2.神経同調通信(テレパス)
入室時の訓練は、しばらく続いた。
だが今になって振り返ると、僕たちは驚くほど短い時間で、目標をクリアしていたように思う。
もっとも、それをどうやって成し遂げたのか、そのプロセスを正確に説明できる者は、きっと僕たちの中には誰もいない。それほど自然に、当たり前のように、僕たちは次の場所へ進んでしまったからだ。
あの頃のぼくたちは、強くなることしか見ていなかった。
速く、深く、遠くへ行くこと――
それが、楽しくて仕方がなかった。
だからこそ、そこから先に待っていたものを、誰ひとり、想像しなかったのだ。
***
幾重もの遮蔽物が複雑に配置された訓練室で、今日も模擬戦の火蓋が切られていた。
ルールは至って単純だ。
九人が二つのチームに分かれ、敵陣のバックボーンを担うハッカー役――僕かレイのいずれかに、ペイント弾を先に命中させた方が勝利となる。
僕とレイは、それぞれ部屋の両端に分かれて静かに座り、意識を深く接続していた。僕らの電脳を介し、複数の小型索敵ロボットが床を俊敏に走り、天井の隙間を滑るようにして、目まぐるしく変化する戦況をリアルタイムでスキャンしていく。
上方の管制室。強化ガラスの向こうから、ヘッセンと研究員たちがその緻密な攻防を見下ろしていた。
「――っ!」
テオの肩に、ペイント弾が当たる。
「テオ、アウト!」
撃たれたテオは、部屋の端へ下がる。
直後、天井スピーカーからヘッセンの声が落ちた。
『テオドール。考えてから動くな。動きながら考えろ』
短く、しかし的確な指示だった。
「よっしゃあ!あと二人だ!」エミリオが叫ぶ。
「今日は勝てる!」リアが続く。
研究員は思わず、息をのむ。
「……見違えるようだな」
「きちんと統率が取れている」
「少し前までは、検査室に連れて行くだけで、大人が三人必要でしたからね」
ヘッセンはそれには答えず、ただ静かに視線を眼下の戦場へと戻した。
遮蔽物の影から、リアが猛然と飛び出した。一直線、最短距離。微塵の迷いもない突進だ。
「アトリ!リアを狙って!」
訓練室の喧騒を引き裂いて、ギルダの鋭い指示が飛ぶ。
その声に応じ、アトリは即座に遮蔽から躍り出た。正面からわざと大きく腕を振り、大げさなモーションで動き回る。突進するリアの視線が、完全にアトリの挙動へと固定された――その瞬間。
アトリの身体が突然、大きく一歩後ろへと引いた。
「……っ?」
獲物を見失ったリアの思考が、コンマ数秒フリーズする。次の刹那。アトリが退いたことで完全に射線が開けた柱の陰から、小気味よい乾いた音が響いた。ギルダの放ったペイント弾が鋭い放物線を描き、リアの肩口へ正確に弾ける。
「――ヒット!」
「はッ!?なんで、そっちから――!?」
リアが驚愕に目を見開く。ギルダの指示を聞いてアトリの迎撃だけに意識を割いていたレイチームの面々に、一瞬の動揺と硬直が走った。
「エミリオ!突っ込むな!」
ソーンの鋭い制止の声が響く。
「いったん遮蔽に隠れろ!」
ソーンはその場で動きを止め、目を閉じた。
神経を研ぎ澄ます。
雑音の奥。
微かな感情の揺れに、言葉が重なる。
<……成功>
<次……誰、狙う?>
「……ちっ」
ソーンが舌打ちをする。
「こいつら、テレパスで本当の指示出してる!声は聞くな!」
「マジかよ!?ずるくね!?」
リアが悔しそうに部屋の端に下がった。
「今度、オレたちもやろうぜ!」
エミリオが笑いながら叫ぶ。
ソーンは即座に切り替える。
「ミラーナ!あっちのテレパスに割り込め!」
「おっけー!」
ミラーナが軽く返事をして、その冷徹な瞳の奥に電子の光を宿す。即座に意識を深く沈め、相手チームのテレパスへの強制介入を試みた。
