32.急襲
賑やかだった夕食が終わり、第47基地に静かな夜が訪れた。
廊下には電力節約のため最低限の常夜灯だけが灯り、外の闇がそのまま染み込んだような薄暗さが漂っている。
「じゃ、あとは各々自分の部屋で適当にやって」
二階へと続く階段の手前。ギルダが事務的に親指で廊下の奥を指し示すと、ミラーナがすかさず彼女の腕にガシッと絡みついた。
「ねえ、あたしギルと一緒の部屋がいい。いいでしょ?」
「え……嫌だけど。私、近くに人がいると寝られないから」
ギルダはあからさまに眉を寄せ、身を引こうとする。だがミラーナは離さない。
「ええ!? あたし一人で寝るのヤダよ、怖くない!?この基地、なんか無駄に広くて陰気だし、絶対なんか出るって!」
「……なら、男子部屋に行けばいいでしょ、ベッドの数は足りてるんだし」
ギルダの極めて合理的でデリカシーの欠片もない提案に、ミラーナは絶句した。
「冗談でしょ!?むさい男どもと同じ部屋で寝ろって?あんた、同じ部屋で一晩過ごせって言われて、耐えられるわけ?」
「?……別に今さら気にならないけど。任務なら普通にあるし」
「あー!聞く人、間違えた!」
ミラーナは天を仰いだ。ギルダの徹底した「軍人脳」には、女友達としての情緒など通用しない。
二人の不毛なやり取りをすぐ隣で見ていたアトリは、困ったように眉を下げながら、おずおずと片手を挙げた。
「……じゃあ、ぼくの部屋に来る?」
背後の男たち── エミリオ、ソーン、リア、テオが 雷に打たれたように硬直した。四人の視線が、鋭い弾道でアトリへ突き刺さる。
「え? いいの?」
「うん。あんまり広くないけど、一人で寝るのが嫌なら……」
下心など塵ほども感じられない、あまりに無垢な招待。
「アトリ優しいー!ありがとう、大好き!」
ミラーナが抱きつかんばかりに喜ぶ横で、ギルダは冷ややかな視線をミラーナに突き刺した。
「……アトリに変なことしないでよね」
「あんた、あたしを何だと思ってんのよ」
ミラーナが呆れたように鼻で笑う。
その一方で、残された「男ども」は、まだ衝撃から立ち直れずにいた。エミリオは口を半開きにしたまま固まり、リアは目を丸くし、テオはこめかみを押さえ、ソーンすらも表情を消している。
四人は声を出さず、ただ視線だけを互いに交わし合わせた。── そして、全員の脳内メッセージ領域が、完全に一つのコードで同期する。
《アトリ、すげええええ……っ!!》
***
「アトリ、すげええええ……っ!!」
二階の男子部屋に入った瞬間、エミリオはドサッと簡易ベッドに仰向けになって、天井を仰ぎながら限界の声を漏らした。
四つ並んだ無機質な簡易ベッドに、部屋の隅に乱雑に置かれた大型のミリタリーバッグ。十分な広さがあるはずの空間も、体躯の優れたSecondの男が四人も集まると、酷く手狭に感じられた。
彼らは上着だけを脱いで枕元に畳んで置き、頑丈な軍用ブーツを履いたままベッドに身体を横たえている。
一番奥のベッドを陣取ったテオは、何も言わずにさっさと背を向け、眠りにつく体制に入っていた。
「……あれは誰も真似できないな」
ベッドの縁に腰掛け、ソーンがボソッと呟く。
上着を脱いだ彼の両腕は、肩から先が銀色に鈍く光るシェイプシフト合金の義手になっていた。金属の指先をわずかに鳴らしながら、手首の端末を操作している。
「だろ?いい意味でオレたちの間に風穴を空けてくれるっていうかさ」
リアもまた、隣のベッドにゴロンと仰向けに寝転がった。天井の薄暗い常夜灯を見つめながら、どこか穏やかな声を出す。
「記憶がないのに、あいつがいるだけで周りが明るくなるんだよな。おかげでギルも、ちょっとは肩の力抜けたみたいだし。そこだけは本当に良かったよ」
「……記憶がないからじゃねーの。あいつがそんなに明るいのはさ」
