第9話 水底の主
海藻の森に風は吹かない。だが、揺らめく青い光は歩く者に涼しげな感覚を与える。
「何歳ぐらいからここに来てるんだ?」
「えーとね十三歳ぐらいから」
「へえ、五年は独り占めしてるのか」
「まあね。色々作ってるのよ」
アイーダが森の向こう、開けた所に建てられたテントを指さす。海藻でできているのだろうか、光沢のある緑色がてらてら照らされている。
「あれ、テントか? 結構大きいな」
「そうよ。物運ぶついでに拡張してんの」
「器用だな」
「冒険者は器用じゃないと務まらないわ」
アイーダはそう言いながら、テントの垂れ幕を引き上げ、ミカを中に招き入れた。テントの中はアイーダの私物と思われる荷物であふれかえっていた。
「あー......察して」
「片付けができないのか」
「声に出さないで!」
「いや、気分転換に掃除はちょうどいい。目標は人が寝られるだけのスペースを空けること」
「ね、寝るって、あんたここに泊まる気!? あたしと!?」
「例えだよ。流石にここには泊まらないぞ」
「そ、そうよね。びっくりさせるんじゃないわよ」
アイーダが顔を赤らめながら荷物を担ぐ。テントの中にはアイーダお手製の棚が何個か置かれていた。どれも活用されていなかったが。
「鍋にフライパン、ここって火使えるのか?」
「使えるわ。お肉焼くのがサイコーなのよ」
「棚にのっけてくぞ」
調理器具を棚に乗せると、次の荷物に手を伸ばす。
「あんたって小さい頃から世話焼きだったわね」
「今はそうでもないぞ。聖女になってからは自分のことで精いっぱいだったし」
小舟が一隻、小島に接岸した。漁師に変装したオットーは辺りをさっと見渡す。そして砂浜に着いた二つの足跡を見つける。
「誰か来てやがるな。ここの存在が秘匿されているとは思わないが、脅威になりそうな奴なら始末するか」
オットーは小舟の縁に足をかけて降りようとしたが、足を滑らせて波押し寄せる砂浜に落ちてしまった。
「......」
立ち上がったオットーは頭に巻いたタオルを取ると、三白眼をぎょろつかせながら島を登り始めた。しばらく登ると、石柱に囲まれた池を見つけた。
「ここに入ればいいんだな」
オットーが意を決して池に飛び込んだ。次の瞬間、オットーは砂の上に立っていた。水の中のような世界が一面に広がっている。男は咄嗟に息を大きく吸い込んだ。そして呼吸ができることに気が付いた。
「呼吸ができる、水中じゃないってことか」
男が深く息を吐く。
「さて、どこにアイテムボックスを設置するか」
中身がこの空間でとどまっては困る為この空間の端、要は水中との境界線を目指して歩き始めた。地面にはいくつか足跡が残っている。
(先にここに来た奴の足跡か。ここは島の連中にとって知られている場所なのか? 取り敢えず何者か確認して)
オットーは足跡を辿っていく。足跡は二つ、少なくとも二人がここに来ていることになる。
「ったく、厄介なやつじゃなければいいが」
しばらく辿っていると、声が聞こえてきた。
「このでっかい人形いるのか⁉ 邪魔でしかないだろ!」
「はあ⁉ でっかい人形!? アンジュって立派な名前があるんですけど!?」
子供っぽい声が聞こえてきた。オットーが海藻の陰に隠れて様子を伺う。
「......ガキの遊び場になってんのか?」
どうやら海藻でできたできたテントの中にいるらしい。また様子をうかがっていると、テントから男女が出てきた。
「......! あいつ、確かアイーダ」
オットーのもとに送られてきていた情報の中にアイーダの情報はあった。
(テンカーン村でおそらく一番実力のある冒険者。真正面からぶつかっても問題ないが、侮れん相手。ところで......)
オットーの目がアイーダと言い争っている男に留まる。
(あいつはなんだ? 白い髪の男なんてテンカーン村にはいないはずだが......)
オットーの脳内にサリヴァンの言葉が響く。
〈白魔導士とかいうやつが紛れていやがった〉
髪色や顔の特徴は聞いていなかったが、何故か白い髪の男が白魔導士であるとオットーは確信した。
(あれがサリヴァンの言っていた白魔導士!? 魔法を極めた老獪のような奴かと思ったが、まだ若いな。作戦の障害には......)
