ルシアン様と夜会
自ら参加の意を示した私に、ルシアン様は戸惑っていたけれど、君がいてくれるのなら心強いとどこか安心したように言った。
そうして二人で慌ただしく準備を進め……、現在に至る。
「やはり後悔しているのだろう? 君は社交の場が苦手なようだから」
会場までの長い廊下を歩きながら、ルシアン様が口にしたのに対して答える。
「後悔はしておりません。これは私が決めたことですので」
そう迷いなく言い切る私に、ルシアン様は少し目を瞠った後ふっと笑う。
「……頼もしいな」
「はい。そのために、アンナをはじめ邸の皆様のお力を借りて、万全の準備を整えてきましたから」
そう、今日この日のために私は出来る限りの準備をした。
学生時代ぶりの社交界となるため、一から作法、ダンス、参加されるであろう方々の情報などを学び直した。
「それに見てください、お義母様が見立ててくださったこの素敵なドレス!」
私はルシアン様に改めて見て頂こうと、左手でドレスの裾を摘んで広げてみせる。
私が着用しているドレスは、ルシアン様とお揃いのものをとお義母様自ら見立てて贈ってくださったのだ。
「今宵の夜会でもお目にかかれるのですよね? お礼を申し上げなくては」
「よほど気に入ったようだな」
「はい! こんなに素敵なお衣装を着用できるなんてとても気合いが入ります!」
「気合い……」
「そうです! 女性にとって、夜会でのドレスは謂わば鎧ですから」
「……ならば、俺も後で礼を言うとしよう。普段と装いの違う君の嬉しそうな表情を見ることが出来たのも、母のおかげだからな」
「……え?」
ルシアン様とお義母様の仲が良くなるのは喜ばしいこと、だけど……。
ルシアン様の発言に息を呑む私に気付いているのかいないのか、ルシアン様は柔らかな表情を浮かべ、私に向かって手を差し出す。
「さあ、手を。今宵のエスコートは、君の夫である俺が務めよう」
「……!」
その言葉に誘われるように、おずおずと手を差し出せば、キュッと手を握られる。
それだけで胸がまた苦しくなる私に、ルシアン様は困ったことに、とどめをさすように口にした。
「必ず、君を守る」
「……ッ」
今度はドクンと、大きく心臓が高鳴る。
そうして今日も決まってそのことに気付かないふりをして。
ルシアン様の手とお義母様方に贈っていただいたドレスに背中を押されるように、今宵の豪華絢爛な夜会会場へと足を踏み入れた。
「ふぅ……」
熱気に満ちる会場を後にし、用意された休憩室の長椅子に座ったところで私が息を吐くと、一人掛けの椅子に座ったルシアン様もまた息を吐きながら言った。
「疲れたな」
「はい……」
苦笑交じりに素直に頷けば、ルシアン様は眉間に皺を寄せて言った。
「だから夜会は嫌いだ。噂話が好きなだけの連中と話すことに何のメリットも感じられない。はっきり言って時間の無駄だ」
「ル、ルシアン様、それを言っては駄目ですよ。どなたに聞かれるか分かりませんし、それに、社交の場も貴族社会で生きるためには必要な場所ですから。……とはいえ、私も苦手ですが」
「そうか? 少なくとも君はそうは見えなかったが」
「え?」
思いがけない言葉に顔を上げれば、夜空を背景にしたルシアン様の紅の瞳と視線が交じり合う。
ルシアン様はそのまま、言葉を続けた。
「君の立ち居振る舞いは完璧だった。何かあったら助けるつもりだったが、俺の方が助けられていた気さえする。現に、あの気難しい公爵や国王陛下にまで気に入られていたようだったからな」
「そ、それは過大評価しすぎです! 私は、ルシアン様の足を引っ張らないよう必死だっただけで……、それを言うのなら、ルシアン様に私の方が助けられてばかりでした」
私の言葉にルシアン様は首を傾げたのも束の間、あぁ、と眉間に皺を寄せた。
