妻としての責務
『……君の隣は、酷く、居心地が良い……』
(だ、駄目だわ!? 気を抜くとすぐに思い出してしまう……!)
ルシアン様と同じ寝室で、同じ寝具を使った日から三日ほどが過ぎているというのに、未だに思い出してしまう。
それほどにあの夜のこと……、ルシアン様の言葉も、体温も、表情も、一つ一つが脳裏に鮮烈に焼き付いている。
というのに……。
(ルシアン様は何事もなかったかのように過ごされている……)
その日はあまり寝付けなかったというのに、眠りに落ちた一瞬の間にルシアン様はもう隣にいなかった。
その上、前辺境伯夫妻がいらっしゃる前から恒例となっている夜の報告会でも、ルシアン様は何事もなかったかのように振る舞われている様子から鑑みるに完全に忘れていらっしゃるようで。
寝ぼけているようだったから無理もない、と思う反面、複雑な気分になる自分もいる。
私は今思い返すと身悶えてしまうほど覚えているのに、ルシアン様にとってはとりとめのないことだったのかと。
(……そうよ。あれは、ちょっとした事故のようなもの。むしろ、ルシアン様が覚えていなくて良かったのかもしれない)
だって私とルシアン様は、あくまで契約上の夫婦なのだから。
「ルシアン様と前辺境伯様が辺境伯の座をかけて決闘!?」
侍女のアンナから告げられた言葉に驚き、思わず後ろを振り返れば、アンナもまた目を見開いて口にした。
「ルシアン様からお聞きになっていらっしゃいませんでしたか?」
「え、えぇ、昨夜お会いした時にはそのようなことは一言も……」
(どうして? アンナが知っているということは今日急に決まったことではないはず。それなのに、なぜそんなに大事なことをルシアン様は私に一言も仰ってくださらなかったの?)
自分が契約妻だということは分かっている。けれど、ルシアン様の中で私はどのような位置付けなの……?
そんな疑問とショックで頭が埋め尽くされていく中、アンナが口を開くよりも先に、扉をノックする音が耳に届く。
そして、開いた扉の先にいたのは前辺境伯夫人で。
「エメさん、もうすぐ時間よ。行きましょう」
「あ……」
どこに、と聞かなくても分かった私は、両膝に置いた手を握りしめて言った。
「……伺っても、よろしいのでしょうか」
「え?」
夫人の驚いたような顔にハッとする。
(な、何を言っているの、私! これでは私とルシアン様の仲を疑われてしまうじゃない……!)
何か言い訳をしなければ、と必死に頭を動かしていると。
「貴女はどうしたいの?」
「え……」
思いがけない言葉に俯いていた顔を上げれば、夫人は私をじっと見つめたまま静かに尋ねた。
「ルシアンの進退に関わる試合を、貴女は見届けたくないの?」
「!」
夫人に尋ねられたその言葉は、迷っていた私の心に強く響いて……。
「見届けたいです」
後でルシアン様に怒られてしまうかもしれない。
それでも、私はルシアン様を応援したい。
その一心で、夫人と共に決闘の場所である闘技場へと向かった。
闘技場にはすでに、騎士達が勢揃いしていた。
以前挨拶をしたこともあり、顔見知りとなった騎士達が数名私達の存在に気が付くと、ルシアン様に知らせたようで、私と目が合ったルシアン様は険しい顔でこちらへ近付いてきて言った。
「なぜここに来たんだ。母上に連れて来られたのか?」
「違います!!」
ルシアン様の言葉に、私は遮るように反射的に言葉を発する。
いらぬ誤解は与えたくないと思っての否定が思ったよりも大きく出てしまったことで、ルシアン様と夫人が揃って目を丸くしていることに気が付き、慌てて続けた。
「ほ、他ならぬ私の意志でこちらへ参ったのです! だって私は……、ルシアン様の妻ですから」
「……ッ」
ルシアン様は酷く狼狽えた。
(お叱りなら後でいくらでも受ける。けれどどうか、私に応援くらいはさせてほしい)
応援したって何の力にもなれないかもしれない。
そう思ってルシアン様は言わなかったのかもしれない。
けれど、私達は契約上とはいえ夫婦だ。
(辺境伯の座がかかっているこの試合。私にも、一緒に戦わせてほしい)
そうでなければ、私がルシアン様と契約までしてここにいる意味がなくなってしまうのだから。
そんな祈るような思いでルシアン様と見つめていると。
「何をしている!!」
空気を震わすような大きな声が、会場に響き渡った。
その声の主は前辺境伯様のもので、あまりの威圧に一瞬肩が震えてしまう。
ルシアン様はそんな私を一瞥してから踵を返すと、辺境伯様の下へ走り寄って行き、そして……、ルシアン様と辺境伯様、それぞれの所定の位置につくと、審判を務める騎士の開始の言葉を合図に、同時に地を蹴った。




