14.視覚同期
ヘリクス・ダイナミクス本社の前に立った瞬間、アトリは思わず足を止めた。
空へ向かって滑らかな曲線を描きながらそびえ立つそのビルは、まるで巨大な水晶の彫刻だった。表面を覆う特殊強化ガラスが、ドーム天井の人工光を複雑に反射し、周囲の灰色の街並みの中でそこだけが発光しているように見える。
アトリは首が痛くなるほど、ビルを見上げた。慣れないスーツの襟元をそっと指で直す。
隣に立つギルダは、ネイビーのパンツドレスに身を包んでいた。 普段の軍服とはまるで違う、落ち着いた光沢のある生地。 髪は丁寧にまとめられていて、横顔が少し大人びて見える。その手元を飾る純白のロンググローブは、華やかな装いの一部に見えて、その実、布の下に隠された無機質な義手の存在を静かに際立たせていた。
ギルダは腕を組み、淡々とした声で言う。
「ヘリクスの本社は三棟あって、これは“中央棟”。軍のユニット開発部門もここに入ってる」
「こんな大きいのに、まだ他にもあるの……?」
「あるよ。ここは“見せる用”のビルだから」
アトリは意味が分からず首を傾げたが、ギルダはそれ以上説明しなかった。
ふたりはエントランスへ向かう。
自動ドアが静かに開いた瞬間、アトリは息を呑んだ。
「うわぁ……」
天井は高く、光が柔らかく反射する白い大理石の床。 壁面にはホログラム広告が流れ、複数のロボットが受付や案内を淡々とこなしている。人間と機械が淀みなく混ざり合うその光景は、規制によって止まったはずの「未来の都市」を、そこだけ強引に切り取ってきたかのようだった。
そして―― その“未来”を守る象徴として、 ロビーの両側には 多脚警備ロボット が整然と並んでいた。艶のない黒い外装。 節の多い脚部。関節ごとに埋め込まれた赤外センサー。胸部にはヘリクス社のロゴが刻印されている。
そのなかでも、アトリの視線は、ロビーの中央で異彩を放つ「巨大な壁」に釘付けになった。それは、天井まで届こうかという透明なアクリルの円柱。その内部を満たしているのは。透き通った青い水。
水槽の中を、色鮮やかな魚の群れが光の粒のように泳いでいる。水草が泡を纏って揺れ、光の屈折がロビーの壁にゆらゆらと波紋を投げかけていた。
「水……これ、本物の魚……?」
アトリは吸い寄せられるように水槽へ近づき、冷たい透明な壁にそっと指先を触れた。ギルダも隣に並ぶ。
「うん。連邦を代表するロボット企業だから、中身も精巧な機械かと思うでしょ?でも、これは本物の魚なんだって」
ギルダの銀色の義眼が、水槽の青い反射を受けて微かに瞬く。
「今時、本物の生き物を探すほうがずっと大変なのにね。……まあ、それだけ贅沢ができる場所ってことなのかな。外縁じゃちょっと考えられないよね」
水槽の底から昇る細かな泡が、光を反射してアトリの瞳の中で弾ける。ギルダはふと視線を落とし、何かを確かめるように問いかけた。
「……アトリ。海は、見たことある?」
アトリは指先を動かし、一匹の小さな魚の動きをなぞった。
「どうだろう……たぶん、ないんじゃないかな」
そう答えて振り返ると、ギルダは口元だけに微かな笑みを浮かべていた。慈しむような、それでいて、どこか遠い日の忘れ物を一人で見つめているような、ひどく寂しくて言いようのない表情。
「そうだよね……」
彼女は一度だけ強く瞬きをすると、すっと仕事の顔に戻って歩き出した。
「さ、行くよ。前向いて歩かないと迷子になるからね」
「ならないよ!……たぶん」
アトリは慌てて指を離し、駆け寄る水槽の波紋が、いつまでも背中のあたりでゆらゆらと揺れているような気がした。
ロビー奥の受付カウンターには、 一体の女性型ロボットが立っていた。 関節の動きは滑らかすぎて、 “作られた優雅さ”が逆に際立っている。
アトリとギルダが近づくと、 ロボットの目に淡い青のラインが走り、ふたりを認識した。
