(3)
梓姫の姿をした山本真穂は、不思議そうにこちらを見つめた。
「それにしても、伊織くんと虎政さんはよく似ているわね。中身も伊織くんだと思ったら、なおさらね」
「そうなの?」
伊織は思わず自分の顔に手を当てた。確かに自分の姿をまじまじと見ていない。すると、真穂は後ろの棚から手鏡を持って来て伊織の方に向ける。そこには、確かに自分とよく似た顔があった。長く伸ばした髪を後ろで縛り上げたような髪型をしていなければ、確かに瓜二つかもしれない。
『私が最初に見間違えたのもわかるであろう』
「見間違えた?」
真穂が不思議そうに黒猫の梓姫の方に尋ねてから、伊織の方に顔を向けた。思わず、朝起きて同じベッドに彼女の姿をした梓姫が寝ていて、抱きつかれたことを思い出したが、まさかそれをそのまま彼女には言う訳にはいかない。ややドキドキしながらも「確かに似てるね」と同意だけして、手鏡を彼女に返した。
『しかし、まさか伊織が虎政になってしまうとは思わなかった。そして虎政が猫になってしまうとはのう』
フフっと黒猫が笑った。するとサビ猫はそちらの方を向く。
『笑いごとではございませぬ。姫様と某が猫の姿になり、この者たちが我らの姿になっておるとは、まるで妖術か何かにかかってしまったような感じでございます。姫様。これは一体、どういう事なのでございますか』
『そうじゃな……。話せば長くなるのじゃが』
黒猫がそう話し始めた時だった。
「おやめください! 姫様」
どこかで女性が叫ぶような声が聞こえた。驚いて立ち上がり、障子を開けると、廊下の先の方で女性が何人か集まっているのが見えた。
『蓮姫の部屋の方じゃ』
黒猫が先に立って走っていき、その後ろをサビ猫も追いかける。伊織もその後ろから駆け出した。廊下をドタドタと走っていくと、女性達が慌てた様子で部屋の中を見つめている。
「放せ! 放さぬか」
女性が叫ぶような声が聞こえた。すると、黒猫とサビ猫は女性達の足元をすり抜けていく。伊織が女性達の後ろまでやって来た時、「あっ」という声が聞こえた。
「な、何をするか! この猫は」
女性の甲高い声が聞こえた。女性達が取り囲む後ろの方から部屋の中を覗くと、まだ若そうな女性が他の女性たちに両腕を掴まれ、その向かいの離れた場所に黒猫とサビ猫が立っていた。サビ猫の前には短刀のようなものが置かれている。すると、その若い女性が腕を掴む女性たちを振り切って一歩前に進んだ。
「蓮姫様、おやめください!」
伊織の後ろから大声が聞こえた。驚いて振り向くと、真穂がそこにやって来ていた。取り囲んでいた女性達が慌てた様子で道を開ける。すると、サビ猫が短刀をくわえて、黒猫とともに真穂の足元に戻ってきた。彼女はその短刀を拾い上げる。
「何をやっているのですか。どうしてこんな事を……」
静かに尋ねる真穂の前で、若い女性は畳の上に手を突いて項垂れた。
「もうよい……。皆、下がれ。すまなかった」
その女性が呟くと、他の女性達は慌ててそこから離れて部屋を出て行く。真穂は、その一人に短刀を渡してから、部屋に入った。
「い……じゃない、虎政も後ろにいてください」
こちらに振り向いてそう言うのに「はっ」と答えて部屋に入り、障子を閉めた。黒猫とサビ猫もそっと入って来て伊織の隣に座る。まだ息が上がっている様子のその女性の前に、真穂が静かに座った。
「蓮姫様。どうしたのですか?」
呼ばれた女性は、まだ俯いたまま肩で息をしていた。
「父上が……北条家が駿河に攻め入ったと」
『何じゃと』
黒猫が驚いて言う。
「私が武田家に嫁いでいるというのに、北条の父上は再び武田を裏切ったのじゃ。もはや私に生きている意味はない」
『くっ……やはり、蓮姫など初めから捨て駒だったのか。憎き北条め』
「ちょっと、黙ってて」
真穂が黒猫の方を振り向いてそう言うと、蓮姫は不思議そうに真穂の方を見た。
「あっ……ごめんなさい。何でもないです。ええと……とにかく、死んではなりません。ここは、あなたの家ではありませんか」
「家――」
「ええ。父上も、私もおりますよ」
真穂がそう言うと、蓮姫と呼ばれた女性は真穂の方をじっと見つめた。するとその瞳から涙が流れ落ちていく。蓮姫は慌てて着物の裾でその瞳を拭った。
「すまぬ……。そうじゃな。私の家はここなのじゃ」
蓮姫がそう言うと、真穂は大きく頷いた。
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その日、蓮姫からの希望で、真穂は夕飯を一緒にとることになった。伊織も部屋の端の方で護衛としてその場にいることを許された。真穂は黒猫を隣に座らせ、その猫と「仲が良い虎政の猫」としてサビ猫も近くに座らせた。
蓮姫はさっきとは打って変わって明るい表情になっていた。
「本当に、さっきはすまなかったのう」
「いえ。姫様もお怪我が無くて、良かったです」
真穂は笑顔で答えた。その冷静な様子を見ていると、まるで本当のお姫様のように思えてくる。
「しかし、その猫らのおかげかもしれぬ。短刀を奪ってくれなければ、私も今頃はどうなっていたのか分からぬ」
「いえ。他の侍女たちがお止めしたでしょう。スミ達のことは偶然です」
真穂が答えると、黒猫はため息をついた。
『私と虎政が助けたのじゃ。しっかり感謝してもらいたいわ』
そう言う黒猫の頭を真穂は黙って撫でる。
「それで、その後、殿の状況はどうなのじゃ。そなた、何か聞いておるのであろう」
急に蓮姫が伊織の方を向いた。「えっ」と慌てて声を出す。
『芳しくはないだろうが、正直よく分からないと答えておけ』
サビ猫がこちらを振り返ってそう言ったので、「厳しいようですが、よく分かりません」と答える。すると、蓮姫は大きくため息をついた。
「東から北条、西から織田と徳川では、殿もさぞお困りであろうな。私にできることが何かあれば良いのじゃが」
「心配することはありません。きっと父上は無事に帰ってきます。蓮姫様が元気でいることが何より大事だと思います」
その諭すような言い方を聞いて、伊織は驚いて真穂を見つめる。しばらく会っていなかった間に、急に大人っぽくなってしまったように思った。
夕飯を食べ終え、真穂は黒猫を抱えて部屋に戻って行く。伊織もその後をついていき、部屋に入ろうとした。
『コラ! そなたはここまでじゃ』
抱えていたサビ猫が言うので、伊織は慌ててそこで立ち止まった。すると、真穂も振り返り、その胸に抱かれた黒猫が言った。
『そうじゃな。確かに、余りにそなたとばかりいると、お富はともかく他の者に不審がられるかもしれぬ。明日、また出直してくれぬか』
そう言われてサビ猫が「ハッ」と頭を下げたので、伊織も慌てて頭を下げる。
「じゃあ、帰るね」
「うん。また明日」
真穂は伊織に笑顔を向ける。美しい姫君の姿の彼女にドキッとしたが、すぐに振り返り、サビ猫を抱えて廊下を去っていった。




