9.Eブロック戦線
軍用車両の振動が、一定のリズムで座席を揺らしていた。
アトリは窓にもたれ、つまらなそうに外を眺めていた。
周囲にいるのは、司令本部の軍人と医療スタッフだけ。いつもの仲間はいない。その事実が、車内の空気をひどく静かに感じさせた。
外縁の荒野が広がる。九月下旬。今の次期、雪こそまだ降っていないが乾いた土の色がどこまでも広がり、心が動くようなものではなかった。
――その時。
視界の端に、ふっと光が揺れた。
アトリは瞬きをし、身を乗り出す。
荒野の向こうに、灰色の海が広がっていた。曇りがちな空の下で、光を受けてかすかに煌めいている。静かで、冷たくて、どこか遠い世界の色。
「……わあ」
小さく漏れた感嘆に、向かいの席に座っていた軍人が気づいたらしい。 彼はくすりと笑った。
「海を見るのは初めてかい」
アトリは目を輝かせて顔を上げる。
「あの……あれ、海ですか!?」
「そうだよ」
「あれが海なんだ!ほんとに水がいっぱいある!」
言いながら、アトリは窓に寄った。
手のひらをガラスにそっと当て、灰色の海を見つめる。
荒野の向こうに、こんな広い世界があったなんて。光を受けて揺れる海は、思っていたよりずっと綺麗で、胸の奥がふわっと浮くように高揚した。
けれど、その高揚は長く続かなかった。
アトリはゆっくり席に座り直し、海から視線を外すと、ぽつりと呟いた。
「……みんなと見たかったなー」
創造のSILVER:Lost Component
***
司令本部の廊下を、レイの車いすが走っていた。車いすのキャスターが激しく鳴り、乾いた音が、無機質な空間に鋭く跳ね返る。
レイは前のめりになり、肩を強張らせている。 焦りが全身から滲み、呼吸が浅い。車いすを押すテオも、普段の落ち着きはどこにもなく ただ前へ進むことだけを考えているような走りだった。廊下の白い照明が、二人の影を細く伸ばしていく。
“立入禁止” の赤い表示が点滅している。
ここから先は本来、子どもの入る領域ではない。だが、テオはそのまま速度を落とさず車いすを押して、扉に向けて走る。
扉の横にいた警備兵が、二人に気づいて目を見開き、慌てて両手を広げた。
「君たち、ここは立入禁止だ!戻りなさい!」
テオは止まらなかった。 勢いのまま声を張り上げる。
「緊急で……どうしても伝えなきゃいけないことがあるんです!ヘッセン少佐に取り次いでください!」
「理由にならん! 作戦室への接近は禁止されて――」
警備兵の制止の声が終わるより早く、作戦室の自動扉が、中から開いた。
十数名の視線が一斉に二人へ向けられた。
情報士官、通信班、作戦補佐―― それぞれが端末に噛りつき、 指が高速でキーを叩き、 電子音と報告の声が室内を満たしている。
その中心。巨大なモニターの前に、ヘッセンが立っていた。
「どうした」
低く、短い声。だがその一言で、二人の緊張が一気にほどける。
レイは車いすの肘掛けを握りしめ、荒い呼吸のまま必死に言葉を押し出した。
「アトリの……揺れが……変です…… 沈むような……切れかけてる感じで……!」
テオが、レイの肩越しに身を乗り出し、焦りを隠さず補足する。
「さっきからずっとレイがこう言ってるんです!でも、ヘッセン少佐に取り次いでもらえなくて……だから、直接伝えに来ました!」
ヘッセンの横にいる通信士官が、一瞬だけ眉をひそめる。
「波長異常……?フィンチは現在、外縁の研究施設内で調整中では?」
端末の表示を確認しながら呟く。
ヘッセンはレイの目をまっすぐ見た。その灰色の眼は、状況を一瞬で読み取ろうとする時のものだ。
「――検査による揺れではないのか」
レイは強く首を振った。呼吸が荒く、肩が震えている。
「違います!調整の揺れじゃありません…… “切られそう”な……よくわからないけど…… すごく嫌な感じで……!」
その言葉に、周囲の軍人たちがざわついた。 情報士官が互いに視線を交わし、 通信班が端末のログを急いで遡る。
ざわめきを一喝するように、ヘッセンは端末を最上位権限で開いた。指の動きは迷いがなく、即応のそれだった。
