36.現行犯で拘束しましょう
第47基地、一階連絡通路。
非常用の赤色灯がわずかに照らす暗闇の中、ソーンは冷たいコンクリートの壁に背を預け、床に直接座り込んでいた。
彼のすぐ隣では、強制シャットダウンを喰らったミラーナが体を丸めて横になっている。彼女の小さな身体の上には、ソーンが脱ぎ捨てた分厚い軍用上着が、無造作に掛けられていた。
突如として、天井の蛍光灯が一斉に白い光を放ち、廊下を眩しく照らし出した。
「――お、」
ソーンの喉から、微かな声が漏れる。
完全に駆動を凍結されていた彼の義肢に、本来の制御信号が滑らかに流れ込んでくる。ソーンは数回、足の感触を確かめるように踏み締め、さらに銀色の義手の指先を一本ずつ折り曲げて動作を確認した。
次いで、こめかみを軽く抑え、ホロパッドを空間に展開する。中継ノードがオンラインに復帰し、通信帯域が確保されたのを確認した彼は、迷わず北方連邦軍の司令本部作戦室へ回線を繋いだ。
「こちら、ラグナード。現在基地内、一階連絡通路にてミラーナと待機中。――先ほどまで義体へ直接クラッキングを受けて行動不能状態に陥っていたが、現在は完全に回復した。シェルニコワも強制シャットダウンを受け一時稼働停止状態にあったが、呼吸・心拍ともに安定。しばらくすれば目覚めると――」
そこまで報告した時、ソーンの上着の下で、身体がもぞりと動いた。
「うーん……、……頭、いた……」
長い睫毛を震わせながら、ミラーナが小さく、気だるげな声を漏らす。 ソーンはその様子に視線を落とすと、ホロパッドの向こうのオペレーターへ向けて言葉を継いだ。
「――訂正。シェルニコワが、たった今再起動した。現地の詳細な状況を確認の上、追って再度報告する。以上」
言い終えると同時に通信を遮断し、ホログラムの画面が光の粒子となって霧散する。
ソーンは床に膝をつき、まだ焦点の定まらない目で顔をしかめているミラーナの肩を、銀色の義手で優しく揺すった。
「おい、ミラーナ。大丈夫か。自分の名前が分かるか」
「……ミラーナって言っちゃってるじゃん」
不機嫌そうに唇を尖らせ、ミラーナは意識をはっきりさせようと頭を振った。そのまま、いつもの癖で左手首のN-Linkに触ろうとしたが――そこに、あるはずのデバイスの感触がない。
「あれ!? N-Linkがない!!」
「ああ……お前、敵に中継器として使われて、オレの義体を凍結してきたんだ。これ以上の被害拡大を防ぐために、その辺に投げ飛ばした」
ソーンが廊下の突き当たりを指さすと、ミラーナは驚愕に目を見開いた。
「ええッ!?ちょっと勘弁してよ!何も投げ飛ばさなくたっていいでしょ!?N-Linkはあんたと違って、めちゃくちゃ繊細なんだから!」
「いや……あの状況でそんな細かいことを考えてる余裕は」
「もー!」
ミラーナはソーンの弁解を無視してむくりと起き上がると、被せられていたコートを撥ね退け、床に転がっている愛機を拾いにドタドタと歩き出した。
「もし壊れてたら、ソーンの責任だからね!あんたがヘッセン大佐に始末書と、修理の申請書も出してよね!」
拾い上げた端末のディスプレイを大慌てで衣服の袖で拭い、ぶつぶつと文句を言うミラーナの背中を見つめながら、ソーンは呆れたように短く息を吐き出した。
そして、ホロパッドを展開し、先ほど切ったばかりの司令本部への回線を繋ぎ直す。
「――こちらソーン。先ほどの報告に補足する。シェルニコワの精神状態および言語機能は、通常通り。……特段の心配は要らない」
***
同時刻。――基地外大型装甲医療車両の内部。
リアとエミリオは、顔や四肢の生体側の切り傷を処置されている。自動滅菌スプレーがシュと音を立てて白い霧を吹き付け、傷口を人工皮膚の皮膜で覆っていく。
一方、彼らの知覚演算を裏で支えていた、テオは、ベットに横になり、頭部に脳波抑制用のヘッドギアを装着されていた。神経安定剤の点滴を静かに見つめている。
シートに深くもたれかかったエミリオが、青ざめた顔で胸を押さえる。
「あー……クソ、気持ち悪ぃ……。加速しすぎた、完全に脳揺れしてる。おえ……」
彼の左足に装着されたN-Linkのモニターには、同期の乱れを示す歪なエラー波形が激しく揺れ動いていた。重度の車酔いのような状態に陥っている。
