契約結婚生活
契約結婚生活が始まってから一週間。
私は一日の大半をある場所で過ごした。
その場所というのは……。
「いつ見ても凄い数の書物ね……」
フラム辺境伯邸の片隅にある書庫室。
書物が傷まないよう窓が少ないその部屋は、いつ訪れても薄暗い。
そのため、部屋に入ったらまず最初に頼むのが……。
「アンナ、今日もお願い出来るかしら?」
「はい、かしこまりました」
私のお願いにアンナは頷くと、両手を前に差し出す。
刹那、彼女の手のひらから淡い紅の光が放たれ、壁に等間隔に設置されているランプに柔らかな炎が点る。
その光景を見て、思わず呟いた。
「……素敵」
「もったいないお言葉です」
私の発言が聞こえたらしく、アンナはそう言って一礼した。
私と同じ歳だというアンナは、フラム辺境伯家に仕えている侍女長の娘らしく、私付きの侍女にルシアン様自ら任命してくれた。
(出来れば、もう少し仲良くなりたいけれど……、立場上難しいかしら)
私は契約結婚したルシアン様の一時的なお飾りの妻だし、と斜め後ろを歩くアンナを盗み見ながらも、足取りは一直線に目的の本棚へと向かう。
書庫室の奥にある本棚には、この国の土地や風土、そして魔法使いについて記された分厚い書物が並んでいる。
(今日は、まずは国の成り立ちについて学び直そうかしら)
そう思い、赤褐色の分厚い本を棚からそっと両手で取り出した。
クラルテ王国。
建国五百年の歴史を持ち、東西南北で気候が違う広大な面積を誇る国。
クラルテ王国の特徴は、魔法使いと竜が共存していること。
五百年前、人と竜は互いに領土を奪い合い争っていたものの、見かねた神が人に自身を守る力を与えた。その力こそが“魔法”であり、魔法使いの起源である。
魔法は使い手により、属性や魔力量は十人十色である。
それらの中でも特に『火・氷・土・光』の四大属性の担い手は、それぞれ同属性の竜を操ることのできる希少な使い手として、爵位と共に領土を王族から与えられ、各地で竜を監視し、民を守る役割を担っている。
(……要約するとこんな感じね。歴史書には難しい言葉で書いてあるけれど、学園で教わっていた歴史と特に変わりはない)
この歴史書に書かれている四大属性の内の『火』と『氷』の使い手であるのが、他ならないルシアン様と私なのだけれど……。
(ルシアン様は、その『火』の使い手であるフラム辺境伯家の当主。私は本当に凄い方と契約結婚したんだわ……)
と今更ながら実感を覚えていると。
「四六時中引きこもって何を熱心に読んでいるかと思えば、クラルテの歴史書を読んでいるとはな」
「!!」
何の前触れもなく耳に届いたその声に、ハッとし見上げれば、そこにいたのは紛れもない……。
「ルシアン様、いつからこちらに」
「報告を聞いて今来たばかりだ」
「報告……?」
首を傾げた私に、ルシアン様は息を吐くと私から視線を逸らさずに言った。
「こちらへ来てから、君が毎日書庫室に入り浸っていると」
「書庫室への立ち入りは前もってご承諾をいただいていたので」
「あぁ、そうだ。書庫室への立ち入りは確かに俺が許可した。しかし、なぜ四六時中この薄暗い場所に好んで入り浸るのかという点について疑問が生じる」
「それは……、書物の持ち出しは禁止だと伺っていたので」
そう冷静に言葉を返しながらも、ルシアン様の瞳が笑っていないことに気が付き、緊張感を覚える私にルシアン様は薄く笑って言った。
「そうだな。書物の持ち出しを禁じたのは俺だ。何しろ、書庫室には今では手に入らない希少な書物も保管しているからな。そんな中でも、俺はてっきり君のような女性ならば手前の本棚にある物語の類を読むと思っていたが……、君は決まって歴史書しか読んでいないと聞いた」
そこで言葉を切ったルシアン様の瞳が眇められる。そして……。
「君は一体、何を企んでいる?」
「……っ」
(やっぱり、疑われているんだわ)
契約結婚をしたその日から、このお屋敷にいる間は私の好きにして良いと言われた。
それは、ただ何も考えずに私を野放しにしているわけではなくて……。
「……疑っていらっしゃるのですね。私が密偵であるかどうか」
無理もない。ルシアン様の仰る通り、こちらへ来てから毎日書庫室に篭って書物を読んでいるのは紛れもない事実なのだから。
そんな私に、ルシアン様は腕を組み私を見下ろして言った。
「話が早くて助かる。疑わしきは罰しなければならない。前辺境伯夫妻の命とはいえ、君との契約結婚を持ち掛けたのは他ならない俺だからな。……それで? 君はこの状況をどう説明してくれる?」
(あぁ、疑われるってこんなにも辛いことなのね)
冷たい表情でこちらを見下ろすルシアン様の視線を受け、ズキリと胸が痛む。
それでも、視線を逸らすわけにはいかない。
だって私には、やましいことなど一つもない……、いえ、やっぱりひとつあったわ。
「ルシアン様」
私が名前を呼んだのに対して、ルシアン様の返事はなかったけれど、私を見つめる瞳が僅かに見開いたのを見過ごさず、この一週間、ずっと考えていたことを正直に言葉にしてぶつけた。
「契約条件の内の一つですが。私には、命の恩人である貴方を殺すことは出来ません」




