40.悪趣味な現実
『――ウェン!オ――ン! オーウェン! この、大馬鹿野郎!!』
脳を直接揺さぶるような大音量の怒号が、暗闇の底に沈んでいた意識を強引に引きずり上げた。
天井の無機質なライトが、高速で後ろへと流れていく。
ガタガタと不規則に揺れる視界。オーウェンは自分がストレッチャーに乗せられ、凄まじい速度で搬送されていることに気付いた。首元を固定され、重い止血パッドが張り付けられている。
ぼんやりとした思考の耳元で、インプラント通信からベルトーネの怒声が途切れなく響いていた。
『オーウェン!てめえ、頭が良いくせに何でこう、やる事が極端なんだ!!馬鹿!この馬鹿!!』
ボキャブラリーをドブに捨てたかのように、さっきから「馬鹿」しか言っていない。オーウェンは青白い唇を微かに震わせ、掠れた声で応答を返した。
「……局、長……」
『起きたか、このイカれ野郎!なーにが「ナイフで自分の腕に軽く傷をつけます」だ! てめえ、最初からこうなること予想してやがったな!!』
通信の向こうで、ベルトーネが荒々しく机を叩く音が聞こえた。
『お前、フィンチの裏にいる『何か』を、自分の命を餌にして引っ張り出す気だったんだろ!あと数ミリ傷が深かったら今頃あの世で手続きしてんだぞ!』
「ア、トリ君は……」
『安心しろ!「局員に対する重大な傷害罪の現行犯」として、今ウチの隔離特別室でガチガチに拘束中だ!!軍法会議の正式な手続きとウチの調査が終わるまで、司令本部への移送は完全凍結させてやったよ!』
一気に捲し立てたベルトーネは、少しだけ声を落とし、呆れたような、だがどこか痛ましそうな息を吐く。
『……本人はまだ眠ったままだがな。起きた途端、自分が凶悪犯罪者になってることを知ったら、心臓ぶっ飛ぶだろうよ、気の毒に』
その言葉を聞き、オーウェンは固定された首のまま、安堵から小さく息を漏らした。
「……すみません……肝心のログが……完全にフォーマットされてしまい、何も掴めませんでした……残りの公的手続きも、私の方では、進められそうにありません」
『んなもん、どーにでもなる!!手続きはグレイヴス准将を叩き起こして代わりに判子押させてるところだ!!てめえは自分の心配だけしてろ!ったく、次同じような無茶やらかしたら、降格どころか士官学校の入学式からやり直しさせるからな!!』
「それは…流石に…勘弁していただきたい……」
微かなオーウェンの軽口に、ベルトーネは「フン」と短く鼻を鳴らした。
『そんじゃ、通信切るぞ! 復元局の緊急処置室で傷が塞がったら、即座に身柄を監査執行局の医療室へ移動させる。お前のクビを狙う手合いはどこに潜んでるか分からん。――死ぬんじゃねえぞ、オーウェン』
ツ、と無骨な電子音とともに通信が切れる。オーウェンは再び迫ってきた軽い眩暈に目を閉じた。
***
復元局での応急処置は、文字通りあっという間だった。
傷口に止血フォームが流し込まれ、レーザー縫合。局所の細胞再生パッチを貼られた後、首の可動をロックするサポーターが巻かれた。
処置が終わると同時に、監査執行局の職員たちが現れ、有無を言わさずオーウェンを車椅子に乗せる。外の喧騒を避けるように裏口から局の直轄医療室へと迅速に搬送した。
厳重なセキュリティで隔てられた医務室へと向かう廊下を、ベルトーネは苛立ち混じりの足取りで歩いていた。その隣を、搬送を担当した局員が小走りで追う。
「オーウェン中佐の容態ですが、全治二週間とのことです。命に別状はありません。先ほど、最もセキュリティレベルの高い隔離医務室へ搬送を完了しました」
ベルトーネは不機嫌そうに鼻を鳴らし、鋭い視線を局員へ向けた。
「いいか、あいつの医務室のアクセス権は今この瞬間から限定する。俺とお前、あとは担当医以外は誰も近づけるな。特に司令本部の連中が『中佐から事情を聴きたい』だの『見舞いだ』だのと抜かしてきても、絶対に中に入れるんじゃねえぞ。分かったな」
