26.司令本部のSecondたち
外縁治安維持部隊の詰め所に到着したころには、昼になっていた。
詰め所の頑強なコンクリートの壁には、いくつもの弾痕や補修跡が刻まれており、ここが平和な外縁の日常を守る「盾」であることを物語っている。
入り口にある数段の階段を前にして、アトリは腰を落とした。その腕の中へ、ブルーが「当然の権利」と言わんばかりの様子で、ころりと収まってくる。
中に入ると、ちょうど交代の時間帯らしく、独特の熱気が充満していた。装備品がぶつかり合うカチャカチャという金属音、粗野な笑い声、そしてコーヒーの匂い。
「こんにちはー」
アトリが声をかけると、受付カウンターの向こうから、すぐに親しみのある声が返ってきた。
「お、アトリ!」
出迎えたのはファンの明るい笑顔だ。彼は大型の端末を操作していた手を止め、大きく手を振った。
「ファン。今日、ぼく休みだから遊びに来ちゃった」
「詰め所に遊びに来るなんて、相変わらず変な奴だな!」
ファンは快活に笑い、カウンターを回ってこちらへ歩み寄ってきた。
「いいよ、今日は俺たちも比較的ヒマなんだ。ついでに一緒に昼飯でも――」
そこまで言って、ファンはアトリの腕の中にちょこんと収まっているブルーに気づき、まじまじと目を見開いた。
「なんだブルー、今日はアトリと一緒に来たのか?」
「え?」
アトリの喉から、間の抜けた声が漏れた。
「ブルーって……ここに来ること、あるの?」
「あるも何も、しょっちゅうだよ。ひとりで来る」
ファンは事もなげに言い放つ。
「『データちょうだい』ってさ。ギルダのお使いだよ。たまに重そうな書類の束を持って帰っていくこともあるし。ここじゃ有名人……いや、有名機だよ」
アトリは、腕の中のブルーを見る。
すっぽり収まって、やけにおとなしい。
「……じゃあ、階段くらい、ひとりで登れたんじゃないの?」
アトリの微かな抗議を含んだ視線を受けると、ブルーの丸い眼が、レンズを絞るようにしてスッと上を向いた。
『登れます』
即答だった。
『階段昇降モードへの移行、および車輪ユニットのトルク調整により、あらゆる段差の走破が可能です。スペック上、すべて問題ありません』
「……じゃあ、なんで」
『アトリから、抱っこによる運搬の提案がありました。当該方法は、過去のログにも複数回の採用例があります。心理的安定性が高く、移動効率にも問題がないと判断したため、要請を受諾しました』
それを横で聞いていたファンが、腹を抱えて肩を揺らした。
「ははは!なんだブルー、お前!『抱っこの方が楽だ』って学習したのか!策士だなあ!」
「なんだよ、もう…」
アトリは呆れたように息を吐きながら、そっとブルーを床に降ろした。
「今、アイビー曹長は外出中だけど、ギルダとアトリが来たら手厚くもてなすように言われてるんだ。アトリ、昼飯食べていけよ。今日はなんと……カレーだぞ!」
「食べる!」
アトリの即答にファンが快活に笑い、二人と一機は詰め所の奥にある食堂へと向かった。
食堂には、任務明けの隊員たちが数人、肩の力を抜いて談笑している。漂ってくるのは、食欲をダイレクトに刺激するスパイシーな香り――。
「ほら!外縁治安部隊特製カレーだ!」
ファンの手によってアトリの前に置かれた皿には、黄金色のルーがたっぷりと注がれていた。野菜はすべて細かく刻まれ、時間をかけて煮込まれている。スプーンを差し込めば、タマネギの甘みが溶け出した濃厚なコクが口いっぱいに広がる。
ブルーはテーブルの下で、お行儀よく「食事」の準備を始めていた。胴体にあるハッチを展開し、内部のスロットへ高密度エネルギー・カートリッジを差し込む。シュウ、という微かな排気音と共に、青いレンズが満足げに明滅した。
『エネルギー充填、開始します』
「……おいしい!」
アトリは夢中でスプーンを動かした。 スパイスの刺激が鼻を抜け、じんわりと身体が温まっていく。
「ぼく……カレー、好物かもしれない」
ファンは自分の皿をかき込みながら、豪快に笑った。
「もしかしたら、元々好物だったのかもよ? ほら、身体が覚えてるってやつ。記憶、少しは戻ってきたんじゃないか?」
