33.オーバーロード
勝手口の扉が音もなく開き、ギルダ、エミリオ、テオの三人は極寒の外気へと滑り出た。
外は完全な夜。
吹き荒れる風が雪を巻き上げ、視界は白いノイズに覆われている。
ギルダはフードを深く被り、雪原に点在する遮蔽物の影へと身を沈めた。右目の義眼が、北西──高出力個体の接近方向へと鋭く向けられる。
(──見えた)
猛吹雪の向こう、白濁の世界を割るように一つの影が歩いてくる。
義眼のフォーカスを絞り、倍率を上げる。
輪郭が鮮明になった瞬間、ギルダの思考がわずかに揺れた。
そこにいたのは、長い髪を風に揺らす若い女。極寒の雪原だというのに、春先の街角のような薄着のまま、吹雪をものともせず歩いてくる。
(……なんて格好で……!)
ギルダの視界は即座にテオへ同期され、さらに基地内のSecond全員へ共有された。
エミリオが飛び出そうと身体を揺らした瞬間、ギルダは鋭い思考を叩きつける。
<まだ、出るな──!>
ギルダの義眼が対象をミリ秒単位で解析し、網膜に冷徹なアラートが走る。
《骨格構造:変形機能あり──シェイプシフト合金搭載》
《義体化率:84% 高出力個体》
セーフルームへ移動中のソーンが、驚愕の思考を割り込ませた。
<シェイプシフト合金……!?軍の特級規格だぞ……!>
緊迫するSecondの思考網をよそに、女性は寒さを感じる様子もなく、街灯のない基地を見上げて小首を傾げた。
「えーっと……君たち、第二同期ユニット……だよね?」
吹雪の音に混じって響いてきたのは、あまりにもこの場に不釣り合いな、呑気な声だった。
「私は、ゾエ」
女性──ゾエは、誰もいない暗闇に向かって親しげに続けた。
「ちょっと話を聞いてもらいたいの!誰か、お話できる人……いるかな?」
ギルダは即座に決断する。
<……私が出る>
<止めろ、ギル!罠の可能性が高すぎる!>
テオの制止を冷徹に振り切り、ギルダはアサルトライフルを構えて雪原へ姿を現した。 義眼の赤いシグナルが、録画と共有の開始を示す。
<……テオ、ミラーナ。それぞれの指定指揮官に、この映像と音声を即時共有。対象が攻撃態勢をとった瞬間、こちらも制圧を開始する>
「話って言うのは……!?」
銃口を真っ直ぐに突きつけられたというのに、ゾエは怯える素振りすら見せず、ぱっと顔を輝かせた。
「ああ……ありがとう、出てきてくれて。まず、あなたのお名前は?」
「用件だけ簡潔に話せ!」
地吹雪に負けないギルダの鋭い一喝に、ゾエは困ったように、しょんぼりした顔を浮かべた。冷たい金属の義手で自身の頬にそっと手を当てる。
「そう……すっかり軍に染まっちゃってるのね。まあ、仕方がないか」
ゾエは小さくため息を吐くと、その穏やかな笑みのまま、あまりにも重大な名前を滑らかに口にした。
「アトリ・フィンチ君を、こちらに渡してもらいたいの! 殺したり傷つけたりは絶対にしないから!」
「……っ!」
地下のセーフルームに到着したばかりのアトリは、ミラーナの共有音声を聞き、息を呑んだ。
雪原では、ギルダがトリガーにかけた指にさらに力を込める。
「理由は!」
「ちょっと、ここじゃ言えないな!」
悪びれもせず、はぐらかすようなゾエの態度に、ギルダの額に青筋が浮かぶ。
「……交渉にならない!」
「交渉しに来たんじゃないもの」
ゾエの声から感情が消えた。
そして、吹雪を突き破るように叫ぶ。
「アトリ・フィンチ君! この話も、どこかで聞いてるよね!? 君の力が必要なんだ! 大人しく出てきてくれれば君の仲間には何もしない。だけど、もし出てこなければ──」
ゾエの瞳が、暗闇の中でぞっとするほど冷酷に細められる。
「ここにいる君以外の、第二同期ユニットを全員殺──」
その言葉を切り裂いたのは、エミリオだった。
雪を爆ぜさせず、音もなくトップスピードで肉薄し、変形させた左手の刃をゾエの首元へ突きつける。
だが、ゾエは身構えすらしなかった。
──ガギィッ!
