18.不正アクセス
ヘリクス・ダイナミクス社のオペレーションルームは、アトリウムの狂騒が嘘のように静まり返っていた。壁一面を占める大型モニターには、社内の監視網から吸い上げた膨大なログが滝のように流れ続け、情報担当の兵士たちが無機質なキータッチ音を響かせている。
部屋の中央、長机を挟んで向かい合うのはリアとテオの二人だ。卓上には、オーウェンの兵が気を利かせて運んできたビュッフェの食事が並んでいる。
「うっま……何これ、肉?溶けるんだけど……」
リアは任務中であることを忘れたかのように、贅を尽くした料理を次々と口に運んでいる。
「テオ、食わないの?」
リアが肉を頬張ったまま、向かいに座るテオを促す。しかし、テオはカトラリーを持とうとせず、視線を一点に固定したまま微かに眉を寄せていた。
「なんか……あいつら、テレパスで騒いでるな」
「え?……なにも聴こえないけど?」
リアは怪訝そうに眉を寄せた。
「お前の感度じゃ無理。オレでもギリだ……何かあったか」
アトリの激しい感情の爆発を伴う思念の余波が、かろうじて彼の意識の表層を叩いていた。その時、ノイズを切り裂くように、ギルダから指向性のテレパスがテオの脳内へ直接滑り込んできた。
「……ああ、聴こえる」
テオが短く応じると、それまで事務作業に没頭していたオーウェンが、ゆっくりと顔を上げた。
「……うん、……は?」
思わず驚愕の声が漏れる。
「わかった……ちょっと待て。そのままテレパスを維持しろ」
テオは一旦思考の接続を切り替えると、眼前へホログラムを展開させ、急速に指を走らせた。その表情には、先ほどまでの静寂を打ち消すほどの切迫感が張り付いている。
「オーウェン中佐、ギルから送られてきたデータをそちらに転送します」
転送完了の電子音が鳴り、オーウェンの手元の画面に、一人の少女――ヴィヴィアン・コーデックスの解析データが展開された。
オーウェンは無言でそのデータに目を通す。アトリたちのパニックとは対照的に、彼は一切の動揺を見せなかった。ただ、規則正しいリズムで、コツコツと机を指の腹で叩くだけだ。
その沈黙が、かえって部屋の空気を重く沈み込ませる。やがて、オーウェンが静かに口を開いた。
「テオ君。この件はこれ以上、追わなくていいと、ギルダ君に伝えてください」
「は……」
テオは軽く目を見開いたが、中佐の瞳にある「確信」を読み取り、すぐに言葉を飲み込んだ。彼はそのまま、思念を飛ばす。
アトリウムホールの喧騒の中、ギルダにその声が届く。
「え……」
ギルダは微かに息を呑み、思考の深淵へと潜った。数秒の沈黙。 彼女の視線が鋭く一点に固定され、眼がすっと細くなる。迷いや動揺を削ぎ落とし、冷徹なスイッチが切り替わった。
〈……『理解した』って伝えて〉
テオがその言葉を口にする。
「理解した、とのことです」
「それはよかった」
オーウェンは満足げに、わずかな皮肉を混ぜて微笑んだ。
隣で肉を咀嚼していたリアが、皿を置いて首を傾げた。
「……何?なんかあったんですか?」
オーウェンは手元のホロパッドをスワイプして閉じると、淡々とした声で爆弾を投下した。
「細かい説明は避けますが、ラザロ・コーデックス氏のご令嬢、ヴィヴィアン・コーデックス氏は――違法規格です。外見も身体も完全に人間ですが、脳構造だけが別物だ。……アトリ君とは、ある意味で“正反対の存在”ですね」
「はっ……?」
リアの手が止まり、口の中の肉を飲み込むのも忘れて固まる。
「まさか今日、会場に来るとは思っていませんでしたが……ギルダ君とたまたま接触できて幸運でした」
オーウェンは立ち上がり、壁一面を埋め尽くす巨大なマルチディスプレイへと歩み寄った。そこにはアトリウムの各階、各方位から捉えられた監視映像が、冷たい電子の光となって整然と並んでいる。
「君たちも、この件にはこれ以上踏み込まず、当初の予定通り会場の警備にあたってください。これだけの軍関係者を集めておいて、ラザロ氏が何もしないわけがないですからね。……テオ君、食べておくなら今のうちですよ」
あまりに飛び越えた次元の会話に、リアとテオはオーウェンの思考に追いつけない。しかし、それは彼らにとっていつものことだった。
「……だってさ」
リアは肩をすくめると、新しい肉が乗った皿をテオに差し出した。テオは諦め混じりの表情でそれを受け取り、肉を口に運ぶ。
「……なんだこれ……うっま……」
衝撃的な事実を「毒」として飲み込んだ後で、テオが味わった肉は、あまりにも残酷なほど美味だった。
***
通話を切ったギルダは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。彼女の瞳からは柔らかな光が消え失せ、代わりに軍の冷徹な計算機のような、鋭利な光が宿る。
傍らに立つアトリは、その豹変に肌が粟立つのを感じた。
「……ギルダ?」
思わず声に出して名を呼ぶ。ギルダはわずかに横目を向け、低く、しかし揺らぎのない思念を返した。
〈ああ……これ以上は追わなくていいって。中佐も何か考えがあるみたい〉
彼女はそう言い捨てると、手元のアイスを一口だけ掬い、無機質な動作で口に運んだ。
アトリがその横顔を見つめた瞬間――
1Fエントランスロビー。
――ピッ。
展示されていた多脚警備ロボットのランプが、一斉に赤色へ切り替わる。
バシュッ!!