エミリオがベッドの上で寝返りを打ち、少しだけチクリと刺すような声音で呟いた。アトリは、自分たちがどれほど摩耗してきたかも知らない。だからこそ、あんなに無邪気でいられるんじゃないのか── 。そんな、割り切れない不満が言葉の端に滲んでいた。
「エミリオさー……」
リアは天井を見つめたまま、声音の温度を一つ落とした。
「昔のアトリを、今のアトリに押し付けんなよな」
「別に……そういうんじゃねーし……」
エミリオは気まずそうに顔を背ける。
「お前も今日一日、あいつらを見てて分かっただろ? ギルは、『今のアトリ』との関係を大事にしてんだよ。四年前の事件のこと、お前がまだ納得できないのは仕方ない。オレだって全部を受け入れたわけじゃないし。だけどさ……もうちょい、時間をくれよ」
リアはそこで言葉を区切り、そっと目を閉じた。
「ギルだって、少しずつだけど、変わってきてる。だからさ、今は余計なことしないで、黙って見守っててやろうぜ。アトリだって、今日のカレーの時に……ほんのちょっとだけ、昔のことを思い出してただろ?」
静まり返った部屋のなか、エミリオはしばらく沈黙していたが、やがて小さく、吐き出すように毒づいた。
「……バカにそんな正論言われると、余計腹立つな」
「おい!誰がバカだ!」
リアがベッドの上でガバッと跳ね起きる。エミリオはそれを完全に無視して布団を頭から被り、壁の方を向いて丸くなった。
── その時、すでに寝たものだと思っていたテオが、低い声で唐突に口を開いた。
「……お前ら、ちょっと静かにしろ」
「あ、わりぃわりぃ。もう寝るからさ……」
リアが苦笑しながら頭を掻いた。
テオがのそりと、ベッドの上に身体を起こした。その目は、すでに睡眠直前のそれではない。兵士の光を宿し、部屋の薄暗い天井の一点を見据えていた。
「いや……違う。変な電波を感じる。微弱だが、サイバーニューロンが拾ってる」
その一言で、部屋の空気が一瞬にして凍りついた。布団に潜っていたエミリオも弾かれたように身体を起こし、リアもまた瞬時に笑みを消して戦闘体勢の気配を纏う。
「……」
ソーンは無言のまま、ホロパッドを展開させた。暗闇のなかに、彼の凍りついたような横顔が浮かび上がる。
テオはソーンをじっと見据え、逃げ場を塞ぐような鋭い声音を投げかけた。
「ソーン。お前、なんか知ってるな?」
「はっ……?」
エミリオが困惑した声を漏らす。
テオはソーンから視線を外さないまま、淡々と、けれど確信を込めて言葉を紡いだ。
「──司令本部が過去に始末し損ねた、高出力の個体。その残滓がこの周辺に潜伏していることは、監査執行局でもとっくに把握してんだよ」
夜の静寂のなか、テオの言葉が冷たく響く。
「隙間風が酷いだの、通信回線がクソだの言ってたが……お前らがわざわざこんな外縁の基地に転がり込んできた本当の理由は、それだろ。隠し事はなしだ。知ってることを全部教えろ」
***
部屋の主であるアトリのベッドから少し離れた壁際に、もう一台の簡易ベッドが設置されていた。
ミラーナは支給された重い防寒上着だけを脱いで枕元に放り投げると、頑丈な軍用ブーツを履いたままの足でベッドへゴロンと横たわった。緊張する風でもなく、相変わらずニコニコと楽しげな笑みを浮かべている。
「そのベッドで大丈夫……?なんか、スプリングも固そうだけど……」
自分のベッドから心配そうに覗き込んでくるアトリに、ミラーナはふふっと笑って手を振った。
「全然だいじょーぶ。前線の野営に比べたら、天国だよ。それにさ、あたしがアトリのベッドに潜り込んだりしたら、ギルに殺されちゃうもん」
アトリが苦笑しながら壁のスイッチを押すと、パチッと音がして部屋の照明が消えた。 窓の外の雪明かりだけが差し込む薄暗い部屋のなか、視界が暗闇に慣れてくると、横を向いたミラーナの瞳がじっとこちらを見つめているのが分かった。
「ねえ、アトリ。あたしに何か教えてほしいこととかないの?」