「うーん……たしかに『身体が喜んでる』感じはするんだけど。頭の中に映像が浮かぶかっていうと、まだそこまでは……」
アトリは一度スプーンを置き、少し真面目な顔でファンを見つめた。
「あ、そうだ。ファン……あのさ。ぼく今、自分たちのことを調べてるんだ。ギルダがここに来た4年前のことって、ファンは覚えてる?」
カレーの湯気の向こう側。アトリの問いかけに、ファンはスプーンを止めて、少しだけ遠い目をした。
「覚えてる、覚えてる! だって、めちゃくちゃ怖かったもん。あの頃のギルダは、今よりずっと目つきも鋭くてさ。こんな辺境に左遷……いや、赴任してくるって言うから、どんなガタイのいいサイボーグが来るかと思ったら、あんな感じだろ? もう、隊員みんなで『えっ、あの子が?』って、びっくりしたのなんのって」
ファンは懐かしそうに目を細め、空になったスプーンを振り回しながら続けた。
「アトリが今いるあの基地だって、当時はただの倉庫代わりだったからな。人が住むような場所じゃなかったんだ。ダナ曹長は何か事情を察してたみたいで、最初は『あまり近づくな』って俺たちに釘を刺してたんだよ。曹長、昔ちょっとだけ司令本部にいたことがあったらしくてさ。あんなところ、まともな人間が行くもんじゃないって、かなり警戒してたんだと思う」
「へえ……。アイビーさんが……」
アトリはスプーンを持ったまま、初めて聞くアイビーの過去に耳を傾けた。
「けど、ギルダが来てすぐに、記録的な大雪が降ったんだよ。もう、雪かき要員が全然足りなくてさあ!俺、思わず声かけちゃったんだよね、ギルダに『ちょっと手伝ってくれ!』って。そしたら、二つ返事ですぐ来てくれたんだけど……」
そこでファンは、こらえきれないといった風に吹き出した。
「雪かき、めちゃくちゃ下手クソでさ!力の入れ所が全然わかってないんだもん。結局、曹長に『お前は何を壊すつもりだ!』って大声で怒られてやんの」
豪快に笑うファンの姿に、アトリの脳裏にも、慣れない手つきで雪と格闘する四年前のギルダの姿が、脳裏に浮かぶ。
「あの時は、俺たちもみんな必死だったからさ。一緒に雪をかいて、一緒に凍えながら温かいもん食って……そうしてるうちに、妙な警戒心なんてなくなっちゃったんだ。話してみれば意外と普通の人だったし。それからの活躍は、アトリも知っての通り。違法規格の確保や荒事は、もう、ギルダに頼りっぱなしだよ」
ファンは満足げにカレーを最後の一口まで平らげると、コップの水を一気に飲み干した。
***
「はい、これ。ギルダ用のカレー。お土産だ」
ファンが差し出したのは、ずっしりと重いタッパーだった。それを受け取ったのはブルーだ。腹部のハッチを器用に開くと、内部の保温ストレージにタッパーを格納し、カチリと蓋を閉める。
「また遊びに来いよな、アトリ! ブルーも!」
「ありがとー! またね、ファン!」
大きく手を振って、アトリとブルーは詰め所を後にした。
ブルーはアトリの少し後ろをついてきていた。階段の前でも立ち止まらない。体を器用に制御し、一段、また一段と、吸い付くような動きで軽やかに降りていく。
アトリは足を止め、その様子をじっと見守っていた。
「……なんだ。やっぱり、ひとりで降りられるんじゃん」
『はい』
ブルーは最下段に着地すると、何事もなかったかのようにアトリを見上げた。
アトリは、少し拍子抜けしたように笑った。
「じゃあ、これまでギルダに抱っこしてもらってたんだ。でも、ギルダなら、『自分で歩けるなら歩きなさい』って言いそうじゃない?」
『いいえ』
ブルーの即答に、アトリは思わず足を止めた。 白銀の街に吹き込む冷たい風が、二人の間を通り抜けていく。
『過去の運搬移動は、ギルダによるものではありません』
「え?じゃあ誰に?」
『――当ユニットを設計・生成した人物です』
「……それって……」
アトリがその先の言葉を紡ごうとした、その時だった。
『ギルダから通信です』
ブルーの胴体から、緊急性を示す電子音が鳴り響いた。アトリはハッとして、喉まで出かかった疑問を飲み込む。
『……おはよう』
