21.覚書
社長室の重厚な扉が閉ざされ、廊下には拒絶に近い静寂が降りた。
リアとテオは、彫像のように直立不動の姿勢を崩さない。その隣で、アトリだけが、落ち着かない様子で視線を泳がせていた。
「やほー、アトリ。久しぶり」
不意に投げかけられた、場違いなほど明るい声。
アトリが顔を上げると、ヘッセンが連れてきた護衛の一人、ダークグレーの戦闘服に身を包んだ女性が、こちらを覗き込んでいた。
少しうねりのある明るい茶髪に、にこやかで人当たりの良さそうな目元。彼女は、凍りついた廊下の空気などどこ吹く風で、ひらひらと右手を振ってみせた。
「えっと……」
「あたし、ミラーナ。アトリがドームに来るとき、暴走ユニットに襲われてたでしょ?あの時ギルと通信してたんだけど……覚えてるかな?」
その言葉に、アトリの記憶の断片が繋がる。あの時、車内で必死にハンドルを握るギルダの傍らで、無線機から聞こえてきた妙に軽い調子の女性の声。
「うん、リアを呼んでくれた……人、だよね」
「そう!よかったー、覚えててくれて」
ミラーナは弾むような声で言うと、ふと、その笑みを深めた。観察するようにアトリの瞳を覗き込む。
「……けど、これまでのことって、全部忘れちゃってるんだっけ?」
アトリは言葉に詰まり、視線を落とした。
「……ごめん」
「やだ!謝らなくていいの。あたしの方は、また会えて嬉しいんだからさ」
テオが感情を押し殺した声で割って入った。
「ミラーナも『Second』の一人だ。中に入っていった二人もそうだ。……つまり、ここにいるオレたちを含めて、現存するSecondの全個体が揃ったことになる」
アトリは息を呑んだ。自分たちと同じ、あるいはそれ以上の力を持ちながら、ヘッセンという男に従う者たち。
「あ、紹介しとくね」
ミラーナは、アトリの戦慄などどこ吹く風で、閉ざされた扉を親指で指し示した。
「中に入ったのは、金髪で背が小さい方がエミリオ。背が大きくてごつい方がソーンだよ。エミリオはあんな見た目で、中身もただのガキんちょ。正直、14歳のころから何にも変わってないんだよね。逆にソーンは、今も昔もちゃんとした大人。もし何か困ったことがあったら、ソーンに聞くといいよ」
リアが不機嫌そうに腕を組み、鼻を鳴らす。
「で?なんで司令本部がわざわざ乗り込んできてんだよ。現場の掃討も証拠の保全も、全部オレたちが終わらせた。状況はクリアだろ」
「やだぁ、相変わらず鈍いよ、リアは」
ミラーナはくすくすと肩を揺らし、リアを小馬鹿にするように首を傾げた。
「筋肉にリソース割きすぎなんじゃない?」
「……狙いは、最初からヘリクスのご令嬢だったんだろ」
「やだぁ、テオは相変わらずつまんなーい」
ミラーナはにこにこと微笑み続けたまま、その視線だけをスッと細める。その瞬間、彼女が纏う空気が、鋭利なガラス片のように冷たく変質した。
「……でも――当たり」
ミラーナの口角が吊り上がり、楽しげな、けれど底の知れない光がその瞳に宿る。
***
「状況は把握済みです。本題に入ります」
ヘッセンの低く、断定的な声が室内の空気を切り裂く。
ラザロは手を軽く上げ、続く言葉を遮った。
「その前に、こちらからも一点だけ。レセプションで起きた、極めて“不愉快な”トラブルの件です」
ラザロがホロパッドを展開させると、空中に避難経路の監視映像が投影された。そこには、警備ユニットを文字通り「粉砕」しながら進むリアとアトリの姿が鮮明に映し出されている。リアが壁に脚をめり込ませ、靴を豪快にぶち壊した瞬間、ヘッセンの端正な眉が、わずかに、だが確実に不快げに寄った。
ラザロはその反応を見逃さず、 むしろ愉快そうに口元を緩めた。
「見ての通りだ。我が社のセキュリティチームで十分に対処可能だった事案に対し、軍による過剰な介入があった……その結果、会場の損害はもちろん、我が社の信用までもが無惨に踏みにじられた」
