31.カレーの記憶
「ギルダー!アトリー!避難させてくださーい!っていうか泊めてくださーい!」
外壁のスピーカーを伝って、ミラーナのあまりにも能天気な声が第47基地に響き渡った。
「??????????」
ギルダの脳内にクエスチョンマークが頭の中に浮かび上がる。咥えたばかりの煙草が、火も点けられないままポロリと床へ落ちた。
二階の空き部屋にいたアトリが慌てて窓を開け、冷たい外気の中に顔を出す。
「どうしたのー!司令本部に帰ったんじゃなかったのー!?」
「それがさー!ちょっと聞いてよアトリ!っていうか、寒すぎて死んじゃうから中に入っていーい!?」
下から見上げるミラーナは、すでに寒さでガタガタと震えている。ギルダは深すぎる溜息を吐きながら、重い足取りで入り口の扉を開けた。
「なんなのホントに……嫌がらせなら他所でやって……」
「お邪魔しまーす!ああ暖房最高!生き返るー!」
ミラーナはギルダの愚痴を完全にスルーしてさっさと滑り込んできた。外に残された軍用車両からは、深くフードを被ったソーンと、この世の終わりみたいな渋い顔をしたエミリオが、肩をすぼめて降りてくる。
「突然すまない……」
ソーンが申し訳なさそうに眉を下げて入ってきた。その後ろで、エミリオはギルダと目を合わせようともせず、気まずそうにそっぽを向いている。
「……わざわざこんな外縁の基地に何の用?」
床の煙草を拾い上げながら、ギルダがジト目でソーンを睨む。ソーンはどこか遠い目をしながら、冷えた両手を擦り合わせた。
「オレたちは数日間、この周辺の外縁地域を調査する予定だったんだが、司令本部が用意した簡易宿泊所が想像以上に劣悪でな。隙間風で部屋が凍りついている上に、通信回線がクソすぎて、データが一切送れず、ミラーナが発狂した」
「あんなの絶対ムリ!人権侵害だしSecond虐待だよ!何で司令本部って現場への気遣いができないかなー!」
リビングのソファに陣取ったミラーナが、大仰に身振り手振りを交えて司令本部の悪口をぶちまける。ソーンは彼女の我儘には慣れっこなのだろう、特に嗜めることもなく淡々とギルダに向き直った。
「そしたら、ここの基地が近いことに気づいて、藁にも縋る思いで来た。ギル、一晩だけでいい、部屋と暗号化された太い回線を貸してくれないか」
ギルダは心底呆れ果てて、ソーンに同情の視線を向けた。
「はあ……よく毎日キレないでいられるね、ソーンは。……別に回線くらいは使えばいいけど、うち、今日は他にも『先客』がいるよ。それでもいい?」
「先客?」
ソーンが不審そうに首を傾げた、その時だった。
「あれ!なんだ、お前らも来たのかよ!」
ドタドタと賑やかな足音と共に、二階の階段からリアが顔を出した。そのすぐ後ろからは、ベッドのシーツを抱えたテオが、これまた面倒くさそうな顔で覗き込んでいる。
その顔ぶれを見た瞬間、玄関口で縮こまっていたエミリオの目が、これ以上ないほどカッと見開かれた。
「はあーーーーーっ!?なんでここにいんだよ!!」
エミリオの絶叫が、基地の天井を激しく揺らした。
リアは階段の手すりを器用に滑り降りるようにして、リビングへと着地する。そのままエミリオに向かってずいずいと歩み寄る。
「おう、エミリオ!お前、この前はヘリクスで余計なことしてくれたじゃんか!」
そこへ、ソファでぬくぬくと暖まっていたミラーナが、待ってましたとばかりに加勢する。
「そうだよリア!しかもこいつ、アトリに四年前のことも勝手に全部バラしたからね! 最低でしょー?」
「はあ?マジで!?」
リアの目が、途端に据わった。
「お前さあ…どんだけ引っ掻き回せば気が済むんだよ!とっちめてやるから表出ろ!」