「あ……あの、局長。それが……」
廊下の突き当たり、目的の医務室の前に到着したところで、局員が急に歯切れ悪く口をモゴモゴとさせた。
「あん?なんだよ」
ベルトーネが不審げに眉をひそめる。局員が恐る恐るコンソールを操作し、医務室のロックを解除した。厚い金属扉が静かにスライドする。
白一色の室内。ベッドの上には、サポーターで首を固められたオーウェンが上体を起こして横たわっていた。
そして――そのベッドのすぐ傍らに、背筋を鋭く伸ばして直立している、見覚えのある男が一人。
司令本部大佐――ヴィクトル・ヘッセン。
ベルトーネは無言のまま、すっと右手を伸ばして扉の閉鎖ボタンを押した。勢いよくピシャリと戸が閉まる。
「いや、そんなわけねえ、おかしいだろ……ッ」
数秒の現実逃避の後、もう一回、勢いよく扉を開ける。
やはり、そこにいた。ヘッセンは部屋に入ってきたベルトーネに向けて、至極平然と規律正しい敬礼を捧げた。
「失礼しております」
ベルトーネはぽかんと口を開けた。
ベットの上のオーウェンが穏やかに微笑む。
「私が、招きしました」
「バカかお前はああああっ!!!!?」
ベルトーネの絶叫が、医務室の壁に激しく反響した。クライン中将の意志を前線で体現する、司令本部の「最も危険な刃」が、なぜか身内の安全地帯の特等席に入り込んでいる。
「俺が敷いた必死の防衛線を秒でドブに捨てるんじゃねえ!よりによってヘッセンだと!?自殺志願者かてめえは!!」
怒髪天を突いたベルトーネが激昂する。しかし、オーウェンはサポーターで固定された首のまま、眼鏡の奥の目を酷く穏やかに細めて見せた。
「とんでもない。局長に作っていただいたこの状況を、最大効率で利用させていただきます。ヘッセン大佐は、私の命を奪うような無駄なことはなさいませんよ。……今回の件について、少し膝を突き合わせて話をした方が良いと思いまして」
平然と言ってのける部下の「いつも通りの狂気」に、ベルトーネは怒る気力すら急速に削がれていくのを感じた。心底疲れ果てたように、深い溜息を吐き出す。
「はあ……もう、好きにしてくれ。俺が入院してえよ、全く……」
深くため息をつき、ベルトーネはゆっくりと顔を上げた。部屋の片隅に直立するヘッセンを鋭く睨みつける。
「――局長として、これだけは言っておくぞ。ウチの身内に妙な真似をしたら、俺は局の全権をもっててめえらを叩き潰す」
剥き出しの敵意と警告。しかし、ヘッセン大佐は表情一つ変えず、ただ静かに一礼を返した。
「承知いたしました」
「……ったく、どいつもこいつも狂ってやがる」
吐き捨てるようにぼやきながら、ベルトーネは踵を返し、音を立てて病室を出ていった。
***
ヘッセンはゆっくりと直立の姿勢を解くと、オーウェンの首に巻かれた厳重なサポーターをじっと見つめ、不機嫌そうに眉を歪めた。
「一人で対象と接触するなど、正気の沙汰ではない。命があったのはただの幸運だ」
「どこかの部署が徹底した秘密主義を貫いてくださるせいで、こちらもこれくらい強硬手段に出るしかありませんでした」
司令本部への明確な嫌味。しかしヘッセンは、その刺のある言葉を無視し、本題を切り出した。
「報告を見た。アトリ・フィンチがお前の私室で『深層同期』を使用したそうだな」
「ご信用いただけるんですか?軍が誇る中枢AIのログは消失しています。客観的な証拠は、私のこの首の傷しかありませんよ」
「それが虚言なら、お前が軍法会議で処分されるだけだ。現時点でお前を疑うメリットはない。その報告を『正しい』と仮定して話を進める」
ヘッセンの無機質な割り切り方に、オーウェンは小さく息を漏らすと、ベッドの背にもたれかかった。
「では、その前に確認を。今回、アトリ君を狙って第47基地を襲撃した対象二機の他に、司令本部が過去に処理し損ねた個体は、本当にいないという認識でよろしいですね?」
