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黒猫と戦国のお姫さま  作者: 市川甲斐
4 月と猫
39/55

(11)

 真穂は薄暗い倉庫のような建物の中にいた。身長よりかなり高い場所にある小さな窓には格子が付けられ、そこから僅かに空の様子が見える。


『口惜しいのう』


 黒猫が呟き、真穂もそれに頷いてため息をついた。自分たちを拉致した者たちの話し声の中に「穴山様」という言葉が聞こえたので、犯人は武田家を裏切った穴山梅雪だろうと黒猫は言った。真穂も以前、穴山に会った時の彼の顔を思い浮かべる。


「もしかして、梓姫がこの前言っていた結婚の話のことで……」


『そうであろうな。その事を逆恨みして、この武田家の存亡の危機に乗じて裏切ったのかもしれぬ。城内にもこの期に裏切ろうとする者もいるだろうから、そういう者が手助けしたのかもしれぬな』


 黒猫はため息をついた。倉庫の入口は一箇所で、外から鍵を掛けられているようで少し力を入れて開けようとしてもびくともしない。外からは物音も聞こえず、周りの様子も全く分からない。


「ここってどこだろうね」


『甲府の街のどこかではあろう。時がかからなかったから、まだそう遠くまで行ってはおらぬとは思うが』


 黒猫はそう言って天井近くにある小さな格子窓を見上げた。あの高さではさすがの猫でもジャンプするのは無理のようだ。


 それにしても、まさか城にいる所を拉致されるとは思わなかった。黒猫は気づいて犯人達に飛びかかったが、相手の持つ刀が目についたので、真穂は黒猫を抱えてすぐに大人しくした。犯人らは真穂たちを縛るやり方にも慣れていたようだし、ああいうのを忍者というのかも知れない。ただ、「手荒な真似はするな」という声が聞こえたので、少なくとも危害を加えるつもりは無さそうだ。


「これから、どうなるのかな?」


『分からぬ。ただ、ここにいたのでは誰にも見つかりそうにないことだけは確かじゃな』


 黒猫は天井近くの格子の付いた窓をもう一度見上げた。


(もし、穴山の所に連れて行かれたら……)


 真穂はその先を想像する。梅雪のまだ幼い子供の隣で白無垢のような姿で座る自分の姿。


(いや……絶対に嫌だ)


 しかし、この薄暗い倉庫から助けを呼ぶ手段など到底考えられない。それにここに連れてきた犯人は、黒い手ぬぐいのようなもので顔を隠していて、真穂のこともすぐに目隠ししてしまったので、犯人の姿や人数なども全く分からない。


(伊織くん——)


 助けてほしい。ただ、ここは戦国時代だ。殺し合うことが日常の世界なのだ。ここに拉致してきた者たちも、武田家を裏切って後が無いのだろうから、伊織たちが助けに来れば必死に戦うだろう。そうなれば彼の命も危険にさらされるかもしれない。色々と考えているうちに、その場の薄暗さもあって、少し眠くなってきてしまった。



*****



 ガチャン——。


 何かが割れるような音でハッと目が覚めた。


「曲者じゃ!」


 男の叫ぶ声が聞こえた。ドキッとして外の音にじっと耳を澄ませる。すると再びガチャンと何かの音がして、「あっちだ!」という声とともに、バラバラと人が走っていくような音が聞こえた。しばらくして、辺りが異様なほど静かになる。


『どうした?』


 黒猫も不思議そうに倉庫の入口の方を見つめるが、外の様子は全く分からない。天井近くの窓の外も暗くなっていて、その倉庫内もさらに暗くなっている。その時だった。


「ウッ——」


 近くで人が呻くような声が聞こえた。続いてドサッと何かが倒れるような音。再び辺りが静かになる。何があったのか分からないまま、胸をドキドキさせていると、ガチャという音がした。


 ゴロゴロという音と共に入口の重い扉が開いていく。


「山本さん——」


 真穂を呼ぶ声が聞こえた。


「伊織……くん?」


 まさかと思いながらそう答えると、扉の向こうから誰かが真っすぐにこちらに走ってきた。


「えっ——」


 その誰かが近づいて来たと思うと、真穂が気づいた時には、体をしっかりと抱きしめられていた。


「良かった」


 耳元で伊織の声が聞こえた。彼の腕が背中を抱きしめるのをはっきりと感じる。


「うん——」


 彼の腕の力を感じながら、体中に安心感が広がっていく。


『コラ! なっ、何をしておるか!』


 足元から声が聞こえた。そこを見下ろすと、サビ猫が細い目を光らせてこちらを見上げている。


『姫様に……いや、姫様ではないが……ああ、とにかくやめよ!』


 サビ猫は混乱した様子で叫んだ。それに伊織もハッと気づいたのか、すぐに体を離して俯いた。


「ご、ごめん。つい、無意識で……」


 伊織がそう言う様子を見て、真穂も恥ずかしく感じながら「大丈夫」と答える。すると、伊織の後ろから志月が姿を現した。


「さあ、急ぎましょう。じきに敵が戻ってきます」


 急いで倉庫から出ると、そこは平屋の建物がいくつも並んだ一角のようだった。外には鎧を着た男が1人立っていて、辺りに目を光らせながら志月に向かって頷いた。志月はそこから「こちらに」と言いながら、路地の一方に走り出したので、真穂たちもその後ろを走っていく。


 冬の夜空には満月に近い大きな月がかかっていて足元を照らしている。とにかくここから逃げることで必死だったので、草履を履いた足元の冷たさも感じない。入り組んだ街並みの中を、志月はどんどん進んでいく。すると、その先に2頭の馬が止まっていて、そこに紺色の着物に黒の頰かむりをした人間が2人が立っていた。


「追手が来るぞ!」


 後ろからついて来ていたさっきの鎧の男が叫んだ。


「この馬にお乗りください」


 志月が言って、黒猫を抱いた真穂をそこに乗せた時だった。


「待てっ!」


 後ろから男の声が聞こえた。振り向くと、数人の男が刀を抜いて追いかけてくる。月の光に照らされて、男の持った刀がキラリと輝く。


「大丈夫です。伊織殿もそちらの馬に早く乗って! たつみ、頼みます。おその、およしも、頼むぞ」


 志月が言うと、馬の側に立っていた2人の人間が、「ハッ」と応えて、追って来る男達の方に猛スピードで走っていく。


(女の人……?)


 駆けて行く紺色の着物を着た人間の頭の後ろで、縛った長い髪が激しく揺れていた。二人とも女性のようだ。


「何じゃ、女子おなごの分際で! どけっ」


 男の声が聞こえて思わず振り返る。しかしその次の瞬間。


 ピカッ!


 辺りに急に眩いばかりの光が飛び散って、真穂は目を閉じた。


「さあ、今のうちに。早く乗って! 手綱を握るのじゃ」


 志月が叫んだので、伊織も慌てたように馬に乗り、志月も真穂の乗った馬の後ろに飛び乗った。すると、2頭の馬がゆっくりと動き出す。後ろからは、再び眩しい光とともに、男達の悲鳴のような声が聞こえる。しかし、馬は次第に歩みを早めていき、その光も声もいつの間にか聞こえなくなった。

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