契約結婚の証
「こちらでの生活に不自由はしていないか?」
契約結婚をしてからもうすぐ半月が過ぎようとしている頃、執務室に呼ばれて行った私にルシアン様に開口一番に尋ねられ、その優しさに感激する。
「おかげさまで、全く不自由ないどころか快適に過ごさせていただいております!」
「そうか。それならよかった」
ルシアン様がそう言って一瞬柔らかな表情を浮かべたのを見逃さず、目に焼きつけておこうと記録していると、ルシアン様がチラリと私の後ろに控えていたアンナに目をやってから言った。
「侍従達から君の話を聞くことが多くてな」
「えっ、それは良いことですか? 悪いことですか?」
恐る恐る尋ねた私に、ルシアン様は今度こそ吹き出したように笑う。
「安心してくれ、良いことだ。君が来てからまだ半月程しか経っていないというのに、君と関わった侍従達から賞賛の声が上がっている。心なしか君が来る前よりも屋敷全体が活気付いているようだから、俺としてもありがたく思っている」
「ほ、本当ですか!?」
侍従の方々だけでなく、ルシアン様にまで高評価を頂けるとは思わず前のめりになれば、ルシアン様は「あぁ」と頷き言葉を続けた。
「契約結婚を頼んだのが君で良かったと思っているところだ」
「……っ」
そう直球で言われてしまうと、嬉しさが込み上げてきて上手く言葉にならない。
(私、恩人であるルシアン様のお役に少しでも立てているんだ……)
「それと、今日君を呼んだのはこれらを渡したかったんだ」
ルシアン様がそう言って差し出してきたもの。それは……。
「……! 契約書と、そちらはもしかして」
「あぁ。指輪だ」
指輪。その単語に自然と笑みが溢れる。
「もしかしなくても結婚指輪ですか!?」
「あ、あぁ、そうだが」
「嬉しいです! ありがとうございます!」
私は箱の中に収まっている大小二つの指輪を見つめる。
小さな指輪の方には、まるで雪の結晶のような宝石がキラキラと輝いていた。
「綺麗……」
「指輪が好きなのか? それとも宝石か?」
ルシアン様の発言に首を横に振る。
「いいえ、私がまさか、結婚指輪をつける日が来るとは思わなかったので……。夢みたいだなって」
「なぜそのようなことを? 君はまだまだ若いじゃないか」
「え!? いやいや、国の女性の結婚適齢期は遅くても20歳ですから、24歳の私は立派な行き遅れですよ? ルシアン様……ではなく前辺境伯ご夫妻から私を指名してくださらなければ、私は一生独身を貫くつもりでしたから」
(あ……、また余計なことを言ってしまったかも)
そう思ったけれど、ルシアン様は「そうか」と言ったきり、それ以上深く聞いてこなかった。
それをありがたく思いつつ、話題を変えるべく努めて明るく口にした。
「早速ですが、指輪を付けさせて頂いてもよろしいですか?」
「あぁ、もちろんだ」
「ありがとうございます」
再度お礼を言ってから、そっと箱から小さい方の指輪を取り出し、自身の左手の薬指につける。
「わぁ……」
私は自身の薬指にピッタリと嵌った指輪を見て感嘆の声を漏らした後、ギュッとその手を握るようにしてルシアン様に向かって言った。
「ありがとうございます! 契約期間中大切に付けさせて頂きますね!」
「……」
私の言葉に、ルシアン様はなぜか黙り込んでしまう。
「あの……、ルシアン様?」
何か失礼をしてしまったかしら、と心配して名前を呼んだことで、ルシアン様は我に返ると言った。
「あ、あぁ、その指輪のことだが返却する必要はない。不要になれば売るなり君の好きにしたら良い」
「う、売りませんよ!? そんな勿体無いことはしません! もし戴けるのでしたら宝物に致します!」
「そ、そうか……」
ルシアン様はまた黙ってしまう。
でも、先ほどとは違い、何とも言えない空気が流れて……。
「あ、あ、後そちらの契約書もいただけますか?」
「もちろんだ」
「ありがとうございます」
ルシアン様の手から契約書をいただき、パラパラとめくる。
正直内容よりも印象的に映ったのは、ルシアン様の流麗な字だ。
(凄く読みやすくて綺麗な字……)
それが何だかルシアン様らしくてクスッと笑ってしまう私に、ルシアン様は首を傾げた。
「何か間違いが見つかっただろうか?」
「いえ、ルシアン様は字も綺麗で完璧だなと思っただけです」
「そ、そうか」
「はい」
「何か不備があったら言ってくれ。対応する」
「承知いたしました。ゆっくり拝読しますね」
「そうしてくれると助かる」
ルシアン様の言葉に頷き、丁重に契約書を胸に抱いてから言った。
「それでは、これで失礼いたしますね」
そうして淑女の礼をして踵を返したけれど……。
「待て」
「!」
ルシアン様から静止を求める声が届いたため後ろを振り返ると、ルシアン様は私に近付いて来て不意に手を差し出した。
驚きその手を見つめると、ルシアン様は紅の瞳で私を真っ直ぐと見つめて言葉を発した。
「改めて、これから宜しく頼む。……エメ」
「……ッ!」
初めて、ルシアン様に名前を呼んでいただけた。
それだけで、胸がドクンと大きく脈打ち、笑みが込み上げて……。
「こちらこそ、宜しくお願い致します!」
と、ルシアン様の大きな手を両手で包むように握り、笑い合ったのだった。