乾いた破裂音がロビーに響き、床へ向けて非致死性の威嚇弾が撃ち込まれた。
ギルダは弾かれたように顔を上げる。義眼の内部で自動解析が走る。
《警備ユニット:警戒モード移行》
《外部指令:不正アクセスの可能性》
オペレーションルームの静寂は一瞬で霧散した。オーウェンの部下たちが一斉に端末へと指を走らせ、壁面のメインモニターには緊急アラートが血のような色で点滅している。
「1階ロビーで発砲確認!」
「警備ユニット、制御不能!」
「避難経路上の全ユニットが不審な動きを開始。来賓の退路が……塞がれています!」
報告が飛び交う中、オーウェンの瞳は、激動するモニターの数値を冷徹に射抜いている。
「アトリウムホール周辺へ兵を回せ。二次被害を防ぐために、来賓は外に出すな」
部下たちが即座に動き出す。
オーウェンはホロパッドを操作しながら、ロビーと避難経路のユニット挙動を同時に確認した。
「不正アクセスか……テオ君、オペレーターの位置は特定できますか? これほど複雑で即時的な制御を組めるということは、そう遠くない場所に潜んでいるはずです」
「……やってみます」
テオは短く答えると、右腕に着けているN-Linkを端末へ軽く触れさせ、同期を開始した。テオの瞳から“人間らしい温度”がすっと消える。
N-Linkの内部で、彼の脳と端末の処理回路が完全に接続される。
《同期完了》
その瞬間、テオの意識は“音”を失った。
周囲のざわめきも、リアの呼吸も、オペレーションルームの警報音すら、すべてが遠くへ押しやられる。
代わりに――彼の脳内には、ヘリクス社全域のネットワークノイズが洪水のように流れ込んだ。膨大なログ。暗号化された制御信号。ユニットの姿勢制御データ。外部からの侵入パケット。
それらが、テオの脳内で“色”と“形”を持って立ち上がる。
静まり返った室内で、手持ち無沙汰なリアが大きなあくびを噛み殺す。
「なあ、なんか手伝うことねーの?」
「ない。静かにしてろ」
「はー……つまんねー」
思考の海に沈むテオは、視線すら向けない。
オーウェンはそんな二人を見て、 わずかに口元を緩めた。
「リア君の出番は、この後すぐですよ」
刹那、テオの瞳がわずかに動いた。焦点の合っていなかった瞳が、一点の真実を射抜く。
「……見つけました。地下のメンテナンス区画。そこから強い制御信号が出ています」
テオが指先を宙に滑らせると、ホログラムが青白い光を放ち、建物の三次元構造図の上に標的の座標を鮮やかに投影した。
「素晴らしい。ネズミは同じ屋根の下にいましたか」
オーウェンは満足げに目を細めると、全てのメンバーへと繋がる秘匿回線を開いた。
『Second諸君、作戦をフェーズ2へ移行、班を二つに分けます。ギルダ君、テオ君は直ちに合流し、信号源となっているオペレーターを特定・確保……やむを得ない場合はその場での“排除”を許可します』
続く指示は、刃物のように鋭く簡潔だ。
『リア君、アトリ君。二人は避難経路へ急行し、ルート上にいる暴走ユニットの掃除をお願いします。遠慮は不要。対象は全て無力化してください――以上』
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、リアは弾かれたように立ち上がり、拳を打ち鳴らして派手なガッツポーズを作った。
『――了解』
四人の声が重なった。
***
きらびやかな喧騒を背に、アトリとギルダはアトリウムホールの裏口へと滑り込んだ。
非常口を抜けた先、重武装を施したオーウェンの私兵たちが通路を封鎖していた。銃口が向けられかけるが、ギルダが銀色の義眼で一瞥する。彼らは、ギルダの姿を認めると、無言で敬礼を送り、道を空けた。
廊下に出た瞬間――
「おーい、アトリ!」
明るい声が、弾むようなリズムで響き渡った。
