表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音無凪は静かに生きたい。でも速水空が許さない。 /  作者: よんまるよん
入学編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/10

第2話「部紹介というものは、こんなに怖いのか。」

 正直、入学式というのは静かなものだと思っていた。厳粛なものだと思っていた。知り合いもほとんどいないまま来て、ちゃんと式を受けて、それで終わりのはずだ。


 横を歩いている空に特に言うことはなかった。言ったところで何も変わらない。こういう言動をやめてほしいと思ったことは無数にあるし、実際に伝えたことも無数にあって、それでも何も変わらなかったという実績がある。変わらない。変わらないから今日がある。現に今も、厳粛であるはずの入学式の帰り道で、空は当然のように凪の腕を組んでいる。


「ねえ、部紹介見ようよ」


「帰る」


「え、もう?」


「もう」


「見てから帰ろうよ」


「要らない」


「なんで」


「入る部活ない」


「私はあるかもしれないじゃん」


 凪は足を止めた。


 空に「静かに生きたい」という概念があるかどうかは、長年いっしょにいてもよくわからない。存在しないのかもしれないし、存在するが別の言語で定義されているのかもしれない。


「お前が入る部活を考えるなら、お前だけで行け」


「凪も来てほしい」


「理由」


「いてほしいから」


 それは理由ではない、と言おうとした。


 空の顔を見た。


 言うのをやめた。なんでやめたのかはよくわからない。


「……ちょっとだけだ」


「やった」


「喜ぶな」


 空が喜んだ。



 広場は人が多かった。


 複数の部活やサークルがテントを出していて、旗を立てて、声をかけている。新入生はその間を歩いて、立ち止まったり素通りしたりしている。賑やかだった。音が多い。マイクを通した声、軽音楽部らしい演奏、誰かが鍋を持って歩いていた。料理系のサークルだろうか。


「あっちのテント見てみよ」


「行くな」


「弓道部だって」


「見るだけで終わるつもりがないだろ」


「凪は私のことわかってるね」


 わかっているのではなく、結果を覚えているのだ。空がどこかに「見てみよ」と言って近づいたとき、だいたいにおいて何かが起きる。静かな何かであったためしがない。


 凪はぶつからないように人の間を歩いた。空は隣を歩いている。


 少し進むと、開けたスペースがあった。空手部の旗が見えた。テントの前に人が集まっていて、中心で何か動いている。


 空手部の主将だろう、年上の学生が型を演じていた。構えがしっかりしている。足の運びが正確で、腰の位置が低い。基本が入っている体だ。単純に動きを見れば、きれいだと思う。ちゃんと練習してきた人間の、ちゃんとした動きだった。


 見物の新入生が拍手をした。まあ拍手が出るのは当然だ。実際よかった。


 主将が止まった。汗を拭いて、にやっとした。


「どうだ、お前ら。空手部はこんな感じだ。スポーツとして本格的にやりたい奴も、健康のためにやりたい奴も、護身術として覚えたい奴も、全部対応できる。何か文句があるなら俺と戦ってみろ」


 笑いが起きた。「なんてね」とでも言いかける前だったかもしれない。


 手が上がった。


 主将の視線がそちらに向いた。周囲の視線も、いつの間にか凪と空のほうを向いていた。


「空、やめろ」


「好きだよ、凪」


「それは今関係ない」


「関係あるよ」


 近くにいた新入生が小声で「ないだろ」と言った。隣の人間が小さく頷いた。


 主将のほうを見た。主将は笑顔だった。ちゃんとした動きを演じた本人が、今は笑顔で新入生女子を見ている。


 最初は戸惑いがあった。女子、という部分に一瞬間があった。それからよく見た。黒のワンピース越しに均整のとれた体型を、視線を上から下まで一度なぞった。もう一度なぞった。にやっとした。軽くいなしてやればいい、という顔になった。その「いなす」の中身が、凪には少し気になった。


 気になったが、どうにもならなかった。空はもう前に出ていた。


 ほんの少し前の出来事だが、少し離れたところに、四人組の学生がいた。上級生らしい一人に引率される形で、広場を見て回っているグループだ。空が手を挙げた瞬間、一人が小さく「あ」と言った。


「何?」


「いや……」


 それだけで黙った。



 主将が言った。


「……出てこい」


 にやついていた。



「怪我したくなかったら戻っていいぞ」


「大丈夫です」


 空はにこにこしていた。


 主将が構えた。正しい構えだ。右足を引いて半身になり、両手を前後に揃えて、目線が真っ直ぐ空に向いている。体の重心が腰にあって、動き出しが速い姿勢だ。リーチは空より長い。体格もある。


