3.ギルダ
少しだけ時間を巻き戻しておこう。
ヴィクトル・ヘッセンに出会う半年ほど前、僕たちが“Second”として集められた頃のことを。
みんなは、9歳という年齢でサイバーニューロンの埋め込み手術を受けた。それが、軍によって規定された『Second』のスタートラインだったと記憶している。
──けれど、僕は違う。
物心ついた頃には、すでに僕の頭蓋の内側に異質な回路が組み込まれていた。だから自分が本当に“Second”という区分が当てはまるのか、今でも確信が持てない。
僕の遺伝子の供給源となった男は、名のある研究者だった。けれど親子ではない。僕は、彼自身の複製として造られた。自身のコピーを実験台にする──それは科学者としての矜持だったのか、冷酷な合理性だったのか。どちらにせよ、その倫理観は、どこか決定的に破綻していた。
施設内の無機質な白に囲まれて、僕はただ、自分と同じように運命を歪められることになる『他者』がやってくるのを待ち続けていた。
ひとり、またひとりと、同じ部屋に手術を終えた子どもたちが送られてきた。僕と同じく遺伝子のドナーとして生まれた者。孤児。先天性の疾患を持ち、治療という名目でここに置いていかれた者。はした金欲しさに売られた者。軍高官の私生児だと噂される者までいた。
とにかく、この世界で最も不遇な環境に置かれた者たちが、選別されて集められたことは間違いない。
それでも、彼らは驚くほど明るかった。過去という重い鎖を、この無機質な閉鎖空間へ入る前にすべて断ち切ってきたかのように。僕たちはここで出会い、ここから僕たちの時間は始まった。
「カイル! ねえ、またひとり来るって!」
「……え?」
赤い髪の少年──アトリが、弾んだ声で話しかけてきた。
僕は返事を遅らせた。健康管理のために与えられたAI搭載のタブレット端末を分解していた途中だったからだ。回路のハンダを焼き切り、基板の構造を理解し、また完璧に再構築することに熱中していた。
「聞いてる?次にくる子は、ギルっていうんだって。向こうの部屋で大人が言ってるのが聞こえたんだ」
アトリは、防音ガラスの向こう側を、銀色に輝く指先で指さした。彼には、常人には捉えられない微細な空気の振動さえも解析できる、極めて高精度な聴覚センサーが組み込まれている。
「……じゃあ、男の子なのかな」
「そうなんじゃないかな。ミラーナが、女の子がよかったーって残念がってたよ」
僕は視線を上げ、現在の自分たちの環境を見渡した。
広い無菌室のような部屋には、僕を含めて八人の子どもたちがいた。義体になったばかりの手足を試すように走り回る者もいれば、静かに机を囲んで絵を描いている者もいる。
その時、入り口のハッチが音もなくスライドし、研究員に連れられて一人の子供が入ってきた。
僕たちと同じ支給品の白い制服に身を包んでいるが、その右眼には痛々しい眼帯が巻かれている。銀色の髪は無造作に短く切り揃えられ、手術直後特有の虚脱感のせいか、表情は抜け落ちたかのように無機質だった。その子の、線の細い中性的な容姿をひと目見て、みんな男の子だと疑わなかった。
遊びに興じていた皆も動きを止め、入り口に一斉に群がっていく。
「この子で最後だ。今日からここで過ごしなさい」
研究員の宣告はいつも通り簡素だった。僕たちを人間というよりは、管理すべき在庫か何かのように扱いたいのだろう。冷淡な背中を向け、彼は足早に去っていった。
僕は一歩前に出た。いつの間にか、新入りに最初に言葉をかけるのが僕の役目になっていた。
「はじめまして。僕はカイル」
僕は並んだ仲間たちを、一人ずつ丁寧に指さした。
「こっちからアトリ、ミラーナ、レイ、テオドール、エミリオ、リア、ソーン。……君で九人目なんだ。これからよろしくね」
僕は、友好の証として手を差し出した。だがその少年は、僕の手を握り返すこともなく、ただ青い左眼でじっとその先を射抜くように見つめているだけだった。
「えっと……君の名前は?」
