30.今の話を
「――アトリ。いくよ」
鼓膜を叩いたのは、感情の起伏を一切削ぎ落とした、あまりにも冷徹な声だった。
スクラップ工場の入り口。傾きかけた夕陽を背に、ギルダは微動だにせず佇んでいた。工場地帯の隙間を吹き抜ける冷たい風が、彼女の銀髪を激しく揺らす。その凍りついた瞳は、エミリオでもソーンでもなく、ただ真っ直ぐにアトリだけを捉えていた。
あまりの威圧感に、周囲の空気が物理的な重さを伴って静止する。
「ギル、お前……」
ソーンが張り詰めた空気を破るように、何かを言いかけて口を開いた。だが、その言葉が紡がれるより早く、アトリが躊躇なく一歩を踏み出した。
「ギルダ。昔、復元局と司令本部を襲撃したって、ほんと?」
ソーンとエミリオ、そして一歩引いたところにいたミラーナが、同時に目を見開く。
予想していなかったのは、質問の内容ではなく──それを、今ここで、ためらいもなく真正面から聞いたことだった。
ギルダは、言葉を失ったように微かに唇を震わせた。
「……」
すぐに視線を横に流し、エミリオを鋭く射抜く。エミリオはギルダの殺気混じりの視線から決して逃げず、顎を突き出すようにして静かに言った。
「……オレが話した。アトリだけ何も知らないのは、違うだろ」
短い沈黙のあと、ギルダは小さく息を吐いた。
「……そうだね。その通りだ」
そして、再びアトリへと向き直る。今度は視線を逸らさなかった。過去からも、眼前の少年からも、逃げることを自分に許さないかのように。
「本当だよ。武器を持たない非戦闘員の研究スタッフも、施設を警備していただけの兵士も……命乞いされても関係なく、全員殺した」
一拍置いて、続ける。
「それだけじゃない。あの時、リアとテオに力ずくで止められていなかったら……私はそのまま司令本部に突入して、あそこにいる人間を、できるだけ多く殺すつもりだった」
剥き出しの苛烈な殺意が、数年が経った今もなお、冷たい言葉の端々に確かに宿っている。ギルダは小さく、自嘲するように目を伏せた。
「記憶のないアトリを混乱させたくなかったって言いたいけど……それは言い訳だね。アトリに、なんて思われるかが怖くて。だから、黙ってた」
それだけを言い切ると、ギルダは唇を強く結び、それ以上は自身の弁護も、言い訳も、何一つ付け足さなかった。
「……なんでそんなことしたの?」
アトリの問いは静かだった。責める色も、疑う色もない。
ギルダの目が、わずかに細くなる。感情が消える、あの目だった。
「悪いけど──説明する気はない。分かってもらおうとも、許してもらおうとも思っていない」
「……ほらな。いっつもそれだ」
エミリオが小さく吐き捨てる。
ギルダは、じっとアトリを見つめ返した。その瞳は、覚悟を決めた人間特有の、酷く乾いた光を宿している。
「アトリ、どうする?私がしたことを知って、一緒にいたくないなら、それは仕方ない。私に引き止める権利はない」
突き放すようなその言葉に、アトリは、ちょっとだけ眉を寄せてムッとした表情を浮かべた。
「ギルダ。それはちょっと、ずるいよ」
アトリの口から出たのは、怯えでも拒絶でもなく、明確な『不満』だった。予想外の温度の言葉にギルダの表情が、わずかに動く。
「ぼくは記憶がないから、過去を基準にはできない。だから、今のギルダを見て判断するしかないんだ。逃げ道を先に出されると、それすらできなくなる」
アトリは一歩、また一歩と、ギルダとの距離を詰めていく。
「ぼくは、今のギルダを知りたい。昔の話じゃなくて、今の話を、ぼくにして」
ギルダは痛みを堪えるように、ゆっくりと目を閉じた。
彼女の中で、激しい葛藤が渦巻いているようだった。
長い、沈黙のあと。
ギルダはそっと目を開けると、掠れた声を漏らした。
「……本音を言うなら。私は、これからもアトリと一緒にいたい」
その声は、いつもと異なり、どこか弱く、触れれば壊れそうなほど脆い。
「でも、それでアトリを不安にさせたり、余計なものを背負わせることになるなら……引き止めたくない……そんな感じ、かな」
不器用につむがれた、しかしこれ以上ないほど誠実な彼女の「今の考え」。それを真正面から受け止めたアトリは、小さく息を吸い込むと、なんでもないことのように微笑んでみせた。
「わかった。だったら、ぼくはギルダと一緒にいる。不安になるかどうかは、なってから考えればいいし、少なくとも、今は嫌だなんて思ってない」
ギルダの肩から、わずかに力が抜ける。その顔に、心の底からほっとしたような柔らかな表情が浮かび上がった。
「そう……ありがとう」
次の瞬間──まだ何か言いたげだったエミリオの頭を、ソーンが容赦なく掴み、力ずくで押し下げた。
「痛ぇっ!? なにすんだよ、ソーン!」
「ギル。勝手に話して悪かった」