「上等だ、脳筋が……!ぶっ潰してやる!」
入ってきたばかりの玄関の鉄扉をリアが乱暴に蹴り開ける。エミリオも怒りで顔を真っ赤にしながら、その後に続いて猛烈な勢いで外の極寒へと飛び出していった。再びバン、と大きな音を立てて扉が閉まる。
「ちょっと!扉壊すな!!」
背後から響いたギルダの切実な怒声も、すでに血の気の上った二人の耳には届いていない。
ソーンとミラーナは、止める素振りすら見せず、二階の階段の途中にいたアトリだけが、「え……?」と完全に置いてけぼりを食らった顔で固まった。
「……あの、止めなくていいの?」
おずおずと尋ねるアトリの後ろを、テオがため息をつきながら通り過ぎた。抱えたシーツの位置を直しながら、二階の寝室へと向かう。
「アホとバカはほっとけ。外の寒さで少しは頭が冷えるだろ」
「はあ……」
鉄扉の向こうからは、二人の怒声と、鈍い打撃音が響いてくる。
アトリはハラハラしながらも階段を下り、リビングの一階へと向かった。真っ先に台所の冷蔵庫を開け、中身を確認する。突如膨れ上がった「七人分」の今夜の夕食をどうやって用意しようかと頭を抱える。
そんなアトリの切実な背中に、リビングのソファでまだ処理落ちの余韻を残していたギルダが、静かに声をかけた。
「アトリ。みんな食料は持ってきたみたいだから、そんなに気にしなくていいよ」
「そうなんだけどさあ……どうせブロック状の携帯食とかゼリーとか、そんな感じでしょ?治安部隊からもらったカレーがあるけど……さすがにこの人数だとちょっと足りないしな……」
その時、アトリに通信が入る。画面に表示されたのは、昼間に詰め所で別れたばかりの、外縁治安維持部隊のファンの顔だった。
『あ、アトリ?――昼間にカレー作りすぎちゃったみたいでさ、結構な量が余ってんだ。よかったら今からもっと持ってってやろうか?』
まさに、天から垂らされた蜘蛛の糸。絶望的な食糧難に直面していたアトリは、身を乗り出して叫んでいた。
「いる!!」
『うおっ、お、おう……!?』
あまりにも食い気味で必死すぎる返答に、通信の向こうでファンが物理的にのけぞったような気配が伝わってくる。
『そ、そうか……お前、本当にカレーが好きなんだな……そんなに喜んでもらえるなら作り甲斐があったよ』
「うん! すっごく助かる! 今すぐ欲しい!」
すると、その会話を近くで聞いていたブルーが、滑らかな駆動音を立ててアトリの足元へとやってきた。丸い眼をチカチカと明滅させながら、その小さなアームで、基地の厨房から「鍋」を器用にバランスを取りながら抱えてくる。
『カレーの回収を代行します』
「あ、ブルー、ありがとう! ファン、今からブルーを詰め所に向かわせるから、その鍋に詰めてもらえる!?」
『あ、ああ、了解……じゃあ、ブルーが来たら大盛りで持たせるわ……なんか、お前のところ、後ろですごい音してないか?』
スピーカー越しに、外から響く「ドスン! バキッ!」というリアとエミリオの激しい肉弾戦の音が拾われていたらしい。
「あはは、気のせいだよ! じゃあブルー、よろしくね!」
アトリは引き攣った笑顔のまま通信を切り、ブルーの丸い頭をぽんと叩いた。
『了解しました。安全かつ迅速にカレーを搬送します』
***
「「カレーだぁあああああああ!?」」
外から戻ってきたリアとエミリオが、リビングに充満する香ばしいスパイスの匂いと、テーブルに鎮座する特大の鍋を見て、驚愕したように声を揃えて叫んだ。
二人の髪や肩に雪がついており、顔にはうっすらと殴り合った赤みが残っている。
ギルダはリビングの壁に背を預けたまま、心底やれやれといった風に二人を睨みつけた。