ラザロはソファの背にもたれかかり、勝利を確信する王の顔で続けた。
「この映像をメディアへリークする準備は整っている。『旧時代の遺物』『軍の誇る生体兵器』が、民間のパーティーで暴れ回る光景……世間は狂喜乱舞するでしょうな。連邦軍の倫理観を問うには、これ以上ないスキャンダルだ」
ラザロの指先が、空中の映像を愛しげになぞる。
「……大佐。私は何も、貴方がたを糾弾したいわけではない。ただ、これからの『技術革新』という大きなテーブルに、我々ヘリクスも正式なパートナーとして座らせていただきたい。……それだけですよ」
社長室の空気が、静かに張り詰めた。
ヘッセンはしばし沈黙し、やがて淡々と口を開いた。
「――以上ですか」
「は……?」
「仰りたいことは以上かと、聞いています」
ラザロの笑みが凍りつく。
「その映像を公開したければ、今すぐになさるといい。内容が事実である以上、我々に止める権利はない」
「馬鹿な……。強がるのは止めた方がいい。先ほど、貴方もこの動画を見て動揺されたはずだ。彼らの暴挙に、不快感を示したではないか」
ヘッセンは、心底どうでもいいものを眺めるような目でラザロを一瞥し、短く溜息をついた。
「私が不快に感じたのは、彼らが余りにも稚拙な戦い方をしていたからです」
「……何だと?」
「戦術的合理性を欠いた無駄な跳躍、装備の消耗を考慮しない乱暴な機動。軍の資産が無様に使い潰される光景を、教育的見地から見過ごすことはできない。私が眉をひそめたのは、その一点においてのみです」
灰色の瞳が、ラザロを貫く。
「コーデックス社長。貴殿の『取引』は、前提からして成立していない。我々が求めるのは、パートナーとしてではなく、貴殿が抱え込んでいる『成果物』そのものだ」
「何を…」
「何かお心当たりはありませんか。例えば、“現行法では実施できない種類の処置”を行ったといったことは」
その声は丁寧だった。だが、選んだ単語は刃物のように冷たい。
ラザロは眉一つ動かさず、薄く笑った。
「申し訳ない。社長業は多忙でね。個別の処置となると……記憶にないな」
「ご息女のことも忘れてしまうとは、随分とご多忙なようですね」
皮肉ですらない事実の指摘。ヘッセンがわずかに顎を引いて合図を送ると、背後に控えていたオーウェンが淀みのない動作で一歩前へ出た。空中に展開されるホログラム。
「……中佐」
「――は。一次所見を報告します」
オーウェンは表情を消し、機械的に読み上げていく。
「神経生理はR‑BRV欠如、同期ピーク f₀=240±35ms。生体単独では出ない整流です。熱・光学スキャンにおいては、頭蓋内の熱揺らぎが完全に消失しており、代わって特定周波数における機械層反射を検知しました。医療記録は施行前記録なし、承認タグ履歴なし。
以上のデータに基づき、法評価を下します。――創造規制法第12条2項に抵触の疑い、併せて第17条1項の記録不備」
オーウェンの声が、死の宣告のように室内に響く。
「ヴィヴィアン・コーデックスは、法的定義において広義のアンドロイド相当であると推認されます。即ち、人権保護の対象外である――」
「私の娘は人間だ!!」
ラザロの叫びが、社長室の空気を裂いた。
「私は自分の娘を助けただけだ!なぜ、この救済が『違法』などという言葉で汚されなければならない!」
食ってかかるラザロに対し、ヘッセンは眉一つ動かさず答える。
「施行後の中枢代替は、善意でも禁止です。公共安全・検証不能・公平性の三点が理由です。施行前手術の救済は記録提示が条件ですが、該当記録がありません。ゆえに、ご令嬢の“救済”という目的への同情は別として、法評価は違法となります」
あまりに生真面目過ぎる返答にオーウェンは喉の奥で笑いそうになるのを押し殺し、胸の内でだけ短く嘆息した。
――これでは火に油だ。