ジャミングの気配を脳内に察知しながらも、ギルダはまったく慌てていなかった。銀色の右眼の虹彩が、冷徹な速度で状況を再計算していく。
〈――気づかれた。次、プランB〉
短い思考が、仲間に流れる。
〈〈了解〉〉
アトリとカイルの返答は即座だった。
ミラーナが顔をしかめる。
「……なんか、プランBとか言ってんだけどー!」
戦場の流れが、もう一段、変わる。
***
管制室のモニターに映る訓練室の光景を前に、研究員の一人が困惑した声を上げた。
「戦闘ユニットが、観測ユニットに撃たれた……?」
再生される映像のなかでは、確かに後方でバックアップに徹しているはずのギルダが、前線で絶対的な優位を誇っていたはずのリアを完璧に仕留めている。そのあまりにも不条理な光景に、管制室の空気が凍りつく。
ヘッセンは、モニターから視線を離さず、淡々と言った。
「神経同調通信による内部連絡だ。脳内で本当の指示を出している。音声による指示は、偽情報だ。戦闘ユニットは偽情報を真に受けて前進し、射線に入って被弾した」
研究員たちの間に、ざわめきが走った。
「そんな使い方を……」
「戦術通信に転用しているのか」
「…よく思いつきましたね」
感嘆に近い声が混じる。
「私は、あの使い方を教えていない」
研究員たちが、一斉に彼を見る。
ヘッセンはそこで初めて、視線をモニターから外した。
「彼らが、自発的に編み出した」
それ以上の説明はなかった。
ヘッセンが、彼らの間に独自の通信が存在すると気づいたのは、三か月ほど前のことになる。
***
ヘッセンが訓練棟へ向かう途中、廊下の先が妙に騒がしかった。
子どもたちの声が重なり、甲高い叫びが混じっている。
視線を向けると、車いすの少女――レイを中心に、数名の研究員と子どもたちが輪を作っていた。
レイは車いすの肘掛けを強く掴み、顔を歪めている。
「ただの検査だ。早く来い」
研究員の声は苛立ちを含んでいた。
「いや!やだ!気持ち悪くなるんだもん……!」
レイは涙をこぼし、必死に首を振る。
「何をしている」
低く通る声が、その場を切り裂いた。
全員が一斉に振り返る。
「ヘッセン中尉!」
「こいつら、勝手にレイを連れてこうとしてるんです!」
子どもたちが口々に訴える。
「検査だと言っているだろう!必要な処置だ!」
研究員はそう言って、レイの車いすに手をかける。
「でも、嫌がってる!」
「嫌がるのはいつものことだ。無駄に長引かせるな」
「……なんで今なんだよ!」
エミリオが、怒鳴る。
「オレたち、今までずっと訓練室にいたんだぞ!レイだけ一人で廊下に出たタイミングを狙ったんだろ!」
研究員が一瞬、言葉に詰まる。
「みんな揃ってたら、こんなふうに連れてこうとしなかったですよね!?」
アトリが追撃するように声を荒げた。
場は完全に混乱していた。
ヘッセンは一言も返さず、ホロパッドを起動する。
表示された検査予定を、素早く確認した。
「……レイ」
名を呼ばれ、レイがびくりと肩を揺らす。
「本日の検査は血液採取のみだ。追加解析は行わない」
レイは唇を噛み、やがて小さく頷いた。
「……それでも不安が強いなら、私が同行する」
その言葉に、レイの顔に劇的な安堵が広がり、今度ははっきりと、何度も頷いた。ヘッセンは研究員へ向き直る。
「不意打ちのように連れて行こうとすれば、当然こうなる」
声に感情はないが、逃げ場もない。
「検査が必要なのは理解している。だが、事前の告知もなく単独で引き離すのは不適切だ。次回からは、こちらに連絡を入れろ。私からも、彼らには周知する」
研究員は一瞬言葉に詰まり、