『――ようこそ、ヘリクス・ダイナミクス中央棟へ』
声の響きは柔らかい。しかし、そこには一切の温度が宿っていない。それは何万回もの試行を経て完璧に調整された、記号としての“歓迎用の声”だった。
「招待客のギルダ・カルスタです。こちらは弟のアトリ。同行者として登録してあります」
ロボットは一礼し、 胸元のホログラムパネルを静かに展開した。
『確認いたします。お手元のIDを、こちらの認証フィールドへ』
ギルダは自然な動作でホロパッドを起動し、 青い光のIDタグをロボットのパネルへかざす。
「ギルダ・カルスタ様、外縁ロボティクス・ソリューションズ技術部門よりご招待。同行者、アトリ・カルスタ様――確認しました」
アトリもぎこちなくホロパッドをかざす。 ロボットの目が一瞬だけ明滅し、すぐに柔らかい光に戻った。ロボットは続けて、傍らにあるゲートを流麗な所作で指し示した。
『お二人ともサイボーグ登録がございますので、こちらの専用セキュリティゲートをご利用ください』
ギルダが小声で囁く。
「大丈夫。普通に通ればいいよ」
ふたりは並んで、淡い青の光が流れるゲートへ進む。ゲートが起動し、身体の輪郭をなぞるように光の帯が走る。持ち込み禁止の武装や危険物がないかを確認する、厳格なセキュリティスキャンが行われた。
「ギルダ・カルスタ様、アトリ・カルスタ様、おふたりとも通過を許可します」
ロボットは再び微笑む形だけの表情を作り、 手を軽く広げて案内した。
「本日のレセプション会場は、25階・アトリウムホールとなります。エレベーターAをご利用ください。どうぞ、良いひとときを」
エレベーターAの前には、すでに数人の招待客が並んでいた。スーツ姿の男女、企業関係者らしい人々。 アトリとギルダは列の最後尾に並ぶ。エレベーターが到着し、静かな電子音とともに扉が開く。 内部は広く、壁面には淡い青のラインが走っていた。
扉が閉まる。
上昇が始まった瞬間、 アトリは横目でギルダを見上げ、そっと意識をつなげた。
<……ぼく、ギルダの弟なんだね>
ギルダは表情を変えず、視線だけを前に向けたまま返す。
<そうだよ。それが一番自然でしょ?>
<……うん。なんか、ちょっと変な感じだけど>
<変じゃないよ。アトリは弟っぽいし>
ギルダは口元だけで小さく笑った。
エレベーターが静かに減速し、「25F」の表示が光る。軽い電子音とともに扉が開く。
まず、前にいた招待客たちがゆっくりと降りていく。華やかな香水の匂い、衣擦れの音、控えめな会話の気配―― 廊下が“パーティー前の空気”で満たされる。
ギルダとアトリもエレベーターを降りると、廊下の端で待機していたスタッフ用の案内ロボットが、 静かに一歩前へ滑るように近づいてきた。 白いボディが照明を受けて淡く光る。
「ヘルマン・オーウェン様より、別室へご案内するよう申しつかっております。こちらへどうぞ」
ギルダは軽くうなずき、アトリの背を押す。
「行こ」
ふたりはロボットに案内され、 一般客が向かう華やかなアトリウムホールとは逆方向――“STAFF ONLY”と表示された扉へ進む。すると、通路の奥に、 黒いパネルで覆われた重厚な扉があった。
ロボットが立ち止まり、扉に手をかざす。
「セキュリティオペレーションルーム――開錠します」
低い電子音とともに、扉が左右にスライドした。中は薄暗く、 壁一面に監視モニターが並んでいる。 会場の映像、廊下の映像、外周の警備ライン――すべてがリアルタイムで映し出されていた。
その中央で、オーウェンが椅子に腰掛けていた。 黒を基調とした軍礼服。 銀の階級章がモニターの光を受けて鋭く反射し、彼の輪郭をより端正に見せている。