「統合作戦センターより外縁研究所、現場班。Eブロック周辺の状況報告を求む」
通信士官が回線モニターを即座に注視する。
……沈黙。
レイが息を詰めた。
テオは不安げに周囲を見回す。
再度、ヘッセンは回線を叩く。
「Eブロック、応答しろ。JOCだ」
今度は返ってきたのは、通信ではなく……金属の擦れるノイズ。ジャミング特有の“押し潰される音”が回線に滲む。
「妨害波です!回線、外部干渉を受信中」
技術士官が声を上げる。
その声に、作戦室の空気がわずかにざわついた。
だがヘッセンはすでに次の操作へ移っていた。端末を切り替え、監視・警備・バックドア回線を同時に走査する。複数のウィンドウが立ち上がり、光が彼の横顔を照らした。
「Eブロック周辺班、JOC。どこでもいい、応答しろ」
三秒。
五秒。
ようやく、歪んだ声が割り込んだ。
『……っ、こちらEブロ……ッ……侵入――交戦中っ……!』
『JOCッ!?聞こえるか!!武装集団が複数侵入!回線ジャミングされている――ッ!』
報告の声は途切れ途切れで、背後に爆裂音の反響が混じっていた。現場の混乱が、ノイズ越しに生々しく滲む。
ヘッセンの声だけが、揺れずに落ちる。
「第二同期ユニット、アトリ・フィンチの現在位置は」
通信士官が慌ててキーを叩く。指が滑り、端末の光が乱反射する。
「……だめです、個体位置信号――ロスト!」
現場班の声が、ノイズ越しに割り込んだ。
『フィンチの最後の位置はE-1!そこから更新なし!』
作戦室に重い沈黙が広がる。
ヘッセンはその沈黙を断ち切るように声を落とした。
「Eブロック内部の敵戦力、推定値を出せ」
情報士官が端末に向かい、 赤外線パネルを確認したが、苦々しく首を振る。
「赤外線は死んでいます!AIで残存ログから推定をかけます」
モニターの端に青白い線が走り、冷たい合成音声が即座に応答を返した。
《残存監視ログ解析中……》
《推定結果:敵戦力 二十〜三十名》
《構成:重火器反応あり》
「侵入経路は」ヘッセンが短く問う。
《西側搬入口:爆破反応および突破ログを検知》
《敵部隊:搬入口から直進、研究区画内部へ侵入》
《進行ルート:Eブロック深部に集中》
モニターには、赤い侵入ルートがEブロックへ一直線に伸びていた。 迷いのない軌跡。まるで最初から“そこだけを狙っていた”かのように。
ヘッセンは即座に判断を落とす。
「全班、Eブロックの分断・封鎖を最優先。防衛線をC-3へ後退。動力区画の死守を最優先とする。――急げ」
「了解、C-3へライン移動!」
「第二・第三小隊、動力区画へ再配置!」
「援軍到着まで持ちこたえろ!」
複数の士官が一斉に走り出し、 通信班は回線の再構築に取り掛かる。 作戦室の空気が一気に“戦闘指揮”の色へ変わった。
ヘッセンはそのまま次の回線へ切り替え、 上層部への報告を淡々と、しかし迅速に送る。
「JOCより参謀室。外縁研究棟Eブロックに武装侵入を確認。 推定、四分隊規模。通信妨害あり。区画の全面封鎖を要請する」
参謀側の返答が即座に割り込む。
『封鎖承認。即応部隊を出す。続報を求む』
「了解」
ヘッセンは端末から目を離さず、すぐそばの兵士へ短く命じた。
「二名を下げろ。訓練棟へ戻せ。――Second八名は訓練室から一歩も出すな」
隣にいた兵士たちが、ためらいながらもレイの車いすのハンドルとテオの腕に手が添えられる。その瞬間、テオが振り返り叫んだ。
「少佐、アトリは!?」
叫びは作戦室の無機質な空気を裂いた。
だがヘッセンは端末の操作を止めない。指は次の指示へ向かい続け、視線もモニターから外れない。
「口を挟むな。アトリも研究施設も、戦線が崩れれば結果は同じだ」
その言葉は冷静で、正しく、そして残酷だった。
レイが息を呑む。 テオの肩が小さく震える。作戦室の光は冷たく、どこにも希望の色はなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ここからは、アトリ(主人公)がシャットダウンするまでの話です。