抗議する相棒を片手で完璧に押さえつけながら、ソーンはギルダに向かって頭を下げた。
「それからアトリ。お前に対しても、こちらの主観や余計な感情まで背負わせるような、フェアじゃない言い方になった。その点については謝罪する」
ギルダは一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたが、すぐに柔らかく首を振った。
「いや……いいよ。むしろ、助かった。私一人じゃ、いつまで経っても打ち明けられなかったと思う」
「チッ……!」
ソーンの拘束を強引に振り払い、エミリオがばっと顔を上げる。彼は怒りと気まずさがごちゃ混ぜになった顔で、ギルダを睨みつけて吐き捨てた。
「勘違いすんなよ! オレは、お前のやったことについても、その態度についても、まだ納得いってねえからな!」
「はいはい……」
ギルダのぞんざいな生返事に、エミリオはさらに眉を吊り上げて地団駄を踏む。
その様子を、少し離れた鉄骨の影で腕を組んで見ていたミラーナが、大きなため息と共につかつかと歩み寄ってきた。彼女は分厚い防寒コートをぎゅっと身体に寄せ、不機嫌そうな声をあげる。
「ねえ! もういい!? あんたらがそこで痴話喧嘩だの熱い告白だの繰り広げてる間に、こっちはスキャンデータ全部送り終わったから!この工場、遮蔽物がなさすぎて超寒いんだけど!」
ソーンもどこか苦笑を滲ませるようにして頷いた。
「ああ、悪かったな。長居する理由もない、撤収しよう」
***
スクラップ工場をあとにした一同は、それぞれの車両に分乗して撤収の途についた。
後部座席に座るアトリは、窓の外を流れていく外縁の荒涼とした景色を眺めながら、運転席のギルダの顔をそっと盗み見た。
ハンドルを握る彼女の表情からは、先ほどの工場での張り詰めた気配は消え、いつもの静かな横顔に戻っている。フロントパネルの電子音が響き、ギルダはオーウェンからの通信を受けながら、ハンズフリーで言葉を交わしていた。
『──ということで、今回はギルダ君とテオ君の迅速な連絡のおかげで、司令本部の不穏な動きに早急に対処できました。局長も褒めていましたよ、ありがとうございます』
「いえ、お役に立てて良かったです……審問中だったと思うのですが、そちらは大丈夫でしたか?」
『ええ……局長特権とやらで、審問の時間を半分以上削られましてね。審問相手には気の毒でしたが、私の意思ではありませんので』
スピーカーの向こうで、オーウェンがぶつぶつと文句を並べる。ギルダが苦笑を浮かべたのも束の間、その声がいつもの事務的なトーンへと切り替わった。
『──さて、本題です。外縁に正体不明の高出力個体がいるというのは間違いありません。リア君とテオ君を調査の増員としてそちらに向かわせました。数日間、そちらの第47基地に泊めてあげてください』
「はい。………え?」
ギルダの声が裏返った。
『ああ、安心してください。食料や着替えはもちろん持たせていますし、滞在費ももろもろ監査執行局の経費で落としますから大丈夫ですよ』
「いえ…あの、そこではなく……」
『彼らは一時間ほど前に本部を出発したので、もうそちらに到着しているかもしれません。では、よろしくお願いしますね』
「え……っ、あのっ、中佐……!」
非情な電子音が響き、通信が一方的に切断された。
ハンドルを握ったまま、ギルダは完全に動きを止めていた。目に見えて脳内プロセッサが処理落ちを起こし、フリーズしている。
そんなギルダとは対照的に、後部座席のアトリは身を乗り出すようにして、嬉しそうに声を弾ませた。
「……リアとテオが、こっちの基地に来るの!?」
「そう…?みたい???」
ギルダはバックミラー越しにアトリを見るが、未だに大混乱中で、オーウェンに言われたことを飲み込めていないようだった。
***
そうして混乱を乗せた車が第47基地に到着すると、敷地内にはすでに、軍用車両が一台、堂々と停車していた。
ギルダが車を止めるのとほぼ同時に、その軍用車のドアがバン! と勢いよく跳ね上がる。
中から飛び出してきたのは、輝くような笑顔を浮かべたリアだった。はちぎれんばかりに大きく手を振りながら、こちらへと駆け寄ってくる。
「ギルー! アトリー!来ちゃったー!」
外縁の冷たい空気などものともしない、圧倒的なエネルギーの塊が、フリーズしたままのギルダへと文字通り突撃してきた。
その後ろからは、大きな軍用バッグを両手に抱えたテオが、重そうな足取りで降りてくる。彼は駆け出していく相棒の背中に向かって、呆れたように怒鳴り声をあげた。
「おいリア、自分の荷物くらい自分で運べ!」
「ひとつ持つよ!」
アトリは小走りでテオの元へ駆け寄り、その手から大きな荷物を率先して受け取る。
「ああ、悪い。助かる」
