24.総合支援ユニット「ブルー」
とあるエンジニアの少年と、生まれたてのロボットの回想から。
夜明け前の静寂が、室内を支配していた。
空気が冷たく張り詰め、わずかに開いたモニターの光だけが、床に青白い反射を落としている。
作業台の傍らでは、一体のロボットが静かにその時を待っていた。
剥き出しの筐体。内部の基盤や緻密に張り巡らされた配線が露出し、関節部には仮止めの金属フレームが覗いている。顔となる部分には、まだ保護フィルムが貼られたままのレンズが二つ。その奥で、青い光が呼吸するように小さく明滅していた。
「……よし」
椅子から立ち上がった少年が、凝り固まった肩を軽く回す。
「今日はここまで。お疲れ様」
『了解しました。次の工程指示まで、スリープモードで待機します』
ロボットは即座に応答した。
合成音声はまだ調整中で、わずかに金属質な響きを残している。
少年は部屋を出ようとして、ふと足を止めた。視線の先には、徹夜の作業で散らかり放題になった床がある。絡まり合った予備の配線や、鋭利な工具がいくつも転がっていた。
「……うーん。このまま移動するのは、ちょっと危ないな」
『現状の障害物密度から、最適な回避経路は算出可能です。移動自体に支障はありません』
ロボットは淡々と事実を告げる。しかし、少年は小さく苦笑して首を振った。
「分かってるよ。君の演算能力なら余裕だってことはね」
そう言いながら、ロボットの前にしゃがみ込む。視線の高さが揃うと、青い光が少年の瞳に淡く映った。
「でもさ。ぼくが、こうしたいんだ」
迷いのない、けれど壊れ物を扱うような慎重な手つき。ロボットのセンサーは少年の体温と、衣服の擦れる微かな振動を検知し、内部回路が未知の刺激に一瞬だけ処理を停滞させた。
『……警告。現在実行されている行動を、論理的必然性のない「未定義項目」として検出しました』
「これはね、『抱っこ』だよ」
少年はロボットを抱え上げると、そのまま静かに立ち上がった。 廊下の段差も、床に散らばった配線も、すべてを自分の足で滑らかに越えていく。ロボットのジャイロセンサーは、少年の歩調に合わせて心地よく揺れていた。
『この移動方法は、自律移動より安全性が高いと評価されます』
「でしょ?」
少年は、どこか誇らしげに、そして楽しそうに言った。
「ぼくはね、君を、なんでもひとりでこなせるようには作ってないんだ」
歩きながら、続ける。
「君が困ると、人は考える。『どうしたのかな』って」
「話して、近づく」
「それでいいんだよ」
少年の腕の中で、青い眼がじっと彼を見つめる。
「完璧じゃない方が、人は、君に触れる理由ができる」
『意図が、解析できません』
少年は笑った。
「君を通して、いろんな人が、つながればいいってこと――はい、着いたよ」
充電ポートの前に、そっと降ろす。
生まれたばかりのロボットは、その不可解な暖かさと、少年の言葉を、消去不可能な最優先データとして内部ストレージの奥深くへ保存した。
……
…
外縁・第47基地。
夜明けの静寂が残るラウンジで、ブルーの青い眼が光を宿した。二階から降りてくる微かな振動と足音を感知し、待機状態だったシステムが滑らかに起動する。
『おはようございます、アトリ』
「……おはよ」
アトリは欠伸を噛み殺しながら、階段をとん、とん、と降りてくる。 髪は少し跳ね、足取りはまだ夢の名残を引きずっていた
『ギルダから伝言を預かっています。』
ブルーが音もなく滑るように近づき、歩調を合わせて横に並ぶ。スピーカーから漏れたのは、ひどく疲れ切った、けれどアトリにだけは向けられる柔らかなギルダの音声だった。
『――おはよう。ごめん、今日は昼まで寝る。朝食はパス。監査案件もないから、突発が入らなければアトリは一日オフでいい。……じゃ、おやすみ』
アトリは少し驚いたように瞬きをする。
「ギルダ、昨日遅かったのかなあ?」
『ログを確認。就寝時刻は、午前4時13分です』
「それ、さっきじゃん……」
