第3話 また会おうね
リリアへ
もし、この手紙がリリアに届いていたら。
多分その時、僕は学院にはいないと思います。
急にこんなことを書いて、ごめんね。
本当は、ちゃんと顔を見て渡したかったんだ。
でも最近、なんだか変なんです。
うまく説明できないんだけど。
眠ると、時々嫌な夢を見るようになりました。
どんな夢だったのかは、目が覚めるとほとんど思い出せません。
なのに。
何か大切なものが、自分の中からなくなってしまうような。
自分なのに、自分じゃなくなってしまうような。
そんな変な感じだけが、目が覚めたあとも残ります。
たぶん、考えすぎだと思います。
僕、こういうの気にしすぎるところあるから。
だから、あまり心配しないでね。
ただ。
もし本当に何かあった時に、言いたかったことを何も言えないままなのは嫌だなって思って。
それで、この手紙を書いています。
最近、みんなとあまり話せてないよね。
理由は、僕にもまだ分かりません。
でも。
リリアも。
カイルも。
エステルも。
きっと何か理由があるんだと思ってます。
だから、誰かを悪く思ったりはしてません。
それより。
封筒の中に入っているもの。
前から、リリアに渡そうと思ってました。
見つけた時に、リリアに似合いそうだなって思って。
すぐに渡すつもりだったんだけど、いざとなるとなんだか恥ずかしくなって。
結局、ずっと持ったままになってました。
こういうのって難しいね。
もし気に入ってくれたら、持っていてくれると嬉しいです。
無理につけなくても大丈夫だからね。
リリアには、ちゃんとありがとうって伝えておきたかったんだ。
古書店で出会った日のこと。
今でも覚えてます。
あの日、リリアに会って。
カイルとエステルにも出会って。
それから学院に入って。
四人でご飯を食べたり。
授業を受けたり。
依頼に行ったり。
遠征にも行って。
対抗戦では、みんなで必死になって。
思い返すと、本当にいろんなことがあったね。
一人で森にいた頃は、こんな毎日があるなんて想像もしてませんでした。
朝になれば学院へ行って、教室にはみんながいて。
授業が終われば、一緒に何をするか考える。
そんな普通の毎日が、僕は本当に好きです。
リリアと出会えてよかった。
カイルとエステルにも出会えて。
四人で同じ班になれて。
本当によかったです。
だから。
もし。
もし次に会った時。
僕が少し変わっていたとしても。
今ここに書いていることだけは、本当だから。
僕がみんなと過ごした時間を大切に思っていたこと。
みんなと一緒にいられて嬉しかったこと。
それだけは。
忘れないでいてくれたら嬉しいです。
僕も、忘れたくないです。
前に言った約束も。
ちゃんと覚えています。
何があっても、みんなのことは守るって。
あれは、今も本気です。
それから。
リリアには、まだちゃんと言えてないことがあります。
それは手紙に書くんじゃなくて。
今度、会った時にちゃんと話したいです。
だから。
これは、お別れの手紙じゃありません。
少しだけ先に。
ありがとうって伝えておくだけです。
リリア。
今まで、本当にありがとう。
また会おうね。
ユウ・リシェル
最後の文字まで追い終えても、リリアは顔を上げられなかった。
視線が、いくつかの行で止まる。
『僕がみんなと過ごした時間を大切に思っていたこと。』
『僕も、忘れたくないです。』
『また会おうね。』
そのあたりだけ。
乾いた染みと重なるように、文字の輪郭が僅かに滲んでいた。
「…………」
手紙を持つリリアの指先に、力が入る。
ユウは、自分たちを責めていなかった。
拒絶された時でさえ。
理由があるのだと思っていた。
信じていた。
それなのに、自分は。
『来ないで』
そう言った。
『近くに来られるの、嫌だから』
そう言った。
そのあと。
助けを求めていたユウを、置いてきた。
『行かないで……』
『一人にしないで……』
『怖い……』
全部、覚えている。
「……っ」
息が詰まった。
ぽたり。
一滴の涙が、手紙の端へ落ちた。
新しい染みが、ゆっくりと紙へ広がっていく。
そのすぐ近くには、もう乾いてしまった薄い跡があった。
「……違う……」
リリアの声が掠れる。
「何が?」
カイルが尋ねた。
「ありがとうって……」
また涙が落ちる。
「そんなこと……言われるようなこと……してない……」
「リリア……」
「私……!」
声が崩れた。
「私、ユウに……あんなこと言って……」
涙が止まらない。
「怖いって言ってたのに……」
手紙を握り潰さないよう、必死に指へ力を入れすぎないようにしていた。