「そこに関しては、私も上層部へ強く抗議した。だが、情報本部は今なお詳細な情報公開を渋っている」
「一体、過去に何をしでかしたんでしょうね、我が軍の上層部は……」
「だが、外縁に潜伏していた対象は、今回の二機で間違いない。それは保証する」
オーウェンは一度言葉を切り、ベッドの背にもたれかかったまま、眼鏡の奥の目を鋭く細めた。
「今回、あの密室でアトリ君の肉体を操作した者と、第四十七基地の防衛システムを上から叩き潰して回復させたのは、間違いなく同一の存在です。……過去に『深層同期』を使用できた者はいましたか」
「私が把握している限りでは、2名だけだ。――レイ・ルノー。そして、カイル・マーロウ……どちらもSecondだったが既に死亡している」
「どこかで生き延びている可能性は……?」
それは、オーウェンの個人的な、ごくわずかな期待を含んだ問いだった。
「ない」
ヘッセンは短く切り捨てる。
「二人とも、遺体を確認した――処理も、すでに済んでいる」
沈黙が落ちる。
オーウェンは考え込むようにこめかみに指を当て、目を閉じる。
記憶、記録、可能性。
あり得ないはずの線だけを、意図的になぞっていく。
「………では」
ゆっくりと、言葉を選ぶように続ける。
「肉体のみが失われた、という可能性は?」
ヘッセンは答えなかった。
否定も、肯定もない。
「……黙らないでいただけますか」
オーウェンは目を開き、静かにヘッセンを見る。
「今、私は“ありえない中で最悪のパターン”を口にしたのですが」
一瞬の間。
ヘッセンは背筋を崩さないまま、淡々と口を開く。
「可能性は否定できない。レイもカイルも、その能力を有していたと認識している」
「……肉体を失ってなお、という意味ですか」
「電脳上に意識を留め、深層同期を行える可能性だ」
確認するかのように言い直すオーウェンに、ヘッセンはただ事実として頷いた。
オーウェンは頭に手を当て、深く息を吐く。
「……その可能性を、上層は把握していますか」
「していない」
ヘッセンは即答する。
「根拠がない。確認可能なデータも存在しない。現時点では、想定として共有する材料がない」
“だから報告していない”ではなく、“報告できない”という線引きだった。
「公式には扱えない仮説ですね。ですが、その前提を一度置いてみると、異様なほど筋が通る。ただ…」
オーウェンの眼鏡の奥の瞳に、静かな怒りと、激しい嫌悪感が宿った。
「現実がそれを選ぶとしたら――相当、趣味が悪い」
***
靴の音が鋭く、かつ切迫したリズムで響き渡った。
北方連邦軍の本部に到着したギルダは、走りながらホロパッドの画面へ視線を落とす。液晶の暗い光の中に、有無を言わせぬ冷徹な口調で、とある一室の番号が指定されていた。
ギルダは息を整える暇も惜しみ、ブルーを小脇にがっしりと抱え込んだまま、一直線に駆け抜ける。
腕の中で、ブルーの丸い眼が振動に合わせて小刻みに明滅した。
『……現在行われているのは「抱っこ」ではありません。物理的な「搬送」です。想定していたポーズと著しく乖離しており、不服です。本来は胸部の安定した位置で――』
「しょうがないでしょ!急がなきゃいけないの!」
『搬送方法の劇的な改善を要請します』
「わかったってば…ッ!次はちゃんと気を付けるから!ごめんね!」
ギルダは半ば叫ぶように返し、コーナーを曲がった先にある目的の扉へと、その勢いのまま――バンッ、と体当たり気味に乱暴に押し開けた。
扉の先で、すでに待機させられていたテオとリアが、弾かれたように振り返る。
「アトリは――」
ギルダが核心を問いかけようとした瞬間、二人の顔に戦慄が走った。
「待て!」
「閉めんな!」
テオとリアの制止が重なる。だが、自動閉鎖の油圧音が無情に響き、背後の扉はカチリと冷徹な電子音を立ててロックされた。
