3.創造規制法
扉が横にスライドして開いた。
低い電子音が鳴り、空気がわずかに揺れる。
最初に入ってきたのは、銀髪の女性──ギルダだった。白い防寒着だけを脱ぎ、黒いタートルネック姿のまま歩みを進める。見た目は若い。それなのに、立つだけで空気がわずかに張りつめた。姿勢も視線も乱れがなく、訓練された者の気配が滲んでいる。
その後ろから、褐色の肌の中年女性が続いた。白いジャケットを着たまま、アトリを心配そうに見ている。
ギルダは部屋の中央まで進むと、ベッド脇に立つブルーへ軽く顎を動かした。
「ブルー、ありがと。もう下がっていいよ」
『了解しました』
青い目が一度だけ明滅し、ブルーは静かに部屋の隅へ移動する。
ギルダはアトリへ向き直り、表情を少し柔らかくした。
「おはよう」
「おはよう……ございます?」
なんだか変な話し方になってしまった。
ギルダはふっと笑みを浮かべてベッドへ歩み寄り、壁にもたれて言った。
「体調はどう……アトリ」
「ぼくの名前は……アトリなの……?」
ギルダは小さく眉を寄せ、息を吐いた。
「うーん……やっぱり忘れちゃってるか」
その声音は、叱責でも失望でもなく、“想定していた事態に当たった”という静かな困惑だった。
「でも、私の名前は憶えてたよね」
あれは──頭の中の声が言った名前を、そのまま口にしただけだ。けれど、それを説明する気にはなれなかった。アトリは視線を落とし、ゆっくりと言葉を探す。
「なんか……頭に浮かんできて……でも、それ以外は何も思い出せない。自分が何なのかも……」
ギルダは腕を組み、しばらくアトリを見つめた。その銀色の義眼は、ただ観察しているだけなのに、心の奥まで透かされるような感覚があった。
「そっか……どうしよ。どこから話そうかな」
横で女性が口を挟む。
「まず自己紹介だろ?この子、自分がどこにいるかも分かってないよ」
「……ああ。そうだね、順番間違えた」
ギルダは姿勢を正し、アトリに向き直る。
「私はギルダ。こっちはアイビー・ダナ曹長。この辺りの外縁治安維持部隊をまとめてる人だよ」
ギルダは軽くアイビーに目線を流し、続けた。
「ここはドームの外にある軍基地のひとつで…… 君は昨日、この近くをうろうろしていたところを保護された……ここまでは大丈夫?」
アトリはゆっくり頷いた。
アイビーが苦笑しながら言う。
「びっくりしたよ。雪の中、そんな格好で飛んだり跳ねたりできるんだから、違法アンドロイドかと勘違いした」
アトリは息を呑んだ。真っ先に浮かんだ疑問が、口をついて出る。
「……ぼくは、アンドロイドじゃないの?」
「違う」
ギルダは即答した。
一拍おいて、補足するように続ける。
「体のほとんどは機械だけど、頭の中身はほとんど人間。分類としてはサイボーグ…かな」
アトリはゆっくり頷いた。
自分のことは分からないのに、“サイボーグ”という概念だけは理解できる。
でも──
「でも、みんな僕のこと違法規格って言ってた……」
「みんな勘違いしたんだよ、こんな高性能なサイボーグは今の時代ちょっとお目にかかれないからね。この世界には、科学技術をこれ以上進めないように、発展そのものを制限する法律がある」
「法律…?」
「そう、創造規制法って言うんだけど……」
ギルダは少し考え込むように一拍置く。そして、説明を続けるよりも“専門役”に任せたほうが早いと判断したようで、視線をブルーへ向けた。
「ブルー。創造規制法を説明してあげて。社会科見学の子どもたち向けのテンプレでいいよ」
呼ばれたブルーの目が、ぱちんと切り替わる。丸みを帯びた白いボディが、小さく“ピッ”と姿勢を正した。
『社会科見学(子ども向け)モードを起動します。──説明を開始します』
青い目からホログラムが展開され、簡略化された世界地図が浮かぶ。