横目で見ていたリアが、顔の傷に貼られた医療テープを指先でいじりながら、ニヤリと笑みを浮かべた。
「リンク調整してやるよ。――オレが」
「……絶対に嫌だ。ミラーナに、してもらうから、いい……」
エミリオは、即座に拒絶した。しかし、リアの笑みはさらに深まる。
「ミラーナだって、さっきまで意識が飛んでたって報告あっただろ? そんな面倒な作業をやらせちゃ悪いって」
リアがずい、と距離を詰めてくる。エミリオは必死に顔を背け、隣のシートのテオへ縋った。
「……テオ、頼む、お前がリンク調整してくれ」
「オレも無理だ。お前ら二人の知覚演算を無理やり回してたんだぞ。むしろこっちが調整してもらいたいくらいだ。――リアにやってもらえ」
テオからの非情な宣告を受け、エミリオの顔が絶望に染まる。
「テオ、おまっ……!ヘリクスでギルを拘束したこと、まだ根に持ってんだろ!お前って、ホントそういうところあるよな!この陰険……っ!」
「大丈夫だって! オレだってちゃんとリンク調整の練習してんだから。な?、テオ!」
言いながら、リアが両手の指をポキポキと鳴らし、楽しげに近づいてくる。
エミリオが救いを求めて再びテオを見ると、テオは感情のない真顔でボソリと呟いた。
「……リアのリンク調整は、相当『効く』ぞ。……おとなしく、やってもらえ」
「いいって言ってんだろ!だったら自然に治るの待った方が百倍マシだ!……おい、こっち来んな!お前、力加減がおかしいんだよ……ッ!」
「任せろって。今日は絶対、うまくいく気がする」
がしっ、とリアの容赦ない両手が、エミリオの頭部を左右からガッチリと挟み込んだ。 リアのN-Linkから、粗暴で強引な波長がダイレクトにエミリオの神経へ流し込まれる。
「ひっ……、やめ、――ぐぎゃっ!!!!」
絶望の叫び声が、装甲車両を突き破り、雪原へとけたたましく響き渡った。
***
――同時刻。監査執行局・臨時通信室。
薄暗い室内で、オーウェンはいくつかのノイズが走るモニターの前に直立していた。画面の向こう、雪原に佇む第47基地の光景を睨みつけながら、彼はすぐ傍らに立つ男へ向けて、低く報告を口にする。
「……対象の排除には失敗しましたが、現地へ派遣された前衛部隊は全員無事です。局所属の3名は戦闘行動を終了し、司令本部の救護車両にて手当を受けています」
「無事ならそれでいい。命があっただけでも御の字だ」
監査執行局長であるベルトーネが、重いため息をつきながら椅子に身体を預けた。予算を削られ続けた監査執行局の通信設備は、お世辞にも高性能とは言えない。
「司令本部の連中が使う最高級の電子卓に比べりゃ、この通信機器で戦況を追えたのは上出来だろ」
「納得がいきません」
オーウェンはディスプレイに表示された戦闘のログを凝視したまま、硬い声で言葉を続ける。
「あまりにも不審な点が多すぎます。そもそも、前線の最高指揮官であるはずのヘッセン大佐が、二体目の存在を事前に知らされていなかったのがおかしい……。それに、敵の狙いがアトリ君個人に絞られていたことも、司令部側は最初から掴んでいた節がある――情報本部とコンタクトを取り、この案件の背景を開示させるべきだと考えます」
「止めとけ」
ベルトーネはすかさず言葉を遮り、鋭い目線で部下を睨み据えた。
「お前、自分が今どういう立場にいるか分かってんのか?今回の件で、中央のデカい奴らに完全に目をつけられてるんだぞ」
「……今更です。ここで沈黙しては、彼らが、また――」
ピーーーーー、
鼓膜を刺すような高周波の電子割り込み音が通信室に鳴り響いた。監査執行局の暗号回線が外側から強引に書き換えられ、全てのモニターが激しく明滅する。メインディスプレイの文字が光の粒子となって崩れ、そこに軍の最高機密プロトコルを示す赤黒い紋章が浮かび上がった。
司令本部からの直通ホットライン。モニターの最下部に、発信元のIDが、冷酷に表示される。
【司令本部:情報本部長 リヒャルト・クライン中将】
ベルトーネは、コンソールへ手を伸ばそうとするオーウェンを片手で厳しく制した。
「――俺が出る」
ベルトーネは卓上の音声マイクを引き寄せ、声音をビジネス用の硬質なものへと切り替えると、即座に通信を受諾した。
「監査執行局長、ベルトーネ少将であります」
『……オーウェン中佐は、そこにいるかね』