「何やってんだ? こんな所で」
真後ろにミカが立って、問いかける。
まったく気配を感じさせないその動きにオットーは思わず間抜けな声を上げて尻もちをついてしまった。
(ど、どうやって? 移動魔法の類、あるいは転移魔法か? 魔力の起こりを全く感じなかった)
尻もちをついたオットーの顔をミカがじっと見つめる。
「いや、その、たまたまここにたどり着いて......」
「たまたま? たまたま島について、池に飛び込んだってのか? 怪しいな」
「違う、経緯があるんだよ。船に乗ってたんだけどよ、ひっくり返っちまって、たまたまこの島が近くにあったから泳いできたんだよ。んで、近くに船がないか見渡そうと思って島を登ったんだよ。そしたら池があって落ちちまったんだよ」
「ああ、そういうこと。確かに全身濡れてるしな」
ミカがアイーダに上着を持ってくるように伝える。オットーは立ち上がると、尻に付いた砂を払った。
(なんとか誤魔化しは効いたな。あの時こけたのが功を奏すとは。後は上手いこと別れてアレを設置しに行く。本来は最終確認のつもりだったが白魔導士がここにいるなら話は別)
「これでいい?」
アイーダがビキニアーマーを持ってこちらに走ってくる。
「誰がビキニアーマーなんか着るんだよ! おっさんとお揃いになるぞお前!?」
ミカがアイーダにツッコむ。
「しょうがないじゃん! 服これしかないし」
「これしか? 羽織るものもないのか?」
「そこまで露出してないでしょ。そりゃ胸の谷間とかお腹とか出てるけど、変な目で見られたことはないわよ」
アイーダが胸を張って言う。呆れかえったミカはオットーの方を向いて言った。
「聞くまでもないかもだけど───」
「遠慮する」
言い終わる前にオットーが拒否した。おじさんがビキニアーマーを着るなど異常としかいえないため、彼の判断は正常である。
「ここから戻る方法ってあるのか?」
「帰りたいって思いながら......上に......」
アイーダの顔がみるみるうちに青ざめていく。ミカとオットーが顔を見合わせる。
「ひぇぇぇぇぇ!」
アイーダが絶叫して尻もちをついた。
「なんだよ、急に大声出して」
「何かあったのか?」
ミカとオットーが振り向く。彼らの目の前に白い壁があった。先ほどまではなかった白くテカテカした壁が。
「お前ら、ここがどこだか分かっているのか?」
男の声が上の方から聞こえる。
「上から?」
ミカが上を向くと、艶やかな肌の男がこちらを睨むように見下ろしていた。
「な、なんだこいつ!?」
オットーが腰を抜かしてへたり込む。彼はずっと尻もちをついてばかりであるが、半分演技である。
「どこか分かってるかって聞いてんだ!」
男が吠える。ミカは耳を塞ぎながら叫び返す。
「知らない!」
「じゃあ、教えてやるよ。小魚程度のお前らでも分かるようにな」
男がバカにしたように言って手を広げる。
「ここはこのクラーケン様が創りだした居住空間だ! 昔は顔は良い愚図を飼っていたが、逃げられてな。今はだれも住んでいないはずだったが、お前らが遊び場にしていたようだな」
クラーケンがミカ達を指差す。ミカは海藻を駆け上がってクラーケンの全様を確認する。
(上半身は普通の人間で、下半身がタコみたいになってるな。大きさは......目視じゃ図れないぐらいでかいな)
「おい、小魚! 俺より上に行くな!」
クラーケンがまた吠える。だが、ミカはそれを無視する。
「あんたの住んでる所だったのか?」
「違う、俺が創っただけで誰も住んでない!」
「ウルとやりあった時の事を覚えてるか?」
「......ウル? 何でお前がウルの事を知ってんだ?」
「色々あってな、答えてくれ」
「忘れるわけねぇだろ。攫ってきたあいつの娘とハネムーンできると思ったのによ......」
「え、攫ったのか?」
「そうなんだよ、ありえねーよな。海辺にいたからそのまま連れて行って住まわせてたんだよ。そしたらそいつは逃げ出す、ウルに喧嘩売られるわで散々だったんだぜ」
クラーケンが肩をすくめてため息をつく。
(こいつ、なんで被害者ヅラを? ウルの娘が死んだ直接の原因ってこいつじゃないか?)
ミカが怒りをみなぎらせて叫ぶ。
「当たり前だろ! 誘拐じゃねぇか!」
「なんでお前が怒ってんだよ。ははーん、お前ウルに言われて俺に復讐しに来たのか? あいつも歳いってるし、小魚に頼むしか......」
「おーい!」
クラーケンの言葉を遮るようにオットーが呼びかける。
「おーいクラーケン! 俺達からの贈り物だ、納めとけ!」
オットーがアイテムボックスを二つ、クラーケンの顔に向けて投げ、アイーダと肩を組む。
「ちょっと、あたしあんたと関係......」
一瞬の閃光が走り、アイテムボックスの中身が物凄い勢いでぶちまけられた。物凄い衝撃が空間を揺るがす。その根源はぶちまけられたモノか、あるいはクラーケンの怒りか。




