16.コーデックス兄妹
アトリウムホールの喧騒の中、ローストビーフを頬張るアトリの傍らで、ギルダの銀色の義眼が不自然なノイズを捉えた。全方位に張り巡らされた視覚情報のパズルの、たった一欠片が欠落する。
「ん……?」
ギルダの眉が微かに動く。
同時に、オーウェンと共に廊下を歩いていたテオの指先が、空を切るように動いた。
「あ……」
前を歩くオーウェンが、その短い音を逃さず足を止める。
「どうしました、テオ君」
「非常階段の監視モニターが、信号を断絶しました」
「一台だけですか」
「はい。西側非常階段の3号機です」
その報告と重なるように、オーウェンの耳元でギルダからの通信が弾けた。
『オーウェン中佐、非常階段の監視モニターが一台ブラックアウトしました。私とアトリで確認に向かいます』
「お願いします。無理はしないでください、何かあればすぐに連絡を」
通信が切れる。
オーウェンはリアとテオへ視線を向けた。 さっきまでの社交の空気は完全に消え、 “審問官”の顔に戻っていた。
一方、アトリウムホール。
「――えっ、もう行っちゃうの?」
名残惜しそうに最後の一口を飲み込んだアトリの腕を、ギルダが力強く引く。
「……アトリ、デザートは後で!非常階段を確認しに行くよ」
***
オペレーションルームへ向かう廊下で、ヘリクス社のスタッフたちが無線を飛ばしながら慌ただしく走り回っている。そのただならぬ空気に、オーウェンは足を止めた。
「何かありましたか」
声をかけられたスタッフは、相手が「死神」と目される審問官であることに一瞬怯んだが、背に腹は代えられないといった様子で口を開いた。
「あ……いえ、お恥ずかしい話ですが、社長のご子息であるシグナス様のお姿が見当たらず……奔放な方なのでいつものことなのですが、流石に今日は立場というものがございますので。今、総出で捜索しておりまして」
「なるほど。主催者のご家族が行方不明となれば、看過できませんね」
オーウェンは完璧な紳士の顔で頷くと、自身の端末を操作した。
「こちらも手を貸しましょう。シグナス・コーデックス様ですね。……テオ君、人相データの共有をお願いします。ギルダ君たちにも、周囲の走査を継続させるように伝えてください」
「了解しました」
オーウェンはテオに命じ、会場内の軍スタッフへ一斉に優先連絡を飛ばす。
『――各員。ヘリクス・ダイナミクス社令息、シグナス・コーデックス氏の行方を捜索する。なお、本件は招待客への配慮を優先し、極めて隠密に行え』
オーウェンが手元の端末に鋭い声で命じると、会場各所に潜伏していた彼直属の随行兵士たちが一斉に動き出した。目立たぬよう、しかし迅速に。
「ざっと見た感じですけど……このメインフロアには、いなそうです」
隣に立つリアが告げた。その鋭い視線は周囲を警戒しながらも、網膜に投影されたギルダとテオによるリアルタイムの監視ログを確認している。
オーウェンは短く息を吐き、 わずかに口元を緩めた。
「やはり、先ほどの非常階段でしょうか……お坊ちゃんの家出ごっこにしては、少し手が込んでいますね」
その声音には、 “自分にも覚えがある”という苦笑がほんのり混じっていた。
***
ギルダは非常階段の扉を押し開け、 ひんやりとした空気の中へ足を踏み入れた。
厚い扉の向こうから、アトリウムホールの喧騒が “遠い海鳴り”のようにかすかに漏れ込んでいる。笑い声とも音楽ともつかないざわめきが、 コンクリートの壁に吸われ、 低い振動だけが残っていた。
ギルダは周囲の死角を鋭い視線でなぞりながら、意識を隣のアトリへ向けた。
<アトリ、何か……話し声とか、足音とか聞こえない?>
アトリはすっと息を吸い、耳を澄ませる。
階段の奥――下の階から、かすかに声が響いてきた。
<……下の階。うっすらだけど、聞こえる……男の人と、女の子?二人で何か言い合ってるみたい>
<……二人?報告にあった令息の他にも誰かいるのかな>