「やっと帰ってきた……ふたりのベッドと布団、テオとソーンが二階に運んでセッティングしてくれたんだからね。ちゃんとお礼言って」
リアとエミリオは直立不動で頭を下げた。
「「ありがとうございます」」
その時、別室で本部に向けた暗号データの送信を終えたミラーナが、すっかり疲れ果てた様子でリビングに戻ってきた。しかし、空間を満たす幸福な匂いを嗅いだ瞬間、その目がぱっと輝く。
「あー!いい匂い!本部の回線トラブルで死にそうだった脳に染みるー!」
「あ、ミラーナお疲れ様。そういえば、みんなカレー嫌いじゃない? 食べられる?」
お玉で寸胴鍋をぐるぐるとかき混ぜながら、アトリがふと思い出したように尋ねた。リアが身を乗り出して即座に否定する。
「全員好きに決まってんじゃん!」
「……その前に、お前ら。その格好のまま食う気か?」
テオが、二人の雪まみれの衣服を冷ややかに指差した。
「着替えてこい。床が汚れる」
「すぐ着替える!」
「分かったよ……」
二人が大急ぎで二階へ着替えに走っていくのを見送りながら、アトリはお玉をテキパキと動かした。湯気の立つ配給用の合成米の上に、ゴロゴロとした具材が溶け込んだ黄金色のルーを器用に注いでいく。
「はいこれ、あっちのテーブルに運んでくれる?」
アトリが声をかけると、リビングにいる面々が自然と皿を運び始めた。
そのあまりにも自然に「家事」をこなすアトリの様子に、防寒上着を脱ぎ、インナーの黒い軍用シャツ一枚になって戻ってきたエミリオが、眉をひそめてギルダに不満げな視線を向けた。
「なにお前……いつもアトリに飯の仕度させてんの?」
「外縁では、勝手ご飯は出てこないの。動かないならエミリオの分はナシ」
エミリオが口を尖らせると、アトリがくすくすと笑った。
「ぼくが好きで作ってるんだよ。これがぼくの役割なんだ」
「ほら、アホは引っ込んでろ。……アトリ、これ運んでいいか?」
いつの間にか背後に立っていたソーンは、すでに両手に皿を抱えていた。
「うん、お願い!」
七人分の食器がずらりと並ぶと、いつもはガランとして広く感じられる4基地のテーブルが、今は少し窮屈に見えた。だが、全員が席につき、スプーンが一斉に動き出すと、それまでのギスギスした文句や諍いが嘘のように、リビングが静かになる。
ただ、全員が猛烈な勢いで温かいカレーを頬張る音だけが響いた。
「んー! 美味しい!!」
ミラーナが頬を膨らませながら嬉しそうに声をあげる。彼女は一息つくと、ふとスプーンを持った手を止め、湯気の向こうにある面々を見渡した。
「こんな風にみんなで集まって普通のご飯食べるの、めちゃくちゃ久しぶりじゃない?」
その言葉に、黙々と皿を空にしていたソーンが、ふっと視線を落としてボソッと呟く。
「……昔、カレーのお代わりを賭けて、全員で模擬戦したよな」
「あったあった!」
リアが懐かしそうに声を弾ませ、スプーンを大きく振り回した。
「あの時のエミリオ、マジでえげつなかったよなー!見たことないようなスピードで突っ込んできてさ!」
「お前だって、殺気全開で殴りかかってきただろ」
エミリオが言い返す。
「夕食がカレーだって分かった瞬間、どいつもこいつも目の色変わるから超怖かった」
ギルダもまた、スプーンを置いて静かに目を細めた。
「みんな、実戦以上のキレだったもんね。ただお代わりへの執念だけで動いてた」
「はは、懐かしいな……」
テオが呆れたように、けれど愛おしそうに小さく笑う。
楽しい笑い声。食器が触れ合うカチャカチャという音。鼻腔をくすぐるスパイスの匂い。――それらが、アトリの脳内の特定のセクターを、唐突に激しく刺激した。
(あれ……?)