「あーーーーッ!マジかよぉお!」
リアが頭を抱えて叫び、テオは天井を仰いだ。
「……仕方ない、もう諦めて寝るか」
「なに?なんなの?」
ギルダが荒い呼吸のまま二人を問いただすと、リアが顔を歪めて忌々しげに吐き捨てた。
「Second全員、軟禁状態。その扉ロックかかって開かねえんだよ」
「N-Linkもホロパッドも、この部屋に入った瞬間すべてアウトだ。テレパスは室内だったらできるが、外部との通信は完全に遮断されてる。しかも……」
テオが指さした先、天井の隅で監視カメラのレンズが冷たく光を反射していた。
「監視カメラのおまけつきだ」
事態の深刻さを瞬時に把握し、ギルダの顔から血の気が引いていく。
「……何があったの?」
「落ち着いて聞けよ」
テオが声を低め、一歩踏み出した。
「アトリが、オーウェン中佐に怪我をさせた」
「はっ!?なんで……!」
リアが目を伏せて首を横に振る。
「わかんねえ。オレたちが本部に到着した時にはもう、かなりの騒ぎになってた。中佐は首を切られて復元局で緊急手術を受けて……そのあと、監査執行局の医務室に移送されたって、ベルトーネ局長が言ってた」
衝撃に足元が崩れそうになり、ギルダは思わず壁に手をついてよろけた。
「二人は……無事なの?」
「中佐は一命を取り留めたそうだ。アトリも死んだわけじゃないが、監査執行局で拘束されてる」
テオは苦渋に満ちた表情で言葉を続けた。
「この件で、Secondは全員が監視対象だ。司令本部組も同じように身柄を拘束されて、どこかで足止めを食らってる。いつになれば解放されるのか、それすらオレたちには知らされてない」
絶望的な状況の積み重なりに、ギルダは眩暈を感じて頭を押さえた。
「そっ……か……思った以上に、最悪だわ」
その時、ギルダが抱えてたブルーがじたばたともがいた。
『落下リスクが上昇しています。速やかな着地を要請します』
「あ…ごめん」
ギルダがそっと床におろすと、ブルーはやれやれと言うように、首を振った。リアが弾かれたように目を丸くする。
「なんだ!ブルーも来たのかよ!」
リアは軟禁のストレスも忘れたような勢いで屈み込み、ブルーに顔を近づけた。
「良かったー!電波も死んでて、マジでヒマしてたんだよな!何かお前、面白いことできないの?」
『当ユニットには、「娯楽プロトコル」が多数実装されています。……軍事暗号を用いた超高難度・数独パズル。北方連邦の戦史の朗読(所要時間:3時間)。その他――』
「いや硬てえよ!!もっとこう、ゲームとかさあ!」
『承知しました。では、「じゃんけん」を実行します。なお、当ユニットの勝率は、ホストの網膜電位波形および生体磁気から筋肉の初動をミリ秒単位で先読みする演算速度により、理論上100%に固定されています。お望みですか?』
「なんだそれ!なんにも面白くねえよ!」
その様子を横目に、テオがギルダへと向き直る。
「この部屋にはベッドと風呂、トイレ、一週間分くらいの食料は備え付けてあった。一週間も軟禁されるなんて考えたくはないが、軍は数日単位の拘束を想定しているんだろう」
「最悪……煙草、もっと持ってくればよかった」
「とりあえず、いつ何があっても動けるように、交代制で睡眠をとろう。一人は常に起きて見張りをする」
「わかった。……三時間交代でいい?」
「ああ。オレが先に見張りをするから、ギルとリアは先に休め」
「「了解」」
テオの現実的な提案に、二人は短く応えた。
ブルーのピコピコという無邪気な駆動音と、冷たい空調の音だけが室内に響く。
アトリの安否も、自分たちの未来も、すべてはあの重厚な電子ロックの向こう側――
見えない檻の中で、長い夜が、静かに始まった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