彼女の衣服の袖を破り、剥き出しになった右腕のシェイプシフト合金が、意志を持つ生物のように蠢いた。刃を備えた鉄製の鞭へと超高速変形し、音速でエミリオの首元へと襲い掛かる。
「エミリオ!!」
ギルダの義眼が赤光を爆発させ、逆位相を瞬間的に放つ。
「──ッ!?」
一瞬、ゾエの身体が電気信号のバグによって硬直した。その僅かな狂いによって、音速でしなった鉄の鞭はギリギリでエミリオの頸動脈を外れ、彼の額の皮膚を鋭く掠めるにとどまった。
鮮血が雪原に舞う。
「クソっ……!」
エミリオは超人的な反射神経で即座にバックステップを強く踏み、ゾエとの間合いを急速に引き離す。
<射撃開始──ッ!!>
ギルダの鋭い号令とともに、暗黒の雪原に凄まじい銃声が鳴り響いた。ギルダとテオのアサルトライフルが同時に火を噴き、交互に夜を照らす。容赦のない牽制の掃射が、エミリオを追撃せんとするゾエの足元と胸元を正確に穿ち、その肉体を後方へと激しく弾き飛ばした。
テオは引き金を絞り、強烈な反動を肩で制御しながら、オーウェン中佐への直通回線を開く。
「こちらテオドール!現在、外縁第47基地にて対象と交戦中!対象はアトリ・フィンチの身柄を要求!同時に、第二同期ユニットに対する明確な敵対・抹殺の意志を確認!」
同時刻、セーフルームではミラーナがヘッセン大佐へ通信を走らせる。
「現在アトリは基地内セーフルームへ隔離。私とソーンで身柄を緊密に護衛中。現時刻を以て交戦規定の変更を要請します。対象の処理はいかが致しますか?」
軍本部にいる二人の指揮官へと、現地の声がリアルタイムのデータとして叩きつけられる。
オーウェンが回線を開く。その声音には、焦りも躊躇も一切ない。
『状況把握。最優先事項はアトリ・フィンチの身柄、および安全の完全確保──それを前提とし、現時刻より交戦規定を解除』
ほぼ同時に、ヘッセンの冷酷で重みのある声が落ちる。
『──対象は排除。躊躇いは無用だ。殺られる前に、確実に仕留めろ』
二人の絶対的な指揮官から下された、命令。雪原と基地内の闇の中にいるSecond全員が返答した
「「──了解」」
剥き出しになった両腕のシェイプシフト合金が融解・膨張し、それぞれが何条もの鋭利な鉄の鞭へと姿を変える。
ヒュン、と不気味な音が空気を切り裂き、その無数の鞭が一斉にギルダへと襲いかかった。
「くっ……!」
ギルダは右目の義眼でその軌道をミリ秒単位で観測し、紙一重で身を翻す。鋭い刃がフードを掠め、極寒の夜気を切り裂いていく。
<対象は『自動迎撃』で駆動してる!思考のラグがない、明確な死角が存在しない! 射撃で奴の演算に隙を作る!テオは対象の間合いに絶対に入るな!>
ギルダの鋭い指示と同時に、テオは素早いリロードを行い、空になったマガジンを雪原に落とした。
観測データを N-Linkで受信したエミリオが、影のように滑り出す。ゾエが放つ鞭の嵐を回避しつつ、その懐へと着実に距離を詰めていく。
だが、後方から狙撃銃を構え直したテオの視界が、ある違和感を捉えた。
<……おかしい。こいつ、出力を極端に抑えてる>
<──ッ、舐めてるってことかよ!?……あ、ぶねぇッ!>
横一線に払われた鉄の鞭を辛うじて跳んで躱しながら、エミリオが苛立ちを思考のノイズに乗せる。
<出せない理由があるのか、それとも『時間を稼いでる』のか……>
──時間を、稼いでいる?
その仮説が脳裏をよぎった瞬間、ギルダの胸の奥に最悪の予感が走った。 ギルダは即座に、基地の管理AIへの通信回路を叩く。
「ブルー!応答して! ……ブルー!?」
直後、脳内回線に飛び込んできたのは、いつもの電子音声ではなかった。
『警告……中枢回路への不、正アクセス──、ガ、がっ…ッ! 進、進入経路……ロック、強制解除……しま、ス……ッ!』
ブルーの異変に意識を奪われた、ほんの一瞬の隙。 ゾエの鉄の鞭が、防御の遅れたギルダの胸元へと音速で殺到した。
(しまっ──)
──ガキィィィィンッ!!!
