届かない
「すまない」
「え……」
馬車が邸に向けて走り出してから開口一番、ルシアン様は私に向かって頭を下げた。
普段はあまり見ることのないルシアン様の頭頂部を目にしたことで、ようやく状況を理解した私は慌てて言う。
「お、お顔をお上げください! なぜルシアン様がお謝りになるのですか!?」
「君の体調不良に気が付かなかった。足を痛めていただけではなかったのだな」
「……ッ」
ルシアン様が謝ることではない。
それなのに、ルシアン様の方が辛そうな表情をしているのを見て、胸が苦しくなる。
「氷と炎、正反対の属性に恵まれた地でそれぞれ生きていたにも拘らず、炎属性の地に氷属性である君が嫁いできてくれた。それだけでも身体に負担がかかることなんて考えなくても分かるはずなのに、俺は」
「ルシアン様!」
「!」
私はそれ以上言わせたくないと、ルシアン様の言葉を遮った。
そして、驚くルシアン様の瞳から視線を逸らさず、はっきりと口にする。
「ルシアン様の地で、私が魔法を行使したことも、秘密をお話ししたことも、全て私の判断の下でしたことです。
ルシアン様に強要されたことなど一度だってありません。
だから、謝らないでください。私は、自分が間違えたことをしたとも、後悔をしたとも思っておりませんから」
「……エメ」
「あっ、でもルシアン様にご迷惑をおかけしている点は多々あるかと思いますが、そこは目を瞑っていただけると嬉し……ッ、キャッ!?」
その時、馬車が突然大きく揺れた。
端の方に座っていた私は、馬車の壁に打ち付けられると思い目を瞑ったけれど、訪れたのは痛みや衝撃ではなくて……。
「……ッ!?」
(ま、ままま待って!?)
もしかしなくても私、ルシアン様に抱きしめられている……!?
私が目にしているのは、どう見てもルシアン様が着ている服だし、鼻を擽る香りも間違いなくルシアン様のもの……って。
(これは変態的思考だわ!?)
そんなことをぐるぐると考えている間に、ルシアン様が御者さんと会話をしていたらしい。
「道に落ちていた石が災いしたようだ。怪我はないか?」
「は、はい、おかげさまで」
「そうか。良かった」
(わわわわわわ)
ルシアン様が私の無事を確認してくれる。
その優しさにときめくどころか、無事を確認してもなお離れようとしない距離感に、心臓がありえないほど大きく早鐘を打っていることに耐えられず、声を上げようとした、その時。
「……離れたくない」
「え…………」
思いがけない言葉に目を瞬かせ、思考が停止してしまう私の身体をルシアン様はそっと離し、見つめた。
その紅の瞳は、切実な色を帯びていて息を呑んでしまっている間に、ルシアン様は言葉を続ける。
「君の姉であるドロテ嬢が君を心配するのも痛いほど分かる。君には、君に相応しい場所や人と幸せになってほしい」
「ル、シアンさま」
「そう分かっていても無理だ。君といる時間の中で気付いてしまった。俺にとって君は、かけがえのない存在であると。
俺にとっても、君は命の恩人であり、俺は一生をかけて……、俺が持っている全てをかけて、君にこの気持ちを返したい。温かくて幸せで尊い気持ちを教えてくれた、生涯たった一人、君だけに」
「……!!」
決定的な気持ちを打ち明けられたわけではない。
けれど、ルシアン様らしくてルシアン様の気持ちが痛いほど伝わってくるその告白は、私の心を震わせるのには十分過ぎた。
「…………ッ」
「!? な、泣いているのか!?」
「ッ、泣き虫で、すみません……」
「あ、謝ることではない。自ら契約を持ちかけておいて虫の良い話であることは承知している。こんなことを言っても君を困らせるだけだと分かっていたが、伝えずにいるのも不誠実だと思って」
「ッ、ふふふ」
早口で焦ったように捲し立てるルシアン様の姿を見るのは初めてで、思わず笑みを溢した私に、ルシアン様がショックを受けたように言う。
「今度は笑われた……」
「ふ、すみません、ルシアン様のそういうお姿をお見かけするのは、新鮮だなと思ってしまって。失礼いたしました」
私は居住まいを正すと、ルシアン様と向き合う。
その紅の瞳をじっと見つめ返し、短く息を吸うと、やがて言葉を発した。
「ルシアン様のお気持ちは、とても嬉しいです。
……ですが、その気持ちにお答えすることは出来ません。ごめんなさい」
「……!」
頭を下げた私の頭上で、ルシアン様がハッと息を呑んだのが分かる。
そして、ゆっくりと言葉を発した。
「…………分かった」
ルシアン様の返答に安堵と、振った私の方が抱くことを許されない悲しみが込み上げてきたのも束の間、頭を下げていた私の視界にルシアン様の手が飛び込んできたかと思うと、何の前触れもなく膝の上に置いていた私の手を握られた。
「!? ルシアン様!?」
驚きすぎて反射的に顔を上げた私に反し、ルシアン様は私の手をじっと見つめ……、確かめるように「やはり」と呟いてから言った。
「君の手は冷たすぎる」
「……ッ」
(あ…………)
駄目。ルシアン様が、私のもう一つの秘密に気が付いてしまう……。
そう思っても、馬車の中ではどこにも逃げ場はなくて、ルシアン様は繋いだままの手に視線を落としたまま言葉を続けた。
「……おかしいと、心のどこかで思っていた。だが、俺には“体質”があり、そのせいで君の手が冷たく感じるのだと。
またそれは、氷属性の魔法使いであるからかと思っていたが……、今日ドロテ嬢と握手をして分かった。
君の手の冷たさは、異常だと。つまり、君にも俺と似た“体質”があるのではないか?」
「…………!!!!」
(知られてしまった)
ルシアン様だけには、知られたくなかったのに。
「ッ、やはり、そうなんだな」
言葉を発せずにいる私のせいで、ルシアン様は自分が導き出した答えが真実であると気付き、苦悶の表情を浮かべる。
(……駄目。そんな顔をしないで)
ルシアン様にだけは知られたくなかった。
本来の目的であるルシアン様の体質を治したのだから、達成した時点で満足し、離れるべきだった。
それなのに、もっとここにいたいと願ってしまった。
やはり、自分の我儘を貫き、ルシアン様のお側に厚かましく居座るべきではなかったのだわ……。
「……エメ?」
ルシアン様が私の異変に気付く。
大丈夫ですと言おうにも、身体が、凍りついたように動かない。
(よりにもよって、こんなところでタイムリミットが来てしまうなんて……)
「ッ、エメ、しっかりしろ! エメ!! 瞳を開けるんだ!!」
ルシアン様が、遠くの方で私の名前を悲痛なほどに呼ぶ声が聞こえる。
その呼びかけに返答出来ないどころか、瞼を閉じることも出来ず、徐々に視界が揺らぎ、黒く塗りつぶされていく……。
(何も見えない、何も聞こえない)
せっかくルシアン様が、抱きしめてくださっているのに……。
(ルシアン様、最期まで迷惑をかけてごめんなさい。私も、本当は、許されるのなら、貴方のことが)
―――大好きです、と、そう言いたかったのに。