そのすぐ傍らでは、リアが屈伸運動に励んでいた。普段のダークグレーの戦闘服を脱ぎ捨て、今日は黒のスーツに白シャツという「企業レセプション仕様」の装いだ。しかし、正装であってもその身のこなしは軽く、ジャケットの布地越しに鍛え抜かれた筋肉の躍動が伝わってくる。
リアは屈伸を止め、軽く顎を上げた。
「……あ、来た!」
オーウェンが顔を上げた。モニターの光が眼鏡の奥で知的に反射し、その表情にはいつもの柔和さと、任務に向き合う軍人としての鋭さが同居していた。
「ああ、ふたりともご苦労様です。今日はよろしくお願いします」
その瞬間、リアがアトリの肩をばん、と叩いた。 濃紺のスーツ姿のアトリを見て、目を細める。
「いいじゃんアトリ!決まってんじゃん!」
「そうかな?」
アトリは照れたように笑い、襟元をそっと触る。
その横で、ギルダがじとっとした視線を向けた。
「リア、私は?」
リアは腕を組んで彼女を上から下まで眺めると、一言だけ短く言った。
「うーん……ギルって感じ!」
「こいつ……」
ギルダのこめかみがぴくりと跳ねる。不穏な気配を察したアトリは、慌てて話題を切り替えた。
「オーウェン中佐、素敵な服を用意していただいてありがとうございます!」
「いえいえ。サイズだけを伝えて、あとは信頼できる伝手に丸投げしていたので、実は少し心配していたのですが……どうやら杞憂だったようですね」
ギルダは姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。
「……ありがとうございます。ただ中佐、もし次回があるなら解説資料も添付していただけると助かります」
「解説資料?」
「付属していたアクセサリーの固定位置が、どうしてもわからず…結局、基地にいた治安部隊の方々に聞き回る羽目になりまして……」
補足するように、アトリが気の毒そうな顔で口を挟んだ。
「そうなんです。『これは頭につけるのか、腰なのか、それとも胸元なのか』って、ギルダがいろんな人に確認して回ってて……」
「……最終的にはですね」
ギルダが恨めしげな視線を向けた。
「『誰かが私をからかっているのではないか』という空気が流れ始めまして……。隊員たちから、なんとも言えない、こう……腫れ物に触れるような、慰めるような妙な笑顔で対応されました」
「…………それは……」
オーウェンがわずかに肩を震わせた。彼は拳を口元に当て、必死に咳払いをすることで、込み上げてくる笑いを誤魔化した。
「……大変、失礼しました。まさかそんな騒動になっていたとは。配慮が足りませんでしたね。次回からは資料も必ず添付しましょう」
「お願いします…」
その時、テオが静かに部屋へ入ってきた。 彼もまたリアと同様、黒のスーツに身を包んでいる。無機質なその出で立ちは、彼の静かな佇まいをより強調しているようだった。
テオの視線が、並んで立つ二人の正装を捉えた瞬間、わずかにその目が見開かれる。
「おお……」
短い感嘆のあと、彼はほんの少しだけ顎を引き、いつもの無表情のまま、しかし確かに褒める声で言った。
「……結構、様になってる」
ギルダは少しだけ得意げに肩をすくめた。
「ありがとう、テオ。あとで煙草ひと箱あげる」
その言葉に、テオが小さくガッツポーズをする。
「……よし」
リアが勢いよく振り返る。
「は!?だったら先に言えよ!もっと褒めたし!」
オーウェンはその騒ぎを穏やかな苦笑いで受け流し、視線をテオへと向けた。
「テオ君、監視カメラの同期状況はどうですか?」
テオは無機質なモニター群を見つめたまま、 腕につけたN-Linkを指先で軽く操作する。
「25階のメインフロア以外は同期が終わりました。現在、非常階段、エレベーターシャフト、および上下階の管理区域……計48台の監視カメラを掌握しています」
テオはコンソールを叩く手を止め、隣に立つギルダへ視線を送った。
「……ギル。今からそっちの義眼へ、バックヤードの全データを流し込む。一度にこの数は……いけるか?」