「一人にしないでって……言ってたのに……」
声にならない。
「置いてきた……」
カイルが俯いた。
エステルも、膝の上で手を強く握っている。
「……俺もだ」
カイルが低く言った。
「え……?」
「俺も、あいつに言った」
拳を握りしめる。
「信用できねえって」
「カイル……」
「理由も分からねえのに……あいつは、自分が悪いと思ってた」
カイルは手紙へ目を落とした。
「それなのに……俺たちには何か理由があるって、信じてくれてたんだ」
声が掠れる。
「……何なんだよ、それ……」
「私もです」
エステルが続けた。
「私は……以前のように話したいとは思わないと、ユウさんへ伝えました」
いつもの落ち着いた声が、わずかに細くなっていた。
「それでも、ユウさんは……」
その先を言えなかった。
アレンは三人を見ていた。
知らないことが多い。
何があったのか。
なぜ三人が、ここまで自分を責めているのか。
全部を聞いてはいない。
それでも、一つだけは分かった。
ユウ・リシェルという少年が、この三人にとって今も大切な存在なのだということ。
「……探そう」
三人が顔を上げた。
アレンだった。
「……え?」
リリアが涙に濡れた目で見る。
「ユウを探そう」
アレンは、もう一度言った。
「俺は詳しいこと全部知ってるわけじゃない」
机の上の手紙へ目を落とす。
『また会おうね』
「ユウ自身が、また会おうって書いてる」
「…………」
「だったら、俺たちまで終わったことにする必要はないだろ」
リリアの瞳が揺れた。
「でも……どこにいるかも……」
「それを探すんだよ」
「何か月も……見つかってないんだよ……?」
「だからって、やめる理由にはならない」
アレンの声は強くなかった。
ただ、迷っていなかった。
「今も居場所が分からないなら、俺たちは俺たちで、できることから探せばいい」
カイルがゆっくり顔を上げる。
「……そうだな」
「カイル……?」
「俺も探す」
迷いはなかった。
「このまま、いなくなったままで終わらせるなんて嫌だ」
エステルも頷く。
「私もです」
「エステル……」
「ユウさんへ、まだ謝れていません」
エステルは手紙を見つめた。
「そして……謝るだけではなく、もう一度お話ししたいです」
リリアの指が、便箋の端をそっと押さえる。
「……私……」
声が詰まる。
「私……会っていいのかな……」
カイルが眉を寄せた。
「何言ってんだ」
「だって……」
「それを決めるのはユウだろ」
「…………」
「お前が勝手に、もう会えないって決めるなよ」
その言葉に、リリアの目からまた涙が落ちた。
「……うん……」
小さく。
本当に小さく頷いた。
「……会いたい……」
初めて、はっきりと口にした。
「ユウに……会いたい……」
手紙を胸元へ寄せる。
「ちゃんと……謝りたい……」
言葉を探すように、一度息を吸う。
「それから……」
『リリアには、まだちゃんと言えてないことがあります』
その一文を思い出す。
「聞きたい……」
涙を拭った。
「ユウが……私に言いたかったこと……」
もう、ただ後悔するだけではなく。
会うために。
「……探す」
リリアが言った。
「私も、ユウを探す」
カイルが頷く。
「ああ」
「私もです」
エステルも続く。
アレンが三人を見る。
「じゃあ決まりだな」
今、この机を囲んでいるのは四人だった。
けれど。
そこに、ユウはいない。
空いたままの場所を埋めるためではなく。
いなくなった一人を探すために。
四人が、初めて同じ方向を向いた。
◇
しばらくして。
リリアは、机の上に置かれていたネックレスへ手を伸ばした。
華奢な銀の鎖。
夜空のような紺青の石。
その周囲を包む、細い銀の輪。
『もし気に入ってくれたら、持っていてくれると嬉しいです』
「……」
そっと持ち上げる。
胸の痛みは、まだ消えていない。
罪悪感も。
後悔も。
何一つ消えてはいない。
手紙を読んだからといって、許されたわけではない。
ユウが戻ってきたわけでもない。
それでも。
この小さなものまで失くしたくなかった。
リリアは一度だけ躊躇し、細い鎖を自分の首へ通した。
紺青の石が胸元へ落ちる。
そこへ、そっと手を重ねた。
「……ユウ」
窓の外では、夕日が少しずつ沈んでいく。
「待ってて……」
返事はない。
「今度は……」
喉が詰まった。
「今度は、私が行くから……」
一筋の涙が頬を伝った。
「だから……」
胸元のネックレスを握る。
「……もう一回、会おうね」
机の上には、二人分の涙の跡が残った手紙だけが、夕暮れの光の中で静かに照らされていた。




