1.ヴィクトル・ヘッセン
これは──僕、カイル・マーロウが肉体を失うまでの物語だ。
どうして僕が今のような状態に至ったのか。
その因果を一言で語ることはできない。
複数の要因が絡み合い、予想を越え、人との関わりによって流れを変え、その果てに辿り着いた“結果”だからだ。
しかし、これだけは確実に言える。
――これは、僕自身が望んだ結果だ。
……長々と説明するのはやめておこう。物事を複雑に語りすぎるのは、僕の悪い癖だ。
だが、僕がこうなった理由には、ある一人の男の存在が大きく影響している。
ヴィクトル・ヘッセン。
この物語を語るなら──まずは、彼のことを知ってもらう必要がある。
***
ヴィクトル・ヘッセンは窓の外、子どもたちが集う部屋を管制室から見下ろし、ゆっくりと振り返った。まだ青年、と呼べるほどに瞳は若かったが、その奥に宿る光は氷のように冷たく、一切の揺らぎがなかった。
「九名の資料は確認しました。全員十歳。リハビリは完了し、日常動作に支障はない──その認識で間違いないでしょうか」
「……はい」
問いかけられた研究員は、わずかに喉を鳴らし、一拍遅れて頷いた。
「“日常動作”という段階は、正直なところ、すでに超えています」
声に、わずかな疲労が滲んでいる。
「九人が同時に集まると、こちらの手に負えません。協調性がある分、逸脱した際の出力が大きすぎる。……分離して、それぞれ個別に管理するべきではないか──現在、その方向で検討が進んでいます」
コツ、と頼りない音を立てて、机の上に小さなデバイスが置かれた。一見すれば、小型の簡易銃器と見分けがつかない形状をしていた。
「制御が困難だと感じた場合は、こちらを」
ヘッセンの切れ長の視線が、机の上の物体へと落とされる。
「これは?」
「神経中枢へ強制的に過電流を流し込み、運動機能を強制停止させるデバイスです。体に当てれば三分間は指一本動かせなくなります。従来型より心不全の確率は低いので──」
説明を聞き終える前に、ヘッセンは管制室の扉へ向かった。デバイスには触れもしない。
「危険です!せめて、持っていくだけでも──」
「必要ない」
それだけを告げると、彼は迷うことなく扉を開けた。
***
ヘッセンが訓練室に足を踏み入れた瞬間、視界に入ったのは、五人の子どもたちだった。じっと何かを測るように、その視線がヘッセンに集中する。だが、他の四人はどこにも見当たらない。
「お前たちだけか」
低く問いかけた声に、黒髪の少年が一歩前に出る。年齢のわりに聡そうな目をしていたが、その表情はどこか強張っていた。
「あの……気をつけてください」
意味を測りかねて眉を寄せた、その刹那。
背後から、風を切る気配。
反射的に身体をひねると、頭部を狙った少年の蹴りが、わずか数センチ横の空を猛然と裂いた。ヘッセンはそれを易々と見切り、流れるような動作で伸びてきた右足をがっしりと掴み取る。少年の身体が宙で綺麗に反転した。
「えっ!!?」
逆さになった少年が目を見開く。
ヘッセンは、バタつく少年を片手にぶら下げたまま、もう一方の手でホログラムを展開させた。空間に映し出される少年の簡易プロフィール。
「……リア・レノックス。両腕・両脚にシェイプシフト合金を搭載。前衛型戦闘ユニット」
リアは必死にじたばたするが、びくともしない。
「他はどこだ」
「アトリ!こいつ……強い!!」
焦った声とともに、リアの視線が天井へ跳ねる。
ヘッセンは即座に手を離し、後方へ跳躍した。
直後、天井から赤毛の少年が落下する。掴むはずだった標的はすでに離脱しており、そのまま床へと着地した。
「あれ?」
自分でも間の抜けた声だと自覚したのか、少年は一瞬きょとんとする。
「アトリ・フィンチ。磁力で天井に張り付いていたな。降りるタイミングが遅い」
アトリは反射的に腕の合金を変形させ、ヘッセンを捕らえようとする。だが、結果は逆だった。一瞬で距離を詰められ、掴み返され、そのまま──
「ぐえッ!」
床に叩きつけられ、空気が肺から押し出される。
ここでようやく、ヘッセンは悟った。
──子どもなりに考えた、試し合い。
