11.医工師サリバン
「アトリ、紹介するね。彼女はドクター・サリバン。……私たちSecondの“基礎設計”に関わった人だよ」
ギルダの言葉に、アトリは目を見開く。
白衣の女性は、柔らかな微笑を浮かべながら頷く。 白髪まじりのウェーブがかった髪、控えめなシルバーのイヤリング。 その佇まいには、長い年月を医療に捧げてきた人間の静かな威厳があった。
「初めまして、アトリ君。私はシーラ・サリバン。外縁でサイボーグ専門の医工師をしているものよ。昔は軍の開発局にいたのだけれど……随分前に辞めたの」
ギルダが補足するように続ける。
「サリバン先生は、医師でもありエンジニアでもある。生体側と義体側を一度に診られる“医工師”っていう珍しい職業なんだ。体に何か不調が起きたら、いちいち本部に戻るのも大変だからね。最初にサリバン先生に診てもらうことも多いんだよ」
アトリは丁寧に頭を下げた。
「初めまして、アトリです。あの……ぼくたちの設計をしたって本当ですか?」
その問いに、サリバンはわずかに眉を寄せた。 否定でも怒りでもない、もっと複雑な影がその表情に落ちる。
「“創った”なんて言えるほど、胸を張れる仕事じゃないわ。私は……最初の骨組みに触れただけ」
サリバンの視線がアトリの義手へと落ちる。 その一瞬に、長い年月の重さが滲んだ。
「高度医療化のための新しい義体の開発だと、最初はそう聞かされていたわ。失われた機能を補い、患者の生活を取り戻すための技術…… 本来は、そういう設計だったのよ」
そこで言葉が止まる。 目元に、年齢相応の深い影が落ちた。
「ギルダの義眼だって、最初は視覚補助と神経負荷の軽減が目的だった。それだけで十分だったはずなのに…… 後から後から“追加機能”が押し込まれていったわ。戦術支援、索敵、干渉、制御…… 気づけば、私が最初に創ろうとしていたものとは、まるで別物になっていた」
その声は静かだが、刃のように鋭い。 抑え込んできた悔しさが、言葉の端々に滲んでいた。
サリバンははっとして、アトリに向き直る。
「……ごめんなさいね。あなたたちに憤っているわけじゃないの。誰を責めればいいのかも、もう分からないのよ。ただ……こんな形でしか残せなかった自分が、悔しいだけ」
そして、静かに告げる。
「子どもで実験すると決まった時点で、私は軍を辞めたわ。医師として……エンジニアとして、あれ以上は許せなかった。だから今は、こうして外縁で細々と医工師をやっているの」
ギルダが姿勢を正し、サリバンへ向き直る。
「サリバン先生、ちょっとアトリのことで気になることがありまして」
「何かしら」
「アトリが起きた時に、頭の中で“声”がしたそうなんです。その声に従って、軍の地下施設から脱出したと……」
アトリは静かに頷いた。
ギルダは言葉を選びながら続ける。
「復元局の検査では、核心的なことは何も分からなくて。サリバン先生なら何かお分かりになるかと思って、今日こちらに連れてきました」
サリバンは少しだけ目を細めた。“声”という単語に、医師としての反応と、技術者としての反応が同時に走ったような表情。
「声は……あなたの意志とは関係なく聞こえたのかしら?」
アトリは少し考え、言葉を探す。
「はい。頭の中に勝手に落ちてきた感じです。『次はこっち』『次はあっち』って……でも、あれ以降は何も聞こえません」
サリバンは短く息を吸い、椅子に深く腰を下ろした。
「そうねえ……一応調べてみましょうか。アトリ、いいかしら?」
「慣れてるので大丈夫です」
その返事に、サリバンは小さく微笑んだ。
「慣れてしまうほど検査されたのね……」
サリバンは控えていたジョゼへ視線を送る。
「ジョゼ、ニューロ・レイヤースキャナの準備をお願い。深層域まで見られる設定で」
ジョゼは軽く頷き、すぐに動き出す。