「……わ、分かりました」と小さく答えた。
「私がレイを連れて行く。貴官らは、先に検査室へ行ってくれ」
研究員たちは一礼し、その場を離れた。
残された子どもたちは、まだ緊張を残した目でヘッセンを見る。
ヘッセンはレイの車いすの背に手をかけた。
「お前たちは訓練室へ戻れ。私が不在の間は、各自で基礎訓練を行え」
「……はい」
子どもたちは一斉に頷いた。
ヘッセンが車いすを押し、歩き出しかけた、そのときだった。
ふと足を止め、振り返る。
「――なぜ、研究員がレイを連れて行くことに気づいた」
唐突な問いかけに、子どもたちは一瞬だけきょとんとして顔を見合わせた。やがて、リアが当たり前のことのように答えた。
「レイが、嫌って言ってたからです」
「訓練室の防音壁は厚い。ここまで声が届くはずがないだろう」
「声じゃないです」
今度は、ヘッセンが眉を寄せる。
「……どういう意味だ」
「レイの『嫌』って気持ちが……頭の中に、入ってきたんです」
感覚を正確に伝える言葉を探すように、テオは自分のこめかみを指で叩きながら続けた。
「レイは、テレパスが強いから。みんな、わかります」
「……テレパス?」
静かに確認する。
「離れていても、会話ができるということか」
「会話っていうより……」
「気持ちが、急に来る感じです。どん、って」
ヴィクトルは一瞬黙り込む。
「それは……全員できるのか」
「はい」
即答だった。
ヘッセンは絶句する。そんな彼の驚愕をよそに、子どもたちはそれがどれほど異常なことかという自覚もなく、口々に日常の雑談のようなトーンで言葉を交わし始めた。
「でも、届くときと届かないときがあるよな」
「レイは、離れてても届くけど……」
「リアとか、廊下の端にいると届かないし」
ヘッセンは、決断する。
「……全員、検査室へ行く」
「「えええええええええっ!?」」
一斉に上がる悲鳴。
「その能力は報告を受けていない。科学的に把握する必要がある」
その中で、レイだけが目を輝かせた。
みんなと一緒に行けることが、素直に嬉しいのだと分かる表情だった。
ヘッセンは、車いすを押し直す。
「行くぞ」
短く告げ、迷いのない足取りで歩き出す。ヘッセンの大きな背中を追いかけるようにして、廊下には、いつまでも賑やかな子供たちの足音と声の残響が響いていた。
***
ヘッセンは、追憶から意識を引き戻した。
管制室のモニターには、訓練室の光景が映っている。
彼らが「テレパス」と呼ぶその能力は、当初は感情や衝動といった、曖昧な揺れを共有する程度のものだった。だが、訓練を重ねるうちに、それは次第に整理され、今では、簡潔ながらも明確な意思と情報をやり取りできる水準にまで到達していた。
子どもたちは、すでに次の局面へ移っていた。
「神経同調通信」と名付けられた、その能力を使うことで、彼らの戦術は、さらに一段階、複雑さを増している。
研究員たちは、それを困惑と、隠しきれない感嘆の入り混じった目で見つめていた。
「……すごいですね」
「ここまで完成度が上がるとは」
そんな声が、背後で交わされる。
ヘッセンもまた、彼らの出力値の推移に視線を落とした。
積み上がっていく戦闘ログ。
反応速度、連携精度、判断の最適化――
どれも、文句のつけようがない。
確かに、素晴らしい。
――それが恐ろしい。
彼らの力を正しく導きたい。
だが、その「正しさ」が、どこへ繋がっていくのか――
完成されていく子どのたちの美しくも残酷な軌跡を前に、ヘッセンはその決定的な問いの答えを、まだ、見つけられずにいた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




