13.レセプションへの招待
アトリは眼を開けた。
白く、どこまでも深い空間が広がっている。
≪――調子はどう?≫
あの声だ。 目覚めた時に聞こえた、温度の抜けた声。
声の方へ視線を向けると、 黒い影が、こちらを静かに見つめていた。
輪郭が常にわずかに揺れ、 ノイズのように粒子がこぼれ落ち、人の形をしているのに、どこか“情報が欠けている”。
アトリは一歩踏み出そうとする――が、足が前に出ない。 距離が縮まらない。
――君は、だれ?
声にならない声が、意識の奥から押し出される。
≪安心して。君を傷つけたりしない。むしろ……君の役に立ちたいんだ≫
影がわずかに揺れる。
≪S-9ゲートのこと、ここなら思い出せるでしょ?≫
アトリの胸が跳ねた。忘れていたはずの光景が、急に蘇る。自分の頭を通して、巨大な扉が開いたあの瞬間。
――何がしたいの?
警戒が滲む。
影は、まるで微笑むように声を落とした。
≪君に“僕の力”を使ってほしい。でも……君が呼んでくれないと、僕は動けないんだ≫
アトリの胸に、じわりと苛立ちが広がった。 影の声が、自分の意志の上に覆いかぶさってくる。
――ぼくの体は、ぼくのものだ。
影は沈黙した。表情は見えないのに、笑っている気配だけが伝わる。
≪君は僕を呼ぶ。――必ず≫
白い空間が、ゆっくりと揺らぎ始めた。
≪僕は、いつでも近くにいる≫
影の声が、耳の奥に残る。
≪だから――忘れないで≫
……
…
アトリはゆっくりと目を開けた。
自分の部屋。天井。胸の奥に、何かが引っかかっている気がする。
「……夢?」
思い出そうとすると、指の間から水がこぼれるように消えていく。 ただ、妙なざわつきだけが残った。
***
外縁第47基地の屋上。
薄い朝光が金属の縁を冷たく照らし、ギルダの口元から白い息がふっと漏れた。
向かい合うギルダとアトリ。ギルダの手には訓練用のレプリカナイフ。アトリは軽く膝を曲げ、構えを取る。
ギルダが淡々とルールを告げる。
「首、頭、胸。どこか急所に当てられたら1ポイント。私は3ポイント、アトリは1ポイント取れたら勝ちでいい?」
「……流石になめすぎ!」
アトリがムッと眉を寄せる。ギルダは口元だけで笑いナイフを軽く揺らした。
「そう?まあ、やってみようよ。負けたほうは、朝食のお皿洗いね」
余裕の笑み。ギルダがナイフを構えた瞬間、空気が変わる。 隙がない。呼吸すら読めない。アトリは息を吸い、N-Linkを起動した。 視界がわずかに開ける。
アトリは地面を蹴り、一直線に踏み込む。だが――ギルダの義眼が細く光った。次の瞬間、アトリの身体が“噛み合わなくなる”。 初めてギルダに会った時と同じ、あの奇妙な硬直。
「うッ……!?」
動きが止まったアトリの首元に、 ギルダのナイフが静かに触れた。
「はい、1ポイント」
アトリは硬直が解けると同時に後方へ跳び、距離を取る。
「ねえ!その固まるやつ何なの!?」
ギルダはナイフを軽く回しながら、悪戯っぽく目を細めた。
「まだ内緒。それにアトリ、“いくぞ”って顔に出すぎ。タイミングが分かりやすくて止めやすいよ。ほら、次は?」
アトリは悔しさを隠しきれず、ぐっと唇を噛む。
ギルダは軽く足を踏み込み、姿勢を低くした。 地を這うような低い軌道で一気に間合いを詰める。
「来ないなら……こっちから行くよ」
アトリが反応するより早く、ギルダのナイフが足首をかすめた。
「急所じゃないから、今のはカウントしないであげる」
二撃目が来る――その瞬間。
アトリの右手が、金属音を立てて形を変えた。指が細く伸び、フック状に収束する。フックが手すりへ“カチッ”と噛みつく。
「……っ!」