思わず天井を見上げてから、アトリは不安げに眉を寄せた。
「大丈夫なのかな。なんか、ヘリクスに行ってから……ギルダ、ちょっと変なんだよね」
『本日は業務予定がないため、運用上の問題は発生しないと判断されます』
ブルーは淡々と事実を述べながらも、レンズの光を優しく明滅させた。
『補足情報──ギルダは過剰な負荷がかかると、“作業量の急増 → 睡眠による強制リセット” という行動パターンを高頻度で選択します』
「じゃあ、静かにしとこ。起こしたら悪いし」
『賛成します』
アトリはキッチンに立ち、簡単な朝食を用意し始めた。
フライパンの上で卵が焼ける音。パンが焼き上がる香ばしい匂い。それだけの、いつもの、慣れた手順。
――けれど、皿を並べ終えてから、アトリはふと手を止めた。
「あ……」
テーブルには、同じ皿が二枚。 無意識のうちに、指先が二人分の朝食を完成させてしまっていた。
「……まあ、いっか」
アトリは手際よく一人分を食べ終えると、残った卵をパンで挟み、端を整えてサンドイッチに仕上げた。それを丁寧にラップで包み、付箋を一枚。
“Gilda’s lunch. Eat it when you wake up.”
――ギルダのお昼。起きたら食べてね
角を少し折ったそのメッセージを添えて、いつもの席に置いておく。
さて、これでやることはなくなった。
「オフって言われてもなー……」
ふと、数日前のヘリクスでの出来事が、澱のように脳裏に浮かんでは沈む。
――テレパスを通じて、濁流のように流れ込んできたギルダの怒りと、鋭い痛み。
そして、ヘリクスの社長、ラザロの絞り出すような罵倒。
『お前たちはその“飼い慣らした化け物”どもを使って、不都合な技術も、それを生み出した人間も、片端から“焼却”し続けているんだ!』
自分の知らない、けれど自分と地続きのはずの過去。その断片に触れるたび、胸の奥に冷たい風が吹き抜けるような、言いようのないざわつきが広がる。
「……ねえ、ブルー」
顔を上げて、呼びかける。
「“アトリ・フィンチ”って名前、検索できる?」
ブルーは丸い頭部をわずかに傾ける。
内部処理に入った合図のように、丸い眼が淡い青色で明滅した。
「検索を開始します」
一拍。
「該当データ、合計22件を確認。いずれも機密レベル3以上に分類されています。現在の権限では、閲覧できません」
「……ええー」
アトリは背もたれにどさりと体重を預け、不満げに腕を組んだ。
「自分のことなのに見られないって、おかしくない?」
『本人であっても、情報管理上の例外にはなりません』
ブルーは演算の迷路に迷い込んだように一瞬沈黙してから、律儀に答えた。
『しかし、自己同一性と情報統制が一致しない状態は、多くの場合、不快感や疎外感を伴います。適切な解決策を提示できず、残念です』
「……ううん、ありがとう、慰めてくれて」
苦笑してから、アトリは話題を切り替えた。
「じゃあ、“Second計画”についての資料は?」
ブルーの眼が再び点滅する。
『関連資料、233件を確認。こちらも同様に、機密レベル3以上です』
「……全部ダメじゃん」
アトリは椅子の背にもたれ、天井を見つめた。
「ギルダとかリアとか、テオとかさ。聞けば教えてくれるかもしれないけど……みんな、ぼくが寝てた間の話になると、急に顔が暗くなるんだよね。あんまり、したくなさそうっていうか」
ブルーは静かに頷くような動きをした。
『当事者にとって高い心理的コストを伴う可能性があります』
「でしょ?それに、聞いてばっかりなのも、なんかイヤだし。自分で調べられるだけ調べて、ぼくの考え?みたいなのを持ってからじゃないとダメな気がする……子どもっぽいかな、こういうの」
『いいえ、自立的な情報収集行動として、合理的です』
ブルーは一拍置くと、レンズの光度を微調整して新たな提案を提示した。
『軍の公式データベースに限定しなければ、アクセス制限は大幅に緩和されます』
「……どういうこと?」