「はい、立ち上げてきます。深層ログ照合モードも有効化しておきますね」
***
検査室は、復元局の白く眩しい照明とは違い、柔らかい間接光が天井を淡く照らしていた。壁際のスピーカーからは、落ち着いた音楽がごく小さく流れている。
アトリは検査台に横たわり、頭部を固定する薄いフレームが静かに閉じる。機械の駆動音は低く、規則正しく、まるで眠りを誘うようなリズムだった。
ガラス越しの隣室では、ギルダが腕を組んで立っている。緊張しているわけではないが、視線はアトリから一瞬も離れない。
ジョゼが端末を操作しながら言う。
「スキャナ、深層域まで到達。いつでも開始できます」
サリバンはアトリの枕元に立ち、優しく声をかけた。
「スキャンに少し時間がかかるわ。眠ってしまっても大丈夫よ。痛みは出ないから、安心して」
アトリは小さく頷き、ゆっくりと目を閉じた。
サリバンは静かに部屋を出て、ガラス越しの観察室へ移動する。
ギルダはサリバンに軽く会釈するだけで、視線はアトリに向けたままだ。
サリバンはPCの前に座り、指先で軽やかにキーを叩き始める。画面にはアトリの脳波と義体側の神経層のデータがゆっくりと立ち上がっていく。しばらく作業を続けていたサリバンが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ギルダ。頼まれていた“例の件”だけれど……」
「――ああ、ブルーの定期メンテナンスの件ですね」
ギルダは、かぶせるように即答した。サリバンがひとつ瞬きをする。虚を突かれたような、わずかな間。
ギルダはその反応を見なかったふりをして、ホロパッドを素早く操作し始めた。
「本当に申し訳ないんですけど、ちょっと予算の方が難しくて……見積プランをいただきたいんですが。この範囲なら、なんとか通せると思います」
ギルダは書き込みを終えると、ホロパッドを反転させてサリバンに見せた。
画面には、短い一文が添えられている。
<Atri hears too well. Not here.>
――アトリは耳が良い。ここじゃダメ。
サリバンは画面を一瞥し、状況を理解したように小さくため息をついた。
「……わかったわ。じゃあ、その話は事務所の方でしましょ」
サリバンはマイクに手を伸ばし、検査室へ向けて声を送る。
「ジョゼ、私とギルダは事務所に行くわ。スキャンが終わるまでには戻るけれど、何かあったらすぐ連絡してちょうだい」
ジョゼフィンの落ち着いた声が返る。
「了解しました」
***
事務所は診療所の奥にある小さな部屋だった。壁際には古い端末が二台、その横には紙のファイルが積み上がっている。
「……で、定期メンテナンスの件だけれど」
サリバンは扉を閉めると、端末のホログラムを開き、静かに言った。
「基礎理論は……なんとか形になりそうよ。ただ、私ひとりじゃ限界があるわ。神経層の再構成は専門外だし――」
そこで言葉がわずかに途切れる。サリバンは画面に映る古い設計図を見つめ、苦い笑みを浮かべた。
「何より……肝心の“データそのもの”にアクセスする方法が、まだ見つかっていないの。 入口が塞がれている以上、どうにもならない」
「……心当たりはありますか。“あなた以外で”できそうな人は」
「いないわね。軍にも、もう残っていないんじゃないかしら。何しろ――昔の仲間はみんな、音信不通なのよ」
ギルダの眉がわずかに動く。 サリバンは続ける。
「連絡が取れない、という意味じゃないわ。“記録ごと消えている”の。生きているのか、隔離されているのか……それすら分からない。計画に関わった人間は、ほとんど跡形もなく消えた」
「そうですか……やっぱり外部をあたるしかないかな……」
