(2)
伊織はサビ猫に言われるがまま、畳に置かれていた刀を着物の帯に差し込んだ。慣れていないためなのかかなり重く、腰で締めている帯もきつく感じる。そして、風呂敷を棚の中から取り出して、サビ猫を包み込み、その包みを持って外に出た。
慣れない草履を履いて外に出ると、雲間から僅かに日差しが見えたが、今日はかなりの薄日のようだ。草鞋を履く前に「足袋とかないの?」とサビ猫に尋ねたが、「何じゃ、それは」という冷たい答えが帰って来た。素足に草鞋で足元が特にジンジンとしてくるし、着物も薄いのか寒さが堪える。仕方なく、サビ猫の入った温かい風呂敷だけを胸に抱きしめて、サビ猫の案内する方向に小走りに駆けだした。
10分ほどで城の門前に着いた。どうやらそこが新府城らしい。門といっても木造の簡素なもので、その奥には天守の姿も見えない。門番が2人立っていたが、伊織の姿を見て頭を下げたので、こちらも軽く頭を下げ返して中に入っていく。そして、奥の建物の入口で声を上げた。
「甘利虎政、参上いたしました」
そう言ったが、誰も出てこない。サビ猫が風呂敷の隙間からため息をついて言った。
『そなた、もっと大声を出せぬのか』
「えっ? これ、大声じゃないの」
『もっと腹の底から』
サビ猫に言われて、「甘利虎政、参上しました!」と再び声を上げる。すると、一人の女性が現れて、そこに膝をついて頭を下げた。
「お役目、ご苦労様でございます」
「あの、梓姫に会いた……いや、ええと……拝謁したいのですが」
そう言うと、女性は「お待ちください」と言って奥に戻っていく。しばらくして、その女性が戻ってきた。
「どうぞこちらへ」
女性に続いて廊下を奥に歩いていく。それほど大きくはない建物だと思っていたが、廊下を何度か曲がるので方向感覚が分からなくなった。そして、障子が閉められた一つの部屋の前で女性が座る。
「甘利様がお越しでございます」
そう言うと、中から「入りなさい」という声が聞こえた。風呂敷の中で「そこに座れ」とサビ猫が言う声がしたので、風呂敷を横に置いてから、廊下に正座して頭を下げると、その女性が障子を開けた。
その瞬間、思わず顔を上げてしまった。
「あっ――」
真っすぐにその女性の顔を見つめる。そこに座っていたのは、長い髪を後ろで束ね、オレンジ色のような明るい色の着物を身にまとった、美しい姫の姿だった。
「これ、虎政。姫様の許しもなくご尊顔を拝するとは、無礼であろう」
その姫の脇の方に座っていた中年女性が厳しく言った。ハッとして思わず頭を畳につける。
「ハッ……も、申し訳ありません」
「良いのです。そこに入りなさい」
姫の声が聞こえたが、風呂敷を抱えて畳を見つめながら膝を擦るように少しだけ前に進み、そこで再び頭を下げた。すると、近くでチリンチリンと音が聞こえてきた。
『もう頭を上げて良いぞ』
ははっ、とその声に思わず答える。
(あれ? 今の声は……)
先ほどの姫の声とも、中年女性の声とも違う、若い女性の声。正座したまま恐る恐る頭を上げると、伊織の目の前に黒い猫が一匹座っていた。
『そなた、伊織じゃな』
黒猫がじっとこちらを見つめている。
「えっ……ま、まさか」
『真穂。お富に少し座を外すように申してくれ』
黒猫が姫の方を振り向いて言う。すると、その姫は頷いた。
「お富。少し外してくれますか?」
姫がそう言うと、その脇にいた中年女性は「はい」と言って立ち上がり、部屋を出ていった。障子が閉まると、その姫はすぐに立ち上がってこちらに近づき、伊織の前に座った。
「あなた……もしかして、伊織くんなの?」
「まさか……山本さん?」
そう言うと彼女はニコッとして頷いた。すると、その体がそっと伊織の方に近づいてきた。
「嬉しい。ありがとう——」
彼女の体が伊織に飛び込んできて、その腕が背中に回る。すると、着物からその体温が静かに伝わってきた。
「や、山本さん——」
伊織も無意識に彼女の背中に腕を回そうとした。
『ひ、姫様! 一体、何をなさっておられるのですか。その者は……』
急に声が聞こえて、風呂敷の中からサビ猫が姿を現した。そして、伊織の腕に飛び掛かる。
『ええい! そなたも、姫様のお体に触れるとは、無礼千万であるぞ!』
「あっ……イテテ」
思わず手を引いた伊織に、『待ちなさい』と声が掛かった。傍らにいた黒猫が座ったままこちらを見ている。
『そなた、もしや本物の虎政か』
静かに言う黒猫の方をサビ猫が見つめる。
『その声は……まさか、姫様……』
サビ猫は呆気にとられたような顔をしていたが、慌てて黒猫の方を向いて座って頭を深く下げた。すると、黒猫はゆっくりと首を振った。
『何たること……。私だけでなく、そなたまで猫になってしまうとは』
黒猫はそこで大きくため息をついた。