そのまま身体を横へスイングし、ギルダの刃を抜ける。着地と同時に、左手が一気に広がり“捕獲形状”へ。 アトリが前へ出て、ギルダの動きを塞ぐ。
ギルダの目がわずかに見開く。解析が走る。
「……なるほどね」
次の瞬間、ギルダの姿が横へ抜けた。アトリの死角をすり抜け、背後へ回り込む。背中にナイフの冷たい感触。
「2ポイント。あと1ポイントだよ」
ギルダは短く告げる。
「アトリ、考えてから動くな。動きながら考えて」
アトリは息を整え、ギルダの視界を切るように横へ滑る。だがギルダは想定していたように腰を落とし、再び低い軌道で踏み込んでくる。
目が合った瞬間、ギルダの気配が“刺す”ように変わる。アトリの背筋がびくりと跳ね、N-Linkが反射的に出力を噴いた。
「あ」
意図より先に身体が跳ね上がる。制御が追いつかず、思った以上に高く飛んでしまった。仕方なく、空中で腕をブレード状に変形させ、その勢いのままギルダへ振り下ろした。
ギルダは即座に腰のホルスターへ手を伸ばし、
「バン」
撃つ真似をしながら、アトリの横へ抜ける。
アトリはそのまま着地し、振り返る。
「3ポイント。私の勝ち」
ギルダは銃をくるくる回しながら、軽く笑う。
「こんな見通しのいい場所で真上に跳ぶなんて、撃ってくださいって言ってるようなもんだよ。本番だったら蜂の巣だね」
「ちょ……銃を使うって聞いてない!」
「言ってないもん。戦場は“使えるもの全部使う”。ルールなんか後回し」
ギルダは銃をしまい、屋上の入り口へ歩き出した。
アトリは結局、1ポイントも奪えなかった。 義体の性能だけなら戦闘力は自分のほうが上のはず――それでも、ギルダは読みと最適化で全部ひっくり返してくる。自分はまだ“使い切れていない”。
「ギルダ、また訓練して!」
背中に声を投げると、ギルダは振り返らずに手だけひらひらと上げた。
「いいよ。私、先にシャワー浴びてくる。……で、今日の朝ごはん何?」
「オムレツ」
「なら急ぐ」
ふたりは並んで、基地の中へ戻っていった。
***
食堂のテーブルに、湯気の立つオムレツが並んだ。残っていた野菜を細かく刻んで混ぜ込んだもので、焼き目は薄く、表面はとろりと柔らかい。
ギルダはスプーンで端をすくった。
「……うん。おいしい」
アトリが嬉しそうに胸を張る。
食べ進めていると、ギルダがふっと視線を上げた。
「さっきの…体が“固まるやつ”、気になる?」
アトリは即座に身を乗り出す。
「気になる!あれ何なの!?」
ギルダはスプーンを皿に置き、右目の縁を軽く指で叩いた。
「逆位相って言って……相手の“体のリズム”を読み取って、その真逆の信号をぶつけて、一瞬だけ噛み合わせを壊す仕組み」
アトリが瞬きをする。ギルダは続けた。
「サイボーグとかロボットの中枢って、一定のテンポで動いてるんだよ。関節を動かすのも、バランスを取るのも、反応するのも、全部が同じリズムで同期してる」
右目の義眼が淡く光る。
「この眼は、そのテンポを解析して“逆向きの揺らぎ”を送り返す。……揺れてるものって、反対側から同じ力で押すと止まるでしょ? あれと同じで、義体が動くための信号が一瞬だけ消える」
「……だから、ぼくも止まったの?」
「そう。ほんの一瞬だけね。でも戦闘じゃ、その“一瞬”で十分」
ギルダはまたスプーンを手に取り、オムレツをすくいながら続けた。
「個体によっては効きにくいのもいるよ。視界を遮られたら撃てないし、連発すると負荷もかかるし……万能ではないけど、初見で見破られたことは、まだ一度もないね。――ご馳走様」
アトリが皿を洗っている横で、ギルダは煙草を一本くわえた。食後、換気扇の下で煙草を吸いながらブルーの報告を聞く――それがいつもの流れだった。