わずかに掠れた、どこか眠たげな声。通信の向こうで、ベッドのシーツが擦れるような衣擦れの音が微かに聞こえた。
「おはよう、もう昼だけど」
『アトリ、今どこ?』
「今、治安部隊の詰め所を出たところ。ブルーと一緒だよ」
『……ごめん、今日一日オフって言ったんだけどさ。例の暴走ユニットが出たって連絡が入った』
ギルダの声が、少しだけ引き締まる。
『輸送用の中型ユニットみたい。すでに機能は停止してるんだけど、回収される前に、ログの保存と周辺の記録写真を撮りたいの。今、アトリに位置情報おくったから、現地で合流しよう』
ギルダの声は、寝起きの気配をわずかに残しながらも、状況説明はいつも通りテキパキしていた。だが、遅くまで作業をしていた彼女を、もう少しゆっくりさせてあげたい、とアトリは思った。
「……ねえ、ギルダ。そのくらいだったらぼく一人でもできそうだからさ。ゆっくり来なよ」
『え……?』
予想外の提案だったのか、ギルダの声が裏返った。アトリは歩き出しながら、さらに言葉を重ねる。
「一階のテーブルに、ギルダのお昼ご飯を準備して置いておいたから。まずはそれをちゃんと食べてほしいんだよね。あ、それからファンにカレーをたくさんもらっちゃって。ブルーがこれから基地に運ぶから、届いたら冷蔵庫に入れておいてくれないかな」
通信の向こうで、ギルダが一瞬だけ黙る。 その沈黙は、迷いではなく―― アトリの気遣いを受け取って、どう返すか考えている“間”だった。
『……うん。 じゃあ、お言葉に甘えてそうしようかな』
声が、ほんの少し柔らかくなる。
『場所は第六地区のスクラップ工場の裏手。現場のユニットはもう動かないはずだけど、万が一何かあったら、すぐに連絡して』
「うん、わかったよ!任せて!」
明るく答えると、通信は切れた。
アトリが画面の位置情報を確認しようとした、その時だった。
「アトリ!よかった、まだいた!」
勢いよく屯所の扉が開き、ファンが大きな声をあげて飛び出してきた。
「ファン? どうしたの?」
「今、ダナ曹長から連絡あってさ。第六地区の暴走ユニットの件、聞いてるか?」
「うん、ぼくもさっきギルダから聞いたところ。今から行くんだよ」
「だったら車で送ってやるよ!ちょっと距離あるしな」
「本当に? ありがとう!」
ファンの願ってもない申し出に、アトリはパッと表情を輝かせた。そして、足元で待機しているブルーへと視線を落とす。
「じゃあ、ブルー。ギルダにカレーを届けてもらえるかな?今日は一緒に来てくれてありがとう」
アトリに頭を撫でられると、ブルーのレンズがパチパチと規則的に点滅した。
『了解しました。安全かつ迅速にカレーを搬送します』
言い終えるや否や、猛烈な勢いで車輪ユニットを回転させ、滑るように走り去っていった。
ずっしりと重いカレーのタッパーを腹部に抱えながら、雪道を爆走していく小さな背中をアトリは見送った。
***
ファンの運転する車両に揺られ、降り積もった雪を弾きながら進むこと十数分。
スクラップ工場の裏手には、積み上げられた廃材と鉄骨の影が複雑に絡み合っていた。寒風が吹き抜ける広場の中央に、それは無残に横たわっていた。輸送用の中型ユニット。建材や重量物資を運ぶための、装甲に覆われた頑強な四輪駆動の機械だ。
雪に半ば埋もれ、 外装の一部は焦げたように黒く変色している。周囲には、ユニットが暴れた痕跡なのか、地面に深い溝がいくつも刻まれていた。
その傍らには、数名の隊員たちと、防寒用コートに身を包んだアイビー・ダナ曹長が、険しい表情で立ち尽くしていた。
「ああ、アトリ。今日、休みだったんだって? せっかくのオフに災難だね」
アイビーは振り返り、いつもの柔らかい笑みを浮かべながら軽く手を上げた。
アトリとファンは同時に敬礼する。
「いえ、ファンにここまで車で送ってもらいました。詰め所で、特製カレーをごちそうになったんです」
「あはは! それは良かった。カレーは、うちの若い奴らの命の源だからな」
アイビーは豪快に笑い、 倒れたユニットを顎で示した。
「で……これが例のユニットだ」