アトリの手が、ぴたりと止まる。
目の前の光景が、激しいデジャヴとなって脳裏を揺るがす。
……
…
『んじゃ、オレおかわりーーっ!!』
白い制服を着た、あどけなさの残る顔のリアが、負けたチームを見ながら、これみよがしなガッツポーズを決め、イエーイと煽りながら席を立つ。
『くそっ……! 腹立つ……!』
隣では、まだ声変わりもしていない幼い声音で、ソーンが悔しそうに小さな拳でテーブルを叩いていた。
勝ち組の特権である二杯目のカレーを前に、リアは嬉しそうに口の周りを黄色くして、もぐもぐとスプーンを動かしている。
ふと、リアの視線が、負けチームのテーブルへ向いた。エミリオが、長い前髪で小さな顔を隠すようにして、じっと俯いている。その小さな肩が、小刻みに震えていた。
『すう、……っ、ぐすっ』と、小さな鼻をすする音が響く。
その異変に気づき、リアの口からスプーンがポロリと落ちそうになった。
『え………?ちょ、エミリオが泣いてんだけど!?』
リアの大声に、食堂内の全視線がエミリオに集中する。
『お前、そんなにカレーが食いたかったのかよ!?』
隣にいたテオが呆れたように溜息をついた。
『……お前が調子に乗って煽るからだろ』
『え、オレのせい!?』
本気で焦りだすリアを余所に、アトリは自分の皿を抱えてエミリオの席へと歩み寄った。
『……エミリオ、ぼくの半分あげるよ』
『私のも……まだ手をつけてないから、た、食べる?』
車椅子の少女もおずおずと、自分の皿を差し出す。
優しさが空回りする一同を見て、ミラーナが呆れたように深い溜息をついた。
『違うってば、みんな。こいつ、おかわりが欲しくて泣いてるんじゃなくて、リアに勝てなくて泣いてんの』
その言葉が図星だったのか、エミリオはついに顔を跳ね上げ、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、大声で泣き叫んだ。
『うえっ……ぐすっ……! もうちょっとで……!もうちょっとで、勝てたのにぃぃ……っ!!』
……
…
「――アトリ? どうしたの、スプーン止まってるよ」
隣に座るギルダの静かな声に、アトリはハッと我に返った。急速に白濁した視界がピントを結ぶ。目の前には、今や自分よりもずっと身体が大きく、逞しくなった仲間たちの姿があった。
アトリはゆっくりと口を開き、脳裏に浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「あのさ……昔、カレー食べられなくて……エミリオって泣いてた…?」
カチャ、と誰かのスプーンが皿に当たる音がした。
次の瞬間、エミリオの顔が、耳の根元まで急速に真っ赤に染まっていった。
「……お前さあ!ほんとは全部覚えてて、オレをおちょくってんだろ!」
「え!? ち、違うよ!!」
立ち上がって机に身を乗り出すエミリオに、アトリは慌てて両手をブンブンと振った。
「なんか、今、みんなでカレー食べてたら、頭の中に突然その映像が浮かんだっていうか……!」
「ウソつけ!よりによってなんでそんな黒歴史から思い出だすんだよ!もっとこう、格好いい戦闘ログとか色々あるだろーが!」
「――あはははっ!」
突然、ギルダが声をあげて笑い出した。いつも冷静な彼女が、お腹を抱えるようにして明るく笑っている。その滅多に見られない姿に、リビングの全員が少し驚いた視線を向けた。
「おい、笑うな!」
顔を真っ赤にしたエミリオが抗議するが、ギルダは涙を拭いながら息をつく。
「ふふっ……だって、最初に思い出す記憶がそれ!? 面白すぎるでしょ……あはは!」
「もう、最悪だ……」
エミリオが完全にへそを曲げ、ぶつぶつと呪詛を吐きながら席に座り直す。そんな彼の肩を、リアがガシガシと叩いて爆笑しながら宥めた。
「まあ、良かったじゃん!これをきっかけに、いろいろ思い出せるかもだし!ははっ!」
「そうかなあ?」
アトリがスプーンを咥えたまま小首を傾げると、ソーンがいつも通りの低い声で、けれどどこか気遣うように言った。
「焦んないでいいだろ。ゆっくりで」
「うん」
アトリは小さく頷き、温かいカレーをもう一口運んだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ほっこり回はここまで。
次回から不穏な空気に……