「え?」
突然の問いかけに、アトリは布団の中で瞬きをした。ミラーナは枕に頭を乗せたまま、淡々と、けれどどこか突き放したような心地よい声音で言葉を続ける。
「あたしはね、他のSecondたちと違って、過去に背負ってるものなんて、これっぽっちもないの。だから大体の歴史は、フラットに、客観的なデータとして話せるよ。八年前、なんでアトリが機能停止しちゃったのかとか、四年前の事件でギルが何をしたのかとか。知りたければ、なーんでも教えてあげる」
アトリに対して差し出された、禁断の過去への鍵。アトリは天井の微かな光を見つめ、少しだけ、ぽつぽつと思考を巡らせた。そして、ゆっくりと寝返りを打ってミラーナの方を向くと、穏やかに微笑んだ。
「じゃあ……ミラーナのことを教えてほしいな」
予想外すぎる答えに、ミラーナはぽかんと口を開けた。数秒のフリーズの後、「あはは!」と小さく声を立てて笑い出す。
「あたしのこと!? あはは、ホントにアトリって変!」
「変かな?」
「変だよー。普通は自分の過去とか、この世界の裏側とか聞くでしょ。……で? あたしのことって、例えばどんなこと?」
「うーん……ミラーナって、どんなことが得意なの?」
純粋な好奇心に満ちたアトリの言葉に、ミラーナは天井を見上げ、自分のスペックを脳内でなぞるように人差し指を振った。
「あたしは超シンプルだよ。通信の傍受、暗号化、回線の安定。以上! ──あ、あとね、知ってた?テレパスって、個人の資質によって発信・受信できる有効距離にすっごく差があるの。あたしは今の時点では全個体の中で一番通信距離が長くて、調子が良ければ500メートルくらい先まで届くかな。あたしが中継に入れば、ちょっとだけみんなのテレパス可能距離も伸ばせるんだよね」
ミラーナは指先を止め、枕に頭を乗せたまま、どこか他人事のように言葉を続ける。
「……まあ、胸を張れる特技なんてそのくらいかな。N-Linkでの浅層ハックも多少はできるけど、そんなのSecondのスペックなら誰だってできる標準機能だしね」
ミラーナはそこで少しだけ目を細め、自嘲気味な笑みを浮かべた。
「エミリオなんかはさ、『代替不能にならなきゃいけないんだ!』って、いっつも暑苦しいこと言ってるけど……あたしは違う。機器をいくつか揃えて何人か集めれば、いくらでも代替可能なの」
「だから」と、ミラーナは小さく息を吐き出す。
「あたしには、変なプライドもプレッシャーもないんだよね。その点、ギルとかは本当に大変。戦闘も観測も指揮も隠密もできる、ヘッセン大佐のお気に入りだった多機能の超ハイスペック個体だから」
薄暗い天井を見つめるミラーナの瞳に、ほんの一瞬だけ、酷く冷ややかで現実的な光が宿る。
「皮肉だよねー。優秀で、代替が利かない特別な人ほど、先に潰れちゃうんだもん」
「……ミラーナは、ミラーナしかいないんじゃないかな」
静かな闇の中に、アトリの温かい声音がぽつりと落ちた。
「え……?」
ミラーナは弾かれたように目を丸くし、隣のベッドで自分をじっと見つめているアトリの顔を見た。
「……えへへ。ありがとう、アトリ」
ミラーナはくすぐったそうに毛布を少しだけ口元まで引き上げ、けれど本当に嬉しそうに目を細めた。小さく息を吐き出しながら、どこか納得したように呟く。
「そっかー……ギルが、あんなに柔らかくなった理由が、なんとなく分かった気がするなー……」
そんなミラーナの独り言を遠くに聞きながら、アトリの意識は急速に眠りへと引きずり込まれ、瞼が重く閉じかけ、うとうとし始める。
──その時、ベッドのシーツが小さく擦れる音がした。
「ねえ、アトリ。お礼に、いいこと教えてあげる」
ミラーナの声音から、さっきまでの柔らかさがすっかり消え失せていた。
