25.「知りたい」=「愛」
街へ向かう道のりは、思ったより長かった。
けれどアトリは気にしていなかった。歩くのは嫌いじゃないし、外縁の街並みは見ているだけで楽しい。
後ろでは、ブルーが「わーっ」と追いかけるように小走りでついてくる。 その駆動音が、妙に軽やかだった。
だが、問題が起きたのは、サリバンの診療所へ降りる、地下への階段だった。
アトリが何気なく数段下りたところで、背後の音が途絶えたことに気づき、「あっ」と足を止めて振り返る。ブルーは階段の最上段で、困り果てたように固まっていた。
「……?」
ブルーは、少しだけ右に寄る。次に左へ。
角度を変えて、段差を覗き込む。
一歩、前に出ようとして──止まる。
「え、ブルー……?」
『段差を確認しています』
「うん、それは見て分かるけど……」
ブルーはさらに一歩、前に出る。
駆動音が、ほんの少しだけ高くなる。
──だが、降りない。
アトリは首を傾げ、階段の下からブルーを見上げた。
「……ねえ。運んだ方が良い?」
ブルーの眼が、ぴたりとアトリの視線を捉えた。演算が走ったような、短い間。
『はい。その方が、安全かつ確実です。──「抱っこ」を要請します』
「抱っこ…!?」
予想外に甘えるような単語に、アトリは拍子抜けしたように息を吐いた。
「わかったよ……」
アトリは階段を戻り、ブルーの丸い胴体にそっと手を回す。 持ち上げると、思ったよりもずっと軽く、内部の熱のせいか、ほんのりと温かい。ブルーは最初、重心を合わせるようにもぞもぞと動いたが、すぐにアトリの胸元にすっぽりと収まった。
その姿勢は、驚くほど自然だった。まるで、最初からこうされることを前提に作られていたかのように。
地下の診療所の扉のベルを押すと、ジョゼが柔らかな笑みで出迎えてくれた。白衣を纏い、穏やかな知性を湛えた、若く美しい青年。高性能なアンドロイドである彼は、アトリと、その腕に抱えられたブルーを交互に見る。
ブルーのレンズと視線が重なった瞬間、ジョゼの瞳の奥で、ほんの一瞬だけ「おや?」と何かに気づいたような、計算の火花が散る。だが、彼はすぐにプロフェッショナルな微笑に戻った。
「こんにちは、アトリさん、ブルー。……本日のご用件は?」
アトリは、抱っこしたブルーの丸い感触に気まずさを紛らわせながら、少し言い淀んだ。 具体的な目的があるわけではない。ただ、あの情報の濁流から逃げ出したくて、気づけばここに来ていた。
「えーっと、……あの。遊びに、来ました」
あまりに率直な答えに、ジョゼはわずかに思考を巡らせるような「間」を置いた。アポなしの訪問に対し、最適解を探るようなその沈黙も、どこか絵になる。
「……少々、お待ちください。先生に確認してまいります」
ジョゼは丁寧な会釈を残し、音もなく奥へと消えた。 アトリは入り口のすぐそばにある、使い古された椅子に腰を下ろす。膝の上にはまだブルーが収まったままだ。
「……急に来ちゃって、迷惑だったかな」
ぽつりと呟くと、ブルーはアトリの腕のなかで、レンズの光を小さく明滅させて静かに応えた。
やがて、奥からジョゼが戻ってきた。
「先生が、ぜひ上がってくださいとのことでした。どうぞ、こちらへ」
「よかった……」
アトリはホッと胸を撫で下ろし、膝の上からブルーをそっと床に降ろした。ブルーは着地すると同時にアトリの足元にぴたりと寄り添う。
案内されたのは、いつもの清潔な診察室ではなかった。そこは、サリバンの個人的な研究室らしく、使い込まれたデスクや、用途のわからない複雑な精密機材、配線が剥き出しの基盤などが所狭しと並んでいる。
部屋の主であるサリバンは、デスクの椅子に深く腰掛け、宙に浮かぶホログラム画面と向き合っていた。通信相手は、ヘリクス・ダイナミクスの御曹司、シグナス・コーデックスだった。
サリバンはアトリたちに気づくと、通信を繋いだまま柔らかな表情で顔を上げた。
「いらっしゃいアトリ、ブルー。来てくれて嬉しいわ。ちょっと手が離せなくてごめんなさいね」
すると、ホログラムの中のシグナスが、画面を突き破らんばかりの勢いでこちらに向かって大きく手を振った。
『おーい、アトリ! 久しぶり!』
「えっ……シグナス……さん!?」
思わぬ場所での再会にアトリが目を丸くすると、ホログラムの中の青年は快活に笑い飛ばした。
『いいよ、シグナスで!アトリは今、ギルダさんと同じ基地にいるんだってな。いやあ、羨ましい限りだよ!』