近づくと、ユニットの外装に細かいひびが走っているのが見えた。 内部の冷却剤が漏れたのか、雪の上に青白い筋が凍りついている。
「報告だと、搬送ルートから外れて、急に方向転換したり、 意味のない旋回を繰り返したり……で、最後はここでバタッと倒れた」
アイビーは腰に手を当て、 倒れたユニットの側面を軽く叩いた。
「最初は、寒さによる駆動系の凍結か、あるいはメイン回路の一時的な過負荷だろうと思ったんだが……念のために抽出した基本ログを確認してみたら、システムの中身が、跡形もなく綺麗に全部ブッ飛んでてね。何も残ってないんだ。最近増えてる暴走ユニットと同じパターンだと思って、ギルダに連絡させてもらった」
「わかりました。ギルダから、ログの保存と周辺の記録写真を撮ってくるように言われています。片付けるのを、少しだけ待ってもらってもいいですか?」
「ああ、気が済むまで、慌てずにやりな」
アイビーは軽く手を上げ、周囲の隊員へ向けて声を張った。
「全員、作業が終了するまで手を止めろ!証拠を荒らすな!」
そして横にいたファンへ振り返る。
「ファン、あんたは規制線の向こうで人払い頼むよ」
「了解しました!」
ファンは駆け足で規制線の方へ向かっていった。
アトリは倒れたユニットの前にしゃがみ込み、 腰に装着していたN-Linkを起動する。
薄い光のパネルが展開し、 ユニットの外装に触れた瞬間、 内部のデータにアクセスするための微細な振動が指先に伝わった。
「えーっと……中から吸い出す感じで……」
アトリは小さく呟き、作業に集中した。この手のデータサルベージは、どちらかといえば少し苦手な部類に入る。N-Linkのモニターに、高速で数字とコードが走り始めた。
ユニット内部のログが、アトリの脳内へと吸い上げられていく。
(……よし、順調)
そう思った矢先――
「あの――!すみません、まだ現場は作業中なので入らないでください!……ちょっと!聞いてますか!」
アトリの耳が、雪に足元をすくわれる隊員たちの足音に混じって、規制線の向こうから響く不穏な怒声を捉えた。
アトリは顔を上げ、傍らに立つアイビーを見上げた。
「アイビーさん、誰か来たみたいです」
「え?応援が来るとは聞いてないが……」
アイビーが訝しげに眉をひそめ、声のする方角へ視線を向けた、その時。
乱雑に積まれた鉄屑の影から、空間の温度を一瞬で氷点下へと引き下げるような、圧倒的な「圧」を纏った三人の影が現れた。
ダークグレーの洗練された戦闘服。その上に、冷たい風に裾を翻す特製のコートを羽織っている。
二十代前半の若者たち。しかしその瞳には、外縁治安部隊の隊員たちとは明らかに一線を画す、鋭利な光が宿っていた。司令本部のSecond――エミリオ、ミラーナ、そしてソーンだ。
三人がそこに並び立つだけで、空気がぴんと張り詰める。外縁の隊員たちが思わず息を呑み、気圧されるように一歩下がった。
先頭を歩く大柄な青年――ソーンが、アイビーの前で足を止めると、無駄のない動作で敬礼を捧げた。その低い声が、冷徹に響く。
「アイビー・ダナ曹長でしょうか」
「……そうだが。司令本部の精鋭が、こんな外縁の端まで何の用だ?事前連絡は受けていないが」
「なにぶん突発的な事案でしたので、連絡が間に合いませんでした――単刀直入に申し上げます」
その声は丁寧でありながら、 拒否の余地を一切与えない“命令”の響きを帯びていた。
「この暴走ユニットに関する一切の調査、および機体の回収任務は、これより我々司令本部直轄部隊へと移管されます。本機はこちらで引き取りますので、治安維持部隊の皆様は、直ちに業務を終了し撤収してください」
周囲の隊員たちが、ざわりと動揺に揺れる。
作業の手を止めたアトリの目の前で、現場は不穏な緊張感に包まれていった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
司令本部も暴走ユニットを調べているようです。
次回は司令本部組のSecondたちとの話になります。
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