懸念は的中する。ラザロの目に走った硬い光が、次の瞬間、炎になる。
「私は、お前らみたいに人殺しの道具のために技術を生み出たわけではない!」
ラザロがデスクを叩きつけた衝撃で、ホログラムの光がノイズのように乱れた。
「何が創造規制法だ!戦争の形が変わっただけだ!銃弾の代わりに、今度は“技術者”が標的になっただけだ!!これのどこが平和だ!どこが正義だ!!」
剥き出しの憎悪に反応し、それまで壁の装飾かと思わせるほど静止していた二人のSecondの瞳から、音もなく殺意が沸き上がった。
「お前たちが我々技術者に何をしたのか、忘れたとは言わせないぞ……お前たちはその飼い慣らした化け物どもを使って、不都合な技術も、それを生み出した人間も、片端から“焼却”し続けているんだ!」
怒鳴り声は重厚な扉を突き抜け、外の廊下まで生々しく響き渡った。静まり返った廊下でそれを聞いたアトリは、己の存在そのものを否定されたような衝撃に、息をすることさえ忘れて立ち尽くした。
そこへ、オーウェンが静かに、だが鋼の楔を打ち込むような声で割って入った。
「――大佐、よろしいでしょうか」
ヘッセンがわずかに顎を引き、発言を許す。オーウェンは一歩前へ出ると、ラザロの激情など意に介さない穏やかなトーンで告げた。
「コーデックス社長は、大変な混乱の中にあるようです。まずは、先ほど指摘いたしました記録不備に対する『現状の確認』からご説明させていただくべきかと」
オーウェンが手元の端末を操作すると、空中に一組のデータセットが投影された。そこには、存在しないはずの精緻な手術記録と、偽造不能なはずの軍用承認タグのホログラムが浮かび上がっている。
「これは……」
ラザロの瞳から、怒りが消え、深い困惑が差した。
オーウェンは視線でヴィクトルにバトンを戻す。ヴィクトルは、その「偽造品」を本物の歴史であるかのように眺め、淡々と口を開いた。
「復元局のデータベースより抽出された、ご息女の手術記録、および承認タグです。――7年前、創造局から復元局へと名称変更と組織改編が行われた際、システムに一時的な不備が生じたようでして。幸い、こちらでバックアップを『発見』することができました」
ラザロは笑っていた。だが、その唇は小刻みに震ている。
「……軍は『編集者』を気取るつもりかね?」
「編集ではなく、覚書です。貸しを作るのは、こちらだという」
ヘッセンが答えた。灰色の瞳が、冷酷な光を放つ。
社長室に、墓場のような沈黙が置かれた。
その静寂を、オーウェンの事務的な、だが死神の宣告のように鋭い問いかけが貫く。
「……コーデックス社長。こちら、ご息女の記録でお間違いありませんか?」
***
〈――というわけでね。ヘリクスの弱点を握って、逆に黙らせちゃう作戦だったわけ〉
社長室の前。いつの間にか会話は、脳内に直接流れ込むテレパスへと移行していた。ミラーナがそこにいるだけで、通信帯域は水が流れるように自然に、そして密やかに形成される。
〈司令本部に密告があってさ。まあ、ヘリクスくらいの巨大企業だとトップの周りは敵だらけだし?足の引っ張り合いなんじゃないかな。怖いねー〉
ミラーナの軽薄な思念が、アトリたちの意識をなぞる。
〈えっぐ……ホント司令本部のやり口、嫌いだわ〉
リアが忌々しげに吐き捨てた。その思念にははっきりと苦い味が混じっている。
〈えー?でもこれ、立案はオーウェン中佐だって聞いてるけど?こういうの、ヘルマン劇場……っていうんでしょ?〉
〈ヘリクスを完全に手中に入れるためには必要なことだ〉
リアの嫌悪を遮るように、テオの冷徹な思考が割り込む。
〈捏造された真実の方がよほど強固な楔になる。逃げられない『貸し』で固定するのが最短だ〉
アトリはその高度で冷酷なやり取りの端々を掬い上げ、震えるような思いで、一つの確証を求めた。
〈――じゃあ、ヴィヴィアンは助かるの?〉