「あ、うん……。でも、なんでシグナスがサリバン先生と通信してるの……?」
アトリが不思議そうに首を傾げると、シグナスは「聞いてくれよ!」と言わんばかりに身を乗り出した。
『ギルダさんに紹介してもらったんだ。すっごい医工師がいるって。サリバン先生には技術相談に乗ってもらってたんだよ。サリバン先生、マジで半端ないわ! 専門外の分野までサクサク解決しちゃうんだもん』
サリバンは「大げさね」と苦笑しながらも、手元のコンソールを操作してデータの転送を終える。
「彼は研究熱心でね。流石、ヘリクスの後継者なだけあって、素晴らしい知識と好奇心を持っているわね。私も教わることが多いわ」
サリバンが目を細めてそう言うと、シグナスはホログラムの中で照れくさそうに頭を掻いた。
『はは、止めてくださいよ。それに、後継者はヴィヴィアンの方じゃないかな。俺は経営のこと、正直興味ないんです』
アトリはジョゼに促され、使い込まれた革のソファに腰を下ろした。ブルーも足元まで来ると、アトリのすぐ横にぴたりと陣取る。
「ヴィヴィアンは、元気にしてる?」
『おかげさまで、すっごい元気だよ。父さんの仕事にも一緒について行ってるしね』
アトリが尋ねると、シグナスは屈託のない笑みを浮かべた。
『元々、外交的な性格だったから、俺よりも経営のことは妹の方が向いてるんだ。……ま、父さんはちょっと落ち込んでるみたいだけど。でも、伊達に長年社長やってるわけじゃないから、へこたれたままじゃないと思うよ』
その言葉を聞いて、アトリは少し意外な気持ちになった。妹のヴィヴィアンが実は違法規格であり、脳の大部分がAIに置き換わっているという衝撃的な事実。そして、会社が実質的に軍の傘下に下ったという、これ以上ないほどの窮地。
そんな嵐の真っ只中にいるはずなのに、シグナスの纏う空気はどこか吹っ切れたように明るい。
「なんか……シグナスも、すっごい元気そうだね?」
思わず本音がこぼれると、シグナスは『うん!』と力強く頷いた。
『調べれば調べるほど、“次”が出てきて困っちゃってさ。ひとつ分かるたびに、そこから枝分かれして疑問が無限に出てくる。サリバン先生の話もすごく面白いし……なんていうか、俺、今やっと“生きてる”って感じがしてるんだよね』
画面の向こうで目を輝かせるシグナスの姿は、かつてヘリクスの温室で所在なげにしていた頃とは別人だった。
自分たちの存在が否定されるような、残酷な真実。それに直面してもなお、シグナスはそれを「知るべき対象」として受け入れ、前を向いている。アトリは、その純粋で強靭な好奇心に、圧倒されるような思いでいた。
彼は、絶望の淵に立たされても、知ることをやめない。
そこへ、ジョゼが音もなく近づき、淹れたてのコーヒーを運んできた。まずはアトリの前に。次にサリバンのデスクへ。そして最後に、ブルーの側に膝をつくと、手慣れた手つきで外部充電端子を繋いだ。ブルーは一瞬だけレンズを明滅させ、大人しくその供給を受け入れる。
サリバンはコーヒーの湯気に目を細めながら、優しくアトリを見つめた。
「こちらの話ばかりになってしまってごめんなさいね。今日はブルーと一緒に来てくれたのね。……どうしたのかしら? アトリ」
「あ……特に、急ぎの用があったわけじゃないんですけど。その、ちょっと調べものをしてたら煮詰まっちゃって。……気分転換に来たんです。こんな理由で、忙しいのにごめんなさい」
アトリが少し申し訳なさそうに視線を落とすと、サリバンは鈴を転がすような声で笑った。
「あら、いいのよ。研究者ならよくあることだわ。それに、何かを解き明かしたいという探求心は、とても素晴らしいことよ。いつでも来てちょうだい」
『……わかった! ギルダさんのこと調べてたんだろ!』
不意に、ホログラムの中からシグナスが身を乗り出して断言した。あまりに直球で、かつ「まあまあ図星」な指摘に、アトリはコーヒーを飲む手が止まる。
「うーん……そんなところ。……なんでわかったの?」
『俺にとって「知りたい」っていうのは「愛」だから! ヴィヴィに対しても、技術に対してもそう!好きじゃなきゃ、あんな無限に出てくる疑問に立ち向かえないって!』
「……あい?」
『そう、愛! でも、彼女のことを調べるのは大変だよ。技術も複雑だし、そもそも何考えてるか分かんないところとかさ。……アトリ、君はかなり難しい人を研究対象にしちゃったな!』