壁にもたれかかっていたのはリアだ。これから暴走ユニットを殴りに行くとは到底思えないほど、その顔には楽しげな笑みが浮かんでいる。フォーマルなジャケットは既に脱ぎ捨てられ、白シャツ一枚になったその姿からは、戦闘を前にした熱気が伝わってきた。
「おう、がんばろーぜ!」
「うん!」
リアの呼びかけに、アトリも短く、しかし決意の籠もった声で応える。
二人のやり取りを見届けたギルダは、銀の義眼をリアに向け、短く告げた。
「……リア、頼むよ」
その言葉に込められた「アトリを頼む」という真意を、リアは不敵な笑みで受け止めた。
「任せろって! テオが先にエレベーターを確保して待ってるってよ」
リアは親指で廊下の奥を指し示し、少しだけ真剣な目付きをギルダに向けて付け加えた。
「そっちも、気をつけろよ」
「わかってる」
エレベーターの前では、テオが壁面のコントロールパネルにN-Linkを同期させ、箱を最優先で呼び出していた。
「お待たせ」
「……ちょうど検問コードを書き換えたところだ。行くぞ」
二人が乗り込むと同時に、エレベーターは静かに、しかし凄まじい加速で地下へと沈み込み始める。密閉された空間に、駆動音だけが低く響く。
ギルダはジャケットの内側から手慣れた動作で拳銃を引き抜き、スライドを引いて弾丸を薬室に送り込んだ。隣でテオもまた、愛銃を構え、サイトの調整を終えた。
二人は無言のまま、刻一刻と変化する階数表示を見つめる。地下深く、カウントダウンが静かに進んでいた。
……
…
エレベーターが地下へ沈んでいく頃、アトリとリアはすでに避難経路へ向かう廊下を駆けていた。
先頭を走るリアの背中は、白シャツ一枚とは思えないほど大きく、そして頼もしい。
「テオとギルはさぁ――」
前方を見据えたまま、走りながらリアがぽつりと口を開く。
「体で言う『脳』とか『神経』みたいなもんなんだよ。全体を動かす生命線。あいつらが止まったら、オレらみたいな戦闘ユニットはただの鉄屑だ。だから盾になって守れって、何べんも飽きるくらい言われてきた」
一定のリズムで重い足音が廊下に響く。アトリは呼吸を乱さぬよう、黙ってその背中に聞き入っていた。
「ガキの頃はさ、不公平じゃんって思ってたんだよ。なんであいつらだけ特別で、オレらは殴られ役なんだよって」
リアの眼差しはいつもの軽さとは違い、どこか遠い記憶を見ているようだった。
「でも今ならわかる。あんなの、世界がひっくり返ったってオレにはできねーよ」
自嘲気味な響きはなかった。その言葉には、長年共に死線を越えてきた仲間に対する、混じりけのない“尊敬”が宿っていた。
「だから、オレにできるのは……あいつらが仕事しやすいように邪魔なゴミを片付けることだけだ!」
突き当たりの重厚な防火扉を、リアが加速の勢いのまま肩でぶち破る。 視界が開けた先、避難経路となる広大なコンコースには、赤く発光するセンサーをぎらつかせて待ち構える警備ロボットの軍勢が、不気味な密度で並んでいた。
「アトリ、好きに動けよ! オレも好きにしか動けねえからな!」
リアの瞳が、戦闘の予感に爛々と輝く。
「リア!」
名を呼ばれ、リアが振り返る。
アトリは天井を指さした。
リアの表情が一瞬で理解の色に変わる。
「――わかった!」
リアはアトリの腰を抱え、そのまま豪快に天井へ向けて放り投げた。
アトリは空中でくるりと姿勢を変え、逆さのまま天井へぴたりと張り付く。赤い髪がふわりと揺れ、 アトリの瞳が鋭く光った。
下では――リアがすでに動き出していた。
床を蹴った瞬間、 空気が破裂したような衝撃が走る。
ドンッ。
最前列のユニットが反応するより早く、リアの拳が頭部を粉砕した。金属片が飛び散り、火花が散る。二体目が脚を伸ばして襲いかかる。リアはその脚を掴み、まるで紙を裂くように関節ごとへし折った。
頭上のアトリは、逆さまの姿勢で左腕を前方に突き出す。
(変形……早く……!)
