける。視界が揺れる。肩に走った熱は、まだじりじりと残っていた。
武装集団が施設に雪崩れ込んできたのは、ほんの数分前。検査室へ向かう廊下で、突然銃口が向けられた。 反射で身をひねったが、エネルギー弾が肩を掠めた。
ただの銃弾じゃない。 当たった瞬間、義体との同期が乱れた。
「……っ、動かない……」
腕が重い。脚が思ったように反応しない。 頭の奥がぐらぐら揺れ、熱がこもる。敵は神経接続を狂わせるタイプの特殊な武器を使用していた。
アトリは壁に手をついたが、指先の感覚が遅れて返ってくる。
「みんな……ッ、帰りたいよ…!」
アトリの脳裏に浮かぶのは、仲間の姿だった。
非常口の明かりが見える。 そこへ向かおうと足を進めた瞬間──背後で人のうめき声がした。
アトリは反射的に振り返る。
白衣の研究員たちが数名、壁際に倒れ込んでいた。 負傷している者も多く、白衣は血で染まり、床には医療器具が散乱している。
「あ……」
アトリは驚きに目を見開いた。 研究員の一人がアトリに気づき、必死に声を上げる。
「君!すまないが手を貸してくれないか!? 怪我で動けない者がまだ残ってるんだ!」
その声が、アトリの胸の奥に響いた。
──前に立つ者とは、お前たちだ
──後ろにいるのは、連邦で暮らす人々だ
──未来も不確かで、それでも生きようとしている者たちだ。
ヘッセン少佐の言葉が、煙の中で鮮明に蘇る。
──お前たちは、前に立てる能力を有している
──お前たちの存在は、未来をつなぐためにある。
アトリは息を吸い込んだ。乱れていた同期が、ほんの少しだけ整う。肩の痛みも、熱も、まだ残っている。 それでも──動ける。
「……行ける……」
アトリは怪我人の腕を軽く抱え、ゆっくりと立ち上がらせた。
「こっちです!避難ルートを案内します!」
声は震えていたが、確かな力があった。
煙の中で、アトリは前へ進んだ。 自分の身体が重くても、足が思うように動かなくても……
──それでも、前に立つ者として。
***
作戦室は、警報と通信音が入り混じり、 空気そのものがざわついていた。
「敵、研究区画北端を突破!装置破壊の兆候なし!」
「制圧というより、内部構造の掌握を優先している様子です!」
「侵入ルート確認――点検用サービス通路を直進!」
怒号にも似た報告が次々と飛び交い、無数のモニターが赤い警告表示を映し出す。
ヘッセンは乱れ飛ぶ情報へ一度だけ目を走らせ、静かに口を開いた。
「……研究棟の乗っ取りが目的か。犯行声明は」
彼はすでに理解していた。これはただの襲撃ではない── “主張”を伴ったテロ行為だ。通信士官が青ざめた顔で振り返る。手元の端末を握る指が震えていた。
「研究棟の外周ネットワークへ強制侵入されました…!監視カメラの映像ストリームに割り込んでいます」
端末に表示された文字列が、黒い背景の上に赤く浮かび上がった。通信士官は吐き出すように読み上げる。
【──創造を封じる法は、
未来を閉ざす檻に他ならない。
未来は誰ものものか。
我々は、欺瞞と抑圧を打ち砕く。
軍の研究員は“合法的犯罪者”であり、
その手から未来を奪還する──】
作戦室の誰もが息を呑んだ。その声明は、ただの政治的主張ではない。明確な敵意と、破壊の意思だった。
ヘッセンは画面を見据えたまま、静かに目を細める。
脳裏をよぎるのは、一人の少年。
――アトリ。
軍の最高技術を注ぎ込まれた義体。
創造規制法を憎む過激派にとって、その存在自体が否定すべき象徴だった。
『アトリの……揺れが……変です……』
レイの震える声が、不意によみがえる。
『沈むような……切れかけてる感じで……!』
ヘッセンはその記憶を振り払うように通信端末を操作した。
「撤退中の各隊。退避ルートで、アトリ・フィンチを確認した場合のみ報告。捜索は不要。貴官らの任務は後退だ」
『了解、想定位置は』
「アトリ・フィンチは自己退避より、他者支援に回る行動傾向がある。Eブロック裏の避難誘導ルートにいる可能性が高い」
『E-4裏……了解。封鎖線へ下がる経路で確認を入れます』
