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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
4 月と猫
52/55

(24)

 伊織は、真穂とともに馬に揺られていた。


 馬は真っ暗な中をまるで自分の意思を持っているかのように勝手に進んでいく。伊織はただ手綱と、前に座る真穂の体だけを放さないように注意していた。


「どこに向かっているんだろう?」


「分からない……。真っ暗で何も見えないね」


 真穂の呟くような声に伊織も不安になる。志月は自分達を馬に乗って逃げさせたが、このまま馬に乗ったところでどうなるのだろう。一方で、馬から降りたとしてもどうすればよいのか全く分からない。


(勝頼の所に戻るべきか——)


 それも考えたが、仮に戻ったところで、どうすればよいのだろうか。既に武田家の命運は尽きている。このまま彼らと一緒にいたところで、敵が攻め寄せて来るだけで、助かる見込みはない。


 悶々とした気持ちを抱えながら手綱を握って進んでいると、突然、馬が足を止めた。


「あれ? どうした?」


 伊織は手綱を引いてみたが、馬ま全く動かない。ただ白い息を吐きながら、そこに止まっている。


「降りてみる?」


 真穂も言うので、まずは伊織が馬から降りて、その後から真穂の体を支えながら降ろした。周りを見ると、そこは少し林の中に入った場所のようだが、その先にもまだ道が続いている。


「行ってみようか」


 伊織が声を掛けると真穂も頷いた。彼女の手を取って暗い林の中を進んでいく。幸い、木々の間から月明かりだけは注いでいて、足元を照らしている。すると、しばらく進んだ先で急に視界が開けた。


「あれ? ここって、あの月の里じゃない?」


 真穂に言われてハッとする。確かに、志月を訪ねて行ったあの月の里のような気がした。僅かに家屋がいくつか並んでいるが、夜中であるためかどの家も真っ暗だ。ただ、どこかで火を焚いているような灯りがユラユラと見える。その方を目指して進むと、かがり火が焚かれている前に、白い着物を着た人間が二人と、その隣にまだ若そうな鎧姿の武者が立っているのが見えた。


「よく戻ってきましたね」


 少女のような声が聞こえた。真夜中であることもあって、その声にゾッとする。


「だ、誰だ?」


「私は竹内霧月(むつき)。志月の娘です。ここにいるのは、酉丸とりまると申す者」


 真ん中にいた少女が答えた。霧月は志月によく似た顔立ちだが、伊織たちより少し年齢は下くらいだろうか。酉丸と呼ばれた武者も、おそらく彼女と同じくらいの年頃だろう。


「こんな夜中に、一体、どうしたんですか」


「そなた達を待っていました。たぶん時がありません。歩きながら話しましょう。どうぞこちらへ」


 霧月は振り返って早足で歩き始め、その隣をもう一人の着物の女性が歩いた。伊織と真穂がその後ろに続き、一番後ろに酉丸がついてきている。程なく鳥居をくぐり暗闇が深くなると、後ろからのかがり火に照らされて、霧月の白い着物がまるで光っているように見えた。


「お園。もう夜明けは近いのですか」


「はい。もうすぐであろうと」


「そうか……。まだ、月も出ていますね」


 霧月は空を見上げて言った。伊織も空を見上げると、そこには、満月が不気味なほど大きく輝いている。


「一体、何をするつもりですか」


「そなた達を元の世界に戻したい」


「ええっ!」


 伊織は思わず叫んでしまった。


「君は、僕達のこと、知ってるの?」


「母上から聞いています。それで、早月様の書かれた古い文書もんじょなどを母上とともに調べていたのです。本物の梓姫様や虎政様を人間にお戻しする方法と、そなた達を元の世界に戻す方法を」


「じゃあ……方法が分かったってこと?」


 真穂が尋ねると、霧月は頷いた。


「おそらく、梓姫様たちは、早月様のお力で、身の安全が図られるまで猫になるようにされていたのです。姫様の方は、歩き巫女の長が直接動かれているはずなので、上杉の庇護ひごが確実になれば、おそらく近いうちに人間のお姿にお戻りになる」


「それで……僕達は?」


「姫様たちが人間のお姿に戻るのなら、自然にそなた達の存在もこの世界から消えると思います。そうしないと、全く同じ人間が同じ世界に存在することになりますから。ただ——」


「ただ……?」


「この世界からそなた達が消えたとして、そなた達が元の世界に戻れるかどうかは分かりません」


 霧月は伊織たちの方を見ずにそう答えた。伊織は何か問いかけようとしたが、いつの間にか神社の本殿に到着していた。霧月の隣を歩いていたお園と呼ばれた女性が、その引き戸を開け、先に中に入ってロウソクに火を灯す。ぼんやりとした明かりで本殿内が照らされる中、霧月は神棚に置かれた鏡の前に座り込んだ。お園の案内で、伊織と真穂も並んでその後ろに座る。