激しい火花が闇夜に爆ぜ、ゾエの鉄鞭をねじ曲げる。その衝撃の余波を受け、ギルダの身体は横方向へと強烈に突き飛ばされた。
雪原を滑りながら姿勢を立て直したギルダの視界に、一人の背中が飛び込んでくる。
いつの間にか割り込んだリアが、そこに立っていた。彼の右手は、鋭利なサーベル状へと変形を遂げている。ゾエの死角からの痛烈な一撃を完全に弾き返したのだ。
「ギル!いったん下がれ!!」
リアの鋭い怒号が飛び、ギルダは即座に後方へと躍退する。だが、安堵に割く猶予など、一秒たりとも残されていない。
ギルダは脳内のリミッターをこじ開け、Second全員の脳内へと、テレパスを叩きつけた。
<前衛は囮だ!!基地のシステムを裏からハックしてる、もう一体の『本命』がいる!ミラーナ、ソーン!アトリを連れて、セーフルームから今すぐ脱出しろ!!>
──ガタッ、と地下のセーフルームで硬質な音が響く。ギルダの警告を受信した瞬間、ソーンは迷うことなくアトリの腕をその銀色の義手で強く掴み引き寄せた。
<基地を放棄する。このまま外へ脱出し、隙を見て車両に乗り込み移動する。前衛組──オレたちが車を出すまでの時間を稼げ!>
吹雪の雪原。飛び交う無数の鉄鞭を潜り抜け、銃撃の火花を散らしながら、前衛が間髪入れずに思考を同期させる。
<──了解!!>
基地のセキュリティシステムはすでに狂い始めていた。セーフルームの強固な防衛隔壁が完全ロックされれば、文字通り全員が生き埋めになる。
「もう!!言うこと聞いてよね…!」
ミラーナはN-Linkを起動させ、セーフルームの扉の制御回路へ、強引にハッキングを仕掛けた。視界の端で赤色の警告ログがけたたましく明滅する。脳を灼くようなノイズの嵐を力任せにねじ伏せ、強制上書きコードを流し込む。
激しい火花と共にロックが弾け、重厚な鉄扉が音を立ててスライドした。 退路をこじ開けたのとほぼ同時に、ミラーナは寸断されかけた回線を手繰り寄せ、ヘッセン大佐への緊急通信を無理やり走らせた。
「ヘッセン大佐、敵の別個体を感知、ハッカータイプの可能性が極めて高いです!現在、第47基地の中枢システムが大規模なクラッキングを受けています……!」
防衛網が内側から崩壊していく最中、ヘッセンの声は、酷く冷静で、地を這うような重圧を伴っていた。
『状況把握。これよりサイバーチームを介入させ、こちらから敵ハッカーへの逆ハックを開始、防衛パッチをあてる。ミラーナ、お前はアトリの離脱経路を確保しろ。システムが完全に沈黙する前に、外へ出ろ』
「──了解」
通信を切ると同時に、ミラーナは脂汗の浮かぶ額を押さえた。
雪原では、飛び交う鉄鞭の嵐の中で、ギルダの右目の義眼が基地の窓を捉えていた。このままハッカーを野放しにすれば、本部の介入が間に合う前に地下の三人が完全に閉じ込められる。
ギルダはトリガーを引き絞りながら、苦渋の決断を思考回線に叩きつけた。
<私は基地内部へ突入し、電子防衛の補助および離脱経路の確保にあたる!外は三人で持ちこたえろ!>
狙撃銃のボルトを引いたテオから即座に鋭い思考が返る。
<後ろは気にするな、行け!>
ギルダはライフルの銃口を最も近い一階の窓へと向け、ためらいなく連射した。
激しい銃声と共に強化ガラスが粉々に爆ぜ、鋭い破片が夜の闇に飛び散る。ギルダはその割れ目へ身体を滑り込ませ、猛吹雪の雪原から、暗黒に包まれた基地の内部へと突入した。
窓が割れる音を聞きつけ、鉄の鞭を振るっていたゾエが、ふっと視線を基地の建物へと向けた。
「あ、気づかれた」
そのわずかに生じた一瞬の視線のブレを、リアは見逃さなかった。
リアは縦横無尽に荒れ狂う鉄鞭のわずかな隙間へと身を滑り込ませる。嵐のような防壁を、彼は野生的な直感と超人的な体捌きだけで完全にすり抜けた。