ハッとしてアトリが微かに目を開けると、ミラーナが簡易ベッドの上に静かに身体を起こしていた。雪明かりに照らされた顔は、冷徹なそれに切り替わっている。
ミラーナは、アトリのベッドの脇に脱ぎ捨てられている頑丈な軍用ブーツを、静かに指差した。
「靴……今のうちに、ちゃんと履いておいた方がいいよ」
***
照明を落とした完全な暗闇の中、ギルダは一人、椅子に深く腰掛けて煙草を吸っていた。彼女に換装された高性能な義眼は、暗視モードによって光のない室内のすべてを白黒の輪郭として克明に捉えている。
紫煙を細く吐き出しながら、ギルダは不機嫌そうに低く呟いた。
「……だから同じ部屋は嫌だって言ったんだよ……」
ギルダは、ソーンたちがわざわざこの地へと転がり込んできた、本当の理由を察していた。
手元の灰皿に煙草の火を押し付け、Second全員の脳内領域へとテレパスを飛ばす。
<──で、何体いるの>
ソーンのノイズレスな思考が返ってきた。
<こちらで把握しているのは一体だけだ>
<狙いは>
<──アトリだ>
ギルダは小さく、短いため息を吐き出して立ち上がった。
すでにテオは、隅に置いたミリタリーバッグから分解されたアサルトライフルを取り出していた。一切の無駄がない、手慣れた精密な動作でパーツを黙々と組み立てていく。
カチャカチャという静かな金属音だけが響く中、ソーン、リア、エミリオの三人は枕元の上着を素早く羽織り、戦闘モードへと切り替える。
廊下に、音もなく全員が合流する。
テオは手際よく、組み立てを終えたばかりのアサルトライフルをギルダとミラーナの手にそれぞれ滑らせた。使い慣れた鉄の重みが手に馴染む。
「位置は」
ギルダの短い、冷徹な問い。
「北西約300メートル。移動速度は早くない、恐らく徒歩だ。──あと二分でこの基地に到着する」
テオの正確な観測報告に、ギルダは迷わず判断を下す。
「私と、エミリオ、テオで外に出て斥候する。アトリは、ミラーナとソーンの誘導でセーフルームへ移動。リアは後発。状況次第で参戦。対象を視認次第、各指揮官へ状況報告。──以上」
「「「了解」」」
「な……何?」
急転直下の状況に、アトリだけが狼狽した声を上げる。そんなアトリの前に、ソーンが立ち塞がった。
「高出力の違法規格がお前を狙いに来てる」
「えっ……ぼくを!?」
「命を狙っているのか、それともお前の身柄そのものが目的なのかはまだ分からん。とにかく、すぐに移動するぞ」
ソーンがアトリの背中を押し、ギルダ、テオ、エミリオの斥候組の三人は、音もなく一階へと階段を駆け下りていった。
「ギルダ……!」
去っていくギルダの背中にアトリが思わず声を上げようとした瞬間、ミラーナがすかさずその口元を手で覆い、人差し指を唇に当てた。
「しっ」
同時に、アトリの脳内にミラーナの思考が直接流れ込んでくる。
<ここからはテレパスで話すよ、アトリ。声を出すのは禁止>
一方、一階のリビングへと滑り込んだギルダ、テオ、エミリオの三人は、外へ繋がる勝手口の前に並んだ。ギルダは壁のセンサーへ向けて短く命じる。
「ブルー、私たちが出たら基地のすべての進入路を強制ロック。外周監視モニターの録画を開始して」
リビングのスピーカーから、いつもと変わらない、けれどどこか厳格な電子音声が響いた。
『了解しました。外部隔壁閉鎖、これより全防衛セクターの監視録画を開始します。──ご武運を』
ギルダの右目の義眼が、赤い光を放って処理速度が跳ね上がる。その隣で、テオはアサルトライフルのボルトを静かに引き、薬室に初弾を送り込んだ。エミリオは鋭い眼光を外の暗闇へ向けたまま、防弾仕様のフェイスカバーをグイと口元まで引き上げる。
バチ、と、リビングのすべての照明が完全に遮断され、第四七基地は迎撃のための完全な暗黒へと包まれた。
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