『むかし、この世界は今よりずっと広く、
人がたくさん住んでいました。
でも、科学の力がとても早く進みすぎて、
大きな戦争がたくさん起きてしまいました』
地図の大部分が赤く染まり、北側だけが青く残る。
『その結果、人の数は大きく減り、
住めなくなった場所がどんどん増えていきました。
そこで、生き残った人々は寒い北の地域にあつまって、
“北方連邦”という国をつくりました』
ホログラムが“禁止マーク”へ切り替わる。
『もう同じまちがいを
くり返さないために作られたのが、
──“創造規制法”です』
ブルーは淡々と続ける。
『この法律では、“新しい科学や技術”を
勝手に作ることができません。
たとえば──新しいロボットのしくみ
新しいAIやコンピューター、
新しい武器など…こういった新しい技術を作るときは
かならず軍が安全かどうかを調べます』
ホログラムに“✕”が並ぶ。
『審査を通さずに作られたものは、すべて違法です』
アトリの胸がひくりと震えた。
「……じゃあ、ぼくって……その“違法”なの?」
『質問受付は説明終了後に解放されます』
ブルーが機械的に返すと同時に、ギルダが手を上げて制した。
「ごめん、仕様でね。あと少しだから聞いてあげて」
ブルーは締めくくる。
『北方連邦軍は、みなさんのくらしを守り、
あぶない創造物を取りしまっています。
創造が破壊を生まないよう、
──“みんなで法律を守って世界をよくしましょう”』
説明が終わると、ホログラムが静かに消えた。
アトリはこめかみを押さえた。頭の奥で、ぷすぷすと煙が上がるような感覚がする。
『理解度50%。追加で説明をしますか?』
ブルーの無機質な声に、ギルダが苦笑を返した。
「ブルー、もういい。ありがと」
ブルーは小さくお辞儀し、説明モードを解除する。
ギルダはアトリへ向き直り、声の調子を少し落とした。
「この法律は七年前に施行された。君はそれより前に手術を受けてる。施行前に作られたものは一応セーフ扱い」
アトリの表情を確認しながら、ギルダは続ける。
「けど……今の基準だと、君の体に使われてる技術は完全にアウト。だから分類上は――“違法な技術で作られた、合法的な存在”。そういう、ちょっとややこしい立場なんだよ」
ギルダは一度だけ息を吸い、ほんの少しだけ自嘲するように笑った。
「──私と同じでね」
「…え?」
その言葉に、アトリは思わず顔を上げる。
ギルダは答えの代わりに、左目をそっと閉じた。 露わになった銀色の義眼が、静かに光を返す。
「私たちは、その中でもだいぶ特殊な個体なんだ」
ギルダは右のこめかみに軽く指を当てる。すると、空中に薄いモニターがふっと展開した。指先でモニターを操作し、数枚のデータをめくる。黒い革の手袋に包まれたその手は、動きこそ滑らかだが、どこか“機械的な正確さ”があった。
そして、ある一枚の前で、指がぴたりと止まる。
ほんの一瞬。けれど、確かに“ためらい”があった。そして、覚悟を決めたように、そのモニターをアトリへ向けた。
「これは……昔の記録。九人写ってるでしょ」
それは、少しピントのずれた写真だった。
白い制服を着た十代半ばくらいの年の子どもたちが並び、みんなこちらを見て笑っている。端にいる少年ふたりは、ふざけたように跳び上がっていた。
ギルダはその中のひとり、銀髪の少女を指さした。
「これが八年前の私」
面影があった。車いすの少女の隣に立つ彼女は、今より少し髪が長いが、右目は同じ銀色だった。そして、真ん中に立っている少年を指す。
「そして、これが……アトリ」
その瞬間、背骨の奥が冷たくなった。
──似ている。
顔の輪郭、目の形、肩幅、体の線。写真の中の彼は、片手を上げて笑顔を向けている。
──これは、ぼくだ。