「どういう事ですか。元の世界に戻れないこともあるってことですか?」


 真穂が口を開くと、霧月は神棚の方を向いたまま、緑色の葉のついた枝をそっと握って答えた。


「私にはまだ、母の志月ほどの力はありません。ましてや、早月様のような並外れたそのお力とは比ぶべくもない。ですから、そなた達がこの世界から消えたとしても、私には何もできないかもしれない」


「そんな——」


 真穂はそれだけ言って絶句してしまった。静かになってしまった中で、伊織は精一杯明るい声で言った。


「で、でも……君ならきっとできるよ。志月さんだって、あんなに凄い力があったんだから、その娘の君にだってできないことはないよ」


「いや……しかし」


 そこで再び霧月は黙ってしまった。すると後ろに控えていた酉丸が外を見て言った。


「まずいな。何人か里に入ってきたみたいだ。足音が聞こえる」


「やはり……私の結界では綻びがありましたか」


「霧月様。このお園にお任せを。私が時間を稼ぎますゆえ。酉丸、霧月様を頼むぞ」


「お園!」


 霧月が叫んだが、既に彼女は引き戸を開けて外に駆けて行ってしまった。酉丸は霧月の方に歩いていき、その隣に立った。


「大丈夫。霧月ならできる。そなたが術に集中している間は、きっと某が守ってやる」


「酉丸——」


 霧月が静かに頷く。そして神棚を見上げて緑の葉の付いた枝を振り上げた。思わず伊織も隣にいた真穂の手を握った。


「伊織くん——」


 真穂がそう呟いて顔を向けたので、伊織もそれに頷く。


 薄暗い本殿の中で霧月の枝を振る音だけが響き渡る。すると、どこかで「あっちに行ったぞ」と叫ぶ声が聞こえた。酉丸が本殿の引き戸に近づき、外を覗く。


「松明の灯りが見えるな。急ごう、霧月」


「分かっておるわ」


 枝を振りながら霧月が答える。するとその時、足元で急に違和感があった。正座しているその足元を見ると、不思議なことに、自分の足があるはずの場所には、本殿の木の床が見えていた。


「えっ……これって」


 伊織が声を出すと、真穂もそれに気づいて顔を下に向けた。彼女の足元も透明になっている。それはまるで、自分の足が消えてしまっているようだった。


「伊織くん——」


 真穂は慌てた様子で、伊織の体に倒れ込んだ。伊織はその体をギュッと抱きしめるが、自分の足元もどんどん消えていく。その時だった。


 ヒュン——。


 近くで音が聞こえた。続いて、カタカタと音が聞こえる。本殿の引き戸の木の枠から外を見ると、少し離れた場所に甲冑を着た武士が何人か立っていた。


 酉丸が反射的にロウソクの火を吹き消すと、辺りが真っ暗になる。すると、真穂の胸元の辺りから発せられる不思議な光りに気づいた。


「これは……」


 そこにあったのは、志月から渡されたあの月の石だった。酉丸もすぐにその光に気づき、真穂の隣に近づく。


「そなた……それは月の石ではないか。どうしてそれを」


「志月様が持って行くようにって」


「そうか。それを貸してくれ。早く!」


 真穂は急いでそれを首から外すと、酉丸はそれを霧月のもとに持って行き、彼女の首に掛けた。するとそこから輝く青白い光が勢いよく広がっていく。


「いたぞ! こっちじゃ」


 後ろから男が叫ぶ声が聞こえた。そして、本殿の引き戸がガタガタと音を立てる。


「何じゃ、これは! 開かぬではないか」


 鎧武者が引き戸を掴んで揺らしながら叫んだ。


「くっ! 弓矢じゃ。この隙間から放て!」


 伊織はその声を聞いて、思わず真穂の体を守るように彼女を抱きしめる。その時だった。


「ウッ……」


 伊織の背中に何かが乗ったような感じがした。しかし次の瞬間、痺れるような痛みが急激に広がっていく。


(矢が、当たった……か)


 激しい痛みが広がる。しかし、真穂を守らねばならない。ただそれだけを思いながら、彼女の体を守るように必死に抱きしめていく。その強い力に驚いたのか、真穂は伊織の顔を見上げた。


「伊織……くん?」


 不思議そうに見つめる彼女の瞳。しかし、目の前にあるはずのその瞳が、次第にぼやけてくる。その時、霧月の叫ぶ声が聞こえた。


「我は月の里の霧月! 月の神よ。どうか我が願いを受け入れたまえ!」


 正面から発せられる光が強くなり、急速に辺り一面に広がっていく。その光の元を見ようとして必死に顔を上げると、霧月と酉丸は手を繋いで並んで立っていた。霧月はもう一方の手で持っていた枝を上に向けてかざしている。


(僕は……戻るんだ。そして真穂と……)


 伊織はただそう強く想い続ける。光の中で、真穂を抱きしめているその感覚だけをはっきりと感じていた。

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