第22話:再会の麒麟と飼育場の旋風
王都ノザリアの北側に広がる『王立幻獣管理施設』。
重厚な石造りの大門を潜り抜けた先に待っていたのは、地平線の彼方まで続く、鮮やかな緑の絨毯だった。
「緑の海」と称されるその場所は、吹き抜ける風が草の瑞々しい香りと、幻獣たちが放つ生命の匂いを運んでくる、ひどく清々しい聖域。
都会に漂う石鹸と馬車の油が入り混じった空気も、活気があって嫌いではない。
けれど、やはりこうした土と草の匂いが満ちる場所の方が、私の心はしっくりと凪いでいく。
「わあ、やっぱりここは空気が澄んでいて気持ちがいいわね」
私は、隣を歩くモップの銀色の毛並みにそっと手を置き、深く息を吸い込んだ。
モップも都会の喧騒から解放されたのが嬉しいのか、ふさふさの尻尾をゆったりと揺らしている。指先から伝わる彼の熱は、日だまりのように優しく、私の心を解きほぐしてくれる。
けれど、私の目は、のんびりと景色を楽しむだけでは終わらなかった。
放牧場の隅々を眺めているうちに、お掃除好きとしての私の魂が、あちこちに潜む「小さな不備」を見つけ出してしまったのだ。
「あら、モップ。見て。あそこの水飲み場、淵のところに魔力の濁りが固まっているわ。まったく……これじゃあ、お水を飲むたびにお口の中がイガイガして、病気になりかねないわ」
「わふん……」
モップが、どこか諦めたような鼻息を漏らした。
あそこにある白磁の水槽は、飼育官たちが毎日清掃しているはずのもの。
けれど、私の目には水底に沈殿した微かな魔力の濁りが、くっきりと見えていた。
(……明日の研修、まずはお説教と水場の磨き方からね!)
私は心の中で、明日の講習の予定を書き換えた。
遠くでは、訓練中のユニコリザードの群れが平和そうに遊んでいる。
その光景に目を細めつつも、私は敷地を仕切る柵の汚れや、獣舎の隅に溜まった古い藁の山に、密かに闘志を燃やし始めていた。
放牧エリアのさらに奥、通常の飼育官では立ち入ることすら制限されている『特級保護区』へと足を進める。
そこには、一頭の神々しい幻獣を遠巻きにして、数人の飼育官たちが石像のように強張っているのが見えた。
中心にいるのは、黄金のたてがみを陽光に輝かせた、気高き麒麟。
かつて私が、ボロ雑巾のような有様から救い出した、麒麟のタオルだ。
タオルの周囲には、触れる者を拒絶するような神聖な魔力がゆらゆらと揺れている。
地面の草までもが黄金色の光に照らされて、きらきらと瞬いていた。
「おい、そこのお嬢さん! ここは危険な特級個体のエリアだ。そんな大きな犬を連れて入ってきちゃダメだ、すぐに戻って……!」
顔を真っ青にして駆け寄ってきたのは、若い飼育官だった。
今月から配属されたばかりの新人さんだろうか。
彼は、モップの底知れぬ威圧感にまだ気づいていない。
「お嬢さん、聞こえないのか! その幻獣が刺激されたら、俺たちの手に負えなくなる。今すぐ……!」
新人さんが、私の肩を掴もうと慌てて手を伸ばす。
けれど、その手は空中でぴたりと止まった。
モップが、ほんの一歩だけ前に出たからだ。
牙を剥くことも、唸ることもない。
ただ、そこに在る。
それだけの重みに圧倒されて、その場に固まってしまった。
「馬鹿野郎! なにしている! 新入り!」
後ろから、ベテランの飼育官が血相を変えて飛んできた。
彼は新人さんを無理やり引き下がらせると、そのまま地面に頭を擦り付ける勢いで深々と頭を下げた。
「も、申し訳ありません、ミヤコ様! こいつは、今月配属されたばかりで、貴女様のご尊顔を知らなんだのです……!」
「……ミヤコ、様? あの伝説の……?」
新人さんが、今度こそ腰を抜かしたようにその場にへたり込んでしまった。
私は、自分の名前が現場でどのように語られているかなど、これっぽっちも気にしていない。ただ穏やかに会釈を返した。
「こんにちは、ご苦労様です。気にしないでください。よくあることなので」
私は、黄金の光を放つ草原の奥へと視線を向けた。
風の向きが、ふわりと変わった。
伝説の瑞獣が、その黄金の瞳を大きく見開き、真っ直ぐにこちらを見つめている。
――メェェェェェッ!!
それは、天を揺るがすような歓喜の叫びだった。
黄金の蹄が力強く草原を蹴り、砂礫を跳ね上げる。
タオルは、一筋の雷光のような速さで、私に向かって突進を開始した。
凄まじい風圧が周囲の草をなぎ倒し、緑の海に、真っ直ぐな光の道が作られていく。
「ひっ、き、麒麟が暴走を……!? 全員退避しろ! ミヤコ様、危ないっ!」
ベテランの飼育官たちが絶叫し、新人さんたちが逃げ惑う。
けれど、私だけは、逃げるどころか、優しく両手を広げてその場に立ち尽くしていた。
「大丈夫ですよ。ほら、見てください。あの子、とっても嬉しそうな顔をしていますわ。……ふふ、タオルー! おいでー!」
猛スピードで迫りくる黄金の旋風。
周囲の人には、暴力的な突進に見えたかもしれない。
けれど、私の目には「駆け寄ってくる、甘えん坊な子犬」にしか見えていなかった。
「グルゥ……」
モップが巨躯を揺らして一歩前に踏み出した。
その瞳には、突進してくるタオルへの再会の喜びと、「一時期、共に店の看板犬をしていた同胞」への奇妙な共感が混じり合っている。
黄金の光が、あたり一面を真っ白に染め上げた。
砂煙が巻き上がり、草原に凄まじい衝撃音が響き渡る。
タオルは私の目前、わずか数寸の距離で、砂を噛むようにして急停止した。
「クルル……、メェェッ!」
黄金の瑞獣が、歓喜に震える声を上げた。
――――――ଘ(੭ˊウˋ)੭✧あとがき✧――――――
麒麟の鳴き声って「メェェ」でいいのだろうかと思ってます(笑)