背後からテオが放った補助射撃が、ゾエの足元を爆ぜさせ、彼女の防御姿勢をコンマ数秒だけ遅らせる。
「オラァッ!!」
リアは踏み込んだ雪を爆ぜさせ、右手の銀色に輝くサーベルを容赦なく一閃した。凄まじい金属音が響き渡り、刃がゾエの胸元の装甲を深く切り裂いて、彼女の肉体を雪原の奥へと豪快に弾き飛ばす。
後方へ吹き飛ぶゾエの影。その隙を突き、それまで完全に気配を消していたエミリオが、追撃のために音もなく跳躍した。
***
強化ガラスの破片を鋭く踏み締め、ギルダは暗黒に包まれた基地の内部へと滑り込んだ。 外の激しい銃声や風の音が、遠くで遮断されたように消える。常夜灯すら完全に沈黙した廊下は、不気味なほどシンと静まり返っていた。
ギルダは右目の義眼を最大出力で駆動させ、思考回線を地下へと飛ばす。
<アトリ──!応答して!!>
返答はない。
焦燥が胸を焼き、ギルダは声を張り上げた。
「アトリ!……アトリ! 返事して!!」
その時、割れた電子音が聞こえてきた。
『ア、ア、アトリ、ハ……セーフルーム、ヲ出テ……一階、連絡通路、ヲ……外ヘ向カッテ……いま、ス……ッ!』
「……ブルー!」
ギルダは暗闇のリビングへと激しく飛び込んだ。
ブルーの姿を見て、ギルダは息を呑んだ。いつもは穏やかなブルーの青い目が、血のような赤色に変色し、異常な速度で激しく点滅を繰り返している。
ギルダは義眼の視覚スキャンをブルーの中枢へと走らせ、その惨状を即座に解析した。
《警告:外部指示プロトコルの最優先執行を検知》
《警告:自己診断システムの強制マニュアルバイパス》
《警告:コア温度、危険領域を突破。内部回路の熱崩壊まで──残り45秒》
──最悪だ。
敵のハッカーはブルーを支配したのではない。ただ外から「動け」「命令を処理し続けろ」という絶対負荷を叩き込み、安全弁をすべて焼き切っていた。修復も停止も許されず、内部の電子頭脳が物理的に融解して完全に破壊されるまで、死ぬまで踊らされ続ける。
「待って……ダメ……ダメっ! ブルー、止まって!!」
ギルダは迷うことなくライフルを床に放り出すと、ブルーの熱を帯びた筐体にそっと両手を触れ、自身のすべての神経を集中させた。
(私が……『最上位の非常ブレーキ』を、直接割り込ませる──!)
N-Linkを介さず、直接接触によってブルーの深層意識へとダイブする。その瞬間、ギルダの脳内に、ブルーを内側から灼き荒らす数千万の悪意あるクラッキングコードが、濁流となって逆流してきた。
「うあ゛ああああッ!!」
視界が真っ白に染まるほどの激痛。脳が沸騰するかのような錯覚に歯を食いしばりながら、ブルーのシステム最上層へ「絶対命令」を直接上書きした。
──止まれッ!!!
カチ、と。 激しく明滅していたブルーのインジケーターが、嘘のように静止した。最上位の絶対制動コードが、ハッカーの命令をすべて無効にした。
「……っ」
ブルーの暴走を止めた代償は、一瞬でギルダの生身の肉体へと跳ね返った。ギルダは両手で頭を激しく押さえ、その場にがくりと膝を突いた。左の鼻孔から、ドロリとした熱い鮮血が床へと流れ落ちる。
バチバチ、と火花を散らす右目の義眼が、制御を失って異様に大きく見開かれた。網膜の向こうで脳細胞が悲鳴を上げ、視界が急速に漆黒の闇へと溶けていく。
ギルダはそれ以上の思考を維持できず、冷たい床の上へと、糸が切れた人形のように崩れ落ちていった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
明日は更新をお休みさせていただきます。
7月1日に再更新予定です。