『報道記録や、公開メディアのアーカイブです。軍が関与した事案であっても、すでに社会一般に公表された情報は、機密レベルの対象外となります』
「……それって、当時のニュースとか?」
『はい』
アトリの瞳に、ほんの少しだけ確かな光が宿った。
「よし。まずはそっちから当たってみよ。ありがとう、ブルー」
アトリは机に向かい直す。
8年前。創造規制法に反対する武装組織との抗争。
その一件で、アトリという個体は機能停止に追い込まれた――少なくとも、今の自分が知る限りの公式な説明では。
「……8年前の、創造規制法に関連する武装組織と軍との事件を、全部出して」
『了解しました』
ブルーが応じると同時に、その青い眼がひときわ強く発光した。端末から放射されたホログラムが空中へと広がり、無数のウィンドウがノイズのような勢いでアトリの視界を埋め尽くしていく。
大規模な市街地戦、小規模な潜入工作。抗議デモ、武力衝突、爆破未遂、そして凄惨な武装蜂起。
似たような見出しが、いくつも、いくつも続く。
「多すぎる……」
アトリが眉をひそめ、情報の奔流に圧倒されそうになったその時、ブルーが静かに横から補足した。
『該当年は、創造規制法への反対運動が激化していました。事件発生頻度が極めて高く、この条件では絞り込みが困難です。期間を限定することを推奨します』
「そうはいっても……」
アトリは椅子の背にもたれ、白く無機質な天井を見上げる。 考える。何か、自分と世界を繋ぎ止めるための、確かな杭のような手がかりは――。 そこで、ふと思い出した。
「……あ」
この基地で保護されたとき、最初にギルダが見せてくれた写真。Secondのメンバーが、まだ9人全員そろって写っていた、あの一枚。
アトリは弾かれたように身を乗り出した。
「あのさ、Secondが9人写ってる写真って、データの中にないかな? ギルダが、最初にぼくに見せてくれたやつなんだけど」
ブルーの内部で高速の照合が行われる。
『……該当データを確認しました』
ブルーが応じ、空中に新しいホログラムが展開される。
『こちらでしょうか?』
「そう、それ!」
アトリは、画面の中で笑う自分たちの姿を指さした。自分と同じ顔、あるいは似た雰囲気を持つ仲間たち。その中心にいる自分が、ひどく遠い存在に思える。
「この時までは、ぼく、確かに生きてたみたいだから……。撮影日が分かれば、もっと絞れる!」
ブルーの眼が、解析の進捗に合わせて青く点滅する。
『解析完了。メタデータより撮影日を特定――8年前の、9月23日です』
「9月23日……」
アトリは自分の指を折って、カレンダーをなぞるように数え始める。
「じゃあ、その次の日からだ。9月24日から、その年の年末まで。もう一回、検索して!」
検索結果が、音を立てて更新される。 さっきまで画面を埋め尽くしていた無数のノイズが、嘘のようにごっそりと消え去った。
「……この中で、規模の大きいものから教えて」
ブルーの眼が淡く、静かな光を宿す。
『最も規模が大きい事案は、9月29日に発生した外縁地区――「第17特区」にある、軍の研究施設立てこもり事件です』
ホログラムに凄惨な現場の概要が表示された。煤けた外壁、壊れた防壁。
『創造規制法施行に反対する武装組織による強行突破。彼らは施設を占拠し、内部のエンジニアたちを「合法的犯罪者」と糾弾、即時の研究停止を要求しました』
アトリは、思わず眉をひそめた。エンジニアを犯罪者と呼ぶ、その言葉の鋭さに胸が焼ける。
『研究者および民間人の一部は避難に成功しましたが、閉鎖された施設内では多数の死傷者が発生しています。その一週間後、北方連邦軍の特殊部隊が突入し、事件は鎮圧されました』
ブルーの声はどこまでも平坦だった。それがかえって、記録の残酷さを際立たせる。
『――なお、立てこもった武装組織は、突入時に「全員殲滅」されています』
アトリは言葉を失い、黙ったまま続きを待った。