ブルーは静かに頭部を傾け、目を明滅させた。
『昨夜の補給データに軽微な改ざん痕を検出。数量ログが一度削除され、直後に別値で再入力されています。上書き時刻と端末の処理記録に数秒の不整合あり』
「うーん、ただの入力ミスっぽいけど、いちおう――」
ギルダが煙を吐きかけた、その瞬間。
『――着信。 監査執行局、ヘルマン・オーウェン中佐からです』
ブルーの発光が一段階強くなり、そう告げる。
「わ、わわわ……!」
ギルダは煙草を灰皿に押しつけた。オーウェンは煙草にうるさい――その条件反射が身体に染みついている。
「ちょ、ちょっと待って……!消すから……!」
じゅっ、と湿った音がして煙が散る。ギルダは慌てて背筋を伸ばし、髪を耳にかけ直し、表情を一気に“軍人の顔”へ切り替えた。
「アトリも話しするかもだから、準備して」
「わかった」
アトリはテーブルを拭き終え、姿勢を正して着席する。
ギルダは深呼吸をひとつ置き、ブルーに向かって短く告げた。
「……はい、いいよ」
『接続します』
ブルーの青い“目”が柔らかく明滅し、 空中に淡い青のホログラムが展開されていく。光が収束し、執務室にいるヘルマン・オーウェンの姿が浮かび上がった。
『おはようございます、ギルダ君、アトリ君』
ギルダは即座に背筋を伸ばし、軽く敬礼する。
「おはようございます」
アトリもギルダに倣い、ぎこちなくも丁寧に敬礼した。
『朝からすみません。アトリ君、どうです?そちらの生活には慣れましたか』
「はい。外縁治安部隊の人たちにも親切にしてもらっています」
オーウェンは穏やかに微笑んだ。
『それは良かった。このまえの違法サイボーグの件も、お疲れさまでした。ふたりとも、うまくやっているようで安心しています』
ギルダはホロパッドを指先で操作し、オーウェンのスケジュールを確認して眉を寄せた。
「あの、中佐……あと10分後に審問が入っているようですが」
『ええ、そうなんですよ。なので、端的にお話しますね』
過密スケジュールのはずだが、オーウェンはまるで気にしていない。
『来月、お二人に――監査執行局案件で協力してもらいたい任務があります』
そう言うと、ホログラムの映像が切り替わり、高層ビル群の一角にそびえる企業ビルが映し出された。
『とある企業の創業記念レセプションがありまして。レセプション終了までの安全確保の任務です』
ギルダは画面を見て小さく息をつく。
「ヘリクス・ダイナミクスですか」
アトリが首を傾げる。
「ヘリクス……?」
「AI・ロボティクス、エネルギー事業の中核企業だよ。 軍で使ってるユニットもヘリクス製が多い」
オーウェンが頷く。
『はい。連邦を代表する巨大企業のひとつです。 ここ数ヶ月、ヘリクス関連施設が“創造規制法反対派”を名乗る勢力から立て続けに襲撃を受けていましてね。軍としても、これ以上の被害は看過できません』
映像が切り替わり、レセプション会場のレイアウトが表示される。
『今回のレセプションには政府関係者や軍上層部も出席します。 そのため、我々監査執行局も警備ラインの一部に組み込まれました。 お二人には一般参加者として会場に入り、不審者の察知と初動対応をお願いします。 必要なIDはこちらで手配します。 リア君とテオ君、そして私は要人護衛に回ります。 取締部を中心に、会場内の警備ラインも増強済みです』
オーウェンは一度区切り、穏やかな声で続ける。
『……以上です。ここまでで質問はありますか』
アトリが勢いよく手を挙げた。
「はい!」
『どうぞ』
「どうして創造規制法反対の人が、その企業を狙うんですか?」
オーウェンは、少し困ったように笑った。