その問いが投げかけられた瞬間、通信帯域が一瞬だけ完全な無音になった。 廊下を渡る空調の風切り音だけが、現実の世界で薄く、冷たく鳴っている。
〈……ふふ。やさしいねぇ、アトリ〉
ミラーナの笑みが思念越しに揺れる。慈しむような、それでいてどこか壊れたものを眺めるような響き。
テオが淡々と補足する。
〈ラザロ氏がこちらの要求を飲めば、『廃棄』は免れる。彼女は復元局の管理下という名目で、軍の庇護下に置かれることになる〉
〈……よかった。それなら、殺されることはないんだね〉
アトリの安堵の思念に対し、テオはそれ以上何も言わなかった。「救済」ではなく「人質」。ヘリクス社という巨大な力を飼いならすための、生きた楔。ヴィヴィアン・コーデックスの存在は、今この瞬間からラザロを縛り付けるための最も重い鎖へと変質したのだ。
不意に、リアの意識が鋭く社長室の奥へと向けられた。
〈終わった。――来るぞ〉
重厚な扉が静かに開き、冷徹な威圧感を纏ったヘッセンが姿を現した。続いてオーウェン、そして室内に控えていた二人のSecondが、一分の隙もない動作で廊下へと歩み出る。
開かれた扉の奥には、広い部屋の中央でソファに沈んだまま動かないラザロの影が見えた。崩れ落ちた玉座に座す王のように、ただ沈黙の中に置き去りにされていた。
「状況終了。撤収する」
ヴィクトルの簡潔な命令に、廊下に並んだ全員が揃って「はっ」と短く応じる。一行が整然と歩き出すと、直後、褐色の青年――エミリオが、追い抜きざまにじろりとアトリたちを振り返った。
〈……お前ら、作戦中にテレパスで騒いでんじゃねーよ〉
リアが面食らったように返す。
〈え? 中まで聞こえてた?〉
〈よく聞こえた。……全部な〉
大柄なソーンが、呆れたような、思念をかぶせる。
〈司令本部のやり口にケチ付けやがって! 声帯よりうるせーわ!〉
〈エミリオ、テレパスで怒鳴るな。音が脳に刺さる〉
テオが眉間を押さえながら、苛立ちを隠さず宥める。
〈監査執行局は黙ってろ! ……それよりおい、リア。お前、さっき戦い方が稚拙だって大佐にボロクソに言われてたぞ〉
〈は!? 何それ!聞いてないんだけど!〉
〈お前、無茶な機動して靴ぶっ壊してただろ。あれ大佐の眉間に一番キテたぜ。最高に傑作だったわ〉
〈……エミリオ、その辺にしておけ〉
ソーンが宥めるが、火がついたリアは止まらない。
〈何だよ、ちゃんと教えろよエミリオ!どこがダメだったって!?〉
〈あんたら、うっさい!全員ミュートにするよ!〉
ミラーナの賑やかな警告が響き、脳内の帯域がわちゃわちゃとした騒がしさで満たされた、その瞬間――。
「――脳内私語を止めろ」
前方を歩くヘッセンが、じろりと鋭い横目を寄越した。
周囲の温度を急激に下げるような凍てつく視線。Secondではない彼にテレパスは届いていないはず。暗号化された思考の波を感知できるはずもない。
――なのに。
その視線一つで、全員の帯域が一斉に静まり返り、強制的なミュートが掛かった。ヘッセンは歩みを一切緩めず、背後へ向かって、刃の背で叩くような冷徹な声を投げた。
「神経同調通信は戦術リンクのみだと、何度言えばわかる」
その場にいたSecond全員の背筋が、一瞬で凍りついた。さっきまで威勢よく言い合っていたエミリオも、食い下がっていたリアも、今は借りてきた猫のように視線を落とし、無言で足を動かしている。
アトリは、冷や汗を流しながら縮こまっている彼らを、不思議なものを見るような目で見上げた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ヘリクス・ダイナミクスはこうして軍の傘下に置かれることになりました…
ヘッセン大佐はSecondたちを兵器として育て上げた管理官という立場です。Secondたちはヘッセン大佐に頭が上がりません。