二人は影のように気配を殺し、一歩ずつ、慎重に階段を下りていった。近づくにつれ、コンクリートに反響する声が明瞭な言葉を結び始める。
「ちょっとだけだって……!いいだろ、別に!」
「やっぱりダメ……!私、本当にいけないの……!」
「ここまで来て、何言ってんだよ!」
ギルダは思わず目を瞬かせた。
――どう聞いても、“悪質なナンパ”にしか聞こえない。
<ケンカしてるのかなあ?>
アトリの純粋な問いかけに、ギルダはこめかみを押さえ、呆れ混じりの溜息を思考の波に乗せる。
<いや……ああ、…うん…そうだね……>
ギルダは顔を上げ、 階段の下を指さすように視線で示した。
<アトリ、私が先に声をかける。もし下に逃げようとしたら……ここからジャンプして、行く手を塞いでくれる?>
<うん、任せて>
頼もしい返信を確認すると、ギルダはわざと激しくコツリ、と靴音を鳴らした。 無機質な階段室に響いたその音に、もつれ合っていた二人が弾かれたように顔を上げる。
スーツ姿の整った、しかしどこか傲慢さを感じさせる顔立ちの青年が、力任せに一人の少女の腕を掴んでいる。彼に引きずられるように立つ少女は、繊細なレースがあしらわれた純白のドレスに身を包んでいた。
ギルダは銀色の義眼の焦点を絞り、テオから共有されていた人相データと眼前の男を照らし合わせた。全域同期の負荷によるクールタイム中で高度な解析能力は沈黙していたが、その網膜にはっきりとターゲットの姿が焼き付く。
間違いなく、捜索対象のシグナス・コーデックスだった。
「嫌がっている女性を無理やり連れて行こうとするのは、感心しませんね」
ギルダは冷ややかな視線を青年に据えたまま、ゆっくりと階段を下りていく。
「それも、ヘリクスのご令息ともあろう方が。スタッフの方々が血相を変えてあなたを捜し回っているそうですよ?……これ以上ご自分の価値を下げるような真似は止めて、大人しく会場へお戻りください」
「はあ? なんだよ、あんた……」
不機嫌そうに顔を歪めるシグナスに対し、ギルダは無表情にホロパッドを展開した。
「この会場の護衛を任されている者です。……中佐、ご令息を西側非常階段の3号機で発見しました」
報告を聞いたシグナスの顔が、途端に険しくなる。
「軍の犬かよ! けっ、いくぞヴィヴィ!」
シグナスは少女――ヴィヴィアンの腕を強引に引き、階下へと駆け出そうとした。だが、その瞬間。
「……っ!?」
階段の上から音もなく「降ってきた」アトリが、シグナスの数センチ先へ鮮やかに着地した。彼は重力を無視したような軽やかな動作で、二人の行く手を完全に塞いでみせた。
「なっ……!」
シグナスが驚愕に目を見開く。背後にはギルダ、前方にはアトリ。完璧な挟み撃ちだ。
「早く、その女性を離してください。アトリウムホールへ戻り――」
ギルダが言いかけたその瞬間――シグナスはヴィヴィアンの腕をぱっと放し、血走った目でアトリの“手”を凝視する。
「は…?待って、なにこれ……!シェイプシフト合金!?はあ!?なんで動いてんだよこれ!!?」
「わっ……!?え、ええっ……?」
シグナスは完全に“技術者の顔”になり、獲物を見つけた子供のような勢いでアトリへ詰め寄った。アトリは困惑し、階段の段差にかかとを引っかけそうになりながら後ずさる。
ギルダは眉をひそめ、一歩踏み出す。
「ちょっと……!」
止めに入ろうとしたその時――
「もう! お兄様!!」
階段室に、澄んだ少女の声が鋭く響いた。ヴィヴィアンは白いドレスの裾を揺らしながら、呆れと怒りを半々にした表情で兄を睨みつける。
「びっくりしてるから止めて! 失礼でしょ!!」
その一喝に、シグナスは肩をびくりと跳ねさせた。さっきまでの勢いが嘘のようにしぼむ。ギルダはぽかんと目を瞬かせた。
「え……お兄様……?」
ヴィヴィアンは深く息を吐き、 ギルダへ向き直って小さく頭を下げた。
