第26話:王都と市場とお買い物
飼育場で実習を終え、私はモップと共に王都の心臓部、『中央市場』へと足を向けた。
大通りに足を踏み入れた瞬間、視界を埋め尽くしたのは極彩色の天幕が波打つ、活気溢れる光景。
異国の香辛料の刺激的な香りと、石窯で焼かれたパンの香ばしさが幾重にも重なって、私の鼻腔をくすぐる。
石畳を叩く数多の足音、商人の威勢の良い呼び声。
それらが一つの大きな「音の渦」となって、都会のエネルギーを肌に伝えてくる。
「お疲れ様、モップ。予定より少し長引いちゃったけれど、お利口にしていてくれてありがとう」
私の背丈ほどの体高がある、白銀の巨躯。
モップは雑踏の中でもひときわ神々しい光を放っているけれど、本人はどこ吹く風といった様子で私の隣を歩いている。
彼の柔らかな毛並みが、歩くたびに人混みを優しく分けていく様子は、まるで銀色の波のよう。
「わふんっ!」
モップが期待を込めて短く吠え、私の鞄を鼻先でつんつんと突いた。
その黄金の瞳は、市場の一角から漂ってくる「あの匂い」を完全に捉えている。
「ふふ、わかっているわよ。お給料も入ったし、まずは約束の『美味しいもの巡り』から始めましょうか」
空が濃いオレンジ色から紫へと溶け合い、街を包み込んでいく。
広場のあちこちで灯火がぽつぽつと灯り始め、市場は昼間とは違う、少しだけ幻想的な装いを見せ始めた。
「はい、お待たせ。まずはこれね」
私が差し出したのは、王都名物の『蜜リンゴのサクサクパイ』。
焼きたてのパイ生地からは芳醇なバターの香りが立ち上り、中からは黄金色のリンゴ蜜がとろりと溢れ出している。
モップと半分こして口に運ぶと、サクッ、という軽やかな音と共に、甘酸っぱい幸せが口いっぱいに広がった。
「わふっ、はふっ……」
熱々の蜜に少し驚きながらも、モップは幸せそうに目を細めて頬張っている。
その次は、炭火でじっくりと炙られた『王都牛の串焼き』。
秘伝のタレが焦げる香ばしい匂いは、それだけでお腹の虫を刺激する。
串から外してあげた大きな肉の塊を、モップは一口でパクリ。
「ふふ、口の周りがタレだらけよ。凛々しい顔が台無しね」
私は噴水の縁に腰を下ろし、清潔な布でモップの口元を拭ってあげた。
大きな耳の付け根を優しく掻いてあげると、モップは満足げに喉を鳴らし、私の膝に顎を乗せた。
石鹸の香りと、お肉の匂い。
「お腹も膨れたし、次はバランおじ様のところへ行きましょうか。お掃除道具も補充しなくちゃ」
大通りから一本入った、しっとりと落ち着いた路地裏。
使い込まれた木製のドアを開けると、乾燥した薬草と古い金属の匂いが混じり合う、私のお気に入りの空間が広がっていた。
魔道具店、『天秤亭』。
「おい、そこの! 素人はべたべた触るんじゃねぇと言っただろうが!」
背後から響いてきたのは、地響きのような怒鳴り声。
カウンターの向こうには、岩のように強面な老人が、不作法な客を睨みつけて立っていた。
けれど、私の姿を認めた瞬間、その険しい眉間の皺が、無理やり抑え込もうとしても緩んでいくのがわかった。
「なんだ……ミヤコか。また勝手に上がり込みおって」
「こんにちは、バランおじ様。今日も良いお道具が並んでいますね」
「……お、おじ様言うなといつも……。ふん、これを見ろ。俺様が三日三晩かけて打ち出した特製の魔石スポンジだ。古代の地層から採れた希少な鉱石を……」
バランおじ様が、待ってましたと言わんばかりに自慢の品を掲げ、その術理を語り始めようとする。
けれど、私の目にはその道具の「本質」がすでに映っていた。
「わあ、すごい! 多孔質の構造を微細な魔力で補強して、吸水率を五割増しにしたのですね? これならしつこい泥汚れも、一度で浮かせてくれそう!」
「……っ。あ、ああ、その通りだ。お前に解説するのはつまらんわい」
バランおじ様は、語りたかった薀蓄を飲み込んでタジタジになりながら、照れ隠しに鼻の頭を掻いた。
彼が作る道具は、どれも慈しみに溢れている。だからこそ、私の生活魔法とも最高に相性が良いのだ。
「さっ、お掃除の準備は整ったわ。バランおじ様、ありがとうございました」
「ああ。……気をつけろよ、ミヤコ。最近、妙な噂を耳にする。……あのツノトカゲ共の話だ。各地で制御が効かなくなってるらしいからな」
おじ様が最後に漏らした言葉が、妙に引っかかった。