ギルダは未だに事態を脳内で処理しきれないまま、気がつくとテオのもう一つの荷物を受け取っていた。そうしてよくわからないまま、流れるような手際で基地の重い鉄扉を開け、二人を中へと招き入れる。
ギルダが混乱しているのをよそに、アトリの動きはテキパキとしていた。
「えっと……部屋自体はいっぱいあるんだけど、布団とベッドがどこにあったかな……。ちょっと見てくるね!」
アトリは預かった荷物を床へ置くと、そのまま軽い足取りでトントンと二階へ上がっていく。
初めて入る第47基地の中を、リアは物珍しそうにキョロキョロと見回していたが、ふと、リビングの電源ポートに繋がっているブルーを発見して足を止めた。
「……え、なんか……まるっこいのがいる!」
リアは興味津々といった様子で、そのブルーの機体へと顔を近づけた。
「なにこれ。ロボ?可愛いんだけど」
人間の接近を感知し、ブルーのシステムが起動する。スムーズな動作で、ブルーは充電ポートから出て、その姿勢を正した。光学レンズの焦点を絞り、丸い眼でリアを正面から捉える。
『総合支援ユニット・ブルーです。──リア・レノックス、テオドール・アッカーを視認しました』
「えっ……」
スピーカーから流れたその音声に、リアは一瞬、弾かれたように息を呑んだ。
「ブルーって……お前、ここにいたの!?」
リアは驚きを隠せないまま、愛おしそうにブルーの周りをぐるりと一周する。
「久しぶりだなー、元気にしてた?……って聞くのも変か」
『稼働状態は、良好です』
リアは、少しだけ目を細める。
「そっか、ならいいや」
テオは荷物を下ろした姿勢のまま、呆然とした目をブルーに向け、隣に立つギルダへ静かに問いかけた。その声には、懐かしさと、どこか複雑な感慨が混ざり合っている。
「お前の所にいたのか……」
「あ……うん。基地の管理とか、いろいろ手伝ってもらってた」
ブルーはギルダの言葉に反応するように、小さく眼を明滅させた。
『ギルダの補助は、当ユニットの主要任務の一部です』
誇らしげにさえ聞こえるその宣言に、リアは思わず手を伸ばしかけ、ふと直前で止めた。
「……触っていい?」
『問題ありません。物理的な接触によるコミュニケーションは、当ユニットの推奨プロトコルに含まれています』
許可が下りると同時に、リアの指がそっと外装に触れた。ブルーは微動だにせず、ただ受け入れる。リアはしばらく夢中でなで続けた。
「アトリ、オレたちは寝袋を持ってきたからベッドは大丈夫だぞ」
テオが二階の階段に向けて声をかけると、上からアトリの元気な声が降ってきた。
「うーん、でもちょっと探してみる! ──あ、あった! ベッドと布団、空き部屋にいっぱいあったよ! 運ぶの手伝ってー!」
「了解」「今行く!」
リアとテオは顔を見合わせると、すぐに階段を駆け上がって二階へと向かっていった。
ガタゴトと上階から賑やかな音が響き始める。静かになったリビングで、ギルダは未だに呆然としたまま、ゆっくりとブルーへと視線を向けた。
「……ブルー。泊まるって、なに?」
哀愁すら漂う主人の切実な問いかけに、ブルーは淡々とレンズの焦点を合わせた。
『当基地は空き部屋が多く、また以前は倉庫として使用されていた経緯があります。そのため、ベッドや布団の在庫については、十分な数が揃っています。問題ありません』
「いや、在庫の話をしてるんじゃなくて……」
ギルダは眉間に凄まじい皺を寄せ、現実逃避するようにポケットから煙草を取り出して口に咥えた。その時──。
基地の外で、大型のタイヤが荒い砂利を踏みしめ、急停車する音が響いた。
『車両の到着を検知しました。識別信号──司令本部の広域調査用車両です』
「え?なに?……聞いてないんだけど、何も」
一方その頃、二階の空き部屋でリアたちとベッドを運んでいたアトリは、異音に気づいて窓の外を見下ろしていた。
夕闇が迫る敷地内に停まったのは、見覚えのある車両。そこから、三人の人影が降りてくる。Secondたち特有の、ダークグレーの戦闘服。さっきスクラップ工場で別れたばかりの面々だった。
バタン、と車のドアを閉め、真っ先に歩き出したミラーナが、基地の建物を見上げて大きく手を振る。
「ギルダー!アトリー!避難させてくださーい!っていうか泊めてくださーい!」
外壁のスピーカーを伝って、リビングに響き渡るミラーナの能天気な声。
「??????????」
ギルダの頭の中に、文字通り限界突破した数のクエスチョンマークが浮かび上がる。咥えた煙草が、その唇からポロリと床へ落ちた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
Secondたちが第47基地に大集合!
次回はお泊り会です。




