誠実でありたい
「契約条件の内の一つですが。私には、命の恩人である貴方を殺すことは出来ません」
私の言葉に、ルシアン様は息を呑んだかと思うと……。
「……出来ないと言うのなら契約不履行で今すぐ離婚だが?」
眉間に皺を寄せ、今度こそ怒気を孕んだ低い声音で口にした。
それでも、ルシアン様にこの気持ちだけは譲れない、と居住まいを正して言葉を発する。
「確かに、ルシアン様は私の命の恩人ですから、お望みとあらば全力で叶えて差し上げたい気持ちは山々です」
「ならば」
「ですが、私が提示した契約条件をルシアン様は覚えていらっしゃいますか?」
「…………」
結婚にあたり契約書を現在進行形で作成して頂いているのだから忘れるわけがない。忘れているはずがないけれど、ルシアン様は私の言いたいことを察したのか、ただ何も言わず、苦虫を潰したような顔で視線を逸らした。
その視線から外れたとしても、目の前にいるルシアン様に今伝えなければいけない、と言葉を続ける。
「私は貴方に、『生きてほしい』とお伝えしました。それから、『“特異体質”を治す術を一緒に探させてほしい』とも。その気持ちに、嘘偽りはありません。
ですから、私が貴方の密偵であることはおろか、敵であることは万が一……いえ、億が一にもございません。たとえ天地がひっくり返ろうとも、貴方を裏切るような真似はしないと誓います」
「…………」
ルシアン様は何も言わない。ただ、ゆっくりともう一度、私に視線を戻した。
それだけで、凍てついていた心に血が巡っていくような、そんな心地がして。
「とはいえ、書庫室にこもり、ルシアン様だけでなく屋敷の方々にもきっと不信感を抱かせてしまっていると思います。
ルシアン様と契約結婚させていただくことが出来て……、そのお命を救いたい一心で、周りが全く見えておりませんでした。ルシアン様の契約妻失格です。大変申し訳ございませんでした」
こんなことを言っても言い訳にしか聞こえないだろうけれど、この気持ちは正真正銘嘘偽りのない私の本心。
だからこそ、ルシアン様には知っておいて欲しかった。
私は、貴方の味方であると。
そうして頭を下げた私に、ルシアン様は……。
「……いつまで頭を下げているつもりだ」
「え?」
ルシアン様の言葉に恐る恐る顔を上げると、ルシアン様は先ほどと変わらず腕組みをして私を見下ろしていた。
……いえ、先程まで鋭い眼差しだったけれど、今は幾分柔らかく見えることに気付き目を瞠る私に、ルシアン様は尋ねた。
「では、書庫室に引きこもって書物を読んでいたのは」
「ルシアン様のためです。もっと貴方のことをよく知りたかったから」
「……!」
今度こそ、ルシアン様は大きく目を見開き、息を呑んだまま固まってしまう。
そこで私も自身の発言が大胆であり、誤解を与えかねない表現をしてしまったことに気付き、慌てて付け加えた。
「あ、違います、違うんです! 今のは、言葉のあやで。
私が知りたかったのは、ルシアン様の“特異体質”を治すための情報です。魔法使いについてや風土など……、まずは基礎的な知識からヒントを得られないかと思ったので」
「それで、書庫室で一日の大半を過ごすような真似を?」
ルシアン様の問いかけにそっと頷く。
申し訳なさからそれ以上は何も言わず、ルシアン様の返答を待っていると。
「ッ、ハハハ」
「!?」
なぜだか声を上げて笑うルシアン様に、今度は私が驚いてしまう。
「わ、私何か変なことを言いましたか?」
「あぁ、君は変だ」
「変……」
何の迷いもなく告げられ、少しショックを受けてしまう私に、何かが頭に載る。
へ、と間抜けな声を出して見上げれば、それがルシアン様の手だということに気が付く。
それだけでなく、近い距離で目が合ったルシアン様は、柔らかく笑っていて……。
「君はお人好しすぎるな」
「お、お人好し……」
これは褒められているのかしら?
聞いて確かめようか迷ったけれど、ルシアン様が微笑んでいらっしゃるお姿をまだ見ていたくて。笑みを浮かべてくださっているのなら良いか、と結論づけ、私もつられて笑みを溢す。
ルシアン様は少しの間の後息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「君は嘘をつけない人だということは分かった。
それならば俺も、君の誠意に応えよう。書庫室は今まで通り、自由に行き来して良い」
「っ、それじゃあ」
「ただし、条件を追加する」
「条件?」
「書庫室の利用時間は、一日五時間までとする」
「そんな……!」
思わず悲鳴に近い声をあげれば、ルシアン様はギョッとしたような顔をする。
「五時間で十分だろう?」
「じゅ、十分なんてことはありません! ルシアン様の“特異体質”を一刻も早く治すためには時間が必要不可欠ですから!」
「そんなことを言って、君が身体を壊しては元も子もないだろう。
そもそも、書庫室に一日中引きこもっていると報告を受けたのは、君の身を案じてのことだ。下手をすると、寝食を忘れそうなほどだと。
こんな陽もろくに入らず閉塞的な場所に一日中いたら、正常な人間でも異常をきたしてもおかしくはない。よって、時間厳守とする。異論はないな?」
「……はい」
複雑な心境の中なんとか返事をした私に、ルシアン様は「不服そうだな」と言って苦笑した。
ルシアン様と別れ、そのまま書庫室に残った私に、アンナが告げる。
「エメ様、お時間です」
「もうそんな時間なのね」
調べ物をしているときの五時間はやっぱりあっという間だわ、と固まってしまった身体をほぐすように伸びをして、読んでいた書物を元あった棚に戻す。
何冊かその行程を繰り返し、全てしまい終えた私はアンナに向かって口を開いた。
「ありがとう」
「え?」
「ルシアン様に報告してくれたの、アンナよね?」
私と行動を共にしている侍女は、アンナしかいない。
書庫室で過ごし、寝食を忘れそうになっている私に切り上げようと提案してくれるのも、いつもアンナだった。
だから。
「これからも沢山迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、よろしくね」
そう声をかければ、アンナは檸檬色の瞳を丸くさせた後、「はい」と頷いてくれた。
その口角がいつもより過ごし上がっていることに気が付いて、少しだけ彼女との距離が近付いたのではないかしらと、勝手に嬉しくなるのだった。




