第7話 冒険者という道
朝のSクラスには、まだ空いている席がいくつもあった。
窓から差し込む春の日差しが机の上を淡く照らし、開け放たれた窓からは、校庭の木々を揺らす風の音が聞こえてくる。
アレンが教室へ入った時、リリアはすでに自分の席に座っていた。
机の上には教本が開かれていた。
リリアの視線は、同じ頁の上に留まったままだった。
「リリア。……あんまり眠れてないよね?」
声をかけると、リリアがゆっくりと顔を上げた。
「……分かる?」
「なんとなくね」
やがてカイルとエステルも教室へやってきた。
カイルもリリアを見るなり眉を寄せた。
「お前、昨日ちゃんと寝たのか?」
「カイルまで……」
困ったように答えながら、リリアの指が胸元へ伸びた。
細い銀の鎖。
その先には、深い紺青色の石と、それを囲む細い銀輪。
昨日、ユウが残した手紙とともに見つかったネックレスだった。
エステルも、その仕草に気づいたらしい。
「何かあったのですか?」
「……昨日の夜、夢を見たの」
「夢?」
カイルが聞き返した。
リリアは胸元の石を指先で包んだ。
「ユウがいた」
三人の表情が変わった。
「ユウさんが……?」
「うん。花がいっぱい咲いてる場所にいて……いつものユウだった。私の知ってる、ユウ」
リリアは昨夜の夢を少しずつ話した。
ユウに伝えたいことがあったこと。
謝りたかったこと。
それさえ、何一つ最後まで伝えられなかったこと。
ユウが「そろそろ行かなきゃ」と告げ、離れていってしまったこと。
追いかけても、追いかけても、その距離が縮まらなかったこと。
そして最後には、白い霧の向こうへ消えてしまったこと。
「それで目が覚めたら……これが温かく感じたの」
ネックレスを握ったまま、リリアは続けた。
「でも、ずっと私が握ってたからかもしれない。だから……夢とこれが繋がってるのかは、まだはっきりしないけど」
アレンは黙って話を聞いていた。
夢だった。
それだけなら、偶然と考えることもできる。
ネックレスの温もりも、手の熱が移っただけかもしれない。
偶然なのか、それとも何か意味があるのか。
今のアレンには、まだ判断できなかった。
「覚えておこう」
「え?」
「今は意味が見えなくてもいいと思う。あとで何かと繋がるかもしれないから」
「……何かと?」
「今はまだ、何とも言えないかな」
アレンは穏やかに答えた。
「夢も、ネックレスの温かさも……何かを伝えようとしてるのかもしれない」
「だから、そのネックレスは大切にしてほしい」
リリアはしばらくアレンを見つめていた。
やがて、胸元の石を包む指に少しだけ力を込める。
「……うん」
その時、予鈴が鳴った。
周囲の席も次々と埋まっていく。
「また昼に話そう」
アレンの言葉に三人が頷き、それぞれの席へ向かった。
アレンも自分の席へ歩き出す。
頭の中には、昨夜から考え続けていたことが残っていた。
◇
昼休み。
四人は中庭の端に集まっていた。
春になって芽吹いた若葉が風に揺れ、その影が石畳の上をゆっくりと動いている。
「考えてたことがあるんだ」
アレンが切り出した。
三人の視線が集まる。
「俺たち、ユウを探すって決めたよね」
「ああ」
カイルが答えた。
「決めました」
「……うん」
エステルとリリアも続いた。
「それで、俺たちに何ができるのか考えてた」
ユウを探す。
そう決めた。
その気持ちだけでは、届かない場所もある。
「俺たちは学院生だから、学院の外でできることにも限りがあるよね。危険な地域へ行きたいと思っても、自分たちだけでは決められない」
「まあ……そうだな」
カイルも否定しなかった。
「王国の外まで探すことになったら、もっと難しくなると思う。ユウの居場所が掴めていない以上、追憶の都だけ調べて終わりってわけにもいかないし」
ユウが今も王国内にいる保証はない。
王都からどれほど離れた場所にいるのかさえ、今は掴めない。
そもそも――。
そこまで考えかけて、アレンは昨日読んだ手紙を思い出した。
――また会おうね。
ならば、探す。
今はそれでいい。
「だから俺、正式な冒険者になろうと思ってる」
一瞬、三人の反応が止まった。
最初に口を開いたのはカイルだった。
「……学院冒険者じゃなくて?」