『……簡単に言うと、“軍に従っているから”嫌われているんです。軍とヘリクスは長年の協力関係にありますからね。反対派から見ると、規制に従うヘリクスは“未来をあきらめた象徴”なんです』
オーウェンは指先で机を軽く叩きながら続ける。
『象徴を壊せば、世間に“規制法は間違っているのでは”と印象づけられる。軍そのものは落とせない。だから、その“隣”を殴る。 ……理不尽ですが、こういう人たちはいつも“象徴”を選んで撃つんですよ』
「軍に協力してるから狙われる……?」
『そうですね。表向きは、ですが』
「……?」
含みのある言い方にアトリは首を傾げる。
その時、通信の向こうから慌ただしい声が割り込んだ。
『オーウェン中佐!審問まで5分切ってます!』
リアの焦った声だ。
『大丈夫ですよ。十秒前に席についていれば問題ありません』
まるで散歩の時間を告げられた程度の反応だ。普通の審問官なら直前まで資料と格闘しているはずだが、オーウェンはまったく動じない。
続いてテオの声が入る。
『中佐、データは審問室のデータベースに送信しておきました』
『助かります。――さて、ギルダ君、アトリ君』
オーウェンは軽く姿勢を正し、仕事の声に戻る。
『要人リスト、防衛ライン、会場動線。 必要な情報はすべて資料にまとめていますので、目を通しておいてください。よろしくお願いします。』
腰を上げかけたオーウェンが、ふと思い出したように付け加えた。
『あ、そうだ。レセプションですので、相応の装いで来てください。こちらで一式手配してあります。今日中に届くはずです。では』
柔らかい笑みを残し、通信が静かに途切れた。
しばしの沈黙。
ギルダはホロパッドを指先で操作し、レセプションの日程を確認する。
「……ちょうど一か月後か」
ぼそりと漏らす声は、どこか引っかかりを含んでいた。
資料をスクロールしながら、ギルダがアトリに声をかける。
「アトリさー……」
「なに?」
「今朝みたいな訓練、ちょっと増やそうか。 朝と夕方。監査案件がない日はやろう」
アトリの顔がぱっと明るくなる。
「いいの!?本当に!?」
ギルダは頷くが、表情はアトリとは対照的に少し渋い。
「うん……なんか、きな臭い感じがするなー…」
ギルダの声には、経験から来る“嫌な予感”がわずかに滲んでいた。
その瞬間、ブルーの目が明滅する。
『荷物が到着しました』
外からドローンの低い駆動音が聞こえ、 続いて“ドサッ”と箱が置かれる音。
「見てくる!」
アトリはわくわくした様子で駆け出し、 ほどなくして大きな箱を抱えて戻ってきた。ギルダが箱を開けると、アトリ用のスーツ一式、ネクタイ、靴。ギルダ用と思われるネイビーのパンツドレスに、靴、アクセサリーまで全部そろって入っていた。
「うわ……サイズとか、なんで知ってんのあの人……」
ギルダは少し引き気味に眉をひそめる。
アトリは箱の中を覗き込みながら言った。
「ねえ、これハンガーにかけといたほうがいいんじゃないかな?」
ブルーの目が点滅する。
『推奨します。皺防止と素材保護のため、吊り下げ保管が最適です』
「そうみたいだね……高そうだな、これ」
ギルダはパンツドレスを持ち上げ、付属のアクセサリーを見てさらに困惑する。
「つけ方わかんないんだけど……」
「アイビーさんとかに聞いてみたら?」
「はあ…なんか、面倒そうな案件だな、いろいろと…」
ギルダはため息をつきつつ、 アクセサリーをそっと箱に戻した。
今回からヘリクス編に入ります。
次回はヘリクス・ダイナミクスのレセプションパーティーへ潜入!
※イラストはレセプションの装いのギルダ&アトリです。
Xでイラストなども公開してますのでぜひ…
https://x.com/Kclsgan2irVDDTf