「発見次第、無条件で保護しろ」
ヘッセンの声がわずかに低くなる。
「説得は不要だ。命令として連れ戻せ」
『――了解』
通信が途切れる。
再び作戦室を満たしたのは、警報音と絶え間ない状況報告だけだった。
ヘッセンは研究棟を映すモニターから目を離さない。赤く点滅する警告表示の向こうで、刻一刻と状況は悪化している。
その時だった。
モニターの一角で、小さな違和感が目に留まる。
警備ユニットのセンサー波形。通常なら一定の周期を刻むはずの数値が、不規則に揺らぎ、波形そのものが歪んでいた。
ヘッセンは無言のままモニターへ歩み寄り、指先を画面に添える。
「……警備ユニットのセンサー値がおかしい」
その呟きに、近くの士官が画面を覗き込んだ。
「回線障害の影響でしょう。通信が乱れているので、センサー値まで崩れたのかと……映像を見る限り、何台か挙動も不安定です」
「違う」
ヘッセンは静かに首を横へ振った。
「乱れているんじゃない。制御が“入っている”。」
その一言に、数名が顔を上げた。
「誰の制御です?」
ヘッセンはモニターを見つめたまま、視線は警備ユニットの映像だけを追っていた。
歩幅。停止する間。曲がり角へ差しかかるたび、センサーがわずかに先行して首を振るように向きを変える。死角を確認するような視線。障害物を避けるタイミング。
どこか慎重で、不慣れで――それでも確かな意思があった。
「……」
灰色の瞳がわずかに細くなる。
***
訓練室では、子どもたちがホログラムモニターを囲み、次々と声を飛ばしていた。
「アトリ、いねーな」
「今度あっち行ってみたら?」
「その扉、開けられないの?」
「だから一気に話しかけないで!集中が切れる!」
カイルが悲鳴にも似た声を上げた、その瞬間だった。室内のスピーカーが、不意にノイズを走らせる。
――ザッ。
『……誰の許可で、それを動かしている』
「ひっ……!」
ヘッセンの低い声が室内のスピーカーから落ちた。
子どもたちは一斉に動きを止めた。次の瞬間、壁際の監視カメラがゆっくりと回転し、そのレンズが子どもたちへ向く。
「あ…あの、これは…!」
リアが慌てて両手を振る。
言い訳を探すように口を開くが、言葉は続かない。
しかし、返ってきたのは叱責ではなかった。
『……警備ユニット三体を同時制御。接続時間は八分の制限。オペレーターがカイル、回線安定はレイ・ミラーナ・テオドール、視界解析はギルダ――把握した』
その直後。
子どもたちのホログラムへ、新たなウィンドウが強制的に追加される。
青いラインで描かれた別系統のネットワーク。画面には《MEDICAL TRANSPORT UNIT》の文字が浮かんだ。
『“警備端末”では速度が足りん。医療搬送ユニットの回線を使え。検査対象が広く、機動力も高い。巡回ルートE-2は、こちらで解放済みだ』
子どもたちは顔を見合わせた。まさか協力されるとは思っていなかったのだ。
ソーンが戸惑いながら尋ねる。
「い…いいんですか!?」
『お前たちは止めたところで隠れてやる。どうせやるなら、一番成功率の高い形でやらせる』
ヘッセンはいつもと変わらぬ声音で答えた。
ギルダはホログラムを操作しながら、静かに問いかける。
「ヘッセン少佐、私たちは何をすれば?」
『役割はそのまま継続でいい。リア、エミリオ、ソーン――お前たちはJOCとの連絡役を担当しろ』
思いがけない指名に、エミリオがぱっと顔を上げる。
「よっしゃ!」
その声に、ヘッセンは淡々と言葉を重ねた。
『専用回線を開く。報告は十秒以内、要点のみ。余計な情報は一切送るな』
作戦室のホログラムが切り替わり、訓練室の端末へ一本の専用回線が接続される。ヘッセンは最後に、明確な一線を引いた。
『お前たちの任務は、アトリの発見までだ。発見次第、座標を送信し、即座に同期を切断しろ。深入りはするな』
そして、最後の命令が飛んだ。
『三十秒以内に最初の映像を送れ』
「はい!」
訓練室の子どもたちが、声を揃えて応える。
ヘッセンはモニターを閉じ、再び戦術卓へ向き直った。