「その……勘違いさせていたらごめんなさい。私、このマッドエンジニアの妹なんです……」
“マッドエンジニア”の部分だけ、ほんの少しだけ声に棘があった。
***
『了解しました……そのまま二人を、北側の貴賓用応接室へ案内してください』
オーウェンは通信端末を閉じると、傍らに控えていた会場スタッフへ、社交用の微笑みを向けた。
「ご令息は、手の者が保護しました。ご安心ください」
その言葉に、それまで血の気が引いていたスタッフの顔に、劇的な安堵の色が広がる。
「あ……、ありがとうございます!迅速なご対応に感謝いたします!」
「それと、お嬢様もご一緒のようです。西側の非常階段にて、兄妹仲睦まじく過ごされていたようですよ」
「……えっ?」
スタッフの動きが、凍りついたように止まった。安堵の表情は一瞬で消え去り、代わりに困惑と、どこか底知れぬ恐怖が混じったような色がその瞳に浮かぶ。
「どうかされましたか?」
オーウェンが首を傾げ、探るような視線を向ける。スタッフは慌てて首を振ったが、その声は隠しようもなく震えていた。
「い、いえ……本日は、その……お嬢様は体調が優れず、参加されないと伺っておりましたので……少し、驚きまして」
「そうでしたか。まあ、兄妹で内密にサプライズを計画されていたのかもしれませんね。ともかく、お二人とも無事です。ご安心を」
オーウェンは努めて明るく接したが、スタッフは胸の前で指をきつく組み、無理に平静を保とうとしながら、掠れた声で言った。
「……すぐに迎えを、いえ、警備担当を向かわせますので……失礼いたします」
スタッフが逃げるように去っていく背中を、オーウェンは見送った。
***
「なーんで、軍の犬の言うことなんて聞かなきゃいけないんだよ!」
非常階段の踊り場に、シグナスの不満げな声が響き渡った。彼はギルダの警告を鼻で笑うと、獲物を見定めた子供のような瞳で、アトリの腕をしげしげと眺め回した。
「シェイプシフト合金を義手に使うなんて聞いたことない!なにこれ、変形できんの?おい、ちょっと近くで見せてくれよ。解体までは言わないからさ」
「お兄様ってば! もういいから、いい加減にして!」
ヴィヴィアンが真っ赤になって兄の袖を引くが、一度技術的好奇心に火がついたシグナスは岩のように動かない。アトリは引き気味に、じりじりと後退りした。
ギルダは眉間のあたりに青筋が浮かぶのを感じ、ふう……と心の中で深く、重いため息を吐き出した。相手は重要人物の令息だ。沸き立つ苛立ちをプロの仮面で抑え込むと、シグナスに向けて薄く、冷ややかな笑みを浮かべた。
「……どうせ見るなら、応接室でじっくりご覧になってはいかがですか?」
その提案に、シグナスとアトリの動きがピタリと止まった。
「応接室……?」
「ええ。こんなところより、その方が落ち着いて見られるでしょう?気が済むまで観察すればいい。その代わり、素直に従ってくれるなら、その腕の『変形』も見せてあげますよ……ねえ、アトリ?」
アトリはガーンという音が聞こえてきそうなほど衝撃を受けた顔で固まった。
<ごめん、アトリ…協力して……>
脳内に直接響いたギルダの切実な、どこか懇願するようなテレパスに、アトリは頬を引きつった笑みを浮かべて渋々頷いた。
「……わ、わかったよ。ちょっとだけだからね」
「本当か!?よし、交渉成立だ。ヴィヴィアン、行こう!……おい、案内しろ、応接室へ!」
シグナスの瞳が、新しい玩具を手に入れた子供のように爛々と輝く。彼は妹の腕を引く勢いで歩き出そうとしたが、その背中に氷のように冷たい声が突き刺さった。
「その前に、監視カメラを元に戻してもらえますか」
ギルダは動かず、顎で壁際の監視モニターを指し示した。
「……ジャミングしたのは、あなたですよね?まだ、ノイズが走っています」
一瞬の沈黙。シグナスは「ちっ」と小さく舌打ちすると、ポケットから無造作に小型デバイスを取り出した。