視線を巡らせる。
「まだ二人いるな。……面倒だ。一気に来い」
答えるように、褐色の少年が柱の陰から弾丸のように飛び出した。同時に、反対側からも一人が突進する。ヘッセンは迫る勢いを受け流し、二人の少年の軌道を変えた。
次の瞬間。
──ゴン、という鈍い音。
二人の頭が正面衝突し、そのまま床に崩れ落ちる。
「いってえええええええ!!」
涙目で頭を押さえ、悶絶する二人を冷然と見下ろしながら、ヘッセンは資料に視線を落とした。
「エミリオ・サヴァル。ソーン・ラグナード。いずれも戦闘ユニット……なるほどな」
全員の戦力を把握し、ヘッセンはホロパッドを閉じると、胸の前で深く腕を組んだ。その圧倒的な佇まいに、部屋の空気は完全に支配される。
「全員、並べ」
子どもたちは顔を見合わせ、観念したように、ばらけた足音を立てながら一列に並んだ。ヘッセンはその様子を一瞥し、淡々と名乗る。
「ヴィクトル・ヘッセンだ。階級は中尉。本日よりお前たちの戦闘訓練を担当する管理官だ。以上」
あまりに簡潔すぎる挨拶だった。
一拍の静寂の後、好奇心を隠しきれない様子で、リアが勢いよく手を上げる。
「あの!なんの義体を使ってるんですか!?」
即座に、射抜くような冷たい視線が突き刺さる。
「上官に質問する際は、まず許可を求めろ」
「……っ」
リアは言葉を詰まらせ、一瞬唇を噛んだ。
「……質問、してもいいですか」
「許可する」
「ヘッセン…中尉?は、なんの強化パーツが入ってるんですか」
ヘッセンは無言で右腕の袖をまくった。露わになったのは、いかにも無骨な義手だった。戦闘用義体というより、壊れた関節を固定するための添え木のような構造だ。
「右腕は、負傷した肩の可動域を補正するだけのものだ。両脚にも多少の補助は入っているが、最低限の機能しかない。お前たちが搭載している高性能パーツと比べるまでもない。粗末なグレードだ」
そこで言葉を切り、ヘッセンは一人ひとりを見回した。
「それでも四人がかりで私に勝てないということは、お前たちの使い方が悪いということだ」
静かだが、逃げ場のない声音。
悔しそうに、四人が顔を歪める。
「これからは、私がこの訓練室に入室する際、毎日同じように襲撃してこい。ただし、全員で事前に戦略を立てろ」
「……え?」
思わず上がった声を、ヘッセンは聞き流す。
「お前たちが私の背中を床につけるまで、毎日続ける」
言い切ると、踵を返した。
「とりあえず五分後に、私は再入室する。今度は、きちんと考えてやれ。――いいな」
扉へ向かう背中を見送りながら、子どもたちはざわざわと顔を見合わせる。
「……返事は」
振り返らずに放たれた一言に、全員が背筋を伸ばした。
「「は、はいッ!」」
その声を背に、ヘッセンは訓練室を後にした。
***
扉が閉まった途端、張りつめていた緊張の糸が一気にほどけ、子どもたちの間に騒がしさが戻った。
「やべーあいつ……なんなんだよマジで」
リアが頭の後ろで腕を組み、忌々しそうに真っ先に吐き出す。
「エミリオ、ソーン、頭ぶつけたところ平気?」
レイが二人を覗き込む。
「いってーけど……まあ、だいじょーぶ」
「オレも。目、回っただけ」
言葉とは裏腹に、二人ともまだ少しふらついている。
「それよりさ」
アトリが思い出したように言う。
「あの、へんな銃――使ってこなかったね」
「うん。もし出してたら、こっちで止めるつもりだったよ」
ミラーナが冷徹な瞳で即答する。彼女たちの後ろに控えていたカイルら後方支援チームの面々も、静かに、しかし力強く頷いた。ヘッセンがもし武器に頼るようなら、後ろからあらゆる干渉を仕掛ける手筈だったのだ。
「喋ってるヒマ、ないぞ」
ソーンが言う。
「あと四分だ」
「じゃあ今度は、けらないで殴る!」
「意味ねーって」
テオのツッコミに、リアがむっとする。
「……チームを二つに分けよう」
静かに言ったのは、ギルダだった。
全員の視線が集まる。
「こっちは九人で、あっちは一人。先に行くチームが、ヘッセン中尉を動かす。あとから行くチームが、疲れたところをおさえる…どう?」
「やろう」
アトリがすぐにうなずく。