「基本は寸止めだ。ただ、体に軽く触れたとしても、それは不可抗力ってことで」


 にやついていた。周囲が微妙な空気になった。空はにこにこしていた。


 ただ、主将がちゃんと練習してきた人間だということは、構えを見ればわかった。



 主将が踏み込んだ。右中段突きだった。速い。体重が乗っている。腰から引いた力がちゃんと乗っている突きで、当たれば肋骨にひびが入る。


 空が動いた。


 右斜め前に半歩。


 ふっと、死角に滑り込む感じだった。主将の右拳が空の耳の横を通る。通ったが空はそこにいた。空の左手が主将の右肘の内側に当たった。当てたというより、存在していた、という感じだ。方向だけが変わった。主将の体重が、自分の出した力のぶんだけ前に流れる。流れた先に床があった。


 どさっ、と音がした。


 主将が即座に立ち上がった。


「今のは……」


 空はもう次の間合いにいる。ふわっと移動した感じで、気づいたらそこにいた。


 周囲が反応した。全員ではなかった。一番近いところにいた男子学生が「え」と言った。少し離れたところの女子学生が遅れて「え?」と言った。さらに離れたところにいた眼鏡の学生が、自分が見たものを確認するように「何今の」と呟いた。



 主将が仕切り直した。今度は左にフェイントを入れた。一呼吸あってから組みに来る。本格的な入りだった。さっきよりも低い重心で、腕を差しに来た。体格差を使う意志のある動きで、決まれば圧倒的に有利な体勢になる。


 空が主将の腕を受けた。受けたというより、乗った、という感じだった。力の方向に逆らわない。逆らわないまま、重心の外側にすっと体重を預けた。


 主将の踏み込みの力が、そのまま主将の転倒に変換された。


 どたん、と音がした。さっきより大きかった。


 主将の顔が変わった。にやつきが消えた。


 四人組のほうで、一人が何か言った。別の一人が「え」と返した。それだけで黙った。



 主将が立ち上がった。さっきまでの余裕はない。


「本気でいくぞ」


 目が変わっていた。


 左から入って右上段に回し蹴りを放った。速かった。腰が入っている。上段に正確に届く高さで、ちゃんと強い蹴りだった。


 空の右足が動いた。ぬるっと、という感じだった。主将の軸足の外くるぶしの、斜め後方に滑り込む。黒のワンピースの裾がひるがえって、一瞬、足が見えた。普段であれば目が釘付けになるシチュエーションだったかもしれないが、そんなことはなかった。蹴り足が空間を蹴った。蹴ったが、空はそこにいなかった。主将の上体が外に流れた。支えるものがなくなった。


 ぼたん、と音がした。


 今度の周囲の反応はばらばらだった。「なんで」と言った学生と、「なんでまた」と言った学生と、「誰か説明して」と言った学生がいた。一人は何も言えなかった。もう一人は笑い出した。どういう感情なのかはよくわからなかった。


 主将が三度目に立ち上がった。


 息が上がっている。走ったわけではない。体力ではない。三回倒れたことの、理解が追いつかない種類の消耗だった。


 それでも立ち上がった。目はまだ空を見ていた。


 空が動いた。


 主将の斜め後方から、するっと入った。左腕が主将の首の前を通る。右腕が後頭部を押さえた。リアネイキッドチョーク、さっきよりも精度が高かった。角度が正確で、引き込みが深くて、体重が乗っている。主将が両手で空の腕をつかんだ。外れなかった。外れない。均等に圧がかかり続けた。首の奥で、血流が止まりかけている感覚があった。


「空」


 凪が言った。


 空がぴたっと止まった。


 主将の方を向いてにこっとした。


「ありがとうございました」


 圧力が消えた。


 主将はしばらくその場に立っていた。意識はある。体も動く。ただ、自分がどういう状態だったのかを理解するのに、少し時間がかかった。


 十数秒後に気づいた。


 詰んでいた。



 少し離れたところで、四人組が小声で話していた。


「やっぱりあの子だ……総合の『最強のじゃじゃ馬天女』」


 上級生らしい一人が言った。落ち着いた声だった。確認するような口調だった。総合、というのは総合格闘技(MMA)のことだ。


「あんなモデルみたいな子だったの? じゃあ、あの隣は?」


 別の一人が、凪の方を見ながら言った。


「調教師だ」


「調教師」


「あの調教師しかあのじゃじゃ馬を止められない。格闘技やってる奴なら知ってる」


 一人が凪を見た。凪を見て、また空を見て、また凪を見た。


「え。あのボヤーっとしてるのが『最凶の調教師』?」


「強そうじゃないじゃん」


「じゃあ、おまえ闘ってみるか」


 上級生が静かに言った。


「俺は対戦を見たことがあるが、えげつなかったぞ」


 それだけ言って黙った。


 誰も続きを言わなかった。


 主将はまだ、現実を受け入れられていなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