アトリから情報は得ていたが、本人から直接聞くことに意味があると考え、一応尋ねた。しかし少年は周囲を一瞥すると、ふいと視線を逸らした。部屋の隅へ歩いていくと、そこで身体を小さく丸めてうずくまってしまった。
「……えー、なにあれ」
「どっか調子悪いのか?」
「しゃべれないとか……?」
「握手くらいできんだろ」
仲間たちが不穏な小声を漏らす中、アトリが慌てて割って入る。
「名前はギルって言うみたいだよ! 大人たちがそう呼んでるのを聞いたんだ!」
アトリの言葉に、部屋の隅の「ギル」はピクリと肩を震わせたが、すぐにまた顔を深く伏せてしまった。
僕は溜息を飲み込み、その子の前まで行って、静かに膝を折った。
「……大丈夫? どこか、具合が悪いの?」
しばらくして、つぶやくような小さな声が返ってくる。
「……頭と……眼が痛い」
「そうなの…!?ちょっと見せて。僕、少しなら回路のことわかるから――」
僕が患部を確かめようと、そっと手を伸ばした、その時だった。
パシッ、と乾いた音がして、僕の手が勢いよく払いのけられた。
「……ほっといて」
それっきり、彼は殻に閉じこもるようにして沈黙を決め込んでしまった。
最初は物珍しさから周囲を取り囲んでいた他の子どもたちも、子どもの残酷さゆえか、あるいは場の空気を察したのか、さっと潮が引くようにその場を離れ、再び騒がしい遊びの輪へと戻っていった。
僕だけが、冷たい壁際で小さく震える少年を前にして、行き場のない手のやり場に困ったまま、その場に立ち尽くしていた。
アトリが僕の肩越しに心配そうな視線を投げかけてきたが、僕は小さく首を横に振って見せた。
「アトリ、僕が付き添っとくから。大丈夫だよ」
アトリは少し安心したのか、「わかった」と小さく頷いて、賑やかな子供たちの輪へと戻っていった。
僕は彼の隣に、少しだけ距離を置いて背中を壁に預けた。
「ねえ……君の隣で、この機械いじっててもいいかな?」
尋ねてみたが、返答はない。嫌なら首を振るなり、あるいはもっと露骨に拒絶するだろうと判断し、僕は端末の分解と組み立てを再開した。
僕は集中すると、周囲の音が途端に遠のいてしまう。極小の回路を繋ぎ合わせ、論理構造を最適化し、完璧な動作へと導く。作業に没頭し、最後の一箇所の接合を終えてふうと満足な息を吐いたときだった。
ふと視線を感じて、隣を見ると、少年の青い左眼がじっと僕の手元を見つめていた。
「あ……ごめん。気になった?」
僕は慌てて端末を隠そうとしたが、少年は視線を逸らさなかった。
「……何してるの、それ」
「えっと……健康管理のAIシステム端末なんだけど、演算の通り道を最適化してるんだ。回路の配線を短くして電気のロスを減らせば、計算がもっと速くなる。今のままだと、無駄に熱くなるだけで効率が悪くて見ていられないんだよ……ほら、ここ。本来は真っ直ぐ通るべき信号が、無駄に回り道をしてるでしょ?これをこうやって繋ぎ直すと……」
僕はホログラムで空中に回路図を表示し、指先で線をなぞって書き換えていく。複雑な部品の配置が、僕の手先一つで整然とした流れに変わっていく。
「無駄なノイズを消して、純粋に計算の効率だけを追求するんだ。……不完全な論理構造を見ると、脳の奥が勝手に修正案を計算し始めちゃって、どうも我慢できないんだよね」
少年の青い眼が、ぱちりと瞬きする。
「ごめん、全然わかんない」
僕の中の理屈が、相手にとっては何の意味もなさないノイズだったと突きつけられ、心の中で小さくショックを受ける。
「君が……その機械をいじってるのが、ただ面白そうだっただけなんだけど……そんな細かいこと、聞くつもりじゃなかった」
少年は少しだけ気まずそうに目を逸らした。僕は慌ててホログラムを消し、端末を膝の上に置く。
「あっ……そっか。ごめん、つい熱中しちゃって」
再び、沈黙が僕たちの間を埋める。アトリたちが笑いながら走り回る騒がしい音が聞こえてくるが、この壁際の二人だけは、まるで別の場所にいるみたいに静かだ。