合金が波打ち、骨格が軋んだ音を立てる。リアなら一瞬で終わる再構成も、彼にとってはまだ、意識の全神経を注ぎ込む難作業だ。
それでもアトリは歯を食いしばり、銃身を形成し終えると同時に狙いを定めた。
リアの背後へ回り込もうとしたロボットの関節部へ――
パシュッ!!
放たれた弾丸が正確に急所を貫き、ユニットが膝から崩れ落ちる。背後の爆発を察知したリアが、血気盛んな笑みを浮かべて親指を立てた。
それに応える余裕もなく、アトリは天井を蹴った。重力を無視した逆さまの姿勢のまま、赤い髪をなびかせて、彼は戦場を俯瞰するように疾走する。
***
密閉されたエレベーターの箱。駆動音だけが響く空間で、テオが前を見据えたまま静かに口を開いた。
「……アトリなら、リアがいる。心配するな」
わずかに肩を揺らしたギルダが、隣のテオへ視線を向ける。
「……なに、私、そんなに揺れてる?」
テレパスは感情の揺れも拾う。ギルダの不安が、テオの意識に触れたようだった。
「これだけ近いと、拾いやすい」
「さっきアトリにも拾われた。抑えてたつもりだけど、今日はちょっとダメみたいだね。気になることが多すぎて」
乱れた精神状態を整えるように、ギルダは深く、長く息を吐き出した。肺の中の澱みをすべて出し切るようなその呼吸で、わずかに瞳の鋭さが戻る。
「……別に、アトリのことは心配してない。あの程度の警備ユニットなら、十分対処できる」
「なら、何が不安なんだ」
テオの問いに、ギルダはしばし沈黙した。視線の先にある階数表示が、地下の最深部へと近づいていく。
「……今回の案件って、多分……」
核心に触れようとしたその瞬間――
電子音が鋭く鳴り、エレベーターが目的の階層へと滑り込んだ。 開いた扉の向こうに立ち塞がったのは、特権IDを要求する重厚なセキュリティゲートだ。
テオはすぐにN-Linkに指を滑らせ無言でハッキングを開始する。
「……くそ、ここの暗号化、妙に層が厚いな」
ディスプレイを埋め尽くす情報の奔流に、テオがわずかに眉を寄せる。
「大丈夫? 結構、負荷かかってるでしょ」
ギルダが案じるように声をかけた。これまでの連続した作戦行動に加え、ネットワークへの過度な同期が、テオの精神を削り取っているのは明白だった。 彼の脳への負荷は、すでに限界を迎えつつある。
「突破に少し時間がかかる……待ってろ」
ギルダは短く息を吐き、周囲の空気を読むように視線を巡らせた。
その時――エレベーターの下降音が、遠くから響いてきた。
ギルダの表情が一変する。
「……誰か来る」
ギルダが低く呟く。彼女の右目、銀色の義眼が不気味な赤色へと変色し、解析を開始した。透過スキャンの網が壁の向こう側を捉える。
「一人……。警備ユニットじゃない、生体反応だ」
階数表示がカウントダウンのように減っていく。ギルダは背後でコードの海と格闘するテオに、視線を向けぬまま鋭く告げた。
「テオ、そのまま作業を続けて」
ギルダは静かに告げ、銃を構えた。その動きは、呼吸のように自然で、迷いがない。
エレベーターが到着し、扉がゆっくりと開く。
青白い照明が差し込み、そこに立っていたのは――
シグナス・コーデックス。
彼は二人を見て、ほんの一瞬だけ目を丸くした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
不正アクセスにより、会場内の警備ロボットが暴れ始めました。
シグナスは敵か、味方か…