彼は手慣れた手つきで画面を操作し、偽装工作を解除した。モニターに映る無機質な廊下の映像が、数回の瞬きの後、正常な同期を取り戻す。
「ほら、直したぞ!これでいいんだろ? シェイプシフト合金の実測ができるなんて、今日は最高のレセプションだな!」
現金なもので、シグナスは先ほどまでの傲慢な態度が嘘のように、弾むような足取りで階段を上り始めた。
***
北側の貴賓用応接室へと続く、静まり返ったバックヤードの廊下。
先を急ぐシグナスの後ろを、ヴィヴィアンがドレスの裾を揺らしながら小走りに追っていた。その時、角の向こうから一台の清掃用ロボット「F-12」が滑り込んできた。ちょうど対角線上で二人の進路を塞ぐ、衝突不可避の角度だ。
(――ぶつかる)
ギルダは足を止めない。解析層はクールタイムの眠りについたままだ。だが、彼女が焦点を絞った瞬間、視界の隅で淡い灰色のインターフェースがひと呼吸だけ展開された。
《EMERGENCY MICRO-BURST》
•ゲイン:-20%(固定)
•最大持続:0.12sec
•実行時:Core Temp +1.8℃ / Cool +6min / Warning Stack +1
(一本だけ――)
ギルダは視線のみをロボットの姿勢制御コアへと固定し、瞬きを合図にトリガーを引いた。
清掃ロボの車輪がわずかに空転する、乾いた機械音が響く。ギルダの銀色の義眼がほんの一瞬だけ鋭く揺れた。それは、熟練の観測者ですら見逃すはずの、微かな“空気の皺”に過ぎない。
だが、たまたま正面でその視線を受け止める形になったシグナスだけは、それを見逃さなかった。
ロボットが不自然な挙動で壁際へと軌道を逸らし、ヴィヴィアンの脇を通り抜けていく。その瞬間、シグナスはピタリと足を止め、ギルダを凝視した。
「……今の、何?」
「何って、貴方たちがぶつかりそうだったから、ロボットが避けただけでしょ」
ギルダは感情を削ぎ落とした声で淡々と答える。しかし、シグナスは引き下がらない。
「違う」
シグナスの声が、珍しく低く響いた。それは兄としての焦りではなく、技術者としての“確信の匂い”を帯びた、冷徹なまでの探究心。
「F-12の進路補正プロトコルは深度センサー優先だ。障害物を検知すれば、絶対に“右に寄る”。壁側じゃなく、広い中央方向に逃げるはずなんだよ」
シグナスは一歩、獲物を追い詰めるように詰め寄り、ギルダの銀色の目を真正面から見据えた。
「俺はあの清掃ロボの制御AI、下位プロトコルの癖まで読んでる。今の“左へのブレ”は、ロボ自身のロジックじゃ絶対に出せない挙動だ……外部から逆相ノイズを叩き込まれた特有の動きだよ」
シグナスの瞳の奥で、狂信的なまでの熱量がぎらりと光る。
「あんた、今“何か”しただろ?」
誤魔化しようのない正論に、ギルダのまぶたがわずかに揺れた。彼女は内心で「めんどくさいことになった」と毒づきながら、肩をすくめてみせる。
「こっわ……確かに、マッドエンジニアだわ……」
思わず漏れた本音に、シグナスは不敵な、それでいてどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「なんだよ、それがあんたの素なの? まあ、何でもいいや! 応接室に行ったら素直に見せてくれるんだろ?」
シグナスはそう言い残すと、促されるままヴィヴィアンを連れて貴賓用応接室の扉の向こうへと消えていった。
残されたギルダは、扉の前で足を止め、隣に立つアトリを見やった。
「ごめん、アトリ。ヘリクスのスタッフに引き渡すまで、ちょっとだけ我慢してて……」
申し訳なさと、任務を完遂しようとする軍人としての顔が混ざり合ったギルダの言葉に、アトリは複雑な表情で頷いた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
キャラの濃いコーデックス兄妹が物語に関わってきました。
次回は、爆弾事実が発覚します。