アトリはカップをテーブルに置き、少しだけ真面目な顔をしてシグナスを見つめた。ずっと気になっていた、素朴な疑問を口にする。
「ねえ……シグナスっていつの間に、ギルダと仲良くなったの?ふたりって、どういう関係?」
その問いに、サリバンはコーヒーを飲む手がわずかに止まった。
(……まずいわね。少し踏み込みすぎたかしら)
ギルダとサリバン、そしてシグナス。今この三人は、軍の目を盗んで「非合法な研究」を共有している共犯者だ。その繋がりをアトリにどう説明すべきか。
サリバンがフォローの言葉を探すより先に、シグナスが顎に手をあてて唸った。
『うーん、友達?』
サリバンは心の中で冷や汗を流す。
(そ…それはちょっと、怪しまれるんじゃないかしら……)
あの気難しく厳格なギルダに、こんな軽薄そうな御曹司の「友達」がいるなど、あまりに説得力に欠ける。
「そうなんだ! よかったぁ……!」
『えっ?』
「ギルダって、いつも仕事のことばっかりだし……ぼく、あの人には友達なんて一人もいないと思ってた!シグナスみたいな明るい友達がいて、本当によかった!」
サリバンは思わず吹き出しそうになるのを、コーヒーを飲み込むことで必死に堪えた。
ホログラムのシグナスも、一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くしたが、すぐにいつもの調子で豪快に笑い出す。
『ははは!言うねえアトリ!まさかそんな風に心配されてたなんて、ギルダさんが知ったらどんな顔をするか……!よし、これからは公式に「ギルダさんの数少ない貴重な友人」を名乗らせてもらうよ。もちろん、アトリ、君も俺の友達だからな!』
「うん、よろしくね、シグナス!」
サリバンは「やれやれ」と小さく首を振り、ようやく安心してコーヒーを喉に流し込んだ。
「……同じ研究者として、何か質問があれば答えるわよ。もちろん、私が話せる範囲で、だけれど」
サリバンが静かに問いかける。
アトリは一瞬、先ほど見た「殲滅作戦」の記録を思い出し、胸の奥がチリと痛んだ。けれど、彼は小さく首を振って、はっきりとした口調で応えた。
「いえ、もう少し……自分で調べてみます。さっきまでは、勝手に隠し事を暴くみたいで後ろめたかったんですけど。シグナスを見てたら、知りたいって思うことは悪いことじゃないんだって分かりました」
『はは、あんまり俺を参考にするなよ?ヴィヴィにウザがられることもしょっちゅうだからな!自分がマッドだって自覚はあるんだ』
「……まあ、アトリだったら大丈夫でしょう」
サリバンは微笑み、ジョゼに目配せをした。ジョゼが音もなく歩み寄り、ブルーの充電ケーブルを丁寧に外す。
「コーヒー、ごちそうさまでした。そろそろ行きます」
アトリが立ち上がり、帰る準備を整える。足元では充電を終えたブルーが、いつになく力強いレンズの光を明滅させていた。
出口へ向かおうとするアトリの背中に、サリバンが静かに、けれど教え諭すようなトーンで声をかけた。
「ギルダはね……4年前に私の存在を知って、この診療所を訪ねてきたの。Secondの基礎設計に関わった人間が、まだ生きているって聞きつけて」
アトリは足を止め、振り返った。
「初めて会った時の彼女は、まるで心が凍りついたような顔をしていたわ。……けれど、最近は少し変わってきた。それはきっと、あなたがいるからだと思うわ」
サリバンはデスクの上のホログラムを消し、穏やかな眼差しでアトリを見つめた。
「アトリ。あなたの探求心を、どうか否定しないで頂戴ね。それは、あなた自身も、そして周りの人たちも救う鍵になるかもしれないから」
「……はい。ありがとうございます、先生」
アトリは深く頷き、研究室を後にした。
地上へと続く階段。その手前で、アトリは当然のような動作で腰を落とし、ブルーをその腕に招き入れた。
「よいしょ……。──よし、次は治安維持部隊の詰め所に行ってみよう」
腕の中に収まったブルーのレンズが、肯定を示すようにピコピコと点滅する。
ブルーを「抱っこ」して、一段一段、自分の足で踏みしめるように上っていく。一段上るごとに、視界が少しずつ開けていくような気がした。
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次回は司令本部のSecondが再登場します。