ギルダの声は落ち着いていた。 まるで“想定していた障害のひとつ”を確認しただけのように。サリバンはその様子に、ほんの少しだけ眉を寄せた。心配とも、呆れともつかない表情。
「あなたね、もう少し肩の力を抜いたほうがいいわよ、アトリ君も来たわけだし」
「力を入れているつもりはありません……こういう性質なんです」
「ええ、分かってるわ。でもね――私たちが組んだ“設計”が、人の性質にまで影響するなんて……当時は思ってなかったのよ」
「……それは、私の問題ですから」
ギルダは目を伏せ、自嘲するように小さく笑った。
***
スキャンが終わり、検査機の駆動音が静かに落ち着いていく。 サリバンはホログラムに映るデータをひと通り確認し、 眉間に指を当てて小さく息をついた。
「……まず、神経同期パターン。“二重ログ”のように見えるわ」
サリバンは波形を指し示す。
「ロボットやアンドロイドでは稀にあるけれど、 生体脳でこの現象は本来ありえないの。 声の原因と断定はできないけれど、関係している可能性はあるわね」
その説明は、復元局が立てた“深層ログの干渉”という推定とほぼ同じだった。 だが、サリバンの視線はその先にあった。
「一番気になるのは、サイバーニューロンが一度“初期化”された跡があること」
アトリが瞬きをする。
「……サイバーニューロンって、なんですか?」
「脳に埋め込まれた“神経と機械をつなぐ橋”よ。 義体や外骨格を“遅延ゼロ”で動かすための中核デバイス。 Secondの身体には必ず入っているわ。…今では完全に違法だけれどね」
アトリは小さく頷く。
「本来なら、埋め込んだ瞬間に“持ち主の脳”を識別して 固有のタグが自動で刻まれるの。 これは消せないし、書き換えもできない」
サリバンは画面を指で叩く。
「なのに、あなたのタグは――空白なの」
アトリは息を呑んだ。
ギルダが口を開く。
「復元局の検査では、その結果は出てません」
「軍のスキャナは“義体側のログ”しか深く見られないの。サイバーニューロンの基幹部までは解析できないから、初期化の痕跡までは分からなかったんだと思うわ」
サリバンはアトリの方へ向き直る。
「記憶が抜けているのは、 サイバーニューロンが一度ゼロに戻された影響かもしれない。脳と義体の橋が壊れた状態で再接続されたせいで、情報が正しく流れなかった可能性が高い」
アトリは唇を噛む。
「……なんでそんなことが……」
「あなたが8年前に受けた神経攻撃のせいかもしれないし、 眠っている間に外部から何かあったのかもしれない。仮説はいくらでも立てられるけれど――現状では特定できないわね」
アトリは小さく息を吸い、問う。
「……記憶が戻る可能性はありますか」
サリバンは一瞬だけアトリを見つめ、 柔らかく、しかし現実的な声で答えた。
「“完全に”とは言えないけれど…… 失われたわけじゃない。 届かなくなっているだけ。橋の再構築が進めば、 断片的にでも戻る可能性は十分あるわ」
アトリは自分の手を見下ろす。
「……再構築って、どうやって……?」
サリバンは微笑んだ。
「難しいことじゃないの。 サイバーニューロンの再構築は、“使いながら整えていく”のが一番自然よ。 日常生活の中で、身体を動かし、触れて、話して、考えて…… そういう“当たり前の行動”が、途切れていた経路を少しずつ繋いでいくの」
「……訓練、みたいなものですか?」
「そうね。でも“戦闘訓練”じゃなくて、もっと穏やかなものよ。焦らなくていい。“思い出そうとする”より、 今を積み重ねることが、そのまま治療になるわ」
「……はい」
サリバンは端末を閉じ、軽く肩を回した。
「説明は以上よ。少し情報が多かったわね」
そのタイミングで、控えていたジョゼが静かに近づき、 湯気の立つコーヒーカップを人数分、テーブルへそっと置いた。
「どうぞ。温かいうちに」