「チーム分けは?」
カイルが聞く。
「体力ある人が先」
ギルダはすぐに名前をあげた。
「リア、ソーン、アトリ、私が先に行く。のこりは後から。戦闘タイプ以外は追いかけるだけでいい。動きがにぶったら、エミリオが止める」
皆が、頭の中で動きを考える。なんとなくのイメージはついたようだった。
「……一分切った」
ソーンの声に、現実に引き戻される。
「よし」
リアが大きく息をすった。
「今度は、ちゃんと九人でやる」
そのとき、訓練室の扉が、静かに開いた。
先に決めていた四人が、一斉に前へ出る。
***
訓練室の硬い床に、派手な打撃音と共にエミリオがごろんと転がった。
「なんで、勝てねえんだよ!!」
天井に向けて吐き出された絶叫は、むなしく無機質な壁に跳ね返る。それを合図にしたように、周囲で身構えていた他の子供たちも、張り詰めていた糸が切れたようにその場へへたり込んでしまった。
「動きが単純すぎる。次に何をするか、視線と重心の移動で全てわかる」
息一つ乱していないヘッセンは、制服の膝についた僅かな埃を、手で軽く払う。
「作戦を考えたのは誰だ」
重苦しい沈黙。やがて、子供たちの声が揃って一人の少女へと向けられた。
「「……ギルです」」
名を呼ばれ、壁際にいたギルダが静かに立ち上がった。
ヘッセンの視線が、その小さな身体へと向けられた。
「方向性は評価する。だが、投じる人数は戦況に応じてその都度、リアルタイムで編成し直せ。既存の枠に自分たちを合わせるな。戦況をお前たちに合わせろ」
短く、しかしはっきりと言う。
「次は、そこを考えろ」
ギルダは一瞬だけ、その銀色の瞳の奥で驚異的な速度の計算を走らせたようだったが、すぐに小さく頭を下げた。
「……はい」
「これより十分間の休憩とする。次は予定通り身体測定を行う。今のうちに水分を補給しておけ。以上だ」
それだけを淡々と告げると、ヘッセンは一切の隙を見せない足取りで訓練室を後にした。 張り詰めていた戦場の空気が、そこでようやく一度区切られた。
***
上方の管制室。 強化ガラスの向こうで繰り広げられた圧倒的な蹂躙劇を、二人の研究員が凝視していた。
「……あの男は、一体何者なんですか」
まだ配属されて日の浅い若い研究員が、モニターに映るヘッセンの背中を指さし、戦慄を隠せない声で尋ねる。横にいた年配の主任研究員は、ホログラムにデータをスクロールさせながら、鼻で小さく笑った。
「ああ、彼か。外縁治安部隊の最前線から、司令本部が直々に引き抜いてきた男さ。被験体たちと年齢が近い方が、少しは言うことを聞くんじゃないかという上層部の思いつきだよ。若い上に、実戦経験が豊富なサイボーグ……ということで、この『第二同期ユニット』の管理官に抜擢されたらしい」
「はあ……確かに、戦闘能力はずば抜けていますね。あの技術の結晶たる子どもたちを、素手で制圧してしまうなんて」
若い研究員の言葉には、純粋な恐怖と驚嘆が混じっていた。
「驚くのはそれだけじゃないぞ」
主任研究員は、ホロパッドの画面を若い男の前にスライドさせた。そこには、一つの輝かしい軍歴が刻まれている。
「現場に配属されてからの任務達成率は、常に120%をキープし続けている。……まあ、要するにだ」
研究員は、冷たいガラスの向こうで泥のように転がっている子供たちと、通路へ消えていく男の残影を交互に見つめ、歪んだ笑みを浮かべた。
「化け物には、化け物をぶつけるのが一番手っ取り早い、ということだろうよ」
***
これが──僕たちの師であり、運命を決定づけた男、 ヴィクトル・ヘッセンとの出会いだった。
僕たちSecondを導いた、完璧な指揮官。
彼の手によって、僕たちは「兵器としての完成形」へと仕上げられた。
個々の“欠陥”のように扱われていた超感覚を戦術に組み込み、理屈を越える力の扱い方を教えてくれたのは、紛れもなく彼だ。そのことについて、僕は本当に感謝している。
――それが、僕たちにとって本当に「正しかった」のかどうかは、一度どこかへ置いておくとして。
第二部スタートしました!
どうぞよろしくお願いいたします。