スピーカーから流れてきたのは、妙に穏やかな男の声だった。ノイズ一つないクリアな音声が、逆に不気味さを引き立てる。
ベルトーネはマイクを握ったまま、顔色一つ変えずに淡々と言い放つ。
「申し訳ございません、中将。オーウェン中佐は、先ほどから酷く腹を下しておりまして、用を足しに席を外しました。……少々長引きそうでして、しばらくは戻らないかと。何か伝えることがあれば、私が伺いますが?」
オーウェンは上司のあまりに品のない嘘に絶句した。しかし、ベルトーネは平然とモニターの紋章を見つめ続けている。
受話器の向こうのクライン中将は、肯定も否定もせず、ただ数秒の冷たい空白を置いた。
『……そうか。では、戻ったら伝えておいてくれ。――アトリ・フィンチの身柄を司令本部に移送し、こちらで引き取る。すでに移送班の車両を第47基地へ出した』
ベルトーネの目が、わずかに細められた。デスクを掴む指先に、微かに力がこもる。
「……それは、いかなる理由によるものでしょうか。当人の身柄および事案の管轄は、いまだ我々監査執行局にあるはずですが――」
『理由の説明が必要かね、ベルトーネ少将』
ベルトーネは沈黙した。通信室の冷たい空気の中、電子音だけが規則正しく鳴り響く。しかし、彼はすぐにいつもの軽薄な笑みをその唇の端に、静かに蘇らせた。
「いいえ……。ですが、軍規第47-3条、および組織規範に基づきますと、第二同期ユニットの管轄変更には、指定指揮官たるオーウェン中佐の直接の署名と、当局の電子承認が不可欠であります。手順を無視した超法規的移送は、後々の軍事法廷で致命的な手続き不備となりかねません」
ベルトーネはわざとらしく丁重な口調を崩さず、軍の「法と軍規」を徹底的な盾にして言葉を繋ぐ。
「ついては、オーウェン中佐が用を足し終えて戻り次第、正式な書類を起こし、そちらに移送させていただく手順ではいかがでしょうか」
スピーカーの向こうで、クライン中将が冷徹に鼻を鳴らす気配がした。
『――くだらん事務作業に、付き合わせるつもりか』
「申し訳ございません、中将」
ベルトーネは平然と、だがその両目の奥にある冷たい光をギラつかせながら言い放つ。
「その、くだらない事務作業で軍の規範を守ることだけが、我々の数少ない仕事なものでして……」
張り詰めた沈黙。クライン中将は、ベルトーネのあからさまな抵抗を、まるで羽虫の羽音でも聞くかのように冷淡にあしらった。
『……手続きが完了し次第、速やかに引き渡せ。遅延は許さん』
プツリ、と一方的に通信が切断され、モニターの紋章が静かに消える。
「――――っあああああ! クソッタレが!」
回線が完全に閉じたのを確認した瞬間、ベルトーネは卓上のマイクを殴った。
「何だって、今になってフィンチにそこまで執着してやがるんだ!どの道、司令本部に引き渡したらろくなことになんねえ! オーウェン! お前は今からフィンチが本部に到着するまで、文字通り便所にこもってろ! とにかく限界まで書類の承認を遅らせて、なるべく時間を稼いで――」
そこまで捲し立てたベルトーネは、ふと、隣に立つ部下の顔を見て口を閉じた。
オーウェンは眼鏡の奥の目をさらに細め、顎に指先を添えて、何事かを深く思考していた。この男がこういう顔をしている時は、ろくでもないことを考えていることを、ベルトーネは経験上、嫌というほど知っている。
「……お前……何考えてやがる」
低く据わったベルトーネの問いに、オーウェンは視線だけを滑らせて、酷く穏やかに微笑んだ。
「いえ。大したことでは」
「噓つけ!大したことじゃないツラで、悪魔みてえな計画をぶち上げるのがお前の悪癖だろ!」
ベルトーネはできれば聞きたくない…と思いつつも、怒鳴るように先を促す。
「考えがあるなら早く言え!」
「――アトリ君を現行犯で拘束しましょう」
さらりと、爆弾を放り込まれた。
張り詰めた沈黙の中、オーウェンはただ一人、何事もないかのようににこりと微笑んだ。眼鏡の奥の瞳には、一片の迷いも冗談もない。
「…………あー…聞かなきゃよかった……」
ベルトーネは、ようやく、それだけ言うと頭を抱え、机に肘をついて深い絶望の息を吐き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
もう少しで第一部は終了し、第二部へ入ります。
これからもよろしくお願いします。