『本件については、軍の対応が「過剰防衛で、虐殺に近い」という人道的な批判と、テロに対する「迅速で正当な措置だった」という評価が、当時のメディア上で二分されています。……この事案を境界として、規制派による抵抗活動は過激化し、以降の抗争が泥沼化する要因となりました』
アトリは発光する画面を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「……殲滅、か」
その無機質な響きだけが、静かな室内で実体を持たずに浮いている。アトリは震える指先を動かし、もう一度、あの写真を表示させた。
画面の中の自分は、中央で無邪気に口を開けて笑っている。リアとエミリオは、示し合わせたように跳ね、弾けるような若さを振りまいている。他のメンバーも、誰もが肩の力を抜き、誰かが冗談を言った直後のような空気が、そのまま切り取られていた。
そこには、戦場の匂いも、鉄錆の味も、どこにもない。少なくとも「殲滅作戦」に関わり、他者の命を「焼却」した者たちには、とても見えなかった。
そして、アトリの視線は二人の人物で止まる。ギルダの横にいる、穏やかな眼差しをした車椅子の少女。そして、自分のすぐ隣にいる、優しい笑みを浮かべる黒髪の少年。
この二人は、今の自分たちのそばにはいない。
以前、オーウェンの庭で交わした会話が、冷たい風のように脳裏を掠める。
***
『……あと二人は?』
『死亡しました』
***
この二人は、自分が深い眠りについていた空白の間に、どこかで、何かがあって、亡くなってしまったのだ。
考えれば考えるほど、写真の「明るさ」と、記事の「暗さ」の乖離が、アトリの思考を切り裂いていく。
「あー……! だめだ、もう!」
アトリは突発的に頭を抱え、椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「外に出よう! 散歩……外の空気、吸いに行こう!」
静寂に耐えかねたように声を上げ、アトリは逃げ出すようにロッカーへ上着を取りに行った。外縁治安部隊の支給品である白いダウンを羽織り、ファンから貰ったお気に入りのマフラーを首に巻く。
アトリが上着のジッパーを上げていると、背後で小さな駆動音が止まった。振り返ると、そこにはブルーがちょこんと佇んでいる。丸い頭部をわずかに傾け、レンズの光を「ちら、ちら」と、まるで瞬きするように明滅させてアトリを見上げていた。
「ぼく……サリバン先生のところに行こうと思うんだけど……ブルーも、行――」
『はい。同行します』
食い気味なほどの即答だった。 そのあまりの速さに、アトリは思わず小さく笑いながら、玄関へと歩き出す。だが、ふと扉の手前で足を止めた。
「あ、でも。ブルーがここにいないと、何かあった時にギルダが困るかな?」
『問題ありません。当ユニットは、第47基地のデータベースと常時同期しています。基地内の端末を通じて、同等の管理・応答機能を維持可能です』
ブルーはアトリの足元まで滑らかに移動し、心強い響きで言葉を重ねた。
『この筐体は、主に移動と対話を目的とした端末です。基地から離れていても、ネットワークを介して必要な情報にはいつでもアクセスできます。ギルダのサポートに支障はきたしません』
「そっか。どこにいても、ブルーはブルーなんだね」
アトリは少しだけ安心したように笑い、玄関のロックを解除した。
「じゃあ、一緒に行こ」
重い扉を押し開けると、冷たく澄んだ空気が一気に流れ込んできた。 視界に飛び込んできたのは、吸い込まれそうなほど青く、どこまでも高く広がる晴天。
「わあ……いい天気」
アトリは眩しそうに目を細めた。 重く沈んでいた胸のざわつきが、この光と風に少しでも洗われることを願いながら、少年とロボットは白銀の景色の中へと歩き出した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回から新章です。
アトリが自分を探る話になります。
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