「ありがとう」「ありがとうございます」
ギルダとアトリが同時に礼を言う。 カップから立ちのぼる香りが、検査室の緊張をゆっくりと溶かしていった。
アトリは一口飲んでから、ふとジョゼの方へ視線を向けた。
「……あなたは、飲まないんですか?」
問いかけられたジョゼは、どこか困ったように、しかし柔らかく微笑んだ。そして、ちらりとサリバンへ視線を送る。サリバンはその仕草に気づき、ふっと喉の奥で笑った。
「彼はね。人間じゃなくて、アンドロイドなのよ」
「……え?」
アトリはぽかんと口を開けたまま固まる。ジョゼは、まるで“よくある誤解ですよ”と言うように、 控えめに肩をすくめた。
サリバンは片目を閉じ、いたずらっぽく笑う。
「飲みたいと思うのだったら、食事機能をつけてあげてもいいんだけれどね?」
ジョゼは、ほんの少しだけ考えるふりをしてから、 落ち着いた声で返した。
「味を知ること自体には関心があります。ただ、味覚器官を搭載するためのコストとリスクを考えると…… 現状のまま観測者でいる方が合理的かと」
ギルダはコーヒーを一口飲み、 ジョゼを見ながら苦笑する。
「すごいよね。私も最初見た時、義眼のエラーかと思ったもん」
「彼は規制法ができる前に、私が創ったの。今じゃ通らない規格だけど……軍に正式登録されているから、見逃してちょうだいね」
ジョゼは控えめに頭を下げた。
「合法的に存在していますので、ご安心を」
アトリはその言葉に、ふっと表情を和らげた。
「……じゃあ、ぼくたちと同じなんだね」
その時――ギルダの前に、淡い光がふっと立ち上がった。ホログラムが自動展開され、通信ウィンドウが浮かび上がる。
「……アイビーさんだ。すみません、出ます」
ギルダは席を外すことなく通信を返す。
「カルスタです……はい…………了解。それほど離れてないから、すぐに出動する」
通話が切れた瞬間、 ギルダの雰囲気が一気に切り替わる。
「義体パーツの倉庫荒らし。二人組のサイボーグが逃げてるんだけど…… 動きが“規格の範囲を超えてる”って。違法規格の可能性が高い。私たちも行くよ」
サリバンは肩をすくめ、コーヒーを置いた。
「まあ……物騒ねえ」
ギルダはすぐにサリバンへ向き直る。
「サリバン先生、すみません。場所だけ特定したいので、ここで少し作業してもいいですか?」
「どうぞ。ジョゼ、ふたりの上着を持ってきてあげてちょうだい」
「承知しました」
ジョゼが静かに部屋を出ていく。
ギルダは通信を開きながら、短く指示を飛ばした。
「ブルー、〈第3補給倉庫帯〉の監視カメラ映像を送って。1台ずつ、3秒で切り替えて」
ブルーの声が返る。
『3秒間隔……非推奨です。本来は一括送信が最適です。当ユニットの処理性能は、その程度の負荷では飽和しません』
「そんな一気に送られたら、脳がおかしくなっちゃうでしょ」
そう言うと、 ギルダは左目を閉じ、右目の義眼を展開した。虹彩が静かに開き、大量の映像情報が彼女の視界へ流れ込んでいく。
サリバンは、その様子を複雑な眼差しで見つめていた。
「まさか……自分が設計したユニットが、こうして目の前に立つなんて夢にも思わなかったわ。理論上は可能でも、実働は不可能だと思っていたのよ」
アトリに向けた言葉なのか、ただの独り言なのか分からない声だった。その声には、 諦めとも、感慨ともつかない色が混じっていた。
「目を背けたことから、向き合えってことなのかしらね…… 結局、こうしてあなたたちに出会ってしまうんだから」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
サリバン先生による、アトリの検査結果でした。
ギルダとサリバンは何か密かに進めている計画があるようです。
次回は違法サイボーグとのバトルです。