「あの無駄にうるさい令嬢達か。娘も娘なら親も親だという典型的な例を見せてもらった」
「あ、はは……」
本来ならこんなことを言うのは良くないかもしれないけれど、こればかりはルシアン様の心情を推し量ると深く同情してしまう。
(ルシアン様がどんなに冷たい態度を取っても、怯む女性は少なかった。それだけでなく、契約妻として隣を許された私に明確に敵意を向ける方もいて……)
「だが、そのご令嬢達を黙らせてしまうほど、君の立ち居振る舞いは見事だった。ありがとう。君がいてくれてよかった」
「……!」
ルシアン様が目を細めて柔らかく笑う。その表情はとても心臓に悪くて、胸がいっぱいになり上手く言葉が出てこなくなってしまう。
その結果、ただただルシアン様を見つめる形となってしまい、私達の間に何とも言えない空気が訪れた。
そしてその空気を破ったのは、ルシアン様の方だった。
「……そういえば、靴擦れは大丈夫か?」
「……えっ」
確かに、両足共にドレスの下で靴擦れを起こしていた。だけど、自分では隠し通していたつもりだったから、まさかルシアン様から指摘されるとは思わず慌てる。
「ど、どうしてそれを!? 隠していたつもりだったのですが、もしかしてバレていましたか!?」
「いや、誰も気が付いてはいないだろう。先ほども言った通り、君の立ち居振る舞いは完璧だった。俺の目にも足を庇っているようには見えなかったが、侍女……アンナから、事前に気を配るよう言われていたから」
「なるほど……」
(私がヒールに慣れていないことをルシアン様に伝えてくれていたのね)
さすがはアンナ、抜かりないわと感心する私の横で、ルシアン様は立ち上がると言った。
「馬車を呼んでくる。君はここで待っていると良い」
「もうお帰りになるのですか? まだダンスを踊っていませんが……」
そう、ご挨拶に追われていた私達はまだ一曲もダンスを踊っていなかった。
ルシアン様が事前に、『君を妻だと知らしめることが出来る絶好の機会だ』と仰っていたこともあり、思わず声を上げた私に、ルシアン様は呆れたような目を向けた。
「君は足を痛めていたとしても踊ると言うのか?」
「は、はい、この日のために練習してきたので……。それが私の仕事かと」
「仕事……」
ルシアン様は小さく呟き、やがてため息を吐いたかと思うと、不意に私の前に跪いた。
それに驚く私を見上げる形で、ルシアン様は諭すように言った。
「念のため言っておくが。俺は今日、君を妻として伴った」
「は、はい」
「その妻が足を痛めていることに気が付いていながら、無理強いさせる夫がどこにいる。それとも、君には俺が君に無理をさせる鬼にでも見えるのか?」
「いいえ!!」
「なぜそこだけ即答なんだ……。まあ、良い。ともかく、そういうことだ。君には無理をしてほしくない。……君は俺の、大事な妻なのだから」
「え…………」
最後の方は、ほんの小さな声だった。
けれど、目の前にいた私の耳にはしっかり届いて。
息を呑む私をよそに、ルシアン様はふいと視線を逸らすと、「待っていろ」と言って部屋を出て行ってしまう。
そうして部屋に一人取り残された私は……。
「〜〜〜〜〜ッ」
(こ、この部屋には私とルシアン様しかいなかった。ということは……、今のは、演技、ではない……!?)
と、誰もいないことを良いことに頭を抱えてしばらく身悶え……、ようやく少しずつ落ち着きを取り戻してきたと思っていたら、部屋の扉をノックする音によって、再び鼓動が早鐘を打ち始める。
(も、もうルシアン様が帰ってきた!?)
休憩室への廊下には、関係者以外立ち入りが出来ないようになっている。
そのため、ルシアン様だと思い、自ら扉を開けた先にいたのは……。
「……! おねえ、さま……」
そこには、私の唯一の姉妹であるドロテお姉様の姿があった。




