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第20話:白銀の巨獣、王都の門を潜る


 山あいの柔らかい土を踏み締める感覚から、硬く、冷ややかな感触へと変わった。

 白く磨き上げられた石畳の街道。そこには、王都ノザリアへ向かう数多の馬車や旅人たちの足音が、乾いたリズムを刻んでいる。

 

 遥か前方には、空を突くような白亜の外壁がそびえ立っていた。王都の正門――『黎明門』だ。

 陽光を跳ね返すその姿は、いつ見ても圧倒的な威容を誇っている。

 

(……ああ、やっぱり王都は、遠くから眺めるよりもずっと大きく感じるわね)

 

 風に乗って、幾重にも重なった匂いが届く。

 焼きたてのパンの香ばしさ、異国の香辛料の刺激的な香り。それらが、人の熱気と混ざり合い、一つの巨大な流れとなって押し寄せてくる。

 

「グルル……」

 

 私の下で、モップが喉の奥を鳴らした。

 中型犬サイズに抑えているとはいえ、その体躯は普通の狼よりも遥かに大きく、白銀の毛並みは街の喧騒の中で異様なほどに目立っている。

 モップは都会特有の雑多な魔力を感じ取り、不機嫌そうに耳を伏せた。

 

「ふふ、そんなに鼻の頭に皺を寄せないの、モップ。少しの間だけ我慢してね」

 

 私は身を乗り出し、彼の大きな頭を優しく撫でた。

 指先から伝わる彼の熱は、都会の無機質な空気の中で、何よりも私を安心させてくれる。

 

「お仕事が終わったら、奮発して市場で一番の串焼きを買ってあげるから。……ね? モップの大好きな、あのジューシーなお肉よ」

 

「わふん……」

 

 お肉という言葉に、モップの尻尾が一度だけ、バフッと石畳を叩いた。

 現金なところも可愛いわね、なんて思いながら、私は再び王都の門へと視線を向けた。




 黎明門が近づくにつれ、街道の空気は目に見えて強張っていった。

 

 本来なら通行許可証を検分するための列ができているはずなのに、私たちが近づくと、人々は波が引くように道を開けていく。

 その視線には、畏怖と戦慄が混じり合っていた。

 

「な、なんだ……あの幻獣は! 災害級……か!?」

 

 門の前に立っていた一人の若い門番が、裏返った声を上げた。

 彼は顔面を蒼白にし、震える手で槍を構えた。背後の警鐘へと手を伸ばそうとする彼の瞳には、死の恐怖が張り付いている。

 

「戦闘準備! 総員、戦闘準備――」

 

 彼の絶叫が響き渡ろうとしたその時。

 隣にいた髭面のベテラン門番が、無造作にその槍の穂先をぐい、と押し下げた。

 

「落ち着け。馬鹿野郎、槍を下げろ」

 

「な、何を言っているんですか先輩! あんな怪物が、娘を連れて……!」

 

「お前は今月から配属されたばかりだから知らんだろうが、あの方は宮廷幻獣飼育官、ミヤコ殿だぞ」

 

「ええ? あんなに若いのに……。幻獣、あの連れている幻獣は一体……」

 

 ベテラン門番は新人の言葉を遮り、私に向かって丁寧な会釈を返した。

 

「失礼いたしました、ミヤコ殿。今月の新人が少々騒がしくて。……さあ、通行証のご提示を」

 

「こんにちは、ご苦労様です。いえ、毎月のことですから気にしないでくださいね」

 

 私は微笑みながら、モップの背から降りた。

 新人の門番は、私のあまりに穏やかな挨拶と、その足元で欠伸をする白銀の巨獣の対比に、ただ口をパクパクとさせている。




 私は鞄の奥から、純銀の台座に金で縁取られたプレートを取り出した。

 それは、ノザリア王国の幻獣管理庁が発行する、特別な身分証。

 

「こちら、通行証です」

 

 差し出されたプレートを受け取った新人の門番が、二度見どころか三度見をして硬直した。

 プレートの表面には、複雑な魔導術式で描かれた紋章が、太陽の光を受けて眩しくまたたいている。

 

「こ、これは……アルドス大賢者様の、直印入りの……特例証……」

 

 新人の声が震えていた。

 このプレートは、ただの身分証ではない。王国における最上位の専門職であることを示し、あらゆる検問を無条件で通過できる、言わば国家の特権を持つものだ。

 

「あ、あの方があの……かつて幻獣保護センターの闇を暴き、この国を震撼させた『伝説の飼育官』……」

 

 新人の囁きが聞こえてくるけれど、私はそんな大げさな名前には少しだけ首を傾げる。

 私はただ、汚れている幻獣たちを洗ってあげていただけ。

 それがあの結果を招いただけなのに、王都の人たちはどうしてこうも、物事を難しく捉えたがるのかしら。

 

「はい、確かに確認いたしました。ミヤコ殿、どうぞお通りください! ……おい、お前も敬礼しろ!」

 

 ベテランに促され、新人の門番は崩れるように最敬礼を捧げた。

 

「も、申し訳ありませんでした! どうぞ、お気をつけて!」

 

「ふふ、ありがとうございます。お仕事、頑張ってくださいね」

 

 私は再びモップの背に跨がり、ゆっくりと門の中へと足を踏み入れた。

 背後で新人の門番が「あの銀色の毛……近くで見ただけで意識が飛びそうでした……」とふらついているが聞こえたけれど、私は聞こえなかったふりをして、都の喧騒へと飛び込んでいった。




 門を潜った瞬間、音と色の暴力が私を襲った。

 

 立ち並ぶ極彩色の露店、空を飛び交う伝書幻獣の羽音。

 そして何より、石畳を埋め尽くす人、人、人。

 

 王都ノザリア。

 かつては私を「欠陥品」として追いやったこの都も、今では私の「研修」を心待ちにする人々で溢れている。

 

「グルゥ……」

 

 モップの尻尾が、これ以上ないほど下がっていた。

 行き交う人々の視線、騒音、そして何より不潔な人間の欲望や感情が入り混じる都会の空気が、彼の鋭すぎる感覚を酷く苛立たせている。

 

「ごめんね、モップ。ちょっとうるさいわね」

 

 私は身を乗り出し、彼の大きな首筋に指を沈めた。

 生活魔法の微かな温もりを、指先から流し込む。

 

「でも、私がついているから、大丈夫よ。ほら、深呼吸して。山で摘んだオレンジの香りを思い出して?」

 

 私の指先から伝わる安らぎが、モップの心を少しずつ解きほぐしていく。

 モップは一度だけ、信頼を込めて小さく「わふっ」と応え、再び誇らしげに顔を上げた。

 

 都会の波の中、白銀の光を放つ一頭の獣と、一人の少女。

 その光景は、道行く人々を惹きつけずにはいられない。

 

「さあ、まずはアルドス様のところへ挨拶に行きましょう。美味しいお茶とお菓子が、きっと私たちを待っているわよ」

 

 夕陽を背負った王都の街並みが、美しく茜色に染まっていく。




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