「うん。一般の冒険者として」
「急だな……」
「自分でもそう思うよ」
アレンはわずかに肩をすくめた。
「でも、依頼をこなしながら実績を積んで、ランクを上げていけば、今より行ける場所も増えるよね」
王国の外。
強い魔物が棲む土地。
学院生という立場では簡単に足を運べない地域。
ユウを探すなら、いずれそうした場所へ向かうこともあるだろう。
「できるだけ色んな場所へ行けるようになりたいんだ。ユウがどこにいても、探しに行けるように」
「……そのために、冒険者に?」
リリアが尋ねた。
「うん」
アレンは迷わず頷いた。
「もちろん、冒険者になっただけで何でもできるとは思ってないよ。最初は行ける場所も限られてるはずだし」
一つずつ依頼を受ける。
経験を積む。
力をつける。
知らない土地を歩く。
「どこまで上がれるかは、まだ何とも言えないよ。せっかくなら、もっと上を目指してみたいと思ってる」
カイルがしばらく黙っていた。
それから腕を組み、アレンを見た。
「……本気なんだな」
「うん」
「いつから考えてたんだ?」
「昨日から」
「昨日!?」
思わず上がった声に、近くにいた生徒が何人か振り返る。
「カイル、声……!」
リリアが慌てて制した。
「いや、だって昨日だぞ!? 決めるの早すぎるだろ!」
「まだ全部決めたわけじゃないよ」
「十分決めてるように聞こえるんだけどな……」
そのやり取りに、リリアの口元がほんの少し緩んだ。
ほんの一瞬だった。
ここしばらくの彼女には、なかなか見られなかった表情だった。
アレンはそれに気づいたものの、何も言わなかった。
エステルが静かに口を開いた。
「ですが……アレンさん一人だけに任せるつもりはありません」
「うん」
「私も、ユウさんを探します」
「私も」
リリアが続いた。
「もちろん俺もな」
カイルも言った。
アレンは三人を見回した。
「うん。分かってるよ」
四人で探す。
そこは変わらない。
ただ、全員が同じ場所に立ち、同じ方法で探すことだけが答えではない。
もし自分が外へ出て、三人が学院に残るなら。
探せる範囲を広げられるかもしれない。
学院にいるからこそ集められる情報もある。
まだそこまで口にする段階ではなかったが、頭の中では少しずつ形になり始めていた。
◇
放課後。
アレンは一人、学院の図書館にいた。
机の上には、冒険者制度についてまとめられた本が開かれている。
知っている内容も多い。
それでも、自分の進路に関わることを曖昧なまま進めたくはなかった。
学院冒険者。
一般冒険者。
同じギルドの依頼に関わることがあっても、二つは別の制度だ。
学院冒険者は、王立魔法学院の教育と管理のもとで行われる実地活動。
在学中は学院の管理を離れ、一般冒険者として独立して各地を回ることはできない。
学生である以上、遠方への活動や危険地域への立ち入りにも学院側の判断が入る。
「……そうなるよね」
小さく呟いた。
一方で、学院冒険者として積み上げた実績まで消えるわけではない。
依頼の遂行記録や実技評価、教師からの評価は、卒業後に一般冒険者となる際の推薦材料になる。
在学途中で学院を離れ、一般冒険者へ転向する者についても、それまでの活動実績は評価の対象となる。
学院がこれまでの活動をまとめ、推薦を出したうえで、ギルド側の審査を受ける。
そこで、一般冒険者としてどのランクから活動を始めるかが決まる。
アレンは頁をめくる手を止めた。
学院に籍を置いたまま、旅を続けながら自由に依頼を受ける。
そんな形は認められていない。
予想していたことだった。
それでも、文字として確認すると、学院を離れるということが急に現実味を帯びた。
授業を受ける。
仲間と実技場へ行く。
図書館で新しい本を探す。
許可された依頼へ出かける。
一年間、それを当たり前のように繰り返してきた。
楽しかった。
知らなかった魔法をいくつも知った。
失敗して、考えて、また試した。
ユウのように、自分とは違う考え方をする相手にも出会えた。
ここで学んだからこそ知れたものは、いくつもある。
学院を離れるかどうかを、勢いだけで決めたくはなかった。
アレンは本を閉じると、その表紙に手を置いたまま、しばらく考えていた。