僕は少しだけ迷ったあと、今のうちに聞いておこうと思い直した。
「あのさ……さっき、頭と眼が痛いって言ってたけど、今は大丈夫?」
少年は小さく頷いた。
「少し……マシになった。ここに来る前、研究員に変な風にいじられたから……」
「そうだったんだ……触ろうとして、ごめんね」
「ううん……こっちも、急に手を叩いて、ごめん」
少年はしばらく僕の顔を見つめていたが、意を決したように右眼を覆う眼帯に指をかけた。
「……眼、見る?」
「えっ」
「機械、好きなんでしょ?この眼…機械でできてるから」
少年は、少しだけ表情を曇らせた。
「自分でも見たけど……あんまり好きじゃないんだ。冷たいし、不気味だし。でも……君なら、面白いって思ってくれるかもしれないって……」
その時の僕には、まだ理解できていなかった。眼球そのものを換装するということが、どれほどの負荷を伴うのか。視神経へ膨大なデータ量を流し込み続けるその機構が、どれほど異常なものなのか。適合できたことが奇跡に近いのだと知るのは、まだ先のことだ。
少年が眼帯を外し、ゆっくりと瞼を持ち上げる。そこに現れたのは、星の欠片を閉じ込めたかのような、銀色の瞳だった。虹彩の奥で、微細なギアとレンズが精緻に回転している。光の角度によって、銀の鏡面が幾何学的な紋様を浮かび上がらせ、その一つひとつが極限まで計算された美学で構成されていた。
「わあ……きれいだね」
僕が心の底からの感嘆を漏らすと、少年は少しだけ驚いたように目を見開いた。
「あ、えっと……!もちろん、元々の青い眼も澄んでてきれいだけど、こっちはその……工学的な美しさっていうか、論理の結晶みたいで!構造の密度がすごいよ!ギルの眼、僕は好きだな」
慌てて言葉を継ぎ足す僕を、少年は呆れたように見つめ── それでも、どこかほっとしたように、ふわりと初めて微笑んだ。
「あ…」
笑ってくれた。
たったそれだけのことなのに、胸の奥が軽く跳ねた。さっきまで張りつめていた冷たい空気が、ゆっくりと溶けていく。
少年は、言い出しにくそうに唇を動かした。
「……私の名前。ギルじゃなくて……ギルダ」
その小さな告白に、僕は「ええっ」と間抜けな声を漏らす。
状況を思い返せば、無理もなかった。あの時、アトリが研究員の部屋から漏れ聞こえる声に集中していた背後で、男子たちが盛大に騒ぎ回っていた。その足音と騒ぎ声がノイズになって、名前の末尾を綺麗に消してしまったのだ。
「アトリ!ねえ、ギルじゃなくてギルダだって!女の子だよ」
少し抗議の意味も込めて声をかけると、アトリはぽかんとしたあと、申し訳なさそうに眉を下げた。
「そうなの!?ごめん、ギルって聞こえたからてっきり……」
その会話が聞こえたのか、ミラーナがぱっと顔を輝かせて駆け寄ってきた。
「なんだ、女の子なんじゃん!よかったぁ!なんか怖そうって思ってたけど、こっちで一緒に遊ぼうよ、ね、ギル?」
「だから、ギルダだってば」
僕はミラーナに指摘する。
騒ぎを聞きつけて、他のみんなもわらわらと集まってくる。アトリが肩をすくめて笑った。
「もういいんじゃないかな、ギルで。呼びやすいしさ」
みんなが「ギル」と呼ぼうとする中、僕は彼女の銀色の眼を見つめ、静かに首を振った。
「……僕は、ギルダって呼ぶよ」
少しだけ胸を張ってそう告げると、ギルダはそっと微笑んだ。
その時はまだ分からなかった。
どうして彼女が笑うだけで、こんなに胸が温かくなるのか。
あの日、初めて笑ってくれた瞬間から。
その笑顔を、僕は誰よりも見ていたいと思った。
……だから。
あの時、ちゃんと言葉にしておけばよかった。
「ずっと一緒にいたい」と、たったそれだけのことを。
その一言を伝えられなかったことを、僕は今でも後悔している。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
明日の更新はお休みします。
次回は7月15日(水)の19:20頃の更新です。