「……ぼくなの?」
かすれた声しか出なかった。
ギルダは静かに頷く。
「八年前の君。──アトリ」
アトリの胸に、冷たい空白が広がる。
ギルダはモニターを閉じ、息を整えた。
「ここに写ってるのは、みんな軍の技術でサイボーグ化された子どもたちなんだ。特別に選ばれた“計画個体”。Secondって呼ばれてる」
その言葉は淡々としているのに、どこか痛みを含んでいた。
「で、八年前、君は脳に深刻なダメージを受けて、機能を停止していた。軍は君を地下区画で保管していたけど──なぜか昨日、目覚めた」
その“なぜか”の部分に、ギルダ自身もまだ答えを持っていないことが滲んでいた。
アトリはしばらく言葉を探し、ゆっくりと口を開いた。
「……えーっと、じゃあ僕は“八年間ほぼ死んでる状態”で“保管されて”いて、突然起きたってこと?」
ギルダは一瞬だけ目を瞬かせ、それから、まるで肩の力が抜けたように天井を仰いだ。
「寝起きなのによく頭が回るね。助かるー…」
冗談めいているのに、どこか本気で感心しているようでもあった。
アトリは眉を寄せ、胸の奥に浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「……でも、なんで僕は八年前と見た目が変わってないの?」
ギルダは「あー……」と声を漏らし、言いづらそうに視線をそらした。
「君は……その……九割以上が機械で……」
「あ……脳みそ以外が機械だから、成長してないってこと?」
ギルダはぱっと顔を上げ、指を鳴らしそうな勢いで言った。
「天才じゃん」
褒めているのか呆れているのか分からないが、妙に嬉しそうですらある。その横で、アイビーが深いため息をついた。
「……あんたら倫理観どうなってんだい。普通の子なら混乱して泣いてるところだよ」
ギルダは肩をすくめるだけだった。
そして、少しだけ表情を引き締める。
「でさ、アトリ。ちょっと確認したいんだけど──軍の地下施設から抜け出して、S-9ゲートを開けて、走ってここまで来た……ってことで合ってる?」
「う……うん」
ギルダは腕を組み、しばらく黙った。
「なんで“今”起きたのかも謎だけど……それより移動経路だよね。セキュリティを突破してきた。普通じゃ無理だよ。どうやってここまできたの?」
アトリは迷うように視線を落とし、言葉を探した。
「……変に思われるかもしれないんだけど……声が聞こえたんだ。『起きて』って。耳じゃなくて、頭の中に直接」
ギルダの眉がわずかに動く。
「声?」
「うん……この手の使い方も教えてもらったし、『次は右』『次は左』って案内されて……気づいたら、大きな扉の前に立ってた。そして──」
そこで言葉が止まる。
扉が開く“直前”だけが、どうしても思い出せない。
ギルダは静かに促した。
「……そして?」
アトリは喉を鳴らし、ゆっくり続けた。
「気づいたら扉が開いてた。外に出たら……『この道を行け』って言われて。街灯に沿って、ずっと走ってきた」
アトリの言葉に、ギルダは腕を組んで考え込む。
アイビーが肩をすくめた。
「記憶が混ざってるんじゃないのかね。起きたばかりで混乱してただろうしさ」
ギルダはアトリへ視線を戻す。
「その“声”、今は聞こえる?」
「いや……今は聞こえない」
ギルダの右目がわずかに光を帯びる。解析に入ろうとしたとき──ギルダの眼前に、薄いホログラムのモニターが自動で立ち上がった。
「あ……ごめん。……上司からだ」
ギルダは小さく息を吐く。
「出ないとダメなやつだから、ちょっと外すね。アイビーさん、その間にアトリに服を着せてもらってもいいかな?とりあえず、外縁治安維持部隊の制服でなんとか……」
「はいよ」
アイビーは軽く手を振り、ギルダに“行ってらっしゃい”と合図する。 ギルダは短くうなずき、部屋を出ていった。
