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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
エピローグ
54/55

(1)

 伊織はゆっくりと瞼を開けた。


 視界に白い壁のようなものが見えた。まだ目の奥がジンジンと痛むような気がする。あまりに強い光を浴びたからだろうか。それにしても、体が温かくて心地良い。そう思いながら、ゆっくりと首を横に動かした。


(あれ——?)


 今度は目の前に黒いものが見えた。何だろう。あまりに近すぎて逆によく分からない。無意識にそれに手を伸ばす。サラサラとした感覚だ。その手触りがなぜか気持ちよくて、何度もそれを撫でる。


 その時だった。


「ううん……」


 その黒いものが突然動いた。そして、目の前に現れたのは、誰かの顔。


「あれ……」


 その誰かが声を出した。そして、その体が突然起き上がった。


「伊織くん!」


 彼女はそう叫んで、真っすぐに伊織を見つめた。そこでようやくその彼女に焦点が合った。


「真穂——」


 そう口に出すと、彼女は寝ている伊織に抱きついてきた。突然のことで何が何だか分からなかったが、顔を横に向けると、そこがどこなのかようやく分かった。


 そこは、伊織の部屋のベッドの上だった。


「伊織くん……生きてるよね。私達、戻ったんだよね!」


 彼女は体を離して、そう叫びながら伊織を見下ろした。そこでようやく気付いたが、真穂は高校の制服姿だ。


「そう……だよね。たぶん」


「良かった!」


 真穂は再び伊織に抱きついてきた。彼女の温かさがはっきりと制服越しに伝わってくる。伊織も、真穂も、間違いなく生きているのだ。


 そう思って、真穂の背中に手を回そうとした時だった。


「もう! 朝からうるさいわね。こっちは二日酔いで気持ち悪いんだから!」


 突然声が聞こえた。その方に顔を向けると、そこには姉の海未が立っている。しかし彼女は、伊織と目が合うと、真っ赤な顔をしてドアを閉めた。


「あっ……ちょっと、姉ちゃん!」


 伊織は起き上がろうとしたが、ベッドからそのまま床に落ちてしまった。そして振り返ると、真穂もようやく周りの状況が分かったのか、ベッドの上で恥ずかしそうに俯いて座っていた。


「あの……ここって、伊織くんの部屋?」


「た、たぶん……そうだけど」


 そう言いながら伊織は立ち上がって、閉めてあったカーテンを開けた。ちょうど東の空から陽が昇り始めた頃で、窓からは周りの住宅地が見える。そしてそのさらに遠くに盆地を取り囲む山々があり、そこから真っ白な雪を被った富士山が顔を出していた。


「戻ってきたんだ」


「そうね——」


 いつの間にか隣に真穂が立っていた。彼女も窓から見える風景を見つめている。


「部屋の中、あったかいね」


「うん」


 今度は伊織が頷く。すると、階下から、「行ってきます」と母の声が聞こえた。それでハッとして机に向かった。そこに置いてある黒いスマホを手にして、その表示を見つめる。


「3月3日……。確か、梓姫が来た日だ」


「えっ? じゃあ、私がいなくなった日の次の日?」


 真穂が言うのに頷くと、伊織は慌てて部屋を出て、隣の海未の部屋をノックした。


「ちょっと、姉ちゃん。話があるんだけど」


 そう言ってドアを開けようとしたが、中から鍵を掛けているようで開かない。すると、中から海未の声が聞こえてきた。


「ごめん。伊織を見くびってた。……でも、金曜日の夜に自宅で女子と泊まりっていうのは、さすがにどうかと思う」


「いや、だからそうじゃなくって」


 伊織は言うが海未はそれ以上何も答えない。それで仕方なく、自分の部屋に戻った。


「どうしようか……」


「そう……ね」


 真穂もそこで俯いてしまった。確かに事実だけ見れば、海未の言ったとおり女子と自宅の同じベッドで、朝まで寝ていたことになる。彼女もそれに気づいて恥ずかしくなったのか、黙ったままだ。


 その時、玄関のインターホンの音が聞こえた。まだ早い時間帯だが、一体誰だろうか。さっき母は出勤してしまったので、この家にいるのは伊織と海未だけだ。居留守を使おうと思ったが、何度もインターホンの音が聞こえたので、仕方なく伊織は階段を降りて玄関を開けた。


「おはようございます」


 そこに立っている人の顔を見て、伊織はドキッとしてしまった。


「菜月……さん?」


 そう呟くと、彼女は不思議そうな表情をした。


「あれ? 私、会ったことがありました?」


「えっ……だって、この前あの神社で……」


 伊織はそこまで言いかけて口を閉ざした。一瞬前まで、はっきりと彼女に会った記憶があったのだが、それが急速に消えていくような気がする。彼女は菜月。彼女とは会ったことがある。しかし、それはいつ、どこだったのか。


(どうしたんだろう?)


 不思議に思って額に手をやって考えていると、彼女が「あの」と言った。


「私は竹内菜月と申します。朝早くから申し訳ないんですけど、海未ちゃんはいますか。昨日、ここに来るって言っておいたんですけど。ちょっと急用があって」


「あ、ああ……姉ちゃんですね」


 そう答えて、伊織は慌てて階段を上って海未の部屋をノックする。


「エロい弟の相手はしません」


「だから……竹内菜月さんが来てるよ」


 そう言うと、「菜月?」という声がして、「ダイニングで待ってもらってて」という声が返ってきた。それで伊織は、再び一階に戻り菜月を案内した。


「あの……」


 菜月がソファに座ってから口を開いた。


「もしかして、あなたが伊織くん?」


「あっ……そうですけど」


「ちょっと聞きたいんだけど。あなたの知り合いに、山本真穂さんって子がいる?」


「ええ!」


 思わず驚いて大声を出してしまった。


「知ってるの?」


「ええと……知ってるっていうか、何て言うか。あの、その子がどうかしたんですか」


「実はね。ウチの近くに郷土史を研究している先生がいて、ウチの蔵にある古文書を研究していたんだけど、そこで戦国時代末期の日記のようなものを見つけたらしいの。当時の生活のこととか、なかなか面白そうな内容だったからしばらく読んでいたみたいなんだけどね。その中で、ちょっと違和感がある所を見つけたみたいで、今日はその話をしようと思って来たの」


「違和感……ですか」


「そう。そこにはね。内藤伊織と、山本真穂っていう名前が書かれていたの。何か、当時としては珍しい名前でしょう。たまたま海未から『弟の名前が伊織』だって聞いてたから、不思議だと思って、その内容を見せることにしていたの」

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