ギルダは銀色の義眼を細め、不敵な笑みを浮かべた。
「余裕」
彼女は部屋の隅にある無機質なソファーに深く腰を下ろし、軽く目を閉じる。その様子を不思議そうに見ていたアトリが、傍らに寄って顔を覗き込んだ。
「ギルダ、何するの?」
「この前、違法規格のサイボーグを探したときに監視カメラと私の眼を同期したでしょ?今回はその“パワーアップ版”。 今日はテオが処理を肩代わりしてくれるから、私一人の時とは比べ物にならない情報量までいけるよ」
テオは「N-Link」のコンソールを見つめたまま、短く告げた。
「いくぞ」
その刹那、彼女の瞳が鋭く発光した。 テオの指先が最後の一打を叩き込むと、膨大な映像ログがリンクを介し、流雪のような勢いで彼女の脳内へと流れ込んだ。
本来なら脳が焼き切れるような情報負荷だが、テオ側でデータのタグ更新とストリーム生成を自律処理し、そのリソースを肩代わりしている。 おかげでギルダは、意識を極限まで削ることなく、48ラインもの視界を自身の神経の一部として掌握していた。
ギルダは静かに目を細め、右眼の義眼に投影される仮想の立体地図を精査する。
「はい、完了。3Dマッピングの展開と、来客の動線予測……人間、サイボーグ、ロボットの種別タグ付けまで済ませた。とりあえず、これくらいでいい?」
リアがこめかみを押さえながら、たまらず声を上げた。
「テオ、細かいのは要らないから“動きだけ”くれ。情報量が多すぎて脳がバグる」
「わかってる」
テオは淀みのない操作で情報を圧縮し、個別の最適化を施して再送信した。
アトリの目の前に、 淡い光のプロジェクションがふわりと展開される。それはテオが“直感的に理解できるよう”に整形した、 警備状況のダイジェストだった。
「うわッ」
アトリは思わず声を上げ、 目の前の地図に手を伸ばす。
テオはモニターから目を離さず、 淡々と告げた。
「それはホロパッドのような実像投影とは違う。お前の脳が直接捉えている映像だ。触ることはできないし、外からも見えない。邪魔なら自分でオフにしろ」
アトリは手を止め、 自分の指が空を切ったことに気づいて、 少しだけ恥ずかしそうに笑った。
オーウェンも手元のホロパッドを展開し、最新の地図を確認する。
「会場内の位置情報はリアルタイムで更新し続けます。メインフロアについては、このあと我々が実際に巡回して同期を完了させます。同期が終わった段階で、ギルダ君とアトリ君は一般客に紛れ、周囲の警戒にあたってください」
オーウェンが静かに立ち上がると、呼応するようにリアとテオは自然と彼の背後へ回り、影のように控えた。
「アトリ君。ギルダ君は同期の間、映像の再構成に脳のリソースをほとんど割かねばなりません。全域同期を終えると、しばらく解析能力が落ちてしまう」
オーウェンは歩きながら、アトリへ視線を向ける。 その声音は穏やかだが、任務の重さを正確に伝えるものだった。
「ですから、ギルダ君の安全確保は君に任せますよ。彼女が“目”を使えない間、代わりに“耳”と“足”になってあげてください」
「はい」
アトリは背筋を伸ばし、力強く頷いた。
「ギルダ君、こちらを」
オーウェンは手慣れた動作で一丁の拳銃を差し出した。ギルダは無言で受け取ると、仕立ての良いジャケットの内側へと滑らせるように収納した。
オーウェンは満足げに頷き、リアとテオへ視線を移した。
「では――ご挨拶回りに行きましょうか」
一行は部屋を後にし、開放的なアトリウムホールへと踏み出した。そこには先ほどまでの静寂とは対照的な、煌びやかで騒がしい社交の場が広がっていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回は、社交パーティーに参戦!
ヘリクス社長との邂逅です。