アイビーは棚を開け、制服をいくつか引き出す。
「うーん、ちょうどいいサイズがあるかねえ……うちの息子と同じくらいの背丈だから……」
アトリは返事をしない。 代わりに、ギルダが出ていった廊下へ意識を向けた。耳を澄ますと、扉の向こうからギルダの声がかすかに届く。
『──い、──です。ええ……ちょうど今、目を覚ましました。やはり記憶は全般的に欠落しています。自分のこともそうですし、創規法のことも認識がありません』
──自分のことだ。とアトリは思った。
少し間を置いて、ギルダの声が続く。
『S-9の開放手順は依然不明です。本人いわく、起きたら“頭の中で声がして、その指示に従った”と……はい。気が付いたら扉が開いていたそうです。……そうですね、落ち着いているように見えますが、あまり無理をさせたくありません』
さらに、ギルダの声が低く落ち着いた調子で続いた。
『………はあ、まあ…そうなりますよね。ちなみに審問はどなたがご担当ですか?………ああ、良かったです、安心しました。はい、追加報告はこのあと――』
──審問、という聞きなれない言葉が出てきた。
さらに集中しようと耳を傾けたとき、アイビーが制服を選び、アトリに手渡した。
「ちょっと大きいけど……今の格好よりはずっとマシだろう」
白い防寒着は、アイビーやギルダたちが着ているものと同じものだった。アトリはベッドから立ち上がり、袖に手を通した。ほどなくして、扉が開く。ギルダが戻ってきた。
「お待たせ。…うん、いいね。似合ってるよ」
彼女はアトリの姿を一瞥し、ほっとしたように息をつく。だが次の言葉には、どうしても隠しきれない申し訳なさが滲んでいた。
「アトリさ……やっぱり一回、本部に戻ってきてほしいって。せっかく抜け出してここまで来たのに、悪いんだけど……」
「……分解されたりしないよね」
「あははッ、しないしない!ちょっと話を聞きたいって。あと、これから君がどうするか決めないと」
「うん……」
アトリの声は小さく、不安がにじんでいた。 ギルダはその揺れを感じ取ったのか、言葉を選びながら続ける。
「君をどうするか、じゃなくて──君がどうしたいか、だからね。起きたばっかりで訳が分からないと思うけど、“したいこと”も、“したくないこと”も、ちゃんと言っていい。記憶がないってことはさ、これから君は、どんな自分にもなれるってことなんだよ」
「どんな自分にもなれる……」
アトリはその言葉を、ゆっくり噛みしめるように繰り返した。
ギルダは柔らかくうなずく。
「本部には私も一緒に行く。そばにいるから」
「……ありがとう」
その瞬間──
「朝飯できたよー!!」
廊下からファンの声が響き、張りつめていた空気がふっと緩んだ。
アイビーが笑ってアトリの背中を軽く押す。
「さ、とにかく食べよう。……そういえば腹は減ってるのかい?」
「……どうだろう?よくわからない」
ギルダがくすっと笑う。
「八年ぶりの食事だからね。ゆっくり噛みしめて」
三人は階段を下り、一階へ向かう。窓の外には朝日が差し込み、雪面が白く反射していた。いつの間にか夜が明けていたらしい。
温かい湯気に混じったやさしい匂いが上ってきた。 焼けたパンの香ばしさ、スープの塩気、どこか懐かしいような、胸の奥をそっと撫でる匂い。
鼻の奥にその温度が触れた瞬間、 アトリはようやく“空腹のようなもの”を感じた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
創造規制法についての説明回でした。
ロボットのブルーは、重要キャラですので覚えていてもらえると嬉しいです。
次回は、アトリを連れて軍本部へ。
Secondの1人が登場します。




